まつ毛とリボンは蛇足と呼べるのだろうか
なっっっが!!
20000文字超えた!!
書いてる内にどんどん付け足したくなった!
まさに蛇足! これぞ蛇足!!
でも良いんだ!!
それが〜Vein of Leaves〜のコンセプトなんだから!
自分自身がやってる事に自信持ってこ!?
はい!解りました!自信持って投稿します!
そう、自分自身に言い聞かせてます
「………………どうなんですか」
「ぷ……くっ…………に、似合ってんじゃないか?」
「ならどうして笑っているのですか!!」
ロッソ服飾店。
平日の昼日中という事もあり、店内には一組の男女と店長のロッソしか居ない。
ロッソはと言えば、前日に男性客の方から本日来店するという旨の連絡を受け、準備万端で今日という日を迎えた。
なにやら女性客へとプレゼントをするという事で、その女性客の大まかな容姿を聞き、似合いそうな服を用意しておいた。
ついでに少々その女性客の事を聞いており、背景事情も込みで男性客から教えられているという事もあって、少し騒がしい今の状況も微笑ましい気持ちでカウンターから見つめている。
「わかっていますよ! 言ったではありませんか!私にはこういうのは似合わないと! さては田舎娘だと馬鹿にしているのですね!? こうして田舎娘に似つかわしく無い服装をさせて笑い物にしようという魂胆ですね!?」
「落ち着けって。本当に似合っては居るんだわ。サラギくらいの美人ならこういうのは似合う。ロッソさんの見立ては間違ってない」
面と向かって『美人』などと言われ慣れていないサラギは、この程度でも足元が覚束なくなる。顔を真っ赤にして口元をモニョモニョと動かし、何も言い返せなくなった。
現に、サラギは確かに美人である。黒髪は真っ直ぐ癖無く伸び艶があり、少し吊り上がった目元は冷たい印象は受けるが、目鼻は整い眉はキリッと締まって見える。女性としては背も高めで、男性目線で見れば胸も尻も丸みが足りないと言う者も居るだろうが、全体的にスラッとしており、スレンダーと言い換えればプロポーションとしては悪くは無いのだ。
街を行けば男性の8割は振り返り、7割は『美人』と評価するだろう。
客観的に見ても美人なのだ、サラギは。
普通ならもっとチヤホヤされながら生きて来た筈なのだ。『可愛いね』とか『美しい』とか。そんな物聞き飽きている筈なのだ。
それが何故、この程度の口説き文句に対してまで耐性が無いのか。
ひとえにサラギが今まで過ごして来た世界が狭過ぎるからだろう。
蛇進呀流の道場の環境もまた悪影響を及ぼしている。当然の如く、道場の男性門下生達の大半はサラギの容姿に首ったけだ。しかし女性経験の拙い彼等にとってはそんな浮ついた感情は他人に知られれば弱味にしか成らない。
この道場内では弱味を見せれば地の底まで追い立てられる。
元々そういうコンセプトを持った槍術の道場なのだ。ミタが言い始めた訳では無いが、それは暗黙の了解として浸透している。
そう、ミタがそう言った訳では無い。
『蛇の如くあれ。狡猾に責めろ。相手の弱味を突け。自身の弱味は決して見せるな』
確かにそうは教えている。しかし恋愛禁止と言った覚えはミタには無い。ミタは道場の現状を 〝阿呆共が何を下らない勘違いをしているのか〟と酷評している。
好いた惚れたを〝弱味〟と思うのは、そこに恥ずかしさや照れがあるからだろう。それは恋愛等、人との関わりという点において拙く、精神的に幼稚であるという事に他ならない。
『生息子どもに生娘どもが。一体いつになったらそれをこそ〝弱味〟だと言うのだと気付けるのかねえ』
とはミタの言葉だ。
恥じらうのは心の奥底で気付かぬうちに自身の拙さを知っているから。ならば異性との交流という物を大いに経験すれば良い。
若しくは好いた惚れたという自分自身の感情を真っ向から肯定して堂々としていれば良い。
どちらも、生息子・生娘がゼロから踏み出すのには勇気が要る事である。しかしそれこそが精神的な成長を促し、それこそが人間に深みを創り、それをこそ〝弱味を見せない〟に繋がってくる物だと、ミタは提唱しているのだ。
が、口にはしない。
そんな事すらも一から十まで説明しないと解らない者の指導も、そんな煩わしい説明をするのも、『願い下げだ』とミタは思っている。
更に言えば、そういった事は自分自身で気付く事にこそ意味があると理解している。
故にミタは口を閉ざし、その一切合切を教えようとはしていない。
そしてヨツバはと言えば………何とは無しにではあるが、その辺りを察していた。
どこかサラギは、〝馬鹿にされる〟とか〝下に見られる〟という事に対してコンプレックスの様な物を抱えている という事も。
「本当に似合ってはいるんだわ。たださ……………その顰めっ面どうにかならないのか(笑)。服装とのギャップがヤバいんだが」
「笑ってるじゃないですか!! 馬鹿にしてるじゃないですかっ!!」
サラギは最初にヨツバと同じ様に、店に入る前にロッソ服飾店の外装の煌びやかさに怖気付いた。
恐る恐るヨツバの後に続いて足を踏み入れるや否や、店長だという男が対応に当たってくれた。その懇切丁寧な物腰に恐怖を覚えた。
さぞや高級な店なのだろうと推測し、一文無しの浮浪者がジュエリーショップに迷い込んでしまったかの様な錯覚に陥った。
ロッソとヨツバが真面目な顔で会話しながら物色している服飾品の可愛らしさに眩暈がした。そんな可愛らしい物が自分に似合うはずが無い。
そんな事を思うまま、あれよあれよと言う間に何着か押し付けられて試着室に押し込まれたのだ。
「うん、まあ馬鹿にはしてる。でも俺が馬鹿にしてんのは服が似合わないからじゃなくてその悄気きって卑屈になってる様だ。言ってんだろ。サラギは美人だしスタイルも良いからそういう可愛いらしいのも、まだ試してないそっちのクールなのも似合うって。もっと堂々としろよ。せめてその仏頂面やめて。ほら、スカートが嫌ならそっちのも試して。ほれほれ」
「ちょっ……!」
有無を言わさずまた試着室に押し込まれた。
「ふ〜む……お似合いだと思うのですがね。スカートの類はお気に召さないのでしょうか?」
「どうでしょうね。僕の勝手な予想ですが、彼女は普段武に身を置いていますから、足元が動きづらいと落ち着かないのかも知れないですね」
「成る程。それではこういった物などが宜しいのではありませんか?」
「あ〜! 背も高めだし似合いそうだ。……………いっそ何着かセットで買わせるのも有りか?」
「それは良いかもしれません。此方も有難い限りです」
「あ、そうだ!これから毎日の予定だから毎回ここに来させてもらっても良いですか? そうすればこうして買い物をするって事も楽しめるんじゃないかと」
「ああ!良いアイデアかと! それでは私も何着かご用意致しましょう」
カーテン越しに聞こえてくる二人の会話にサラギは戦慄を覚えた。どうあっても着せ替え人形にされて玩ばれる未来しか見えない。それに何着かという事はどう解釈しても複数買わされるという事。こんな高級そうな服を何着も……目の前がグラグラと揺れる気持ちだった。
「おお……やっぱスカートじゃない方が立ち振る舞いから凛としてるな」
「左様で御座いますね。個人的には女性らしい物も捨て難い所では御座いますが」
「また今度という事にしましょう」
ロッソがいそいそと試着室に掛けられた服を回収して、ヨツバはサラギを連れてカウンターへと向かう。
「え………いやあの、私はこれにするとは一言も言ってないのですが」
更に言えば買うとも言っていない。
そんなサラギの抗議を聞いているのかいないのか。
ヨツバは『みなまで言うな』とでも言わんばかりに首を振りながら収納から身分証明書を取り出す。
ロッソはニコニコと笑顔でそれを受け取る。
あれ………?
と。何か様子がおかしい気がする と、サラギは首を捻りながらヨツバの後ろに追随する。
「………サラギさんや」
「……? なんですか」
「男が会計を済まそうとしているのですからサラギさんは何も言わずに値段も見ずに店から出るのが男女の逢瀬のマナーだと僕は思うのですよ」
「えっ!? ……あっ!はい!」
そうなのだろうか……? いや、そうなのだろう。
マナーと言われるとサラギは酷く弱い。なに分ある程度の常識を持つが故に、引いてはデートなどという物も初めての経験であるが故に。
マナーを謳われればそう言う物なのかと何の疑いも持たずに信じてしまう。
サラギは釈然としない物を抱えたまま、素直に言われた通りに店から出てヨツバを待つ事にした。
「さって。次はどこに行くか」
「あ、あの………」
店から出てきたヨツバは今現在サラギが身に付けている物の事など既に頭から抜けている様子で次の事を考え出している。
「ん?」
「いや、その………何故そんなに自然体なのでしょうか………」
支払いはヨツバが済ませてくれたのだろう。
ならば自分はこういった時どうするべきなのか。サラギにはそんな知識はない。
お礼を言うべきか?
お金を返すべきか?
それとも勝手に服を買い与えられた事に文句を言うべきか?
そもそもこの男は本当に自分に服を買ってくれたのか?
こんな体験も経験もないサラギにはアタフタと落ち着かない気持ちになるのは当然の事だった。
だから余計に自然体で居るヨツバを観て、自分が情けなく感じて、ふと口をついて出た疑問だった。
それを真面目に受け止めてヨツバは足を止め、顎に指を当てて考える素振りを見せる。
「んー………よくよく考えてみればどうなんだろうな? ミタ婆にはああ言ったけども俺もこの世界の男女の逢瀬に詳しい訳ではないからな。でも俺の元居た世界の元居た国ではこういうのは普通だったよ」
「……そういえば編入生徒なのでしたね。しかし自然体で居られるという事はつまり慣れているからなのでしょう?」
いくら『そういう物だ』という認識があったとは言え、日頃からそういった事をしていなければ平常心では居られない筈。
サラギが言いたいのはつまりは〝遊び慣れている〟のではないかという事。
どうしてもサラギはヨツバを〝遊び人〟や〝軽薄な男〟としたいらしい。つい先日稽古中に初めて会った時も平然と話しかけて来た事からそういう風に見ていた。サラギにとっては男とはそういう物だという認識だ。異性と見れば鼻の下を伸ばし、どうやってベッドに連れ込もうかと、それしか頭に無い下劣な生き物。
異性に気軽に話しかけられる様な男というのはその最たる物だと考えている。
それは勿論自分に出来ない事をする人間へのやっかみも含まれるのだが、サラギにはそれを自分で気付ける術など無い。
また、蛇進呀流の訓えもそこに介入して来る。
要するに何とかして相手を責める隙を創りたいのだ。
人間関係の中で、相手の弱味を何としても見出し、自分を少しでも上に置かないと安心できないのだ。
ヨツバに対しては、〝女性関係にだらしない軽い人間〟に仕立て上げたいという心理が働いていた。
「まあサラギに比べれば慣れては居るのかな。デートの経験だってそれなりにあるし結婚を考えて居た女性も居たよ」
「へぇ〜そうなのですね」
これだ! と、サラギは少し上気する。
咎める言い方をした筈なのだが思いの外動揺を見せずに慣れている事を話す様は予想外だったが、それでも決定的な攻め入る隙を見せた。
「結婚まで考えた相手が居たと言うのに、あまつさえ今ではこうして変則的なデートまでするのですね。女性の事を何だと思っているのでしょう! どうせ取っ替え引っ替えして弄んできたのでしょうね! 浮───」
浮気性のろくでもない男だ!
そう糾弾しようと思っていた言葉を思わず呑み込んだ。
そうせざるを得ない程、ヨツバの顔には一瞬だけ陰が射していた。
苛烈なまでの怒りを露わにした姿を見たのはつい昨日の事だ。サラギはそれを良く覚えている。
また、怒らせてしまっただろうか。今までなら考えもしなかったそんな事が頭を過ぎる程にはサラギも少しは反省し、変わりつつあるという事。
しかしそれは杞憂の様で。
ほんの僅かに醸した雰囲気は怒りとは対照的に静かな………悲しみを帯びていた様にサラギは感じ取った。
「ん? 『浮───』……続きは?」
「───っ いえ………」
どうしたものか。何と言えば角を立てずに済ませられるか。未だ嘗てない程に狼狽えるサラギを見てヨツバは少し頬を緩める。先日の様子から言うならば、後に引けなくなって開き直っていた所だろう。そうしてまた突っかかって来ていた筈だ。それをしない辺り、きちんと自分の中で反省し、前へ進んでいるのだろう。そう考えたヨツバは助け舟を出す事にした様だ。
「『浮気性のとんでもないクソ野郎だなお前』ってところか?」
「うっ………!」
「あっはは! 図星かぁ。分かり易いなあサラギは」
ケタケタと嗤うヨツバ。それを見てより一層理解が及ばなくなるのはサラギ。
「………本当に解らない。貶されてるんですよ? 何故怒ったりしないのですか」
今まで道場で共に過ごして来た連中は罵倒されて黙っている者など一人たりとも存在しなかった。ましてやこんな楽しそうに笑い飛ばす様な者など居る訳が無かった。
馬鹿にされる、即ちそれは下に見られている。それはつまり自身の弱みを突かれているという事に他ならない。黙する事も、肯定する事も。それは蛇進呀流の教義に反する事。
それをさも当然の事の様に受け取り嗤う。
サラギには理解など到底出来ない話。
「怒るったってな………そんな事に一々目くじら立ててても疲れるだけじゃねーか? 面倒くせ〜わ。サラギから見たら俺はそうなんだろ? それはサラギの価値観だ。俺がいくら否定したところで変えられる物ではないだろ。 それと同じで『んな軽いクソ野郎じゃねえ』って自分自身で信じてる事もまた他人からの声で簡単に変わる物じゃあない。俺は俺だ。他人からどう思われようと知ったこっちゃない。怒るも何も、どうとも思わないんだよ」
あっけらかんとした様は本当にどうとも思っていない事を裏付ける物で。それを聞いたサラギは何か心に蟠っていたものが少し晴れた様な感覚を味わった。それが何なのか…………自分でもよく解らない。
「そんな………どうしてそんな風に………」
それは他者から見れば責められる物であって、明らかな弱みである。未熟な蛇進呀流の槍術士であれば舌舐めずりをして食い付く様な話。
そんな弱みを表に出す事を厭わず。あまつさえ責められても笑って受け流す。
サラギにとっては晴天の霹靂の様な態度。
それはあるいは───
「まぁ本当の事だって開き直りもあるけどな。どう言い繕おうがやってる事はサラギの言う通りなのかもしれない」
そう、単なる開き直り。
『その通りですけどなにか?』
それもまた心の強さの成せるものではある。しかし同時に〝反省〟という点ではあまりにも拙く。反省が無ければ直す・正すという事も無いわけで。〝先に進む〟という観点からは成長が見込めない自らを貶める思考だ。問題であるという意識ごと放置して先送りにしているだけ。
サラギはまだ知らぬ事であろうが、ヨツバの性格上そんな筈は無く。
何より隣を歩くヨツバの自嘲めいた少し寂しそうな横顔が、真意では無いと物語っている事にサラギは気が付いた。
結婚まで考えていた相手が居た。
その言葉が今になって別の捉え方に変わる。
きっと男女の別れの話。そこまで踏み入って聞いても良い物なのかどうなのか。
そもそも弱みを見たなら攻める事しか選択肢に無かった。今までならば。
少しの逡巡。
だが、ありのままの自分を肯定して生きているヨツバを目の当たりにして、自然と言葉が出て来た。
「どうして結ばれなかったのですか」
ヨツバとしては『貴方のような軽薄な男なら見限られても不思議ではありませんね』くらいの憎まれ口は予想していた。
だというのに返って来た思いの外 遠慮がちな静かな声音。
少し驚いた顔でサラギの顔を見遣る。
その表情を見て、苦笑いを溢し、少し迷い。
今のサラギにならまあいいか と。
「病気でな。亡くなったんだよ」
「───っ ご、ごめんなさい!!」
「あーいやいや、良いよ。良いんだ。話さないって手もあったんだ。話したって事はつまりはそういう事さ。あんまり気にするなよ。 でもさ、な? だからって操を立ててる訳でも無い。その後も何度かお付き合いした相手も居るんだ。〝浮気性の碌でなし〟ってのは間違ってないだろう?」
またケタケタと自虐をして笑い出すヨツバ。
…………………果たしてそうだろうか?
サラギの頭には新たな疑問が湧き上がる。
ヨツバの人間性への物ではなく、久しく無かった自分自身の考えに対する疑問。
目の前の男は本当に浮気性の軽薄な人間なのだろうか?
例え死別だろうと、一度その恋路が終わったのなら次の恋に向かう事は果たして不義理に当たるのだろうか?
愛する者が命を落とすなどという話はこの世界では割とよく聞く話だ。そもそも日常的に死亡する可能性が地球よりも遥かに高いのだ。最愛の者が亡くなり、その後誰とも番わないという者も確かに居はする。
しかし次に向かう者を責められる道理とて存在しないのは確かだ。それを気に留める者の方が少数だろう。
それをこの男は自ら論って批難する。自分自身で気にしている節がある。
そんな男が本当に軽薄で、簡単に言えばチャラい男だと呼べる物なのだろうか。
「あれだな、折角のデートで話す内容じゃないな! 暗い話はやめにしよう。ほら、こんなんやった事あるか?」
思慮に耽るサラギの表情をどう読み取ったのか。
ヨツバは殊更に明るい声を出して目に付いた娯楽施設の一角を指差す。
そんな気丈に振る舞おうというのだろうその態度に、サラギは内心を少し感じながらも深く考える事をやめて指し示された物に興味を示した。
・
・
・
「これは……確かクレームゲーム…? とか言う物でしたか」
「クレームゲーム!? 何そのギスギスした遊び!! クレーンゲームね!?」
遠目では見た事があったキラキラピカピカと光を放つ大きな機械が沢山置いてある施設の一角に、ガラスで覆われた大きな機材があった。ガラスの外側にボタンの付いた台が出張り、内側には可愛らしいデフォルメされた動物の縫いぐるみが所狭しと並んでいる。
可愛い……………
口に出しそうになったそれを咄嗟に呑み込む。道場でそんな事を口走ってしまえば やれ女々しいだのやれ軟弱だのと罵られるのは目に見えている。
それでも……………
考えてしまう。ありのままと言う物を肯定して生きているこの人なら、そんな事を言っても馬鹿にされないんじゃないだろうか。もしかしたら同調してくれさえするんじゃないだろうか。
今まで生きて来た中で、こんな考えが浮かぶ事なんて無かった。不思議な感覚。
これは、ある種の期待だろう。
この期待はきっと裏切られない。
他人を信用するなんて、考えた事も無かった。
そんな自分に少し可笑しい気持ちになって口から息がこぼれ出た。
「な? カワイイよな。ちょっとやってみよう」
この笑みをどう取ったのか。私が言えずに呑み込んだ言葉をさも愉しげに言い放つ。どうやら先に私にやらせてくれるらしい。このボタンがあーだのこーだのと説明してくれる。
「前後左右一回ずつしか押せないタイプだな。位置調整のやり直し効かないから気を付けろよ。深視力が試されるぞ? 大丈夫かい蛇進呀流のお嬢さん?」
ニヤニヤといやらしい笑みで意地悪な聞き方をしてくるこの男を見ても何故か馬鹿にされているという気がしてこない。
冗談だと今なら解る。
「ふふ、舐められた物ですね。良いでしょう、蛇行する槍先を狙い定めて当てる為に日がな鍛えたこの深視力をご覧に入れましょう」
肩肘張らずにこんな冗談を返すなんて初めてだ。こんな風に誰かと笑顔で話すなんて経験したことが無い。自然体で居るというのはこんなにも気が楽なのか。
それにこの様な娯楽施設の機材を触った事が無い。誰かがやっているのを見た事は有る。楽しそうだ………そんな言葉を思い浮かべては必死に否定して自分を誤魔化していた気がする。
楽しそうだなんて思う事自体が軟弱さから来る物だという強迫観念に駆られていた気がする。
今は……少し素直になれた今なら心底『楽しそうだ』と、そう言うことが出来そうだ。
ワクワクとした気持ちでボタンを押そうとしたが、狙いが決まっていなかった。色んな種類の動物の縫いぐるみが此方を見ている。
どれにしよう…………
「あれなんかどうだ?」
ピタリと動きを止めてしまった私を見て察してくれたのだろう、ヨツバが獲物を指し示してくれる。
指の先を辿ると真ん中付近の塊の一番上に、塒を巻いた蛇の縫いぐるみが居た。
明るいエメラルドグリーンの体に真っ赤な舌をピュルっと伸ばし、頭の片側にはピンク色のリボンがちょこんと縫い付けられている。点で描かれたその目の上には爬虫類だと言うのにまつ毛が三本描かれていて、デフォルメされたその顔は蛇の狡猾さや卑しさという世間一般に言われる様な負のイメージからかけ離れている。どころかちょっと間抜けな感じがして可愛くすらある。
………………っていうか女の子なんだ。
気の抜けたその雰囲気に可笑しさが込み上げて自然と笑みが溢れた。
えー…………っと。
確かこのボタンで横に……
「離したらそこで止まるからな」
「はい」
ゆっくりと横に移動するクレーンの中心をしっかりと塒の真ん中に持って来て…………ボタンを離す!
「おお〜! 見事にど真ん中だな。初めてで短かったり行き過ぎたりしないのは凄いわ」
……………普段こんなに手放しで誉められる事など無い。つい先程もだけど美人と言われたり、少し調子が狂う。でも本当に感心した様な惜しみ無い声援に、ほんの少し得意げな気持ちが湧いて来る。
この調子で次は奥に………これは確かに深視力が問われる。このくらい……だろうか?
「おっ」
「良し!」
クレーンが蛇の真上にピタリと止まり、その腕を機械的に開く。上手くいったと思う。
「あとはこのボタンを長押しだ。アームが下がってくるから好きな位置でボタンを離せばそこからは自動だ」
言われた通りにボタンを押してクレーンを下げていく。縫いぐるみに触れるか触れないかの位置で止めると、一拍置いて開いていた二つの腕が閉じた。
塒を巻く蛇の縫いぐるみを真上から綺麗に抱きかかえる形だ。
「やった!…………っ!? あぁあっ! ええ!?」
上に持ち上げようとしたメタリックな二本の腕は、縫いぐるみの上っ面を撫でるような形で、力無く開きながら上がってしまった。
軽く持ち上げられた縫いぐるみは少し転げて傾き、つぶらな瞳でこっちを見つめて来る。
うぅ…………そんな目で見ないでよぉ……
しかし何故だろう? 狙いはバッチリだった筈なのに、どう言う訳かしっかり掴んでくれなかった。
「あー……アーム弱めだな」
「弱め………とは?」
「こういうのは『設定』ってのがあるんだよ。掴む強さを店側で調整出来るんだ」
「つまりお店が景品を取られまいとしてわざと弱くしていると言う事ですか!? そんな! 何ですかそれ!」
最早詐欺ではないのか! 憤りを感じる。
「まぁまぁ、そんな怒んなって。単なる楽しむ為のゲームだ。あんまし簡単だと店側も商売あがったりだし、やる側のこっちとしても面白味が無いだろう? それに若干だが持ち上がりもしてた所を見るに弱過ぎるって事は無いと思うんだよな。俺は当たった事ないけど本当に悪質な店ならもっと弱く設定してるって聞いたこともあるよ。こういうのはやり方ってのがあんのさ。まぁ見てなさいなお嬢さん」
言うて俺もそんな上手いわけじゃないんだけどな なんて悪戯っぽく笑い、台の前に立つヨツバ。
その背中を観る。どこか達観した様なこの男を見て、その落ち着いた雰囲気に何というか…………今まで一々色々な事に目くじらを立てていた自分が急に情け無くなって来た。
店側の気持ちや事情なんて考えた事も無かった。確かに言われてみれば景品を取られ過ぎたら困るだろう。
ヨツバがクレーンの操作を始めた。横移動する機械をじっと見つめている。
「え? ……………手前過ぎませんか?」
「いいや、これくらいで良いのさ」
ヨツバがクレーンを止めた位置は、蛇の縫いぐるみから少し………いや、かなりズレた場所だ。これでは片側の腕が掛かるかどうかというところ。
「ほら。だから言ったではありませんか」
下がって行ったクレーンは、その片腕だけを塒の隙間に差し込んで縫いぐるみの位置をズラしただけに留まって、掴みきれずに戻って来てしまった。
「無駄になったと思うか?」
それは思うだろう。今の一回だってお金がかかっている筈だ。その大切な一回を不意にしてしまったのだから無駄という他あるまい。そう思い首肯する。
「そうか。それは多分一回で取ろうとしてるからだと思うんだよな。じゃあさ、こう考えてみよう。今のでちょっと位置がズレたよな?」
「? そうですね」
「塒の2段目の隙間にアームが入りやすい角度で傾いたと思わないか?」
「…………はい。今の様に中心をズラせば……………あっ!」
「な? アームが弱くてもそこまで深く入り込めば少しは引っかかってくれそうな気がしないか? ちょっとやってみろよ。アームがどれくらい広がるか、ちゃんと見て覚えてたか?」
「はい」
腕を広げた時は、確かこのくらいの幅だった筈。そこで止める。
「おー! やっぱ上手いな!!」
寸分違わず縫いぐるみの隙間に入り込んだ機械の腕を見て、ヨツバが笑いながら感嘆してくれる。気分が良い。
「おっ」
上手く引っ掛かってくれた。先程よりも大きく浮き上がる縫いぐるみ。少し危うくぶら下がったまま、上限一杯までクレーンが上がり切る。そして横に移動を始めて───
「「あぁ〜〜………」」
動き始めた振動で振り落とされてしまった。軽く跳ねて、景品出口の上の透明な仕切り板に寄り掛かる形で落ち着く。
「……………! これは………」
もしかしたら片腕に引っ掛けて少し持ち上げるだけで出口に落ちてくれるのでは?
そうだ。今しがたヨツバに教えて貰った通り、何も正攻法でしっかりと掴み上げる必要は無い。
……………成る程。一見したらド真ん中にクレーンを持って来てしっかりと掴んだ方が効率が良さそうに見える。
無駄に思えたヨツバの一手は、回り道に思えるけどその実目的まで最短距離を行っていたのかもしれない。
私一人ならそんな発想は出来ずに正攻法に拘って、いつまでも景品を獲得できずにいたかもしれない。
これは、このゲームに限った話じゃないのかも………そうだ! 蛇進呀流の門弟にメキメキと腕を上げている者が居た。あの子の稽古の仕方を見て、最初の頃は馬鹿にしていた。いや、今でも正直に言うと『訳のわからない事をしている変な奴』と見下している。
あの子はひょっとしたら、こういった発想の転換をして効率的な訓練をしているのかも。
道場の稽古だけじゃ無い。今まで『無駄な事をしている』と、馬鹿にして来た人達………それももしかすれば私が知らない事を………私が考えもつかなかっただけで……………
昨日のヨエン殿とヨツバの手合わにしても………今この瞬間まで正直『無駄な時間だった』と思っていたけど、もし真面目に観ていたら何か掴めていたのかも知れない…………
今まで無駄や無意味に思える事を簡単に見下して見切りを付けて生きて来た。捨てて来た物の中にも私が知らない、考えも付かないだけで何かしら意味があったのだとしたら………それを考えもせず、自分こそが正しいと思い込み、嘲り罵倒していた自分の何と浅ましい事か。
「しかし……そうなるとヨツバの考えが一番効率が良いとも限らないのでは………例えば…………そう、この縫いぐるみなら………いや、でも……………ここは………こうすれば………」
「…………! …………あっはは」
「なっ!何ですか!」
熟考していた様だ。ヨツバに笑われた。さも可笑しそうに笑う姿にハッと現実に引き戻される。
「ん〜? ……なんて言うか、何でシュトラの事が好きなのか解った気がしてな」
「っ! ど、どういう事ですかっ!」
「まぁまぁ。ちょっとしたゲームだからさ、そんなに難しく考えなくても良いんじゃないか? 1番の目的は楽しむ事だ。効率を求めてしっかりと考えて計画を練るってのも人それぞれ楽しみ方の一つの方法ではあるだろうから否定はしないけど。先ずはその蛇の縫いぐるみ救い出してやらないか? あの体勢キツそうだぞ」
………確かに。身体に出口の仕切り板が少し食い込んでいて可哀想だ。
………………………ふふ。縫いぐるみに対して可哀想だなんて考える程に感情移入している今の自分を観たら、昨日までの私なら何て言っただろうか。
クレーンの片腕を上手く引っ掛けて出口へと誘導する。景品受け取り口の中に柔らかい物が落下する優しい音が響いた。
取り口のフタを開けると中には桃色のリボンが可愛らしい蛇の縫いぐるみが。
そっと取り出し、目線の高さまで持ち上げて目を合わす。
産まれて初めての、こういうゲームの景品。縫いぐるみなんて物自体初めて手にする。
そっと、優しく抱き締める。
自分の意思とは離れて、頬が勝手に上がるのを感じた。
今までの経験上 中々喜びを素直に表現し辛く、かといって隠し切る事もまた出来そうになくて。
どうすれば良いのか解らなくなりヨツバと目を合わせる。優しげな顔をしていた彼はニッコリと歯を見せて片手を挙げた。その動作に自然と体が動く。
やった事は無いけれど、少し恥じらいながらも音を鳴らせてそこに手を合わせた。
・
・
・
「……お洒落なカフェとかではないのですね」
「ん!? 済まんそっちのが良かったか?」
「ふふ、いいえ逆です。そういうわけではありませんよ。師匠もこういった風情の方が好みですから。偶に連れて行って下さった時はいつもこんな感じでしたね」
逆に安心したくらいだ。『ちょっとお茶でもして休憩しよう』なんて言われた時には、まさか噂に聞くカフェにでも連れて行かれるのではないかと戦々恐々とした。
茶屋の向いにあるガラス張りのカフェを見る。あんなキラキラとしたお洒落な空間に入るなど………覚悟を決める時間が欲しい所だ。
……………まぁ私も女性として憧れが無いわけではないのだが。都会の洒落たカフェなんて憧れはすれど田舎娘には敷居が高過ぎる。
今居るのはそのカフェの向かいの落ち着いた雰囲気の茶屋。頂いているのは緑茶と蕨餅。黒蜜の優しい甘さがとても落ち着く。
「そうは言っても興味は有るって顔に書いてるな」
「………………………そうですね。では明日以降のデートではああいったお店に連れて行ってください。挑戦してみたいです。覚悟を決めておきます」
「戦にでも行くの!? 目の前のあの店戦場なの!? そんな勇んで行く場所じゃねーから!」
言われてみればその通りだ。リラックスする為の憩いの場の筈だ。
「しっかしまあ随分素直になったもんだな。『私のような田舎娘をあんなお洒落な場所に行かせて見せ物にでもする気ですね!?』とか言うかと思った」
「何ですかそれ? 私の真似ですか!?」
「いやロッソさん所で自分でそんなん言ってたろ。あの卑屈さを俺は忘れねーぞ」
むぅ…………田舎育ちな事に多少のコンプレックスがあるのは事実だ。反論しづらい。
「では貴方も先程の話を教えて下さい。私も素直に言ったのですから」
「先程の話?」
「ですから! 私が………その………何故シュトラ様の事が…………の話です!」
「ああ、それか。…………………別に良いけどさ、先ずはお前の事もっと教えてくれ。道場の環境とか蛇進呀流の訓えとか身の上話をさ」
「…………何故ですか?」
「どうも気になるんだよ。今のだってもうバレてんのに何でそんな恥ずかしがって言い淀んでんだろうかとか、やたら人の事下に見ようとしたりとか。なんかコンプレックス激しい気がするんだよな」
───っ!
そんなっ………そんな事言えるわけが無い!
そんな事を全て話してしまえばどこから自分の弱みを拾い上げられて攻め立てられるか判った物ではない!
コンプレックスの話をする様に促すなどっ!こんな事を言ってこの男も人の弱みを握ろうとしているに違──────
…………………………いや…………
そうだろうか?
今日この人と行動を共にして感じたのは、何というか…………道場の男達とは違う器の広さ。他人に何を言われようともこの人は動じなかった。同じ様に、他人に対しても見下したり偏見を持ったりする様子は無かった。『人それぞれ』というものを大切にしている様に感じた。
………………いや、服飾店では一度馬鹿にされたか。それでもそれは私も自覚できた情け無さを揶揄った程度。
この人ならば話しても…………
「…………………そうですね。では聞いてもらいましょうか」
少しくらいなら…………良いかと思える。
「うむ、聞かせなさい。相談に乗ってやろうじゃないか」
……………何で偉そうなんだろう?
何故だか可笑しな気になって口角が上がり、口から息が漏れ出た。
でもそうか。〝相談〟か。
そんな事する相手が居なかったから相談に乗るどころか誰かに相談をした経験すらよく考えれば無かった。
それはそうだろうな。だって〝相談をする〟なんて言い方を変えてしまえば〝相手に弱みを教える〟のと同義だろう。その相手が信頼に値しなければできる筈が無い。
信じよう。
ほんの僅かな、それも心の内にしまった期待ではあったけど、縫いぐるみを『可愛い』と。そう人目を憚る事も無く同調してくれたこの人を。
「実は………」
・
・
・
「なるほどねー」
追加で頼んだお団子の串をプラプラと口からぶら下げながらヨツバが何度も頷く。お行儀が悪い。
「それでか。大体想像してた通りっつーかなんつーか………やたら人を見下したがるしサラギ自身はなんつーか警戒心しか無いし。そういう環境じゃ自然とそうなるわな」
そんな風に思われてたのか………
「…………変なのですかね?」
聞きたく無い。本当は聞きたくは無いけど…………仕草とは裏腹に真剣な表情は真面目に考えてくれているという事がよく解る。変だからといってもこの人はきっとそれを馬鹿にはしないと思える安心感がある。
「変って言うか…………道場の人達みんなして曲解してんじゃないかなーって思うんだけど」
「曲解、ですか?」
間違って理解してるという事だろうか?
…………そうなのだろうか? 今まで疑いもしていなかったけど………でも色々な考え方や私の知らない事がこの世界には沢山存在するという事を教えられたのはつい先程だ。
「うん。例えば………そうだな、〝恋愛禁止〟ってハッキリ言われた事あるのか? 蛇進呀流の規則とかに明記されてるの?」
「いいえ? でもそんなの言われなくても解りますよ。暗黙の了解というものがあるでしょう」
「ああ〜はいはい、暗黙の了解ね。それってさ、誰が決めるんだ?」
「それは………先人達や私よりも位の上の人達が…………?」
「先輩達ね。でもそれだけじゃ無いだろ? 〝常識〟って物と一緒だ。〝その場の大多数〟が決めるんだよ。大多数が批難すればそれは何であろうと〝悪〟として扱われる。まぁ今それはどうでも良いか。そうだな………『色恋如きに現を抜かしておるからお前は弱いのだ!』」
「───っ!!」
「他には………『好いただの惚れただの!貴様程度の槍の腕でそんな事を考えてる暇があるのか!』」
「───っ」
「『 位も低い身で結納などっ! 10年早いわ!!』」
「──────っ! なっ何故っ! 何故貴方がそれを!?」
ヨツバの口から過去に聞いた事のある台詞が次々と飛び出してくる。まだ私が幼い頃だっただろうか。誰かがそう言われているのを聞いていた。責め立てられ、居場所を失い、道場を離れて行く人を見て。
ああ、それはいけないことなんだな
と。そう思う様になった。
「あっはっは! マジか!ホントに!? その反応は合ってるって事か? 何だかなあ予想通りすぎて拍子抜けだなぁ」
予想通り。予想? 想像ってこと!? 今のは単なるヨツバの想像からの台詞ということ!?
「いや………しかしですよ!? そこまで想像出来るのなら暗黙の了解の意味も解るというものではありませんか!?」
それを破ればどうなるかが想像できよう物だろう。その事実だけわかっていればそれで済む話の筈だ。
何故わざわざ誰が言い始めたのか問いただしたのだろう。
未だ可笑しそうにケタケタと笑うヨツバの意図が知れない。
「あれだな、狭い世界の暗黙の了解ってのはどうも洗脳に近いものがあるよなぁ」
「狭い…………否定は出来ませんが………洗脳、ですか?」
漸く笑いが収まったヨツバは、手元の少し緩くなったお茶に口をつけてから一拍置き話し始める。
「ああ、これもただの俺の予想だけどな? そうやって暗黙の了解って縛りを設けて〝恋愛〟って物をさも悪い事の様に喧伝して遠ざける様に牽制してるんだろうな」
「……………それに何の意味があるんですか」
「やっかみだよ。つまりは嫉妬だな」
………………………………は?
「こういう閉鎖空間だと結構起こりうる事だよ。なぁサラギ ところで、だ。〝恋愛〟の何がいけない事なんだ?」
何がいけないのか…………そう問われるとハッキリとは…………
「………………浮ついた気持ちになり訓練に身が入らなくなるから…………ですかね」
「そうか? 確かにそういう奴も居るけど俺は逆のパターンも沢山見てきたぞ? 恋をした・恋人が出来た・結婚した・子供が出来た。そうなって人が変わった様に劇的に良くなる人なんて山ほど居る。〝愛すべき自分が護りたい者〟ってのは時としてそれだけの力を人に与えるんだろうな」
「では何故それをさも悪い事の様に」
「だからやっかみだって。自分より先に行かれるのが怖いんだろうな。恋愛をしたくてもし辛い環境に居る人間のダサくて醜い嫉妬だ。特に武術道場とかなんて最たる物じゃないかと思うんだよ。強くなる事を目的としてるんだ。その他の不純な物を排する為に厳しい環境に置かれるのが常だろ。流派によっては人間の3大欲求を不純な物と断じて、私生活でまで厳格さを求めて縛り付けるなんて事もあるんじゃないか? そういう中にいるとそれが常識だと拡大解釈して悪用する人間が出て来る」
宣う彼の表情は真剣そのもので。口を挟むのが憚られる。
「厳しい環境の中、自分を律し続けて段々と苦しくなってくる。誰かと恋をしたり、美味しい物を食べに行ったり、遊びに行ったり。そういう息抜きをしたくなる。しかし、だ。自分の居る環境を考えるとそれは〝逃げ〟に感じてしまう。全然そんな事無い筈なんだけどな…………逃げるってのは恥ずかしい行為だろ。本当は自分も息抜きしたいけど中々そこに踏み出す勇気が出ないのさ。特に蛇進呀流の道場だと顕著だろうな。それは明らかに弱みと呼べるだろ? 完全に攻撃の対象内だ。『苦しさから逃げ出した軟弱者』ってな」
……………胸が苦しくなってくる。耳が痛いというのはこういう事なのだろうか。確かにそんな風に堅苦しく考えていたと思う。
世の中の、楽しそうに、幸せそうに生きている人を見て。ズルい…………と。そんな想いがあったかもしれない。それすらも恥ずべき事だと、心の奥底に仕舞い込んで……………『能天気に生きている下らない人々』なんて見下す事で安心感を得て。もしかするとそれは自分を誤魔化していただけなのではないだろうか。
「恋愛なんて特に嫉妬の対象になりやすいんじゃないかな? 自分も本当は誰かと付き合って愛し合って…………そんな風に憧れはするものの、経験の無さから怖さが生まれて中々踏み出せなくて。そんな中、誰かがそれを謳歌しているのを見て嫉妬を覚えたら……………飢えて狂った人間は攻撃せずにはいられなくなるだろうな。『厳しい環境に身を置く事こそが正義』みたいな空気があったら尚更だ。それを免罪符にして好き勝手言いたい放題出来るだろ。そう考えると笑えてこないか? だって元を辿れば自分に出来ない事をしてる人間に対する嫉妬だぞ? そんなんで攻撃する暇があるなら勇気を振り絞って自分もやってみればいいじゃねーか。その勇気すら出せずに居るだけだろ。他人を攻撃するってのは大体は自分に自信が無いからだ。人目ばっかり気にして自分って物が無いから何とかして他者を貶めて自分より下に置いて安心しようとしてる。精神が弱いんだよ。俺はそれをこそ〝弱み〟と呼ぶと思うけどなぁ。自分の精神が弱いって喧伝してんのと変わらないだろ」
あ、おばちゃん。この娘に暖かいお茶淹れ直してあげて?
そんな話が聞こえてくるがどこか遠く感じる。
今、私は多分混乱している。今まで生きて来た中で自分の信じていた物が音を立てて崩れ去る様な気がしている。あんなに必死になって他人を否定して下に見ていた自分はなんだったのか。私はこれから何を足掛かりに生きれば良いのだろうか。
「何でサラギがシュトラの事好きになったのかって話だったな」
急速に現実に引き戻される感覚を覚える。誰を好きかってハッキリ言われ動揺する気持ちを自分で感じる。
………………そんな風にハッキリ言えないのは自分に自信が無いから…………なのだろう…………
「シュトラはさ、普段あんなんだけど、多分あいつ根はメチャクチャ真面目だよな」
「え?」
意外だった。彼は、そう。真面目なのだ。何故か普段変な事ばかり言っているけど、私は知っている。誰も見ていない所で誰よりも真剣に訓練に取り組んでいる姿を見て、道場に居る男達とは違う物を感じた。努力や強さをひけらかさないその姿に興味を持ったのがきっかけだった。
ヨツバは…………彼の真面目さを知っているのか。
「んでさ、サラギもまたすんげー真面目だよな」
「は?」
「あーいや、馬鹿にしてるんじゃ無いんだ。クソ真面目ってのは時として疎まれる事もあるし、融通が効かない奴だって評価される事もあるだろうけどさ。俺は〝真面目〟っていうのは長所だと思うんだよ。さっきゲームしてる時にな? 一生懸命考えながら呟いてるサラギを見て、『あぁ、こいつ真面目なんだなー』って思ったんだよ。だからこそシュトラの真面目さに惹かれたんじゃないかなってな」
本当に馬鹿にしてる雰囲気ではない。彼を好きになった事を揶揄う感じでも無い。
それはまるで………恥ずかしがる様な事ではなくて普通の事なんだと教えてくれてる様な…………
「そんな真面目な人間が今聞いた様な環境の中生きて来たら…………まあ、一生懸命に真面目に取り組んじゃうよな……………結果、刺々しいお嬢様の出来上がりか」
「………それ馬鹿にしてません?」
「うん、してる」
………っ! このっ!!
「なんかさ、必死に見えたんだよ。無理してるっつーか………虚勢丸わかりでちょっと辛そうで見てられなかったんだ」
静かに湯呑みの底を眺めるヨツバに、言い返す言葉を呑み込む。
「もっと自分に自信持っても良いと思うんだ。無理して自分の弱みを隠そうとしなくても良いんじゃないか? 責められる事なんて何も無いだろう。お前は真面目に生きてるよ。真面目なシュトラを好きになった事だって立派な理由だろ。そもそも誰かを好きになるなんて理屈じゃ言い表せられない事だってある時はあるんだ。誰も信じられずに誰も好きになれない人間だって世の中には居るんだぞ? 断言しよう。誰かを本気で好きになったお前のその感情は誇れる事はあっても恥に思う事なんて何も無い」
先程から落ち着かなく冷めていく自分の心に居た堪れなさを感じて何気なく伸ばしたその手に触れた湯呑みの暖かさがじんわりと広がる。
「自信を持てよ。仮に誰かにそこを責められようとも、それは本質が何も見えていない下らない言葉に過ぎない。何をそんな事を一々気にする必要がある? もっと堂々としてろよ。大体に於いて自分の弱い所を突かれても自覚して自分でしっかり受け止めれているなら動揺する事なんて何もないんだ。そんなんで一々動揺してるのこそが〝弱み〟っつーんだろ。何でそれが解らないかな。自信持て。お前は真面目に生きてる立派な人間だ」
真っ直ぐに目を見て褒められる事に慣れていない。こんな心の芯の部分を見て褒められるなんて経験があるはずも無い。
少し照れ臭くて、目を逸らしお茶を喉に流す。暖かいそれが、喉元にまで来てつっかえていた物をゆっくりと流してくれた。
「自分に自信を………」
そうか。そうなんだ。
攻められる事を極端に恐れていたのか。短所があってそこを責められたとて、それを受け止める強い心を持てば良い。動じない心こそが〝弱みを見せない〟に繋がるのかもしれない。
「そうだぞ。お前がそんな自信無いで居たらお前に負け続けてる俺の気持ちはどうしてくれるんだ。俺の為にもっと自信持ってくれ」
「っっ!! ………っっケホッ」
突如吐き出されるヨツバの怨嗟。私もお茶を吐き出しそうになる。
「ふざけんなよマジで。散々人の事ボコボコにしといて何でそんなキョロキョロ周りの目気にしてオロオロしてんだよ。強者らしく堂々としてろや」
「っっ! ……………ふぅ………フ……フフ! 何ですかそれ。散々人に説法の様な事をしておいて最後はそれですか?」
余りの可笑しさに、先程までの暗い気持ちが吹き飛んだ。可笑しさや咽せた苦しさで滲む目を擦ると、言葉とは裏腹に優しそうな目を向けるヨツバと目が合った。
……………これは知っている。根は真面目なのに、何故かおちゃらけた態度を取るあの人に似ている。ヨツバのそれは優しさ。その優しさは今どこに向いているのか……………
「真面目さってのは素晴らしい物だ。けど、こうやって気を抜くのも大事だと思うぞ? 見てみろよ。気の抜けた顔してんだろ?」
彼の目線の先には収納にしまい忘れていた……………いや、それは違う。そんな風に誤魔化す必要はない。
嬉しくて、とても大事な物に思えて。収納に仕舞ってしまう前にもう少しそばに置いておきたくて隣に座らせていた蛇の縫いぐるみ。
〝ミーちゃん〟
ヨツバが名前を付けてくれた。お婆様の名前から取ったそうだ。
「……………師匠はこんなに可愛くないですよ?」
「ほぉ〜ん? 言う様になったじゃねーか。『ミタ婆に言うぞ?』なんて俺に脅されたらどうすんだ?」
少し意地の悪いその問いに。
自然な笑顔でこう返すことができた。
「事実ですので」
2人で一頻り笑い、時間が来た。今日のデートは終了だ。
ヨツバは一度自室に戻って着替えてから来ると言う。先に野宿先に戻って私も準備する事にしよう。
・
・
・
「おんやまぁ。馬子にも衣装かい。………いや、あんたは元々の素材だけは良いからね。さしずめ〝孫にも衣装〟ってところかね」
カカカッと笑うお婆様は随分と機嫌が良さそうだ。今までの私ならこの言葉をどう受け取っていただろうか…………切羽詰まって余裕の無かった私ならきっとこれにも噛み付いていたのだろう。
「ヨツバが私に買い与えてくれました。似合っているでしょうか?」
「そんなんヨツバの坊やにお聞きよ。祖母のあたしに聞くこっちゃないだろうに。それかあれさね、シュトラの坊やに見せて直接聞けば良いんじゃないかい? ま、生娘には勇気が出ないかねえ」
「…………そうですね。それはまだちょっと怖いです。ヨツバは似合うと言ってくれましたし今はそれを信じておきましょう」
意外そうな祖母の顔。こんな顔初めて観る。
まぁ意外だろうな。今のは完全に挑発だっただろうし。
今日は初めての事だらけだった。初めての事だらけで疲れた気もするが、何処か気持ちは晴れている。無駄に張り詰めていた気持ちが消え、心の重荷を下ろした様な、そんな感覚。
着替える前に寝床の側にミーちゃんを置いて目を合わせる。
「………………フフッ」
その顔に釣られて気が抜ける事が何だか可笑しい。
ほんの僅かな時間だったけれど、濃密な時間だった。沢山の事を学ぶ事が出来た。
自分の知らない事など山の様にある事。
色んな人が居て、その分色々な考え方があって、どれも正解でどれも間違っていて、それは〝人それぞれ〟と言う物で。誰にも馬鹿になど出来はしない物だという事。
無理に肩肘を張って張り詰める必要など無く、ありのままの自然体を肯定しても良いという事。
恥ずかしくなどない、自分に自信を持って良いのだという事。
……………………デートに行ったんだよね?
男性とデートをして『たくさん学べた』なんて、こんなに真面目に考える物なのだろうか?
……………………まあいいか。こんな馬鹿みたいな真面目さも、彼は長所であると肯定してくれた。自信を持てと励ましてくれた。これもまた〝私自身なのだ〟と教えてくれたのだ。
『そんなのがデートと呼べるのか?』なんて誰かに言われても気にする必要など無い。堂々としていれば良い。
着替えを終えて、縫いぐるみを一撫でしてから寝床を出た。




