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① 5/15 菜花と司に朝が来る

 二時間も早く目が覚めた。しばらく毛布にくるまって目をつぶっていても、心が重くて二度寝できない。

 菜花はコーヒーからたつ湯気の香りを楽しみながら、ブラウンの焼き色がついたトーストにバターをしみ込ませる。いつもと同じ朝食だけど、今日のコーヒーはとても苦かった。

 

 朝食を済ませてからもじっとしていられなくて、いつもより早い五月の朝に飛び出した。

 身を縮める寒さはないけど、新緑の葉がまだ冷たそう。空を仰ぐと、小さくちぎれたような雲がたくさん散らばっている。菜花は時間を確認してから、行き先をアカツキビールから神社に変えた。


 夜、暗闇に包まれた神社は少し怖かったけど、朝は違う。まだ眠っているかのように静かで、この世には菜花しかいない。そんな錯覚に陥りそう。

 手水舎てみずやで心身を清めてから拝殿へ向かった菜花は、賽銭箱の前で軽く一礼する。そしてピカピカの五円玉を一枚、そっと入れた。


「ありがとうございます」


 いつもの菜花なら五円玉を投げ入れたあと、「ご縁がありますようにっ‼」と必死に祈っていた。でも、様々な縁が充分につながっている。


「いただいたご縁を大切にします。だからこれからも、見守ってください」


 人生で最悪な合コンから、たくさんの自分と向きあった。

 ひとりになりたくない心。助けてと言えない臆病さ。嫌われるのが怖くて、いい人になる。受け身になって、好きになってくれる人を待つだけの恋愛。そこに菜花らしさはひとつもなかった。


 ありのままを好きになってもらうには、菜花の努力が必要不可欠。それなのに積極的なアプローチや、相手を振り向かせるための自分磨き。大変なことや面倒なことをすべて神様に丸投げして、逃げていた。それじゃ、うまくいかないのも当たり前。

 待ってるだけじゃ、なにも変わらない。積極的に前へ。立ち止まるより、一歩踏み出す方が建設的。早朝のさわやかな風を感じながら、晴れ晴れとした気持ちで胸を張る。

 

「よし! 行ってくるぞ-」


 気合いたっぷり。人事部長なんか恐れない。元気よく両腕を振って、来た道を戻る。もう少し待てば、社務所から司が出てくるような気がしたけど、足を止めなかった。


 ――今日で最後じゃない。


 またいつでも会えると信じて、片頬にえくぼを刻む。




 菜花が大きな歩幅で歩き出した頃、司は目を覚ました。

 昨日の夜、菜花と一颯が歌っているのを目撃した。淡く輝く月明かりをスポットライトにして、楽しそうに歌うふたり。豊かな声量と心を動かす歌唱力に、ただただ驚いて声をかけ損ねた。

 でも、また菜花が泣き出す。


 一颯が肩をさすって慰めるのを眺めながら、罪悪感に押しつぶされた。「どうせ六月末でさようなら。その期限がちょっと早くなっただけ」と言っても、それは菜花の本心ではない。無理をして笑って、気を遣って、いつも泣く。

 涙を止められない無力さに腹が立って、その場を離れた。そして逃げたことを後悔している。


「おはよぅ、司ァ。今日は早いね~」


 スーツに着替えていると、一颯が起きてきた。金色に染めた髪がくしゃくしゃになって、あちこち飛び跳ねている。ひどい寝癖に指を指して笑ったが、一颯は眠そうにあくびする。


「五円玉のお姉さん、今日の九時に、人事ぶちょーと会うんだって」

「知ってる。だから行ってくる」

「そっかぁ。なぁーんだ、知ってたのか。早起きして損した」


 一颯は椅子に座ってうとうとしはじめた。


「こんなところで寝るな。部屋に戻れ」

「んー、またお姉さんに会いたいな。今度、連れてきてよ。すっごくいい声だったから、もっと色んな声が聞きたい」

「声?」

「そう。お尻さわったときとか、胸さわったとき。あっ、司はNTR(寝取られ)趣味でしょう。協力するから――」


 そんな趣味はない、とかなり強烈に頭をはたいた。一颯は痛そうにしていたが、いつもより早い時間に家を出た。

 菜花に会うために。


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