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当作品ページを開いて頂き、本当に有難うございます。是非私と一緒にジャズエイジ・クトゥルフの魅力にはまっていただければ、これ以上の幸せはありません。どうぞ、よろしくお願い致します。
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偉大なるアメリカはマサチューセッツ州。ミスカトニック大学をシンボルに、古くから奇妙な噂が実しやかに囁かれる都市『アーカム』
探検家が航海に出たが、乗組員一人を残し全員死亡。生き残った者も発狂してすぐに亡くなったとか、名状し難い腐乱臭のする者供が、深夜の街を這いずり回ってホームレスを食べるとか、大学のマッドサイエンティストが死者蘇生のために人体実験まで行なっているとか…
耳に入れるのも憚れるような噂話は、田舎から出て来て、まだスレていない僕には当然刺激が強過ぎた。
幸か不幸か僕ことウィリアム・コールは、畜産を主な生業にする高齢化の進んだ村から、ある女性の『ビビッと来た』なんてちんぷんかんぷんな理由で、ドナドナよろしくこの街に連れて来られたのだ。
連れて来られて翌日、どんな強権を使ったのか、彼女は僕をミスカトニック大学に放り込んで、あれよあれよという間に僕は羊飼いから学生へとジョブチェンジさせられた。
仲良くなった友人達と過ごす日々、そして吹き込まれる前述した噂。はじめのうちは信じていなかったが、稀に感じる不気味な気配だったり、突如消える隣人の存在等がその噂が少なくとも全部が嘘では無いと僕に教えたのだった。
そんな噂話に揉まれ続けて2年が過ぎ、今年もミスカトニックの門戸を新入生が叩く季節となった。
この物語はそんな出会いの季節から始まる。
「ーーっと、今日の講義は此処まで。来週一発目は今週の講義の内容でテストだから、休み中デートしまくってるとヤバいぞー」
担当教授の言葉に皆ため息を吐く。不満の声を上げないのは、この教授がその声を聴くと嬉々としてペナルティを課して来るのをこの2年で学んだからだ。
教卓を中心に生徒の机が棚畑状に広がる講義室、窓からは街を赤く色付かせる夕暮れが顔を覗かせていた。
「ウィル!今からキャシーたちと飲みに行くんだけど、お前も来いよ!先週からステージに上がる様になったバンド、お前も興味あるだろ?」
教材を横がけの鞄にしまい、バイト先の新聞社へ行こうと席を立つと、ロバートとその彼女のキャシー、そしてメアリーがこちらに声を掛けながら椅子の合間を縫って来る。
話しかけてきたのは金髪碧眼のがっしりした背格好のナイスガイで、僕の友人第1号のロバート。彼はその容姿に似合わずにゴシップ好きで、どこから仕入れたのか様々な話を友人達に流布するスピーカーだ。他人の悪口や陰口は絶対に言わないため、ゴシップスピーカーではあるが交友関係は割と広い。それに名家の生まれというスーパーマンだ。
「まさか今日もバイトーとか言う訳無いよな?」
「そのまさか。僕は自分で稼がないとその辺のホームレスと宜しくするまであっという間だよ」
自分の食い扶持はなるべく自分で稼ぎたい。後継人の彼女に後で何を言われるか分からないため、なるべく借りを作りたく無いのが半分。もう半分は田舎から僕を連れ出してくれた恩のある彼女の負担にはなりたく無いという僕なりの感謝というか、まぁそういうものだ。
なんだかんだで僕は刺激を求めていたのだろう。村に同年代は僕含めて4人ほど。羊を追い立てるだけの平和で代わり映えしない日々を一生続けるのは遠慮したいと常々思っていたから、彼女には感謝してもしきれない。
「そんなわけで、今日はバイトが終わってからなら合流できるけど、何時まで店にいるつもり?」
「うーむ、今日はライブもあるから日付が変わるかどうかって時間くらい?さっきも言ったけど、先週演奏してたバンドが中々なんだよ。すっごい惹かれるというかさ」
そんな話をしていると、清掃員の無言の圧力を感じて僕たちはそそくさと講義室から出た。
学校を出て南に歩く。学校のすぐ側にはミスカトニック川が流れ、煉瓦で出来た側道が街灯と夕暮れの茜色の光を受け、ボゥっとオレンジ色に色付く。
この道を進んで次の交差点の左側がバイト先である新聞社『アーカム・St・ジャーナル社』だ。
隣を歩いているメアリーが声をかけてくる。
「ウィルリアム君今日も資料まとめ?あの編集長の下でバイトだなんて、ちょっと怖いよね」
「ま、まぁね。簡単な記事の文字を起こすぐらいならやらせてもらってるけど、今日は資料まとめだけかなぁ…最近はミスも少なくなって来て、前みたいに怒られるのは少なくなって来たよ…たぶん…」
「あ、あはは…あの人堅いって噂だからねぇ」
バイト先の上司である『ポール・レイモンド』は近所でも有名な堅物だ。
30代後半の彼は、数年前に婚約者を逃してから仕事一筋のタフガイであり、新聞社の忘年会で盛大に喧嘩を売ってきたフラッパーの集団を、説教して会心させたという逸話はあまりにも有名だ。
勤務態度は超真面目だが、いかんせん目つきが非常に悪く、入稿が遅れそうな時には胃が縮み上がるほどのオーラを発しているため、関わるバイトや彼の部下がプレッシャーに負けてすぐに辞めてしまうとの声も上がっている。
彼女もその噂を知っているのだろう。僕があそこで働いていることを知ってからずっと彼女は僕のことを心配してくれる。
ほら、今だって僕のことを心配そうな眼差しで見上げている。可愛い。とっても可愛い。
メアリー・ベスレムはすごくモテる。アーカムでも有数のお嬢様で、女性でありながらその聡明さは大学内でも有名だ。
抜きん出た美貌、物腰は柔らか。野郎供の彼女を狙う視線は露骨過ぎて笑ってしまうくらいだ。
そんなメアリーとひょんな事で大変仲良くしてもらっている僕は、とても光栄なことなのだろう。
メアリーとは卒業して別々の道を歩むまで、できる限りの甘酸っぱい思い出を作るんだと割り切って、僕は彼女を甘やかす友達以上恋人未満な立ち位置と自分で位置付けていた。
メアリーの横を歩いていると、彼女のお気に入りの香水がふわっと香る。
こんないい匂いのする彼女と一緒にいるのに、これからコーヒーと煙草の混ざった臭いのする魔境に突撃しなければならないと思うと、前方をウキウキと歩いているバカ2名を無性に蹴り飛ばしたくなって、僕は大きくため息を吐いた。
いよいよ交差点まで来て左に曲がり、ミスカトニック川に掛かった橋を渡る。すっかり辺りは暗くなって気分が滅入る。
そしてこの川の特有の少し饐えた匂いがさらにテンションを下げていく。僕はこの匂いがどうにも気に入らなかった。
大丈夫?と首を傾げるメアリー。それを見てほっこりしながら、何でもないと返す僕。
あぁずっとこの幸せなやり取りが続けばいいのにと思いつつ、ついにビルの前まで来てしまったと心の中で舌打ちをする。もう少し彼女との会話を楽しみたかった。
「バイト早く終わって飲みに来いよ!いつもの時間にいつもの席にいるからな。そんでもって演奏の時間までに意地でもバイト終わらせろ」
「OKボス、メアリーのためにも早く行くわ。お前らバカップルの中に一人とか可哀想だ。あ、時間に間に合うかは不明!」
「ウィリアム君頑張ってね」
僕はサムズアップでそれに応えた。多分、今日まとめる資料は…
「うちの学生から行方不明者が出た件。かなぁ」
一話読了、ありがとうございます。