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⑤ 4/17 プライドが邪魔をする

 ティラミスはイタリアの代表的なデザートで、「私を元気にして」という意味がある。それなのに、一口食べても、二口食べても元気が出ない。

 マスカルポーネチーズの甘く濃厚な味わいよりも、ビターなチョコスポンジの奥から押し寄せるコーヒーのほろ苦さだけが口に広がる。


「大石さん。このあと、どうしますか?」


 アナウンサーみたいに聞き取りやすい良雄の声が、いきなり菜花の耳に飛び込んできた。

 あきらめモードで撃沈していたから、このあとのことなんて一欠片も考えていなかった。だから「ふへ?」と素っ頓狂な声をあげてしまう。それに反応して、大笑いするのはユウユ。


「やだぁ、菜花ちゃん。美味しいケーキに夢中で、大事な話、聞いてなかったでしょう。かわいそうぉ、良雄クン。だめだぞぉー」

「あっ、ごめんなさい」

「説明してあげる。このあと、カラオケにいくんだけどぉ、菜花ちゃんは無理だよね」


 歌声には自信がある。名誉を取り戻すチャンスなのに、勝手に決めつけてきた。これには菜花も黙っていられない。だが、冷静に考えた。

 恵里奈狙いの溝口は、派遣社員の菜花やユウユを相手にしない。良雄はやさしくて素敵な人でも、久しぶりに再開した幼なじみの千乃と盛りあがっている。

 残るはひとり。無口で控えめな泉谷健吾。


 ルックスは悪くない。ユウユの背中がっちりガードのせいで、ほとんど会話をしていないけど、二次会のカラオケではお近づきになれるかも。ユウユはそれを警戒している。

 ここで引いてはだめだ。直感的に感じ取った菜花は大きく息を吸って、参加する意志を伝えようとした。しかし――。


「だってぇ、菜花ちゃん、明日ぁ、誕生日でしょう。三十歳の!」


 ゆっくり、はっきり、丁寧に、菜花の歳をバラしやがった。

 さっと顔色を変えたが、それに気が付かない天然のふりをして、ユウユは続ける。


「どこかに遊びにいくんでしょう? かわいい菜花ちゃんの誕生日なんだもん。まさか、ぼっちなわけないしぃ。明日の方がお楽しみ、いっぱいなんでしょう。ずるいなぁー、かわいい子は」


 褒めながらも、確実に痛いところを突いてきた。カラオケに参加すると言いたかったのに、開いた口から声が出ない。

 明日は菜花の誕生日。でも、予定は真っ白。ここでカラオケにいくと言い出せば……。誕生日を祝ってくれる人が、ひとりもいない派遣社員の三十路女。

 いや、別に派遣社員も三十路も悪くない。関係ない。そう強く心に言い聞かせても、誕生日を祝ってくれる人がいない、ぼっち。女友達すらいないのか。そう思われるのが嫌だった。

 つまらない妙なプライドが邪魔をして、菜花は負けた。


「あははは、そうなんだ。明日は友達と約束があって、早く帰らないと。ごめんね、わたしはここで。あ、今日、楽しかったから、また誘ってくださいねー」


 ここへ来て一番の笑顔で対応する。

 とても惨めだった。誰も菜花の連絡先を聞いてこない。楽しそうに「またねー」と手をふりながら、胸の中にぽかんと穴が。

 明日、菜花は三十歳になる。このままだと、とてもつらい二十代最後の日。……なんかにしたくない! ぐっと背筋を伸ばした。


「よぅし、飲み直すぞぉー」


 ひとりぼっちになった菜花は、堂々と胸を張って歩く。行き先はもちろんコンビニ。

 隠れ家のようなイタリアンレストランでは、本格的な伝統料理と四十種類ものワインが楽しめた。でも菜花は、アカツキビールで働いている。コンビニで大好きな酒類を見繕って、駅へと歩いた。


 土日休みの社会人限定だけど、金曜日の夜は特別な時間。長い平日が終わって「明日は休みー」と、開放的になる。駅周辺の飲食店街は、いつも以上のにぎわいを見せていた。

 さっき食べたばかりなのに、ふと焼き鳥の美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。すぐさまカリッと焼いた鶏肉の歯ごたえと、熱々の濃厚なタレと混じりあう肉汁が脳内に再現された。ふらりと引き寄せられたが、菜花の手にはコンビニのレジ袋が。


「だめ、だめ。行き先はもう決まってるんだから」


 少し足取りを速めて、誘惑の多い飲食店街を背にした。そこからすぐ右へ曲がり、駅ビルへ。帰宅するなら、このまま電車に飛び乗ればいい。チラリと改札に視線を送ったけど、菜花はそれを通り越して地下へと消える。



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