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「カッコつけたのはいいものの、やっぱりなぁ…」
あの後友人達と別れた僕は、ため息を吐き出しつつビルの階段上り、2階の全フロアをぶち抜いて作られた会社に向かい、『アーカム・St・ジャーナル』と書かれた立札が掛けてあるドアをノックする。
「ウィリアムです。開けてください」
黒く塗装されたドアの鍵が内側から開けられる音がして、ドアボーイが顔を覗かせる。
「お、坊主!今日もサボらずに良く来たな!」
笑いながらこちらの肩をバンバン叩いて来る大男はこの新聞社の用心棒、Mrドアことトミー・ローズだ。
スキンヘッドと深いシワが刻まれた眉間は、ローズなんて可愛らしいファミリーネームが最も似合わないと言ってもいい。
気のいいこの男の様に、この新聞社のメンバーは皆親切な人ばかりだ。
編集長だって怖い怖いと言うものの、真剣に仕事をしていれば助言だって的確だし、非常に頼りになる。もっとも厳しい事には変わりないので、合わない人とはとことん合わない。
「さて、今日は23時ごろまでって聞いてるから、戸締り終わったらいつもみたいに俺の部屋まで頼むな」
そう言って僕は彼から鍵束を受け取る。
この時間帯からの作業は基本的に編集長とその相棒、バイトの僕の計三人で行う。
作業終了後鍵をかけて、一階に間借りするトミーの部屋のドアポストに鍵を入れておくまでが僕の仕事だ。
暗い廊下を進んで編集部とトールペイントで書かれた扉を開けると、昼間に勤務しているメンバーがいそいそと帰り支度をしている。
彼らは煙草を咥えながらやれ何処に飲みに行くだの、何処其処のねーちゃんに会いにいくだの好き勝手に喋っていた。
こちらは今から貴方達の後ろで怖い表情をしている編集長と二人っきりだと言うのに、随分と楽しそうだと嫌味なことを考えつつ、自分に割与えられているロッカーに私物を詰め込み、作業机に向かう。メアリーのためにも頑張らねば。
作業を開始して1時間、資料をめくる音とメモを取る音、稀に僕が漏らすため息だけが編集室にしみ渡って消えていく。
今友人達は楽しく飲んでいるんだろうか…バカップルがいちゃついて、それにメアリーがあたふたして…と妄想していると、編集長から声をかけられた。
「ウィリアム君、君は昨今話題になっているあの事件についてどう思う?」
「ひゃい!すみません! …どうとは…?」
編集長はバツの悪そうにこちらを見て口を開く。
「む…驚かせてすまなかった。あの事件の行方不明者と同年代の君はどう思っているのか少々気になったのだよ」
気もそぞろになっていた事がバレたかと焦ったが、杞憂だったようだ。
集中していないのがバレた時のあの眼光と威圧感のある低い声は、最近噂になっている例の事件よりも怖いと思う。
「あぁ、ウチの学生が行方不明になっているっていう話ですね。講義の前に注意喚起が何回かあったくらいですかね、あとはいなくなった生徒に関する噂くらいですかね」
「ふむ、この話がうちに入って来たのが今週の火曜日前後だったから、まだ大学側にインタビュー出来ていない。君から少々事情を聞くのは大丈夫かね?」
ミスカトニック大学はジャーナリズムに対する姿勢が非協力的であるのは周知の事実だ。
以前教諭のゴシップや、一部の学生達の起こした奇妙な密会等を各社に抜かれてからは、一般の善良な学生や活動を保護するという目的で学校の周りを高い塀で囲み、入り口には警備員をおいて、関係者や生徒以外の者には厳しい入校管理をするようになっていた。
今回の事件でも警察が少数出入りしてはいたが、下手人のアテがあるわけでもないため、少しの話を少数から聞いて早々に引き上げていった。どうやら単なる家出で処理をしたとの噂だ。
「いろいろ話すのは問題ないですが、僕の口から出たということだけは秘密でお願いしますよ。学徒清浄化委員に睨まれたら僕は田舎に帰ります」
「…まかせたまえ。もちろん君の名前は出さないことを約束するし、あんな意味のわからん団体に手出しはさせない」
こういう時の編集長はすごく頼りになる。
自信に溢れた表情。目に宿った確固たる意志。堅物すぎるのがたまに傷だが、これさえなければ随分とおモテになるだろうに勿体ない。
僕が編集長の言葉に感銘を受けていると事務所のドアが乱暴に蹴破られた。
「私だってキミの事が大切だからね!あんな気持ち悪い陰険なヤツらには手を出させないよ!!」
一人の女性が僕に抱きつきながらそう言う。
ついに来てしまったか…
「…ドアは蹴破るものじゃないと何回言ったら分かる…!」
あぁ…編集長の機嫌が急転直下悪くなる。部屋の温度が何度か下がった気がした。
「だってウィルくんがあの団体の魔の手にかかってしまうかもって話をしていたじゃないか!私の可愛いウィル君は誰にも渡さないぞ!」
「別にそんなことは話していない!そうならないように約束をしていただけだ!そもそも貴様、もう此処には来るなと今朝言ったばかりだろう!この女狐が!」
「へんっそんなの私には関係ないね、そもそも私のような可憐な婦女に目くじら立てて恥ずかしいと思わないのかい?そんなんだから婚約者に逃げられるんだよ?」
編集長はその三白眼の眉間に更に深い皺を作り、僕に抱きついて離れない女性を見下ろして怒鳴る。見下ろされている方は何処吹く風とばかりに、にやにや笑って編集長を煽る。それはもう煽りまくる。
ドアを蹴破って入って来た女性、僕の後見人である彼女は僕の頭を胸に抱き、演技掛かった口調で舌戦を始めたのであった。
読了、本当に感謝の極みです。
クトゥルフというダークで怪しい魅力のある世界観を、なるべく分かりやすくお伝え出来ればと思います。
皆さま、これからどうぞ、よしなに。