鉄火幻想(三十と一夜の短篇第32回)
おれは銀行の待ち合いで長椅子にふんぞり返り、ちびた鉛筆みたいな老人が両と角の二つの銀貨を率でつなげて、手数料を差っ引き、客に銀貨を返しているのを眺めていた。替えているのが自分の金なら、ケッ、いっちょ前にピンを跳ねやがって、てめえなんざ見てろと思うところだろうが、所詮は他人の金なので太平楽を決めていられる。
銀行の待ち合いに座って金持ちになれたタメシはきかないので、立ち上がり、ステッキをコツコツもったいぶって地面をつつきながら、外に出ると、夏の柳がゆらゆら影を落とすカンカン照りの掘割に沿って歩き、サンザン町行きの市電に乗った。市電のなかでは老若男女の区別なく、闘竜のことで持ちきりだった。
ここいら田舎の大町じゃあ、町はずれの牧場で催される闘竜くらいしか楽しみがないらしい。それも、竜のほとんどは大阪か東京での興行でくたびれ果てたジジイ竜ときているのだが、そんな竜でもここに来れば、見賃に五角は取れるだろうし、ひと月は町の噂になることができる。だが、東京から都落ちしてきたおれに言わせれば、そんなジジイ竜をジジイ連がおっかなびっくり突っつくのなんて見たいとも思わないね。
せめて焼酎の出来がいいとか、魚がうまいとかあればいいのだが、この田舎の大町ではろくな芋が育たないと見えて焼酎は生臭いし、魚はボラとサバばっかでうんざりしてくる。
うんざりついでにこんなシケた市電乗ってられるか、降りてやるとおれは車掌を呼びつけた。
「おい、車掌。ここで降りるぞ」
「次の駅で降りてくださいよ」
「馬鹿を言うな。これ以上、こんな市電に乗れるか」
「わたしはもう八年乗ってますけどね」
「なるほど。だからか」
「何がだからなんです?」
車掌の野郎、不機嫌そうに突っかかってきた。だから、おれもフンと鼻を鳴らして、
「言った通りの意味よ。おめえ、言葉ァ分かんねえのかよ?」
と、返してやったら、ますます不機嫌になりやがった。まあ、何を思うのかはやつの勝手だが、手でも出そうものなら、ポンコツ貨物船〈まるせいゆ丸〉の機関長の鼻っ柱にお見舞いしたせいで日本中の貨物船からお構い食らった、拳骨のでけえのをお見舞いしてやるつもりで、こちらも睨みつけたもんだから、車掌の奴輩、こんな野郎はとっとと降ろしたほうがよさそうだと思ったのだろう、市電を止めさせたので、おれは降りたいときはいつでも降りる権利がおれにはあるんだと根性据えて、市電を下りた。
さて、ここはどこだ? 掘割から離れて、しょっぱい町屋の並ぶ道に立つことになったが、サンザン町に行くには市電のレールを歩けばいいんだろうか? たまたま通りがかった丁稚小僧を捕まえて、このレールはサンザン町につながっているかとたずねると、小僧は驚愕の事実をおれに教えた。
「このレールはサンザシ町につながってるよ」
「なに? おい、小僧。おめえ、ここに住んでるんだろうが。それなのにてめえの町の居場所も分からねえか。このレールはな、間違いなくサンザン町につながってるんだ。なにせ、おれはそのサンザン町行きの市電から降りたばかりなのだからな」
「あの市電はサンザシ町行きの市電だよ」
「なに! ちきしょう。車掌の奴め、このおれをたばかったな。そばにいれば、首っ玉をぎゅうっとねじってやるんだが、惜しいものだ。しかし、なんと間の抜けた市電のあったものか。サンザンとサンザシを間違えて走るとはなあ」
「おいら、もう行ってもいいかい?」
「やい、小僧。サンザン町はどっちだ?」
「来た道を戻れば、着くよ」
「なんてこった。おれは目的地から遠ざかるために車賃を払ってたってことか。ったく、ひでえ町だな。ここは」
「ここはヒデリ町だよ」
「ヒデエでもヒデリでも知ったことか。しょうがねえ。歩くか。そうとも。人間、おぎゃあと生まれて二本の足がついてるのは歩くためだ。市電なんかに乗って楽するためじゃあねえ。おい、小僧。よくきいとけ。快傑男児は歩くものだ。市電なんてババア芸者のためにとっときゃいいのだ」
着た道を戻り、例のバンクの前まで戻ってきた。
たぶん、あのちびた鉛筆みたいなじいさんはせっせと細かい紙幣を数えていることだろう。まったく、この銀行は駄目だ。二階建ての土蔵造りの両替屋風情が気取って、いっちょまえにバンクと名乗りやがるのだが、そこには田舎の見栄とつまらなさがぎっしり詰まって、ミシミシ音が鳴っているようだ。懐中にブローニングを隠したピストル強盗の一人でも押し込めば、ちったあ気合いも入るかもしれんが、でなきゃ退屈で死んじまう。
とはいえ、こんな田舎のバンクでも油断はならない。どこぞの宗匠が持ち込んだ柿釉の茶碗からぬるぬると裸体の女が現れて、その艶めかしいうなじを担保に千金の融資を得たというスケベエな例もある。そういうスケベエでいいかげんな金貸しほど田舎に多い。金庫にならんだ茶碗の数々から、まるでお空の天女さまのようにきれいな女たちが一糸まとわず小さな茶碗に片足つっこんで、鶴のように立っている姿はやや倒錯のきらい無きにしも非ずだが、いずれは政府の絞り取り政策の余波を食らって、税吏に踏み込まれ、女たちも国庫の御厄介になり、戦艦の装甲でも買うために英国あたりに売り飛ばされるのが関の山。茶器に宿る神秘の仙女たちも毛唐の青い目を楽しませるだけとなるのは、お国の損だが、政治家というのは国家万民に損をさせることについては敵うものなしの輩だから、このような世では審美眼の育成も難しいときている。そして、市電の車掌だの、丁稚小僧だの、ちびた鉛筆のジジイだの下らんやつがのさばるのだ。
ああ、憂国の士は悲しむものなり。自由民権壮士節、出刃でズブリと文部大臣決め込み、明日の命は明日咲かす。そんな漢気をくたあっとさせるものがこの田舎の大町にはあふれているときている。おれのような筋通りのハバカリモノなど、もうこの町の鈍い空気に当てられて、すぐにも出ていきたいが、あいつの家を見るまでは帰れない。おれがこんな田舎くんだりまで、あいつの最後を見に来たからなのだ。
サンザン町は稲荷神社のまわりに茅葺き屋の寄り集まる、しなびた乾瓢ほどの覇気もない町で、あいつが本当にこんな町で死んだとは信じられないくらいだった。いや、信じたくなかったのかも知れねえ。
さて、あいつの家へ案内するというシゲヤスなる老巡査と稲荷で会うが、これが煙草の口付を葉が零れ落ちるほど、くちゃくちゃ噛む野郎でおれはその拙い喫み方を見たくもねえけど、なにせサンザン町ってのはどこもかしこも横丁だらけで似たような茅葺きが並んでいるから、土地勘のある田舎者がいねえとてんで道が分からねえきている。
仕方がねえので、ジジイに声をかけると、シゲヤスじいさんはひょろっとした体を大きすぎるポリスの服のなかでスカスカともてあましながら、鷹揚な口調でおれに話しかけてきた。
「あんたが、バツバツさんかね?」
「へい、バツバツでがす」
「お虎さんの家を見たいとか」
「へい。古い知り合いなんでさ」
「新聞記者とは違うんかね?」
「あっしがブン屋に見えますかい」
おれが凄むと、巡査は首をふった。
「ブン屋にしては上品すぎるな。お虎とはどんな知り合いだったか?」
てめえの知ったことかと思ったが、大人しくこたえてやることにする。
「道場の同じ門下のもんだったんで。道場といっても町人や百姓に棒の振り方を教えるようなちんけな代物で、門下というよりは雇われの用心棒でござんした」
「なに? 剣術道場が用心棒。奇怪な話もあるもんだ」
「東京には東京の剣の道がありやして」
「殊勝に剣をふるようには見えんがね」
「まあ、あっしは途中で不品行だと言われて、刺される後ろ指を片っ端から木刀で叩き割りながら、道場を飛び出したんで」
「粗忽者じゃな」
なにぬかしやがる、このジジイ。よっぽどとっちめてやりたくなったが、人間、たまには辛抱もしないと性根が弱っちまうので、ぐっとこらえた。
おれとジジイ巡査は稲荷お宮の裏手にある横丁をテクテク歩いた。
境内の老松の陰にすっかり隠れてしまいそうな狭っこい町で粗末な草ぶき屋根が軒を並べている。〈理髪〉と染め抜いた浅黄木綿の旗がそよとも吹かない真夏の空気にだらりと垂れ、肝心の床屋はどうも本業より儲かるのか活動俳優の浮世絵ばかり売っている。その隣は青い刻みの一号包みを積み上げた美人煙草屋だが、肝心の美人がいないババアの詐欺商売、そのくせ〈掛売御断〉とは人を食ってる。隣は剣客崩れの帽子屋で四十を越えたらしい大男の髷を捨てない不器用な侍がどこで覚えたのかパナマを編んでいる。蛇の道は蛇ということで剣つながりであいつのことも見知っているだろうと思って、きいてみようと思ったが、アホウなことだとやめにした。おれは人の口からあいつを知りたいのではないのだ。それをパナマ編みの浪人の口からきいたんでは、なんのために北九州くんだりまで来たのか分かんねえじゃあねえか。
「巡査の旦那。あいつの家はどこにあるんで?」
「もうすぐだ」
同じこたえを十度きいたら、制服もへちまもねえ、締め上げてやると思っていた九度目の正直、おれはついにとうとうあいつの家に着いた。
一間幅の通り抜けの土間があり、その途中に井戸のある小さな家だ。女小天狗の異名を取ったあいつがずいぶんと静かな場所を死に場所に選んだものだとおれは得も言われぬ気分になった。だが、よく見れば、上り框にざっくりと残った太刀の疵があり、障子が取っ払われたのは斬り合いで全て駄目にしたからと見える。血だまりや返り血が跳ねた壁には石灰が分厚くこすりつけられていて、その跡を追って、一歩また一歩と踏み入るなり、おれの目の前にかあっとあいつの姿が甦った。撃剣興行の女主人公のように結い髪を乱獅子のごとくふりまわし、土地の地回りを斬りなぐり、両断し、トドメをぶち込む姿が誉れ傷だらけの家を通して、ありありと甦った。
鯛正十一年、紫陽花も立ち枯れた七月の嵐、女剣士お虎はサンザン町の横丁をことごとく手下にせんとするやくざ者都竹一家と剣を切り結ぶ。お虎、白い紙でその美髪を結い上げ、鎖帷子にたすきをかけ、外道を蹴殺すこともあろうと鎖編みを敷いた足袋をしっかり履き、裁付袴に革の亜米利加ゲートル、白い鉢金をキリリと結んだその姿は巴御前が、水まんじゅうをこちょこちょ食う生娘に見えるほどの武者ぶりだ。外道どももあいつを見たならば、こんな女剣士なら一度斬られて死んでみたいと思ったことは必至。その腰をぎゅうっとしめる兵児帯には師より譲られた大伊豆と小伊豆の二刀が心もち、内に引き寄せて差してある。卑劣な外道都竹一家三十人は通り抜けの土間の両方と家の裏手の板張りを蹴破って、三方向から住人ずつ膾にしてやろうと襲いかかるだろうが、女小天狗の名は伊達ではない。抜き様の大伊豆が柱を無きがごとくに切り抜けて、たちまち首が跳ね飛ぶ。次の一太刀は鴨居をぶった切った勢いもそのままに賊の頭を叩き割り、下手な都都逸こねる暇なく、ヤクザの骸が折り重なるころには、あいつは返り血を全身に浴びて、鬼神の女房ここにありといったご面相。家に残った切り込み疵であいつの一太刀一太刀が妖怪和尚の説法みたいに利きながら、甦りやがる。畳も剥げる擦れ跡が足の運びを教えてくれら。ジジイ巡査は不思議顔。この芝居は見えるやつにしか見えねえのだ。
しかし、どんな義理があったか知らんが、三十人のヤクザを相手に一人で切り結ぶのだから、あいつの気性は日本はおろか世界のどこにいっても矯正されえるものではないのだと改めて思い知った。敵も最後の親玉は都竹親分一人となるも、懐中から取り出したブローニングがズダーン。あいつは弾丸が心臓にめり込み血を吐きながらも、小伊豆の脇差を引っこ抜き、逃げる都竹の背に投げて、柱に串刺し縫いつけて、大伊豆で殴り斬るってんだから、極まってる。
親玉斬って見栄切った直後に柝頭がチョーン。
散華繚乱。
おれは黙って頭を下げた。