① 4/17 騙された菜花
騙された。
子どもみたいに大きく手をふる幸野悠友を発見して、菜花の赤い唇がぽかんと開く。
仕事中は菜花と同じ、地味なパンツスーツだった。それなのに幸野は、爽やかな白のジャケットに大人びたグレイッシュなレーススカートを穿いている。
これから合コンなので、オシャレしたい気持ちはよくわかる。でも、ずるい。激しく動揺する胸を押さえて、菜花は混乱する頭をフル回転させた。
ことのはじまりは、いまから八時間前の昼休み。社員食堂のすみっこでお弁当を広げているとき。突然、幸野から合コンに誘われた。
いきなりすぎて一度は断ったのに、「居酒屋での軽い合コンだから」と、なかば強引に決められた。それが運の尽き。幸野が女子力アップしてくるなら、菜花だって着替えたい。いますぐにでも回れ右をして、登場からやり直したい。
「菜花、早く。こっち、こっち。まずは、みんなを紹介するねー」
満面の笑みを浮かべる幸野は、菜花の腕を引っ張った。
がっちり捕まって、もう引き返せない。ため息がこぼれそうだけど、居酒屋合コンなら会社帰りのサラリーマンが多い。地味なパンツスーツでも違和感がないはず。……だと思い込んであきらめたのに。
「どういうこと?」
きらびやかなネオンが輝く、午後七時。会社のロビーに集まったのは、秘書課の田沢恵里奈に、マーケティング部の堀部千乃。
田沢は受付嬢から秘書課に異動した、選ばれし者。職務知識や一般知識、マナー、接遇、ビジネススキル。どれをとっても新人とは思えない働きぶりで有名。
堀部は菜花よりも年上だが、実績を積んだ人しか入れないマーケティング部。スタイリッシュなショートヘアーもかっこいい。
そしてふたりとも、スタイル抜群の美女。化粧も、服装も、はるか上の高レベルで、モデルとして雑誌に載っていてもおかしくない。それに比べて菜花は、ストレッチ素材が売りのパンツスーツ。色もネイビーで華やかさの欠片もない。あまりのみすぼらしさに身を縮めたが、拳にぐっと力を込めた。
いくら彼氏が欲しくても、この人たちと戦うのは無理。適当に理由を作って帰ろう。惨めな気持ちになって泣く前に、さっさと帰ろう。そう決意して、堀部に「あのぅ」と、か細い声を投げた。
「えっと、あなたは幸野と同じ総務の大石菜花さんだっけ?」
「えっ! わたしのこと知ってるんですか?」
「もちろん知ってるよ。大石さんが総務に来てから備品不足が減ったって、ボスがよく褒めてたからね。どんな人なのか、楽しみにしてたの。今日はよろしく」
爽やかな笑みに、思わず菜花も笑顔で返す。「こちらこそ、よろしくお願いします」と……。
なにやってるのよ! 心の中でべそをかいたが、凜とした堀部の風格はちょっぴり冷たい印象を相手に与える。でも、一瞬でパッと明るくなる笑顔が素敵。そのギャップがとても魅力的で、つい菜花も笑みを浮かべてしまう。
同じ人間なのに、どうしてこんなにも違うのか。肩を落としていると、幸野が割り込んできた。
「ねえ、ねえ、堀部さん。今日の男性陣がすごいって、本当ですか?」
「イエース。今回の話を持ち出してきたのは、一部上場企業に務めるエリート。まあ、あたしの幼なじみなんだけど、五つ年下の二十七歳。と、そのお友達だから楽しみにしてて。お店も良い場所を押さえたから、野郎共は現地で首を長くして待ってるかも」
おお、と歓声があがる。しかし菜花は、軽く両手を広げて右手の親指と人差し指、中指を折り曲げて、素早く数を数えた。
この中で一番年上の堀部は、三十二歳。
優秀なエリート様とひとつ違いだと顔をほころばせた田沢は、二十六歳。幸野は菜花と同じ二十九歳だから、二十七歳の男に選ばれるのは田沢だけ。
どうせ男は、若くて美しい女が好き。田沢無双でことが運ぶなら、花より団子。美味しい料理を楽しみに、割り切るしかない。帰るチャンスを逃した菜花は、ざわつく心に言い聞かせた。
それから堀部だけでなく、田沢にも積極的に話しかけてみた。目が眩むほどの美人だけど気さくな人で、打ち解けるのも早い。おしゃべりが弾んで、このまま女子会に突入したい気分だったのに、オフィス街から少し外れた小道で堀部が止まった。
同時に菜花から血の気が引いて、顔が引きつる。