② 4/19 下心と恋心
「お借りしていた服がまだ乾いていないので。あと……その、あれは、どうすればいいのでしょうか?」
「あれって、なに?」
聞き返しても、白いエプロンをきゅっと握って答えない。視線をあちらこちらに漂わせて、落ち着きをなくす。司が小首を傾げていると、菜花は大きく息を吸い込んで、吐いた。
「こっちです。こっちに、来てください」
眉の辺りに決意の色を濃く浮かべて、司の腕を引っ張る。
「え、なに?」
もたつきながら靴を脱いで慌てる司に、かまうことなく部屋の奥へ。引きずるように連れて行く。そして無言でベランダを指差した。
澄んだ青空のもとでゆれるのは、洗いたての服たち。その中に、昨日コンビニで買ったボクサーパンツが。これには司も顔を赤らめた。
「あれは返さなくてもいい。少し考えたら、わかるだろ」
「わかりませんよ。借りたものはちゃんと返すようにって、口酸っぱく言われてましたから」
「はあ……、面倒くさい奴だな。あれは薫さんの嫌がらせだ。寝てるところを起こしたから、俺をからかうつもりで。……パンツ、買ってこいと。あのときは俺も冷静じゃなかったからって、もういい。ジャージも、それも、すべてそっちで勝手に処分してくれ」
バカバカしいやりとりに、頭が痛い。だが、「いや、待てよ」と考え込んだ。
「時々それを干して、防犯対策にしてくれ。それから早いうちに、ここから引っ越せ。オートロックも、カメラ付きのインターホンもないなんて、危険すぎる」
「なに言ってるんですか。引っ越しなんて、無理ですよ。派遣社員の給料を知ってて言ってます? それに、ここはとっても古いマンションだから、泥棒も寄ってきませんよ」
あっけらかんと笑うから、司はがくりと首を落とす。女が狙われるのは、金だけではない。それを一切わかっていない。
もう三十路だから? 司は眉間にしわを寄せて、菜花をじっと見つめる。
女を捨てるにはまだ若いし、猫耳メイド姿も似合っていた。小動物のような、丸くてクリッとした目もかわいい。ほんの少し下がり気味の目尻は、タヌキ顔。そのくせに、適度な厚みのある唇は妙に色っぽい。
「警戒心、なさすぎ」
「そうですか? いつもはちゃんと鍵、かけてますよ。今日はたまたま」
「そうじゃない。俺、男だよ。自分から部屋に引きずり込んで。襲われたら、どうすんの」
「あれ? 神社の神主さんでしたよね。だったら悪い人じゃないし、わたしなんか襲う男はいませんよ」
屈託のない晴れ晴れとした笑顔は、司を男としてみていない。だがそれ以上に、自己肯定感がとても低い。受け答えは丁寧だけど疑うことを知らないから、押せば簡単に落ちるタイプ。にもかかわらず男がいないのは――。
「……おまえの敗因がわかった気がする」
「敗因って、なによ」
「彼氏いない歴、三十年」
「うっ、うるさいわね。そんなこと、あなたには関係ないでしょう」
「ああ、そうだ。関係ない。荷物は全部、返したからな。帰る」
「ちょっと待って。わたしの敗因って、なに? 帰るなら教えてよ」
「教えない。自分で考えろ」
「んな、なによそれ。あっ、それじゃクリーニング代は」
「知らん。今度、薫さんに聞いてくれ」
「今度? またあの神社に行ってもいいの?」
「縁結びの効果はないけど、好きにすれば」
ジロリとにらみつけたが、よかったとほほ笑む菜花。嬉しさを隠そうとしない姿は、心の奥から温かい感情を引き出してくる。同時に、飢えた狼のような視線も。
手を伸ばせば、簡単に届く距離。場違いなメイド姿もいやらしく見える。司は全身から重い息を吐き出して、視線を外した。
用事は済んだ。長居は無用。さっさと帰ろうとしたのに、菜花がゆるんだ口もとを急に引きしめる。
「薫さんにお礼がしたいので、あなたがいない日を教えてください」
かわいげのない言葉にピキッと顔が引きつった。路肩の小石でも見るような冷たい視線を投げて、司は口を開く。
「あそこは、俺の家だ。いない日なんて、あるわけないだろ。その頭の弱さが敗因だ」
「ひどっ!」
神主さんのくせにとか、言葉を選びなさいよ、とか、菜花の怒る声が耳に入ってきたが、すべて無視して部屋を出た。
新緑のまぶしい季節なのに、司の心は晴れない。胸の中がザラザラとして気持ち悪い。会いたくないと言われて傷ついているような――。
「あーあ、親切にして損した」
大きく背伸びをして、考えるのをやめた。




