第六話‐②
「わぁ…。」
今まで見てきたピネーの建物と違い、長がいる建物は縦にも横にも大きく、『館』と呼ぶに相応しい。
想像以上にシンプルな構造の木造の建物ではあるが、所々に不思議な色の石がぶら下がっていたり、玄関へと続いていく石畳の道に所々見た事のない文字が彫られていたりと…スピリチュアルな印象が強い。
他とは違う…それがハッキリと分かる建物だ。
そんな中、私と同じ様に館を見上げていたリリィが口を開いた。
「凄い数のまじないね。ここから見るだけでも三十程あるわ。」
「まじない?」
「そうよ。あのぶら下がっている石達も、道に彫られた文字も全部まじない。効果としては、誰か来たら知らせるものや侵入者が入らない様にするもの、壁や屋根を強化するもの、侵入者に対して攻撃するもの……警戒心高過ぎでしょっていう位まじないが施されているわ。」
「俺達の一番偉い人だからな。これ位普通さ。」
「普通、ねぇ……。只でさえ外部からここに入る事は容易ではないのに、それでも侵入者を警戒しているのは…本当に普通な事なのかしらね。」
「あ…確かに……。」
詳しい話はまだ聞いてはいないけれど、このピネーに辿り着くにはかなり手間が掛かるのは私達が体験しているから分かる。
あの不思議な森を抜けて、川を上り、陸に出たかと思えば険しい岩山を登る……その先にやっと、ピネーがあるのだ。知らない人が容易に入るのは難しいだろう。
その上、この長がいるという建物はピネーの奥の更に奥にある建物。周りも森の様に木々で囲まれているから外から丸見えという状態ではない。…リリィの言う通り、侵入者に警戒するというには些かやり過ぎなんじゃないかと思うレベルだ。
リリィの発言に聞いていたジークは「へぇ」と今まで見せていた笑みとは違い、もっと含みのある笑みを浮かべると静かに私達…いや、リリィを見つめた。
「流石は魔術師殿。見ただけで何のまじないか当てただけじゃなく、そこまで分かるか。」
「ここまであからさまにやっているんですもの。魔術師なら誰だって分かるわよ。」
「成程。いやはや、見くびってたな。…いや、そういう事を言うならクロトもかな?」
「え?」
リリィに向けられていた視線が今度はクロトに向けられる。視線に気付いているのか、はたまた気付いていないのかクロトは顔色一つ変えずにいるとジークは意図の読めない笑みを再び浮かべた。
「ここに来てから…いや、ここに来る道中もそうだったな。俺と一定の距離を取りながら、すぐにマツリを守れる位置にいる。いつもと変わらずに装っている様だが針の穴を通す糸の様に細く、それでいて罠を仕掛けた糸の様に獲物が来るのを待っている…そんな警戒心を俺に張っている。」
「………。」
「そんな事、素人には出来ないな。…クロト、お前何者だよ。」
ピリッとした空気が私達とジークの間に流れる。いや、流れるというより張り詰めた、と言ってもいいかもしれない。それだけ空気が鋭く、上手く呼吸が取れない程の緊張感が漂っている。
声音も表情も変わらないのに…言葉だけでジークからは冷たい何かを感じる。いや、ジークだけじゃない。ジークと対面するクロトも隣に立ち険しい表情を浮かべているリリィからも…ジークに警戒しているのが伝わってくる。
慣れない環境、世界ではあるけれど……こういう雰囲気の方がもっと慣れない。どうしたらいいか分からないし、戸惑う。戸惑って、緊張して…手が震える。
何か言いたいのに何も言えない。…この状況、どうしたら……。
「兄さん…!」
バタン、と扉が開くと共に少女の声がした。反射的に視線を声のした方に向けるとそこにはジークと同じ髪色をした少女が立っていた。
少女の存在に気付いたのかジークは振り返ると先程の意図の読めない笑みではなく、普通に笑みを浮かべた。
「シフォン。」
「遅かったね。また寄り道していたのでしょう?…すみません、皆様。兄がご迷惑お掛けしなかったですか?」
「い、いえいえ。そんな事は…、」
背筋を伸ばし丁寧に頭を下げる少女に私は首を振った。丁寧な言葉遣いといい、柔らかな雰囲気といい……本当にジークの妹なのかと疑う位、性格が正反対だ。
「三人共、改めて紹介させてくれ。妹のシフォンだ。」
「シフォンです。…先程は大変、お見苦しい所を御見せしてしまい申し訳ありません。」
「お見苦しい所?……あぁ、」
そういえば出会い頭、妹さ…シフォンさんの凄い力でジークとリリィは吹っ飛ばされたんだっけ。確かあの時ジークの事を馬鹿呼ばわりしていたのを覚えている。
でもこんなに礼儀正しいし、ジークの今までの行動や性格を見るとこの子が悪い事をした様に見えないんだよね……。
「何か理由があってあんな事をしたんでしょう?」
「え?あ、えっと……その、」
「確かにそうね。私もあの時は理不尽に怒っちゃったけど、どう考えてもこの子が悪い様に見えない。全部アレのせいに思えるわ。」
「アレって酷い言い方だな。」
リリィの棘のある発言にもジークは笑みを浮かべている。悪びれてもいないジークを他所に私とリリィはシフォンさんに何があって、あんな事をしたのか再度尋ねると…シフォンさんは恥ずかし気に応えてくれた。
「兄は二週間程家を空けていたのですが…その、私に黙って出ていっちゃって……置手紙もないし、不安で怖くて……けど谷の皆が「勇者を迎えにいった」と教えてくれて、それで家出じゃないと分かって安心はしたのですが……その、家族には一言教えてくれても良かったんじゃないかと怒っちゃって……。」
「「有罪。」」
「手厳しい判決だな。」
「当たり前でしょ!!妹の事大事だなんだって言っていたのに何も言わずに外に出ていたなんて…そりゃ心配するし、怒るよ!」
「しかも家族じゃない赤の他人には言って家族には言わないで出ていくなんて…あり得ない。よし、私も協力してやるから、もう一度魔法を当ててやりましょ。死刑執行。」
「え?え?」
「女ってなんで手を組むとこんなに厄介なんだ……。なぁ、クロト。ここは同性として助けてくれ。死刑執行される。」
「…自業自得だな。」
「俺、味方ナシかよ~。」
「「当然!!」」
「あ、あの!」
私達のやり取りにシフォンさんは大きな声を張り上げる。大きな声に私達は動きを止めるとシフォンさんは「ゴホン」と大袈裟に咳払いをしてから口を開いた。
「そ、そろそろ長の所へ。中で待っていますので…どうぞ、お入り下さい。」
シフォンさんに促され私達は長がいる建物の中へと入る事になった。石畳の道を進み、開けられた玄関の扉から中に入る。
中に入ると外観と同じ木目調の壁や床が広がっている。けれどそれ以上に目が向けられたのは飾られた装飾品の数だった。
壁や床、そして天井にまで至る所に数多くの装飾品が飾られている。見ている分には綺麗でスピリチュアルな感じだけれど……数の多さに少し不気味さも感じる。
「こ、これも『まじない』ってやつ?」
「そうね。でも流石にこれはやり過ぎだわ…。」
リリィに耳打ちするとリリィは呆れる様にして応える。魔術師であるリリィから見ても、ここでの光景は異常なのだろう。
建物の中を進んでいくと突き当りの扉の前で案内をしていたシフォンさんの足が止まった。
「この扉の向こうに長がおられます。どうぞ、お入りください。」
一際目立つ装飾品が飾られた扉をシフォンさんは躊躇わずに開ける。この先にピネーで一番偉い人がいる、そう考えると少しばかり緊張してしまう。
…が、ここまで来た以上、入らない訳にはいかない。
「し、失礼します。」
隣にいるリリィと共に私は長のいる扉の向こうに足を踏み入れた。
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足を踏み入れた先に広がっていたのは、先程まで見ていた装飾品まみれと違い…シンプルなものだった。
木目調の壁や床には飾られる物もなければ置いている物もない。あるとすれば立てられた灯りと部屋の奥にある祭壇らしきもの。
そしてその前に座る、一人の年老いた耳の長いエルフだけ…。
「よく、おいでなさった。勇者とその同行者達よ…。」
「あ、貴方が長の…?」
「如何にも。某がこのピネーの長である『パヌ』じゃ。よくぞ我等が風の谷においでなさった。さぁ、立ち話もなんじゃ。座られよ。」
枝の様に細く、皺まみれの手で座る様に言ってきた長…パヌさんに私達はその場に腰を下ろした。シフォンさんとジークは私達とは違い、パヌさんの両隣りまで移動するとそこに腰を下ろした。
「さてまずはお主等の名を聞いてもよいかの。」
「あ、マツリです。花笠マツリ。」
「私はリリィよ。リーアナ・リリス・アプコリィ。」
「……クロトだ。」
「マツリにリリィにクロト。…ふむ、覚えたぞ。改めて、よくぞ我らが谷におでなさった。シフォン、そしてジークよ。よくぞ勇者をここまで連れてきてもらった。大義であったぞ。」
「パヌ爺様。私は何もしておりません。お褒めになるのなら兄であるジークにしてやって下さい。」
「俺だって何もしてないぜ?迎えに行くって言ったけど、マツリ達は人払いの森を抜けてやって来たからな。あそこまで来られたら誰だって案内出来るさ。」
「人払いの森を…自力で抜けてきたんですか…!?」
ジークの話にシフォンさんは目を大きく開けて驚く。森を抜けてジークに遭った事がそんなに驚く事なのだろうか……。
「ちょくちょく話には出ていたけれど…その人払いの森って…?」
「そういえば詳しくは話してなかったか。マツリ達が俺に出会う前に通ってきた森の事だ。あそこには侵入者が容易に入ってこない様にまじないがしてあるんだ。」
「森に入ってもすぐに通り過ぎて、また同じ場所を歩かされる…そういったまじないをしてあるんですよ。」
ジークの説明に付け加える様にして応えるシフォンさん。二人の説明に私は思わず隣に座るリリィに視線を向けるとリリィも私に視線を向けていた。
「だから中々ピネーに辿り着けなかったんだ…。」
「おかしいと思ったのよね…でもこれで、なんで辿り着けないのか理解出来たわ。」
地図で見ても、目印の渓谷を目指しても中々辿り着けなかった事も苦労しながら野宿したのも…全部森に施されたまじないのせい……。
私達は知らず知らずにまじないによって何度も同じ場所を通らされてはピネーへ続く道を通り過ぎていたという事ね……あぁ、なんか一気に疲労感が……。
「あそこを通り抜けて正しい道を通るには、正しい道順を通らないとダメなんだ。それを知ってるのはこの谷に住むエルフのみ……。」
「だから自力で抜けてきたと聞いた時は大変驚きました。一体どうやって人払いの森を抜けてきたのですか!?」
「それは…、」
「そんなの決まってるじゃない。マツリの勇者の力よ!!」
「リリィ!?」
夢で見た、なんて言える訳ないと思った矢先、隣に座るリリィが堂々と宣言した。な、何勝手に変な事を言ってんの!?
「ちょ、ちょっとリリィ!勝手な事を言わないでよ…!」
「事実でしょ?マツリが見た夢の通りに進んだら森を抜けれた訳だし、私やクロトはそんな夢見ていないし。これを勇者の力と言わず何というのよ。」
「そ、それは…偶然でしょ。夢を見たのも…、」
「偶然で見た夢の内容が現実と全く同じ光景、全く同じ内容なんてあり得ないわ。マツリが見た夢は偶然じゃなくて必然。私達が風の遺跡に辿り着く為に見せられた運命なの。ほら、見てみない。幼気な少女のあの、尊敬な眼差し…。」
「え、」
リリィに促され私は幼気な少女と例えられたシフォンさんに視線を向ける。リリィの言葉をすっかり信じ込んでいるのか目をキラキラと輝かせて私を見つめている。あまりにも熱い視線に一瞬身体が固まってしまった。
「勇者を羨望しているわ。あんな純真で幼気な少女に今更「勇者の力じゃないわ!偶然です!」なんて言える?言える訳ないわよね。私だったらもう、言えない。」
「リリィ…!」
「まぁ、いいじゃない。勇者の力がどうであれ、マツリのおかげで人払いの森を抜けれたのは事実な訳だし。」
「そ、それはそうだけど…。」
なんだか上手く言いくるめられた気がして納得いかないのは私だけだろうか……。複雑…。
そう思っていると祭壇の前にいたパヌさんは長い髭から見える口端を上げては身体を揺らして笑い始めた。
「ホッホッホッ。いやはや…勇者は仲間とすっかり打ち解けている様子。仲が良い事は良い事じゃ。」
「あ…す、すみません。話を折っちゃって……。」
「構わん、構わん。さて…勇者よ。勇者がこのピネーに来た理由は我等が代々守ってきた『風の遺跡』に眠る力を求めに来たのだろう?」
「は、はい。そ、その予定、です。」
『風の遺跡』…このピネーにある遺跡で、勇者が召喚された事により遺跡に眠っていた魔王を封じる為の力がそこにある…とリリィは言っていた。
遺跡という場所も勿論だけど、魔王を封じる為の力とは何か、どう使うか……詳しい事は全く分からない。未知の領域だ。
「遺跡はピネーがあるこの山から吊り橋の先にある。道中森があるが深くはない。その最奥に『風の遺跡』がある。道筋は一本道じゃが魔物もおれば霧も出る事もある。ここは案内人としてジークとシフォンを連れていこう。二人共、勇者をしっかりと遺跡までお連れする様に。」
「「かしこまりました。」」
パヌさんの言葉にジークとシフォンさんが共に頭を下げる。どうやら『風の遺跡』まで二人が案内してくれる…らしい。それは助かるし、良いのだけれど……吊り橋を渡るという事は、私が気分を悪くした道を通るという事だよね。
気分が悪くなったのが道のせいでも、吊り橋のせいでも、遺跡のせいでもない筈なのに…なんでこんなに不安な気持ちになるんだろう。
行きたくない、という訳でもないのに……。
「マツリ?大丈夫?」
「え、な、なんで?」
「顔色が悪い。…初の勇者としての務めで緊張してるかもしれないけど、私もクロトもいるんだから大丈夫よ。ね?」
「リリィ…。」
隣に座るリリィは優しく笑みを浮かべると私の手をそっと握ってくれた。私が不安を抱いている理由がリリィの思っている事と少し違うけれど…励ましてくれているのは分かる。私はリリィの言葉に首を縦に振って頷いた。
そう、大丈夫。リリィもいる。クロトもいる。案内人だけどジークとシフォンもいる。…だから、全部上手くいく。大丈夫。…大丈夫な筈だ。
「さてはて…『風の遺跡』までの道は案内人がおるから一安心じゃが…行くのは明日になさい。今日はもう日が暮れる。今日は休み、英気を養ってから出立なさい。」
「それは…有難いかも。野宿三連続している身としては休みたかったし、お風呂に入りたい…。」
「でも見た感じ、宿がある様に見えなかったけど……。」
「まぁ、外界から来る奴等はいないし、ここにいる奴等も持ち家があるからな。宿なんて必要ないから、存在してないぜ。」
「じゃ、じゃあどこで休めば…?まさか……野宿…?」
流石に四連続は身体的にも精神的にも死ぬかも…。絶望感が襲う中、シフォンさんが慌てて話に入ってきた。
「そ、そんな事勇者様にさせる訳にはいきませんよ!ね、兄さん。」
「あぁ。…という訳で、お前達全員俺達の家に来い。盛大にもてなすぜ。」
「「え…。」」
ジークの提案に思わず私とリリィの声が被る。私達の反応にジークは笑みを浮かべながらも「なんだよ」と呟いた。
「俺の家が嫌だってか?」
「そ、そんな事はないよ。ただ…ねぇ?」
「妹は信用出来るけど、アンタは信用出来ない。」
「手厳しい女性陣達だ。でも野宿よりマシだろ?」
「そ、それはそうだけど……。」
「なら、いいじゃないか。布団も人数分あるし、風呂も広い。何よりシフォンの作る料理は絶品なんだ。その辺の宿屋よりは過ごしやすい筈だぜ。ま、その辺の宿屋がどういうものか知らないけどな!」
「も、もう…兄さん…!」
ハハハと笑うジークに隣で恥ずかしそうに顔を赤くするシフォンさん。二人の対極的な反応に私はどう反応していいか分からず、隣にいるリリィに視線を向けた。
「こう言ってくれてるし、い、いいかな?」
「まぁ、野宿よりマシでしょ。少なくとも妹はアレよりはマシよ。」
ジークの事をアレ呼ばわりしながら睨みつけるリリィ。余程ジークの事を信用していないみたいだ。ま、まぁ分からない事もないけれど……。
「クロトもいいかな?」
「…あぁ。」
私の後ろにいたクロトに問いかけるとクロトは小さく頷きながら返事をした。二人の返事を聞いた私はジークとシフォンさんに向き直る。
「じゃ、じゃあ…御言葉に甘えて、お世話になります。」
「こ、こちらこそ!よろしくお願いします…!」
「楽しい夜にしようぜ。勇者御一行殿。」