表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/93

⑥ 5/15 がんばれ、菜花

 定時に仕事を終えた菜花は司に会いに行った。でも結果は会議中。今日はもう会えそうにない。

 

「なにやってるんだろう」


 会ったとしても、千乃が結果をすでに報告している。話すことと言えば、京都のこと。クビになったら一緒に行こうと思い切って誘ったのに、七月からもここで働ける。京都の話をなかったことにするために会うのなら、淋しい。


「明日でいいか」


 今日は大人しく帰って、明日、神社に行く。そうしようと決めてトボトボ歩いていると、肩をポンと軽く叩かれた。


「いま帰り?」

「千乃さん」

「そこで晩ご飯、食べない? おごるよ」


 沈んだ顔が一気に明るくなった。行き先はアカツキビール本社一階のカフェレストラン。ここで様々なことが起こった。傷付くこともあったけど、試飲会は充実していた。でも千乃と向かいあって座っているから、良雄の告白を思い出す。菜花は思わずほほ笑んだ。


「ん、急に笑い出して、イヤなこと思い出したでしょう」

「イヤなことって……。中山さんは元気にしてますか?」

「ほら、やっぱり。元気だよ」


 ぶっきらぼうに答えて、千乃は菜花から視線を外した。でも短い沈黙のあと、急にそわそわしはじめて「いまは一緒に住む家を探してる」と、独り言のようにつぶやいた。


「くぅー、いいですね。結婚間近ですね。うらやましい!」

「菜花のおかげだから、好きなもの注文して」

「遠慮、しませんよ」


 ニッと笑って注文する。

 瑞々しい野菜がたっぷりのサラダに、エビとトマトのうまみがぎっしり詰まった、ピリ辛のリゾット。そしてガーリックトーストが付いた、ジャガイモとひよこ豆のスープ。楽しい会話と共に、素材の味が生きた料理はどれも絶品。特にひよこ豆が栗のようにほくほくして美味しかった。グラスに入った涼しげなデザートも楽しめば、心もお腹も大満足。


「ごちそうさまでした」

「はい、それじゃこれお願い」


 千乃は菜花に紙袋を手渡した。


「中身はサンドイッチ。ボスがまだ十二階の会議室で仕事してるから、差し入れ」

「へ?」

「会って、話がしたいんでしょう」

「どうしてそれを……」

「そりゃ、総務の菜花が七階でウロウロしてたらわかるよ。ボスに会いに来たのかなって」


 恥ずかしさに包まれた。だから全力で否定しようとしたけど、千乃の手が菜花の背中をバシッと叩く。身が引きしまるような痛さが走った。


「がんばれ、菜花」

「あ、ありがとうございます」


 背中からひりひりとした痛みが伝わるけど、心は温かい。菜花はおじぎして、司のもとへ駆け出した。

 十二階の会議室。

 会議中なら廊下で時間を潰そうと考えていた。でも十二階に到着して言葉を失う。もう九時をまわっていので、廊下の電気は消えていた。非常灯のぼんやりとした明かりだけ。それが不気味に光って怖い。


「暗くて、やだなぁ」


 壁に貼りつきながら歩いていると、一室だけ、煌々と明かりがついているのを発見した。菜花は光に吸い寄せられる虫のように、ふらふらと引き寄せられる。半分開いた扉からそっと中を覗き込むと、司がいた。


 仕事中の司は見たことがないほど真剣なまなざしで、黒の瞳がよりいっそう輝いて見える。黙々とパソコンの画面に向かってキーボードを打ち続ける姿に、つい見惚れた。

 ひとりで仕事に打ち込む司。邪魔をしてはいけない気がして帰ろうとしたが、黒の瞳と視線がぶつかる。


「菜花?」

「わわわっ、すみません。お仕事の邪魔ですよね。これ、千乃さんからの差し入れです。ここに置いておきますね。邪魔するつもりはなかったんですよ。でも、あっ、明日、神社に行こうと……。ははは、どうでもいいですね、そんなこと。本当に、邪魔してすみません。それでは、また」


 恥ずかしさと緊張で早口になった。しかも舌がもつれて最悪。急いで退散しようとしたのに、司からは「逃げるな、そこに座れ」と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ