⑦ 4/17 神様の降臨
「うるさいぞ、酔っ払いッ!」
突然、男の怒鳴り声が雷鳴のごとく響き渡ると、参道脇の苔むした石灯籠に次々と明かりがともる。菜花はびっくりしすぎて、心臓の鼓動と呼吸が止まりそうになった。
「だ、誰かいるの?」
怖い。菜花の身体は瞬時に強張ったけれど、社務所に明かりがついていたことを思い出す。
大きく息を吸い込んで、目を凝らした。やってくるのが変質者なら、ありったけの力を出して叫ぶだけ。そうすれば、きっと助けが来る。菜花は空き缶を手に取り、臨戦態勢を整えた。
「負けるもんか」
じりじりと近づいてくる足音に耳を澄ませて、あと一歩近づいてきたら、空き缶を投げつける。ぐっと奥歯をかみしめて、手に力を込めたが。
「う……そ……」
手から空き缶が転げ落ちた。
大きく見開いた菜花の瞳に、蒼く、淡い光に包まれた男の姿が鮮やかに飛び込んできた。
男は、昔、教科書で見たような白地の狩衣に、新撰組のダンダラ羽織と同じ色をした、薄い青緑の袴を穿いている。黒い、袋状の烏帽子はかぶっていないけど、サラサラの前髪から覗かせる目が黒曜石のようで綺麗だった。
素晴らしく、神々しい姿を目の当たりにした菜花は、幼い子どものように顔をほころばせる。
「神様! 縁結びの神様、来たぁーーッ」
立ちあがろうとしたら、ぐにゃりと視界がゆれる。
「危ない!」
顔から落ちそうになったところを、がっしりとたくましい腕に支えられた。お互いの前髪がふれて、お風呂上がりの石けんのようないい香りがする。「大丈夫か」とたずねられても、縁結びの神様はとろけるような色男。菜花は「ずるい」と思った。
「はいはい、これでわかりました。ぜぇーんぶ、わかりましたよ。容姿に恵まれてる縁結びの神様は、美女の願いしか聞きませーん。なにもない女なんて、眼中になし! そういうことですか。あーあ、そうですよねー」
「はあ? しっかりしろ。頭、大丈夫か?」
「失礼ね! 大、丈、夫です。あー、やっぱ、ムカついた。わたしがどれだけ必死にお願いしてきたのか。あなた、わかる?」
「落ち着け、酔っ払い」
「酔ってないわよ!」
菜花は酒臭い息を吐いている。頬も熱くて、身体も熱い。ふわふわと、雲の上を歩いているような感覚もする。頭の隅にいる冷静な菜花が「なに、バカなことやってんの」と注意してくるのに、口が止まらない。
「ひっどい、縁結びの神様ね。わたしにはちゃんとした、名前があるの。酔っ払いって、呼ばないで」
「大石菜花、だろ」
「へ?」
一瞬、血の気が引いて酔いが覚めた。だがすぐに、全身が熱くなる。
「すごい! さっすが縁結びの神様。なんでもお見通しなんだ」
眠たげな目がかっと見開いて、瞬く間に輝く。そして、縁結びの神様をがっちり捕まえた。ここで会えたが百年目。願いを叶えてくれるまで、絶対に離さない。逃がさない。そんな気迫がほとばしっていた。
しかし縁結びの神様は菜花を賽銭箱の前に座らせて、散らかった空き缶を片付けはじめた。
「お、全部アカツキビールの商品なのか。偉いな」
「どうして?」
「アカツキビール、総務の大石菜花だろ」
「だ、大正解!!!! すごすぎる……。あ、そうだ。これ、見てよ」
せっかく片付けた空き缶をレジ袋から取り出して、縁結びの神様に突き付けた。
「ビールの苦さが苦手だったけど、このビールは違うの。絵本のようなラベルも、かわいいでしょう」
今日と同じぐらい、まん丸の月が描かれたクラフトビール。小首を傾げた、二匹の白いウサギものびのびと描かれている。
「すっきりフルーティーな味なのに、アルコールがガツンとくるの。でも、のどごしはまろやかで、飲みやすい。最高に、気に入ってるの」
「いくら飲みやすくても、飲み過ぎは身体に悪いだろ」
「……ごめんなさい。でも、知ってる? あ、縁結びの神様だから、なんでもお見通しか」
アカツキビールには、創業以来初の女性役員がひとりいる。名前は、松山勝美。ビールは男のものだという概念を徹底的に打ち砕き、女性にも飲みやすくて美味しいお酒を次々と提供してくれた、カリスマ的存在。マスコミからは「美しく勝つ女、松山勝美」とか言われて、その名の通り時代を見極めた瞳は澄んで輝き、自信に満ちあふれていた。
雑誌やテレビの取材で凜と佇むその姿は、菜花の心をガッチリつかんでいる。ぐふっとにやけて、身体を左右に大きくゆらした。