⑤ 5/15 本物のバカにはかなわない
試飲会の妨害を防ぐために使用したグランドマスターキー。追求が深まれば妨害の実態が表に出て厄介なことに。三ヶ月の減給がつらくても、トカゲの尻尾になるよりまし。
すべて計算通り。心の中で真っ赤な舌を出して笑ったが、菜花のお人好しには腹が立つ。
「呆れた。本当に気が付いてないみたいね。先に私を助けたのは菜花なの。その恩を返しただけ。これで貸し借りゼロだから、この話はおしまいにしましょう」
「待ってください。わたしはなにもしてませんよ」
口答えする菜花をにらみつけたが、動じる様子はない。ユウユは菜花から視線を外して、ふふふ、と笑い出した。
「それならはっきり教えてあげる。試飲会の当日、私はどこにいた? それでもまだ疑わないの?」
「疑う? カフェレストランの前で、ユウユさんは発破をかけてくれました」
「やっぱりふざけてるでしょう」
「ふざけてませんよ」
ムッとする菜花の表情をユウユは凝視した。他人を蹴落としてでも幸せをつかみたいユウユとは正反対の位置にいる菜花。ますます腹立たしさをかき立てられる。
「私、菜花のその目が大嫌い」
「嫌われているのは知ってます。でも、ユウユさんのおかげでクビにならずにすみました。これは事実なのでありがとうございます」
菜花がぺこりと頭を下げたとき、ユウユは胸の内をはっきりと認識した。
ついてくるなと追い払っても、尻尾を振ってまとわりつく子犬。それが菜花。ムカつくからもっと強い力で追い払っても、純粋な目はいつもユウユから離れない。仕事上の付き合いだけだとしても、うっとうしい。だが不意に、菜花の純粋な目を潰してやりたい欲望にかられた。
「空調設備に細工したのも、冷蔵庫のコンセントを切ったのも私。試飲会をぶち壊そうとしたのは、全部、この私なのよ。それを聞いてどう思う?」
菜花の瞳に激しい動揺が走った。真っ直ぐ、純粋な目に怒りが浮かぶのか。軽蔑が浮かぶのか。それを楽しみにしながら、ユウユは菜花を見下ろした。
「企画課に恨みがあったわけじゃないけど、上からの命令で空調設備の停止ボタンを押した。それからペンチを使ってコンセントをチョキン。衛生管理の問題から、マーケティング部が使える冷蔵庫はひとつだけ。それが使えないとビールは冷やせない。料理もダメになる。試飲会はめちゃくちゃになって――」
大混乱が起こる。それが楽しみだったの、と大笑いしてやろうと思ったのに。
「上からの命令って、総務部長ですか」
菜花は鋭く刻み込むような口調で、ユウユの言葉を遮った。
総務部長の名前が出て、今度はユウユが動揺の色を濃くした。でも菜花は「大丈夫です」と強く出る。
「試飲会は成功しました。空調のことも冷蔵庫のことも、企画課のみなさんと協力して、なかったことになってます」
「えっ、なに言ってるの?」
「だから、ユウユさんは総務部長に命令されて、仕方なく……でしょう。どうせ歯向かえばクビにするとか言われたんでしょう。わたしも同じ事を言われました。イヤな奴ですよね」
菜花の熱弁にユウユはぽかんと口を開く。
大嫌いだと言っても、図々しいほど気にしてない。それどころか、悪の根源は総務部長でユウユは悪くないと励ましている。しばらく呆然としていたが、あごが胸につくほどうなだれた。それから疲れを全部吐き出すような息を吐く。そして腹立たしさでつり上がった目に涙をためた。
「そうなのよ、菜花。総務部長から試飲会を潰すように命令されて、脅されて、怖かったの。本当はそんなことしたくなかったのに。でも、クビにするって言われたら、やるしかないでしょう。でも、……菜花が頑張って……くれたから……」
そのあとの言葉は声にはならず、嗚咽となっていた。
「大丈夫ですよ。誰にも言いません。試飲会は無事に終わったし、私もお咎めなし。ユウユさんおかげで、試飲会への妨害はすべてなかったことにできました。ありがとうございます」
うそ泣きしても気付かない。どこまでも、いつまでも菜花は菜花でちょろいお人好し。真っ向から挑んで敗北した気分になる。
ユウユは苦々しさを噛みしめたが、本物のバカにはかなわない、と柔和な目をした。




