② 4/22 食事のあと、どうすればいいの?
ユウユの思惑を知らない菜花は、慌ただしい時間をうまく使って仕事を切り上げた。
良雄との約束の時間まであと三十分。急いでメイクを直して、疲れ切った顔を隠す。乱れた髪も整えて、最後にニコッと笑った。
「大丈夫。悪くない」
気合いを発してから、一階のオシャレなカフェレストランへ向かう。しかし、全身が心臓になったみたいに脈打って、クラクラしてくる。途中で何度も立ち止まり、「人」という文字を手のひらに書いて飲み干しても、落ち着かない。
「ダメだ。倒れそう……」
意識的に大きく息を吸って、細く長い息を吐く。呼吸を整えて緊張を和らげようとしたのに、これもうまくいかなかった。
もたもたしていると約束の時間に遅れてしまう。いきなり遅刻などあり得ない。菜花はぎゅっと目を閉じて、カフェレストランの扉を開けた。すると、いらっしゃいませの声よりも早く、菜花を呼ぶ声がする。
おそるおそる目を開けると、窓際のボックス席から子どもみたいに手を振る男がいた。
「お久しぶりです。僕のこと、覚えてますか?」
良雄を忘れるはずがない。本当に来てくれた。嬉しさが込み上げてくると、やわらかい笑みが自然とこぼれた。
「お久しぶりです。でも驚きました。まさか中山さんから声がかかるとは思ってなくて」
「先週は、あまりお話しできなかったので、今日はお呼び立てしてすみません」
「いえいえ、とても嬉しいです」
「よかった。それにしても、アカツキビールはすごいですね。こんな大きなビルに、飲食店まで設けて。しかもオシャレでいい匂いがする。おすすめのメニューとかあるんですか?」
良雄はわくわくする少年のように、辺りをキョロキョロ見まわした。煮出しすぎた紅茶のような瞳にあどけなさが残っていて、かわいい。でも、菜花はぎこちない笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。じつは、ここに入るのはじめてで」
「あ、それなら僕と同じですね。じゃあ、どれにしようかな。どんな料理が出てくるのか、楽しみですね」
あまりにも無邪気に笑うから、つられて頬がゆるんだ。それから自然体で会話が進み、良雄はよく耳を傾けてくれる。ずっと前から友達だったと勘違いしてしまうほど、話が弾んだ。
美味しい料理を食べながら、相性がいいとはこういうことなんだ、と菜花はぼんやり考えていた。
お互いのことを理解して、ストレスにならない関係。楽しい時間を過ごせて、いつも素でいられるふたり。それが菜花の理想だった。
良雄は理想に近い。嬉しくなってつい口数が増えたけど、デザートが運ばれてくる頃、菜花ははたと気付く。
食事のあと、どうすればいいのかわからない。
「どうかしましたか?」
急に口数の減った菜花に、心配そうなまなざしを向けてくるから、慌てて笑顔をつくった。
フランボワーズの甘酸っぱいシャーベットを口にしながら、明るさを絶やさず頑張ってみたが、胸中は激しく動揺している。
――食事のあと、男と女がすることは?
不埒なことが頭の中を支配してきたが、大きく首を振って考え直す。
食事のあとと言えば、お会計。これをどうするべきか悩んだ。
やはりここは年上の菜花が奢るべきなのか。それとも割り勘にするべきなのか。経験がないのでまったくわからない。
次に、ふと見上げた先の壁時計は、八時前。お互い、明日も仕事だから早くに切りあげるとしても、十時ぐらいまでは大丈夫。「もう少し話がしたい」と誘ったら、軽い女と誤解されないか。だが菜花は三十歳。軽いもなにもないような気がして、軽く落ち込んだ。
そして答えを見出せないまま、食後のほろ苦いコーヒーを口に運ぶ。だが、良雄がいままでと違う表情を見せた。
にこやかな笑みが消えて、意を決したかのような顔に。「誘われる」と感じた菜花の心臓が激しく脈打ちはじめたが、良雄の口から意外な名前が飛び出した。
「大石さんは、池田司っていう男を知ってますか?」
「えっ!」
驚きの声を上げると、口の中のコーヒーがこぼれそうになって慌てた。
「ど、どうして、中山さんが池田さんを?」
「じつは――」
声を潜めて前のめりになるから、菜花も身を乗り出した。




