④ 4/17 料理の味がしない
「僕の名前、良好の良に雄の雄だから、いつもヨシオって呼ばれるんだ。でも本当はヨシタカ。確か、大石内蔵助も同じ漢字で大石良雄。僕と同じなんだよ」
「そうなんですか」
「僕が大石さんのところに婿入りしたら、大石良雄が完成するね」
「む、婿入りぃ!」
嬉しくて、菜花の声が思わずあがった。
さっきから、困ったことが起こると必ず助け船を出してくれる。良雄はとてもいい人。ときめく瞳がさらに輝くと、菜花は一気に明るさを取り戻して楽しく笑う。
その横顔を白けた目で眺めるユウユは、フンッと唇の端をつりあげて、次の攻撃を仕掛けてきた。
「あ、そうだ。菜花はぁ、同じ部署にいるけどぉ、本当によく仕事ができるの。総務って、なんでも屋みたいなところがあって、ものすごぉーく、大変なのにねぇー」
「え、あっ、ありがとうございます」
ユウユから、わかりやすいほど不機嫌なオーラが漂っているのに、言葉だけは菜花を褒めはじめた。急な変わり身に戸惑ったが「仕事ができる女性はかっこいい」と、話は盛りあがる。
やがて仕事ができる女。すなわち菜花のこと。そのような図式ができあがってきたとき、ユウユの目にどす黒い影が浮かぶ。
「そうなのよぉ~。菜花ったら、派遣社員なのに正社員の私より働いているかもぉ~」
「えっ」
事実だった。千乃も恵里奈もユウユも、アカツキビールの正社員。そうじゃないのは、菜花だけ。盛りあがりの波がスッと引くのを肌で感じた。
ここにいる男たちは、結婚相手を求めている。SKY REVOLUTIONは勢いのある会社だが、IT企業の右肩あがりにも陰りが見えはじめていた。そこで、創立百年を誇るアカツキビールの女たち。育児休暇もバッチリなホワイト企業で稼いでくれるなら、もしものときに心強い。ただし、正社員なら。
菜花は行き先の不安定な派遣社員。ここで仲良くなっても、慣れた頃には別の会社に。なぜなら、契約期間は長くても三年。早ければ、半年、三ヶ月でサヨウナラってことも。だから最初から、会社に長くいない人だと認識されている。
「派遣って、数ある働き方のひとつだよね。天下のアカツキビールに派遣されたんだから、きっと即戦力になるスキルがあったんだろうな。すごいね」
重苦しい空気を断ち切ってくれたのは、やはり良雄だった。それに追随して千乃も声を弾ませる。
「そうなのよ。あたしはマーケティング部にいるんだけど、そこのボスが菜花のこと気に入ってるんだから。仕事には厳しい、鬼のような人なのに」
「えっ、堀部さんはアカツキビールのマーケティング部にいるの? それってすげぇー。出世街道まっしぐらってことじゃん」
「アカツキビールのマーケティング部なら、俺たちの給料よりもらってそうだな」
男たちの注目が千乃に移ったので、菜花はほっとした。それでも居心地の悪さは拭えない。また帰りたい気持ちが膨らんでくるけど、料理が運ばれて来た。待ってましたと輝く菜花の瞳に、彩り豊かな前菜が映える。でも、味がしなかった。
軽くスモークしたサーモンのサラダは、菜花の大好物。
鮮やかな赤いトマトも目を引いてくる。
生ハムが花のように開いてとてもオシャレだし、鶏とキノコのマリネも、少し焦げ目のついた野菜にたっぷりとかけられたチーズも美味しそう。
それなのに、味がしない。
菜花が感じている以上に、心は悲鳴をあげていた。ここに集まった人たちは全員、正社員。菜花とは違う人たち。
うつむくとみすぼらしい服が目に入り、顔をあげると、華やかすぎる人たちの雰囲気に、涙が出そう。それでも、どっと盛りあがれば笑う。話なんて耳に入ってこないけど、場がしらけないように相づちを打って、また笑う。とても楽しそうに。でも、ふとした瞬間に目の前の空席が視界に入る。はじめから菜花はいらない人だと、告げられているようだった。
良雄ともっと話がしたいと思っても、ユウユが菜花に背を向けて身を乗り出し、がっちりガード。とうとうドルチェの盛り合わせが運ばれてきたけど、進展はなし。
席替えぐらいしてくれてもいいのにと、恨めしくティラミスにフォークを突き刺した。ティラミスに隠された言葉を、静かに口にしながら。