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あの日過ぎ去りし風は今は何処を吹く

 


 その星の名はJourney。

 開闢以来随一の栄華を誇るその国の名はブライトネス。


 初代国王ガーウィン・ブライティア亡き後、絶大な支持を得ていた偉大なる国王が居なくなった事の不安から、国民達の間には陰が刺し始め、国は揺れていた。


 世界を その意志を 一つに纏め上げ、主神イルダーナとイヴリースに導かれ、共に神敵を滅し、世界を救った英雄の中の英雄。〝国王〟だけではなく、〝代行者〟という名を冠したのもまた、彼が初めてだった。


 揺れ動いたのはブライトネスだけではなかった。

 他国の者達も然り。世界中の人々が、この世界の救世主を失い、光を見失った。


 立ち上がったのはガーウィンが残した子供達。そしてガーウィンの最も頼りにした仲間達とその子ら。

 絶望し、後を追おうかとするかの様に衰退を始める世界を憂いた。

 嘗てガーウィンがそうした様に、その意志を継ぎ世界と共に歩もうと奮起した。王1人に全てを託すのではなく、並び立ち共に歩む証として位を定め、それを貴の者とし、治める領地を分配して協力して世を平定した。


 主神イルダーナ・イヴリースを筆頭に、この世界の神々はただただそれを見守っていた。神としての在り方。衰える人の世を憂いはすれどもその行き先は人々が自ら決めなくてはならない。

 神々は再び自らの力で立ち上がり進み始めた者達を観て心から喜んだ。その志の高潔さに祝福を与えた。貴族と呼ばれ始めたその者達を次世代の〝代行者〟として。その者達に各々の神々からその名を貸し与えた。名を与えられた貴族達はそれを性として名乗り、代々家名として継いで行く。



 イルニディア

 イヴリシア

 ウラノシア

 クロノシア



 後に四旗権門(ノーブル・フォー)と呼ばれる家系を筆頭に。ヘイムディア家やヘカティア家等の上級貴族が各地を治める。


 新たな〝代行者〟達の尽力で、世界は再び平穏を取り戻した。






 そして時は移ろぎ──────





 現在……………より少し遡ること十数年。


 〝ルドラシア〟の末裔の邸宅にて、二人の男が剣呑な雰囲気で口論をしていた。



 「頃合いだ。見苦しいぞ。良い加減にしろ、父上」


 「……………いいや、ならん。今のお前に家督を継がせる事は出来ん」


 「老害がいつまで居座るつもりだ。耄碌した父上には荷が重いだろうと各分家の家長達からも不平が出ている。その地位を失うのが恐ろしいか? とうに威光は地に落ちている。権威に執着する程の物も既に無かろう」


 「地位・名誉・権力に執着しておるのはお前だ、シュヴァルヴェン。アジスキア家の次男がその名を世に馳せ始めてからであったな。お前が焦りを見せ始めたのは」



 ギリリ……………


 それは握り締められた拳からの音か。

 もしくは口の奥から響き渡る物なのか。


 シュヴァルヴェンの表情は何方から聞こえる音だとしても疑問を感じない程歪められていた。



 「貴様が当主としての責を投げ打ち! 勝手気ままに放浪した先で女人の尻を追いかけ回して当家の風評を乏しめておる間に! 分家の者に出し抜かれたのではないかっ!! 世間では我がルドラシア家が何と言われておるか知っているのか!! 『気ままな風の家柄、気の向くままに揺れ動きいつしか分家に取って代わられる』。何という恥辱か!! 分家如きに本家で有る我がルドラシア家が下に見られておるのだぞ!!」


 「それがなんだと言うのだ。イルニディア家を見てみよ。最も下位に位置する筈の分家が、理由はあれども今や最高位に位置しておる。それでもイルニディア家が不満を漏らしたか? 家は荒れたのか? 平穏そのものであろう」


 「黙れ!! 四旗権門(ノーブル・フォー)と同列に考えるのが間違っている! 元々の位の高さが違う! ただでさえ風の大精霊(シルヴィア)をあの失敗作に奪われ不振に終わっておるというのに更には分家に地位を取って代わられてみろ!! ルドラシア家の威光は地に堕ちるぞ!」


 「…………愚かな。よりにもよって自らの息子を()()()だと?」


 「出来損ない以外の何者でもなかろう! いくら風に好かれようとも我が風妖精ノ雷撃(シルヴズ=ブリッツァ)は扱い切れん! いっそ父上が外に連れ出してる間に事故にでも遭ってしまえばいいのだ。あのゴミが居なくなれば風の大妖精は縛りが無くなり再び自由の身となろう」



 フワリ……………


 貴族の邸宅。その一角である当主の間。建て付けなど悪いはずも無く、隙間風など当然考えられない。

 現当主の控えめな性格が現れた、華美ではないしかし厳かな雰囲気のその室内の机の上に並べられた書類の束がパタパタと煽られ浮き上がる。


 椅子に腰掛けていた男が立ち上がる。



 「貴様……………まさか………まさかとは思うが…………ヴェイスとグランツヴィンの死に関与してはおるまいな?」


 「………………フン。私が自身の姉と兄を謀殺したと? 本当に老いたものだな父上。そんな老いた目では現実など何も見えまい。権力に固執していると言うがそれは違う。()()()()なのだ。今は開国当時とは違う。『隣に立ち共に歩む』など綺麗事だ。多様化する現代、人々を統治するには一定以上の権力を持ってして抑え込む力もまた必要なのだ」


 「民を抑え込む!? 何という傲慢な……………! お前はどこで道を踏み外した!! ガーウィン様の…………イルダーナ様の御意志に仇成すか!」


 「古い、古過ぎる!! 父上達はもう古いのだ!! これからの貴族はより一層の権威を持って人の上に立ち権力によって民を統治する!」


 「それは〝圧政〟と呼ばれる物だ!! 神々が、亡きガーウィン様が、〝代行〟の継承者様達が! 最も忌み嫌った物であるぞ!!」


 「老害が神の御意志を語るか!! ルドラシアの当主と言えども今や代行者では無かろう!父上如きが神々の御意志を代弁するなど烏滸がましいにも程がある。よいか、時代は変わったのだ! これからは我々新しい世代が貴族の威光を取り戻し、この時代に則した正しい統治を行う! それを見て神々も我々こそが正しいと理解して祝福をお与えくださる事だろう! 我ら次世代の貴族の当主が正しく〝神の代行者〟と成るのだ! 早いうちに私の為にその〝ルドラシアの当主〟の座を空けておけ!! いいな!」


 「待たんか!!シュヴァル!!」



 バタンッ!!……………



 「………………………はぁ」



 独り部屋に残され、椅子に深く凭れ掛かり、深い深い溜息を吐いたその男の名は ファルヴェスティルヴィン・ルドラシア。

 仲の良い者からはファルヴェと愛称で呼ばれる、ヴェンティの祖父。そして…………今の今まで口論をしていたシュヴァルヴィンの父親。

 ルドラシア家の現当主であり、齢60を超え、年々剣の冴えが衰えて来ている事を感じつつも、野心旺盛な息子に当主を任せる事に一抹の不安を抱えて悩む老年の翁。



 「のう………婆さんや…………儂はどこで倅の教育を間違えしもうたのかの…………」



 視線の先には部屋の片隅に控えめに飾られた今は亡き妻の若かりし頃の写真。


 物想いに耽っていると、部屋の外に気配を感じた。


 コンコン…………



 「………………入れ」


 カチャ………


 「…………お祖父様」


 「おお! ヴェンか! よう来た、よう来た。遠慮せずに入りなさい」



 静かに開けられたドアからおずおずと半身だけ覗き込む愛孫に破顔する。

 未だ幼く、ドアノブよりも少し背が高いかという程度のヴェン。誰よりも風と雷に愛され、しかしそれ故に父からも兄弟達からも疎まれ除け者にされた幼き孫。



 「…………お父様は?」


 「…………大丈夫じゃ。もう行ったよ。ほれ、おいで」



 腕を広げるとヴェンは一目散にその広い胸の中へと駆け寄った。



 「聞こえておったか……」



 しがみ付くヴェンをしっかりと抱き止めながら聞くと、顔を埋めたまま一度だけ小さくコクリと頷く。



 「大丈夫じゃ。大丈夫。何があろうとも儂はヴェンの味方じゃからな」



 いつからだったか。権力や威光に取り憑かれ、変わってしまった息子。孫達にまでエリート思考の教育を施し、傲慢に染め上げてしまった。

 幸いな事に、除け者にされたヴェンだけはその状況から逃れる事が出来ている。

 せめてこの子だけでもすくすくと健全に育って欲しい。



 「さあヴェン、儂もお仕事は終わりじゃ。今日は何を教えようかのう」


 「………お祖父様が僕に技を教えてまたお父様に怒られるのは見たくありません」


 「怒られる? あれはちょっと文句言っとるだけじゃよ。気にせんでいい。のうシルヴィアよ? こんなに風に愛されるルドラシア家の者が風妖精ノ雷撃(シルヴズ=ブリッツァ)を覚えんでどうする。そうは思わんか?」



 ヴェンの背後に風が寄り集まり女性を形作る。問われたシルヴィアが顕現し、優しく微笑む。


 シルヴィアは、風の大精霊と呼ばれる。妖精・精霊の中でも上位の存在である。縁あってルドラシア家の目付け役の様な立ち位置に居り、代々のルドラシア家の人間の中で、特に風に愛される様な者、または自分の気に入った者に憑いて来た。

 シルヴィアに気に入られるというのは、強大な精霊魔導を得るのと同義。故にシルヴィアに憑かれた者は、ルドラシア家の中でも重鎮として扱われる。


 シュヴァルは それが狙いだった。

 しかし自分は選ばれなかった。


 選ばれる事の無かったシュヴァルの次の狙いは、自分の息子か娘にシルヴィアを憑ける事。


 そしてその目論見は叶えられた。

 シュヴァルの思惑とは別の形で。


 ヴェンが生まれてから少し経った頃、シルヴィアはファルヴェからヴェンに移ったのだ。


 ルドラシア家に産まれながら、雷を扱えない〝出来損ないの失敗作〟に。



 「でも、僕は雷を扱えません」


 「おや、ヴェンよ。今まで教えた事を忘れてしまったかい? 風妖精ノ雷撃(シルヴズ=ブリッツァ)には風のみで闘う技も沢山ある。心配するな。シルヴィアと共に儂の知る全てをお前に授けよう」



 立ち上がり、ヴェンの手を優しく引いて部屋を出る。


 今日は確か彼の国の槍使いの偏屈な婆さんがホムラ殿の所に来ていた筈だ。同じく〝刺突〟を主体にした闘法はヴェンにも少なからず良い影響を与える事だろう。ホムラ殿の所のヴェンと近しい歳の子も最近はメキメキと実力を上げていると聞く。切磋琢磨し合える関係になってくれればそこから人脈も広がるだろう。


 そんな事を考えながら、ファルヴェは嬉しそうにはにかみながら自分と手を繋ぐ愛孫を見ていた。






 ・

 ・

 ・





 「おや、久しぶりに見る顔だ。相変わらずフラフラと気ままに出歩いてんのかい。呑気なもんだねえ」


 「相変わらず小言がうるさい婆あじゃな。放っとけ。儂の自由じゃろうに」



 ヴェンの手を引きホムラ槍術道場へと来たファルヴェ。本日は合同稽古の日。珍客が先に来ていたらしい。



 「お貴族様にゃ解らんのだろうけど自由にも限度ってもんがあるんだよ。街中通って来たけど噂になってたねえ。『年甲斐も無く』なんてね。まあだ女の尻追いかけ回してんのかい、呆れたもんだ」


 「はぁあぁ本当に口喧しいのう。知り合ったばかりの頃はあんなに初心で可愛らしい娘じゃったのに。他人の趣味に口出しするでないわ」


 「その初心な生娘の純潔をお遊びで散らした下衆はどこのどいつだい」


 「何を! 遊びなもんか。 当時は本気じゃったわい」



 その昔、深い仲だった二人の間に遠慮という文字など有るはずが無く。互いに伴侶が居る様になっても未だに軽口を叩ける関係のままだった。



 「カッ! そんで最近の街遊びも本気だって言うんだろさねどうせ」


 「……………………」



 しかしそんな間柄でもどうしても棘を感じてしまう言葉という物は存在する。



 「………何だい」


 「……………儂の〝本気〟は婆さんで終わった」


 「…………ウェンティは女のあたしから見ても良い女だったねえ。女ったらしのあんたが浮気もせず一途に愛した事が何よりの証拠さね。あんたに誰よりも愛されていた事はウェンティ自身良おく解ってた筈さ。こんなふらついた男に本気で愛されたんだ。女冥利に尽きるってもんさね。痛ましい事ではあったけど、きっと最後まで幸せだった筈だよ」


 「…………フフッ、流石じゃのう。他人の心の弱みを的確に見抜きおる。蛇進呀流は転用すればセラピストでも目指せるのかの?」


 「カカカッ! 物は使い様ってね。はぁ止め止め、こんな話でしんみりするとはお互い歳食ったもんだよ。あんたは街で女のケツ追いかけ回してる方がお似合いさね」


 「そうじゃな。ヴェンも居る。いつまでもくよくよしておられまいて。ところで本当に久しいのう。調子はどうじゃ」


 「まあボチボチってところかねえ」


 「なんじゃそれ。知っとるぞ、門下生が幾分増えた筈じゃろう?」


 「知ってるなら解るだろうさ。()()()()が増えた所で良い事なんかありゃしないよ」



 二人の老人が話し込み出し、互いの連れ孫が退屈を感じ始めた頃、厳しい顔の中年の男が道場に入って来た。

 準備運動をしていた門下生達がこぞって威勢よく挨拶を行う中、その男は軽く会釈を返しながら老人二人へと歩み寄る。



 「お二人共、本日はようこそおいで下さいました。お待たせしましたかな?」



 ホムラ槍術道場現当主 アカトラだ。



 「いやいや、まだ稽古開始までは時間があるじゃろうて。もうちょいっと遅れて来た方が威厳があって良いんじゃなかろうか?」


 「馬鹿言ってんじゃないよ! もうあと3分も無いだろうに!あたしらが来てるってえのにこんなギリギリに来るとは、泣き虫坊やも偉くなったもんだね、んん?」


 「いやぁまぁそうですなあ、今や私も当主ですので」


 「皮肉を言ってんだよあたしは!!」


 「存じておりますが?」


 「っカァーーッ!腹の立つ坊やだこと!」



 プンスカとご立腹な様子のミタとそれを観て笑うアカトラとファルヴェ。



 「アカトラおじちゃん、そろそろじかんだよ?」


 「む、そうだね。そろそろ始めようか。ヒサネちゃん、カマヒゲは来ないのかい?」


 「お父さんは用事があるから遅れるって」


 「そうか……………ミタ婆にファルヴェ殿が折角居らしているのだから時間が勿体ないな。カマヒゲには悪いが先に始めさせて貰おう。ミタ婆、お孫さんはどうなされるので?」


 「今日からは稽古に参加させるよ」


 「そうですか。サラギちゃんもいよいよ本格的にかい?」


 「……………はい。よろしくお願いいたします」



 ……………か、硬い。 言葉遣いは随分と丁寧だがこの滲み出す警戒心はどうした事か………第一次性徴だかの女の子の反抗期という物なのだろうか?


 自分に懐いてくれているヒサネしかこの位の歳の女の子を知らないアカトラにとっては未知の生物。……………いや、ミナモはこれより辛辣か。

 何れにせよアカトラが対応にまごついているとファルヴェが食い付いて来た。



 「ほう、君がサラギさんかね。うぅむ、これは将来美人に育つぞ」


 「あんた遂に幼子にまで手え出すのかい。()()()()とか言うやつなのかい」


 「違うわい! ……………()()()()じゃろ? 相も変わらず横文字と流行り言葉に弱いのか田舎育ちの婆さんや」


 「そうそう、ろりこんだよ。あんたも堕ちる所まで堕ちたね」


 「違うっちゅうに!………………それよりも婆さんや」


 「何だい」


 「あの連中かの? ホムラ殿の所から移籍したというのは」


 「………………ああ、そうだよ。大所帯で来るつもりも無かったんだけどねえ。此度の合同稽古にどうしても参加したいと頼み出て来たのさ」



 ファルヴェが目を細め眉を顰める。



 「………………穏やかでは無いのう」



 ミタが連れて来た者の中には師範代や高弟も居り、当然そういった者達はこれから鍛錬に臨むにあたり精神を統一し、一種穏やかな雰囲気を纏っている。

 が、そうでない者達が居る。剣呑とまで言える雰囲気を持ち、ともすれば殺気まで放ちそうなその者達の目線の先に居るのは──────



 「あの子達か…………」



 取り分け、シュトラとヒサネ。理由は………………考えるまでも無い。



 「下らんのう………ちとお灸でも据えるかの?」


 「カカッ! うちの道場じゃ日常茶飯事さね。その内勝手に痛い目見るだろうさ。放っときな」


 「ファルヴェ殿、お気遣いは無用。荒事があったとしても、それもまたあの子達への試練です」


 「むぅ…………獅子だけでなく虎もまた子を千尋の谷へと誘うか…………しからば済まぬが今日はヴェンは儂と見学かのう」


 「…………呆れた。過保護だねえ」



 ミタにそう言われたファルヴェは、大人達の会話に理解が及ばずキョトンとした顔をするヴェンを見ながらこう答える。



 「過保護なものか。この子が置かれた環境は既に過酷じゃ。せめて儂だけでも精一杯の愛を注がんでどうするのじゃ」



 ヴェンの手を引き道場の隅へと移動するファルヴェを見送り、ミタがポツリと呟く。



 「貴族の(しがらみ)かい。何よりも自由な筈の風の申し子が………憐れなもんだね」



 今日、この日、何かが起こる。何かは解らない。それでも心の騒めきがそれを予感させる。


 老練なミタはそれを感じている。そしてファルヴェもまた。だからこそヴェンを遠ざけたのだから。


 ミタは訓練に、そしてその後起こるであろう何かに集中する為に、風の幼子へと向ける憐憫を孕んだ目線を切った。





 ・

 ・

 ・





 「どうしたんじゃヴェン。いつになく大人しいのう」



 ホムラ槍術道場とウスイ武具操術道場、蛇進呀流槍術道場の三門合同稽古に参加させて貰ったその帰り道。

 ファルヴェとミタが予感した物は現実となり、一時道場内は騒然とした。

 が、ミタもアカトラもカマヒゲも。当主三者に動揺は無かった。寧ろ結果としてだが『良かった』と思っている程だ。


 それはファルヴェもまた。お邪魔させて貰った第三者として、少々言い方を悪くすれば他人事としてではあるものの、良い物を見させて貰ったと感じている。


 少なからず、愛の不足したこの子にとっても必ず良い影響を与えていると確信している。だからこそ今、元々大人しいこの子がいつにも増して口数が少ないのだと理解している。



 「うん。あのね、お祖父様、シュトラ君がね…………あのね…………」



 大人しい…………とは言ってもそれは()()()()()のとは違う。寧ろその逆。一種の興奮状態である。

 ヴェンにとってシュトラは、偶に祖父に連れられて来る道場先の、ちょっと変わった同い年の少年だった。真面目とは無縁で、自分には無いユーモアに溢れ、いつも変な事を言ったりやったりして笑わせてくれる友人。

 その所謂〝変な子〟が今日見せた顔は、



 「うむ、解るぞ。誠に猛々しく、勇ましい少年だ。正しく朱に彩る虎といったところか。有体に言えば………そうじゃの、格好良かったのう」



 そう、幼いながら家族に抑圧されながら生きるヴェンの目には殊更に〝格好良く〟映った。



 「ねえお祖父様、僕もあんなふうになれるかな?」


 「むぅ? シュトラ君の様にか?」


 「うん。強くなって、あんなふうにいじめてくる人たちに仕返しできるように」


 「…………………………………………それは………成って欲しくはないのう」


 「え?」



 どうしてだろうか。いつも優しく頷いてくれる祖父が、少し哀しそうな顔で否定の言葉を述べる。あんなに勇ましく格好良く成れたら………そんな儚い男の子の夢を否定される等思っても居なかった。

 幼いヴェンティにはその理由はまだ解らない。



 「のう、ヴェンや。あの時立ち上がったシュトラ君が直ぐに敗けて倒されてしまっておったとしたら、ヴェンはどう思っておったのじゃろうか?」


 「それは…………それだとダメだよ。格好悪い。悪いやつに勝つからかっこいいんだ。強いから『それは違う』って言えるんだ」


 「…………そうか」



 祖父は短くそう答え、歩みを進める。斜めに見上げるヴェンに差し込む夕陽の逆光が、ファルヴェのその表情を隠す。

 暫しの沈黙。自分では間違った事を言ったつもりなど無いヴェンにはその静けさも特に気まずい訳でも無い。

 秋に差し掛かった黄昏の中、歩調の変わらない祖父の隣を歩いていると、一瞬だけ木枯らしが吹き抜けて染まり落ち色褪せた木の葉が舞う。



 「見解の相違というものじゃのう」


 「……………?」



 ポツリと呟く祖父の、ヴェンにとってはまだ少し難しい言葉。



 「確かに、発言権という物はある。実力の無い者が何を言おうが下らないと切り捨てられて仕舞いになる事もあろう。特に実力が物を言う世界じゃ。何か訴えたいのならばそれ相応の力を見せる事もまた必要な時もあろうて。じゃがの、ヴェンや」



 歩みを止め、優しい眼差しを向けるファルヴェを見上げる。決して責めたり間違いを指摘する様な態度とは違う。

 あくまで単なる価値観の違い。

 ヴェンを一人の人間として見てくれるその眼差しは、血の繋がった者達から虐げられる少年をどこまでも優しく照らす。



 「あの時もしも敗けたとしても、あの瞬間立ち上がり立ち向かったあの少年の姿は、儂にはどこまでも格好良く映った事じゃろうな」


 「………………よくわかんないよ」


 「ほっほ、そうか。まぁ……大人になれば解るかもしれないのう」


 「大人になったら絶対にわかるんじゃないの?」


 「それはどうじゃろうか。ヴェンのこれからの生き方次第じゃな」


 「……………やっぱりわかんないや」


 「ほっほっほ。今はそれで良い」



 優しく頭を撫でるその感触は時折シルヴィアから感じる頬を撫でる風と似ていて。





 その時のヴェンには

 僅か半年も経たぬうちにこの優しい感触を永遠に失う事になるなど


 思いもしなかった。




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