「そのキスは、氷砂糖の味がした」
まるで、結婚式と葬式が一度に訪れたようだった。
……否、今引き起こっているこの光景を見ると、比喩表現などでは収まるものではない、と誰もが口にするだろう。
仰々しくチャペルの音が響く。それは他の誰でもない、私達を祝福しているものだった。私は、人生で初めてのウェディングドレスを身にまとい、『彼』の隣に立っている。壇上には神父がおり、何か言葉を述べている。
私達は、これから永遠の愛の誓いを果たすのだろう。
決して実現していいはずのない『生者と死者の』結婚式だ。
私の隣には、物言わぬ死体が椅子に座っていた。当然体は冷たく、死後硬直などとうの昔に終わっている。その『彼』が、律儀に化粧をとり、タキシードなんて着ている。辺りは微かな腐臭に包まれる。神父は異様な顔をこちらに向け、しかし自身の仕事を全うする。教会の中には、観客なんて誰一人いない。
私は今日、死体の彼と結婚します。
何故、こんなことになったのか。
当然、私は死体愛好家などではなかったはずだった。むしろ、そういったネクロフィリア的な思考は嫌厭している側の人間だ。とはいえ、だからと言って普通の趣味を持っていた凡庸な人間だったかというと必ずしもそうではなく、いわゆる『物好き』というやつだったのだろう。ここで言う物好きというのは、変わったことや他の人が好みそうなものではないものを好む。という意味だということは説明するまでもない。
誰も好きにならないものを好きになる。そのため、友人の間ではいつも話が合わなかった。有名なものには食指が動かず、誰の話にもついていけない。周りからは「マニアック」「変わってる」「変人」「気味が悪い」など、色んな言われようだった。そんなこんなで友人も離れていき、26にもなった私には友人と呼べる存在は皆無に等しかった。
そんな折––––––
「僕と……付き合ってくれませんか?」
物好きを好む物好きが、一人だけいた。
彼は私の仕事仲間。研究者という職業柄、他の部署とコミュニケーションを取ることなんて一般的な会社員より増して稀だろう。故に他部署であった彼とはほとんど交流を持ったことがない。実際、私もそんな唐突な告白をされるまで、彼のことなんて頭の片隅にいたかどうかすら怪しいのだから。
少しだけ彼のことを説明するのであれば……私とはあまりに対極な人間だと言えば話は早いだろう。彼は、表面上あまりに『一般ウケ』するタイプの人間だった。まず、とにかく顔がいい。女性からは当然注目の的、お近づきになろうとする同業者もいたとかいないとかいう話だ。さらにコミュニケーション能力も高く、噂だけ聞けば彼の周りでは笑い話が絶えないそうだ。仕事もこなせ、聞くにスポーツすら堪能らしい。まさに、物語でしか聞けないほどの完璧超人。おそらく普通の人間であれば誰もの憧れの的なのだろう。
ただ、私にとっては前述の通り、あまりにも興味がなかった。そもそも知り合ったきっかけとなったのは数合わせとして参加することになった合コンだったのだが、一目で「関わり合いにならないほうがいい人種」だと決め込み、個人的な会話を一切せずに切り抜けた。一応やり取りの中で連絡先だけは交換したが、他の男の人のものも含め全て捨ててしまった。仕事用ならともかく、プライベートの関わりなど人生においてあまりに必要性を感じなかったからだ。恋愛なんて、私には縁の遠い話だと思っていた。
しかし、それは突然に、あまりにも突然に訪れすぎて。
それは、知らないアドレスからのメールだった。いや……知らないアドレスではなく、覚えていないアドレスというほうが正しい。彼からのものだ。向こうは私のアドレスを捨てていなかったのだろう。まずメールが来たことに一発驚かされたが、その内容を見て更にダブルパンチをくらってしまった。
内容は「貴女のことをいつも見ていた」こと、「ずっとお近づきになりたかった」こと、「文面でしか送れない臆病さを許してほしい」こと、
そして、「付き合ってほしい」ことだった。
愕然としたが、同時に疑問に思わざるを得なかった。あんなに彼女には困らなさそうな外見と性格をしている彼が、私にこんなメールを送ってくるなんて。送り間違えかとも思ったが、メールの文面には確実に私の名前が入っていた。
私に可愛げも、特徴も、興味を惹かれるポイントなんて何もない。自虐に捉えられるかもしれないが、これまでの周囲からの反応がその主張を裏付けていた。だのに、何故。彼も私と同じ研究職で、実は知らないところでネジが外れているのだろうか?
正直、バカバカしいと思った。
きっと彼と、私では釣り合わない。この告白をもらっても私は彼のことを意識し、好きにはなれないし、あまりにも『一般的な恋』を辿りすぎてどうあがいても私のストライクゾーンには飛び込んでこないだろう。そもそも私に恋愛のストライクゾーンというものが存在するのかどうかすらも未知数だが……。
だから私は、断ったのだ。断ったはずだった。文面としてはこうだ。
「ごめんなさい。私は貴方のことを全く知りませんし、知ったとしても、私は物好きなのできっと貴方とは釣りあわず、お互いに幸せにならないと思います」
様々な返答における対策を考えた。例えば
「知らないならこれから知っていけばいい」
と言われるかもしれない。或いは
「物好きでも構わない。僕が必ず幸せにする」
だとか。この手の人は「そうですか」で引かないような気がして、きっとなんらかアクションは起こしてくるんだろうなと、考えた。クソつまらない直球ばかり投げられるのは目に見えていた。それをことごとく打ち返してやろう。私は変化球でなければ落ちないぞ。
という心持ちでいた。だからまさか、
私の家に死体が送られてくるとはついぞ思わなかった。
思考が白く染まる。何が起こった? 何が起こっている?
理解する時間は遥か、その場でそれを見つめることしかできなかった。
考えてもみてほしい。郵送されてきた荷物を開けると、彼の死した体がまるごと入っていたら、皆はどういう反応をする? 私は警察を呼ぶより、恐怖で泣き叫ぶより、ただ理解ができず、立ち尽くすことを選んだのだ。
死体と共に、手紙が同封されていた。やっとの思いでそれを手に取ると、私には到底理解できない内容が広がっていた。
「貴女が”物”好きであることは理解しました。それなら僕や他の人の、いや、人間では不十分かもしれないですね。だとするならば、僕が”物”になれば貴女は好きになってくれますか?
僕は本気です。好きになってもらえるよう、精一杯のことはしようと思っていました。僕は貴女の笑顔が見たかった。僕はもう貴女の顔すら見ることができないけれど、それで貴女が今よりも笑顔になってくれるのなら、これほど幸せなことはありません」
バカなのかと思った。いや、バカよりも救いようがなく、普通に考えると限りなく大迷惑なことは考えなかったのだろうか。そもそも物好きという単語をそのように解釈することがあるだろうか? 要するに”物”しか愛することができない、と思われたらしい。その時点で頭がおかしいとしか思えないし、たとえそう解釈したとしてもこのような暴挙に出る人なんて世界のどこを探しても彼だけだろう。私が本気で嫌がっていれば、死体を押し付けられてこれほど地獄なことはない。手元に死体があるという事実だけで、私は警察にでもどこでもお世話になってしまうのかもしれない。
しかし、物好きな私は。
こんな特大級な変化球に、惹かれてしまったのだ。
それからは地獄のようで、天国のような生活だった。
探究心が強いのが取り柄であった。私は「死体の保存方法」について調べ尽くした。エンバーミング、それが道だと感じた。様々な手順があるが、研究の一環で獲得した知識や資材、コネクト(これに関しては絶望的に頼りないが)を駆使して成そうとした。決して易々と成せるものではなかったが、不可能ではない。周りからは、今までより更に気味の悪い目で見られるようになった。精神病院を勧められることもしばしばだ。だがそんなものはどうでもいい。私は今幸せだと思う方向に向かい生きる。それが私にできる全てだった。
詳細は省くが、私はそれを成し遂げることができた。彼を綺麗な死体のまま、維持できるまでに持って行けたのだ。あとは定期的なお世話をすることだけだが、それは造作もないことだ。
彼は、荷物の中に膨大な数の手紙を残していった。それは彼のこと、身の回りのこと、どんなものが好きなのか、嫌いなのか、趣味は、特技は、毎日何をして過ごすのか、他愛もない笑い話や、ムカついた話、そして私への想い、好きになった理由、私と今後どう過ごして行きたいか、など、様々な内容。
最初見たときは、はっきり言って気持ち悪いと思った。彼なりの「貴方のことを全く知らない」に対しての答えなのだろうが、これに関してもあまりにも変化球というか、根本がひん曲がりすぎていて直球ですら曲がって見えるような気持ちだった。
それでも、私はその手紙を一枚一枚、丁寧に読み進めていった。まるでもの言わぬ物の話をゆっくり聞くように、彼の生涯に耳を傾けた。それに対して、私も手紙で返事をした。彼の人生は終わっているのに、私と彼は会話をした。手紙はどこにも届けず、返答は同じ便箋へと入れて保管する。それで私達のお話は完結する。
どうしようもなく普通ではないやりとりだが、私はそれが愛おしくてたまらなかった。
そんなこんなで、それから1年の時が過ぎ、手紙も最後の一枚となった。
死人にくちなし。綺麗な死体は相変わらずものを言わない。しかし、私の彼の印象は「おしゃべりな人」になっていた。更に言うのなら、気づくと私は「彼」という人間自体に惹かれていた。有り体に言うと好きになってしまったのだ。一年も生活を共にし、こんなに多くの会話を交わしたのだから仕方がないのかもしれない、が。
私は彼が笑う姿や、一緒にどこかへ出かける姿、同じものを見て感動し、しょうもないことで笑顔になる。そんな姿に夢見てしまった。
彼も『物好き』だったのだ。元より分かっていたが、彼は私が好きなものが好きだった。私が興味のあることに興味があった。誰にでも明るく、八方美人に振る舞う姿は外面でしかなかったのだ。故に早くそれを知っていたら。もっと違う形の愛もあったのかもしれないと、そう思わざるを得なかった。
もちろん、それは既に叶わない。会話をしようと、文面で笑い合おうと、彼はもう死んでいる。あまりにも自分勝手だ。だって、
「貴方に私のことを、教える手段がないのだから」
私が前回の手紙の返答に書いた最後の一文には、何滴もの淡い染みが内包されていた。
「きっと、手順通り読んでいるのなら、これが最後の手紙になっているのだろう」
……。
「色々なことを話したけれど、満足してもらえたかな?」
……満足なんてするもんか。前提がおかしいのだから。
「僕が貴女と出会った時より、今が明るく笑顔になっているのなら、僕は嬉しい」
……私は嬉しくない。一人でいいことをしたような気分になるな。
「これが、最後の話。僕が貴女と最後にしたいこと。一番貴女と叶えたいこと」
……私が叶えたいことを置き去りにして、よくそんな意見を出そうと思えたものだ。
「僕は貴女が好きだ」
……私も、貴方が好きだ、バカ野郎が。
「貴女が今、同じ想いでいてくれているのなら」
……なんだよ。
「どうか、僕と結婚してほしい」
彼の顔を覗く。いつもより幾分か綺麗になった顔がそこにはあった。表情は既に動かない。薄い薄い笑みを浮かべたまま、あの時から変わらない。その顔は、私が愛してしまった男の顔だ。気持ち悪いくらいに整った顔立ちをしていて、人形と称してもあまり差し支えがないかもしれない。そんな顔が目の前にある。
神父が、言葉を投げかけ私に『誓い』を促す。旦那となる彼から行動はできない。私が動く他にないのであれば、それはしょうがない。
これは、私が彼に与えられる、最初で最後の『幸せ』だ。今まで与えられてきた分のお返しを、ここですると決めたのだから。
彼の頬に手を添える。頬は氷のように冷たく、触れ続けていたら、私の手が凍っていくか、彼の頬が崩れていくかのどちらかだろうとすら感じた。
そうして私は彼の唇へと、誓いのキスを交わす。
そのキスは、氷砂糖の味がした。
一話完結の短編です。急に降り立ったアイデアをサーっと練ってパーっと書いたらこうなりました。
専門職とかじゃないので穴は許してください。




