第五話‐③
「ジーク……。…ピネー…!?」
男性…ジークさんが出した言葉に私は思わず口に出してしまう。何せジークさんが言った『ピネー』という場所は私達が目指していた場所で……それがここにある、らしい。
でも確かリリィがピネーは山が連なる渓谷にあるって言っていて……私達が歩いていた場所はその渓谷より遥かに遠く離れていた場所だった筈だ。なのに森に入っただけで目的地である場所についてしまった。
でも、それだとおかしい。あんなに離れていた場所に森に入って少しでついてしまうなんて距離間がおかしい。…一体どういう事なの?
「本当に君は顔に出やすいな。訳が分からないと言いたげな顔だ。」
「…すみませんね。本当に訳が分からないものですから。」
「いやいや、悪口を言ったつもりではないんだ。むしろ表情を出せるのは感情豊かな証拠だ。俺としては好印象。つまり、褒め言葉だ。だが気に障ったのなら謝る。悪かった。」
「は、はぁ…。」
「そちらにいるお嬢さんも中々の顔だ。だが、君程じゃないな。感情が読みにくい。余程修羅場を乗り越えてきたと見える。」
「それはどうも。修羅場とかは置いておいて、単に知らない男に警戒してるだけだから。むしろ普通の反応だと思いますけどー?」
「全く持ってその通りだ。正常な反応だと俺も思う。だが、俺は君達に危害を加えるつもりはない。その警戒心を少し解いてくれると有難い。」
「…さっきマツリに攻撃してきておいて何を今更……。」
「だから、それは勇者の力量を測る為だと言ったじゃないか。これ以上は何もしない。むしろ君達の味方だ。だから……そろそろ君も剣を下ろしてもらえないか。」
「………。」
私とリリィに向けていた視線を今度は剣を構えるクロトに向ける。苦笑しながら話すジークさんにクロトは返事をする事もなければ反応もせず、静かに剣を構え続ける。そんな姿にジークさんは小さく溜め息をついた。
「警戒するのは分かるが、こんな所で争っても仕方ないだろう。それに…ピネーに行きたいんだろ?案内人を倒したらピネーに行けなくなるぜ?」
「………。」
「クロト。ここはジークさんの言う通りにしよう。」
「だが…、」
「クロト…マツリの言う通りにしましょ。勇者について色々知ってるみたいだし、ピネーに連れていってくれるみたいだし。何かあったら攻撃していいから。」
「おいおい、最後酷いな。」
「………ハァ、」
リリィの最後の言葉にジークさんが苦笑する中、クロトは諦めた様に小さく溜め息をつくと、構えていた剣を下ろし自身の腰にある鞘に戻した。
「それで?ここからどうやってピネーに行くのかしら?案内人さん。」
「お、いいな、それ。語感がいい。…ここは渓谷の中腹部。ピネーは更に川を上った先…渓谷の最奥部付近にある。」
「川を上った先……。」
「あぁ。だからここから徒歩では行けない。だから……アレを使う。」
ジークさんの言った『アレ』は先にある川にあった。川にあると言っても陸と接地していて、流されない様に先端から伸びる紐で陸地にある木に結ばれている。
人一人分の幅で細長い形をした木製の……舟だ。
何の変哲もない普通の小さな舟に私以上に隣にいたリリィが怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「…大丈夫なの?アレ…。」
「舐めて貰っちゃ困るな。見た目はショボいが俺達ピネーの民が作った特注品だ。まじないもしてるし余程の災害が来ない限り壊れない。ほら、舟下を見てみな。」
「?」
ジークに言われ私は舟下に視線を向ける。川の水に浸かっていて分かりにくいけれど……何か模様みたいなものが舟下に描かれているのが分かった。
「模様みたいなものが見えるだろ?それがまじないってやつさ。舟が壊れない様に強化してくれている上に推進力を上げてくれる。そのおかげで波に逆らって進む事も出来るんだ。」
「へぇ……そんな事が出来るんだ…。」
「まじない位私だって出来るわよ!フンっ!」
「え、何怒ってるの?」
「別に~。ただ自慢げに言うエルフが気に食わないだけよ。あんな事、私みたいな超絶天才美少女魔術師の手に掛かれば、お茶の子さいさいなんだから……!」
「何をブツブツ言ってるか分からないが……まぁ、いい。さぁ、乗ってくれ。短い時間だが、優雅なピネーまでの船旅が始まるぜ。」
意気揚々と言うジークさんに私とリリィは若干壊れないか不安になりながらも小さな舟に乗り込んだ。クロトも私達が乗り込んだのを確認すると自分も乗り込んで、最後尾に腰を下ろした。
「さぁ、出発だ。」
木に縛ってあった紐をジークさんは慣れた手つきで解くと、舟の後方には乗り込み、同じく後方にあるパドルらしき木製の長い棒を手に持って動かし始めた。
さっきまでいた陸地から舟が離れ、ゆっくりと舟が川の上を動き始めた。
●●●
川を舟で遡る。水の流れる音、パドルで舟を漕ぐ音、時折吹く風の音、それによって陸地にある木々が揺れる音、鳥の鳴き声……自然豊かな音に一瞬、勇者として向かっている事を忘れてしまいそうになる。
それだけ穏やかで、緩やかな時間と空間だ。
「えっと…ジークさん。」
「ジークでいいぜ。どうした?」
「あ、じゃあ…ジーク。もう舟を出して結構時間経ってると思うけど……ピネーにはまだ掛かる?」
「いや、そんなに掛からない。むしろもうすぐ着くぞ。」
「本当に~?短い時間だとか言ってたのにまだ着かないじゃない。エルフの時間感覚おかしいんじゃないの?」
「リリィ、失礼だよ…!」
私より前に座るリリィが悪態をつくと最後尾で立ちながら舟を漕ぐエルフ、ジークは「ハハハ」と笑った。
「確かに、人とエルフでは時間間隔は違うかもしれないな。何せ俺達エルフは外界に殆ど出ない種族だからな。外の奴等との時間の取り方は違うかもしれない。」
「外界…?」
「あぁ。まぁ、簡単に言えば君達のいる地域の事だ。あ、そういえばまだ名前を聞いてなかったな。聞いてもいいか?」
「不審者に教える名前なんてありませ~ん。」
「リリィ!…ごめんなさい。私はマツリ。こっちの子がリリィで、ジークの前に座ってるのがクロトだよ。」
「マツリにリリィにクロト……。うん、君達らしい名前だな。教えてくれて、ありがとな。マツリ。」
嬉しそうに笑みを浮かべるジーク。最初は矢で攻撃してきたし、勇者の事も話してもいないのに知ってるし……リリィよりあからさまに警戒はしていないけれど、少し不安がある。
けど同時に嘘をついている様にも見えない…気がする。もしかしたら嘘を隠すのが上手いだけで私が騙されているかもしれないけど……。
「さっきの外界とかの話だけど……本当にエルフって他所から来た人と関わろうとしないの?」
「あぁ。その辺の事情は色々あるが……昔から他所の者とは関わらない。自分達の事は自分達でする…これが谷の掟の一つだ。」
「けど、その外に出る為の舟も道もあるじゃない。」
「勿論。自分達だけで生活するには限界があるからな。外界へ買い出しに行く時に使われる事もある。後は……王都へ行く時だな。」
「王都…。」
「あぁ。隣の大陸にある大きな城が目印の大きな都さ。一応俺達も女王に許可を得て生活しているからな。半年に一度、定例会議に招集される。その時にもこれを使う。」
「女王の許可…?」
「この大陸に住む以上、王都にいる女王に許可を貰えないと村や町等で商売や生活は出来ないの。税金問題とかもあるしね。」
リリィの言葉に私は「成程…」と頷いた。『王都』『女王』という言葉は以前マルサがいる占いの館で聞いた事がある。つまり…私の世界でいう日本のお偉いさん的な感じかな。総理大臣…いや、皇族なのかな?
「…ん?じゃあ女王から許可を貰えなかったらどうなるの?」
「え?さぁ……私も知らないわよ。」
「俺は風の噂で聞いた事があるぜ。なんでも王都の条例違反や基準に満たされない場合は注意、警告…それでもダメな場合は強制的に攻撃される。」
「…はい?」
強制的に攻撃って……。また物騒な話だ。……冗談だよね?
「ま、あくまで風の噂だ。少なくとも俺の知る限り、どこかの街や村が女王から攻撃されたとは聞いた事がない。だからそんな不安そうな顔をするな。」
「そ、それならいいんだけど……。」
「………。」
また顔に出ていたのか、ジークに察しられた私は行き場のない視線を舟の外に向けた。その時一瞬クロトの顔が見えたけど……気のせいか少し強張って見えた。
「それはそうと、私も気になる事があるんだけど質問いいかしら?」
「不審者でも応えられるのなら喜んで。」
「じゃあ応えてもらうわよ、不審者エルフ。…なんでマツリの事知ってたの?マツリが勇者だって事も何故分かったの?」
「!」
リリィの言葉に私は外に向けていた視線をすぐにリリィに戻した。訴える様な、疑う様な目でリリィは舟を漕ぐジークに向けていた。それに対してジークは怖がりもしなければ憶する事もなく、口端を上げながら口を開いた。
「分かるさ。だって普通の人と違うからな。」
「は?」
「ま、俺は占い師でもなければ祈祷師でもないからな。特別な事は分からないし、詳しい事も分からん。けど…何となくだけど分かるんだよ。マツリから漂う魔力が人と違うってな。」
「私から漂う魔力…?」
ジークの言葉に思わず自身の身体を見てしまった。当然何も変わった所はないけれど……。どういう意味なんだろうか……私はジークの続きの言葉を待った。
「俺達エルフには人にはない、特殊な能力というものがある。それがどんなものか知っているか?」
「えっと確か……、」
「『共鳴』でしょ?離れたエルフ同士なら交信できるっていうやつ。」
「そうだ。それも大気に流れる魔力を使って行われる。つまり俺達エルフは魔力の扱いに慣れてるんだ。産まれた時からな。だから何となく分かるんだよ。魔力の濃度や違いなんかをさ、」
「…つまり私はリリィやクロトとは違う魔力?ってやつがあったから勇者だって分かったの?」
「ま、そんな所だ。詳しい事は俺は占い師とかじゃないから分からないが……二人とは違うっていうのはすぐに分かった。だからマツリが勇者だって言う事は分かった。」
「私やクロトと違うっていうのは分かったわ。けどそれだけで勇者と断言出来る理由はない筈よ。…ちゃんと最後まで説明してくれるかしら。」
「リリィ…。」
ジークの説明にリリィは不服なのか再び睨みつけるとジークは「やれやれ」と肩を透かしては再び口を開いた。
「勇者の存在は知っていた。何せ谷の…そのまた奥には勇者が遺した遺跡があるからな。勇者の話も遺跡の事も全て昔から聞かされていた。いや、伝わっていたという方が正しいか。」
「おとぎ話だって疑ったりしてなかったの?」
「おとぎ話?面白い事をいうな。あんな大それた遺跡が近くにあって、勇者の事をおとぎ話で片付ける事なんて出来ないさ。外界の奴等は勇者の存在を信じてないのか?」
「それは……、」
「…外界の奴等は呑気だな。いや、鈍感なのか。外界に出ていない俺達でさえ、この世界の異変に気付いているというのに……まぁ、いい。少なくとも俺達エルフは勇者の存在を信じている。だからこそ勇者が遺した遺跡をずっと守ってきた。」
ジークの語る勇者の存在。そして遺跡の存在。…けどそれ以上に外界を語るジークの顔つきが妙に静かで、遠くを見つめていて……冷たい様に見えた。呆れている様にも見える表情に私はどう声を掛けたらいいのか分からないまま、黙ってジークの言葉を待った。
「勇者が召喚されたのは知っていた。遺跡にある最奥の扉が開いたからな。」
「最奥の扉…?」
「あぁ。勇者の力が眠っていると言われている部屋、に通じる扉の事だ。遺跡の中には入れる。けどその最奥にある扉はずっと閉じられたままだった。興味本位で開けようとした者もいたみたいだが……全く歯が立たなかった。かく言う俺も扉を壊す勢いで攻撃した事があったが、それでもダメだった。傷一つすらつけられなかったよ。」
「…それが、マツリが召喚された時に開いたっていう事ね。」
「そういう事だ。初めて見た時は驚いたもんだ。何せ開かずの扉が開いたからな。扉が開いた時は勇者が現れた証だっていうのも話で聞いていたから、谷も大騒ぎだった。あれは結構愉快だったな。」
「気楽なものね。そんな状況でも楽しんでるなんて。」
「楽しいさ。俺達が住む谷は自然豊かで住みよい所だが、如何せん俺には刺激が足りない。…っと、見えてきたな。」
「え。」
遠くを見つめるジークの言葉に私は視線を前方に向けた。舟に乗った時より川幅が少し狭くなっていて、離れていた岩肌の山が近くなっている事に気付いた。
迫ってくる様な岩肌に圧巻されている私を他所にジークは舟をゆっくりと動かし、川の中心から舟がつけられる陸地へと移動した。
ガタン、と舟が陸と接地するとジークは軽やかに舟から降り、慣れた手つきで舟から出した紐を地面に設置されていた木の棒に巻き付けて舟が動かない様に固定した。
「さぁ、ここから歩きだ。降りてくれ。」
「え!?歩くの!?」
「あぁ。でもピネーまでの道は本当にあと少しだ。あの階段を登って道なりに進めば着くぜ。」
予想以上に長い船旅にこの上歩かされると嘆いたリリィを他所にジークは降りた先にある岩肌に向かって指をさした。
ジークが言っていた階段…それは立ち塞がる様にして聳え立つ岩肌に沿って作られている階段。迂回する様に伸びる階段は私から見ても長く見え、これを上っていくのは過酷だというのが容易に想像出来る。
そしてそれは恐らく、ここから見えない階段からの先の道も……同じだろう。
「…筋肉痛になるかな…。」
「野宿して、風呂にも入れなくて、舟に長時間乗せられて腰を痛めている私に更に歩けって…ふざけないでよ…。」
「……私の気持ちをわざわざ代弁してくれて、ありがとう。…さ、行こう。リリィ。」
「……ハァ……これで嘘だったら、あの長い耳引き延ばして首を絞めてやる。」
ジークを先頭に歩き始める。疲労困憊な私とリリィはそれに続く様に歩き、後ろからはクロトが静かに歩き始めた。
舟に乗っていたせいか歩いていると少しフワフワとした足取りになる。階段を上る足取りもどことなく浮ついている様に感じる。そのおかげか最初の内は階段の移動は苦じゃなかった。
そう、最初の内だけね。
「ハァ、ハァ……うぅ、」
「おいおい、もう息が上がったのか?人って本当に弱い生き物だな。」
息を乱し苦しむ私を見ては余裕の表情を浮かべるジーク。そんな姿を見上げては私は乱れた息を必死に整えようとしてみるが、無理だった。
身体全体が重たくなり、階段を踏む足は鉛の様に重たく、痛い。ずっと歩ているせいか身体は熱く、全身から汗が出ているのが分かる。
呼吸も浅く、全速力で走った様に乱れている。乱れ過ぎて呼吸がしづらく、胸が締め付けられる様に苦しい。…予想はしていたけど……こんなに辛いなんて……!
そして辛いのは私だけじゃなく、一歩後ろを歩くリリィも同じらしく……余裕そうに歩くジークを疲労で目が座っている状態でリリィは睨みつけていた。
「ハァ、ハァ…ふ、ざけんな……こちとら登山家じゃないんだから……こんなの、誰でも疲れるわよ……!」
「そうか?…その割には後ろにいる奴は平気そうに見えるがな。」
「「え、」」
反射的に私とリリィは後ろにいるクロトに視線を向ける。視線を向けられたクロトは無表情で私達を見下ろしていた。私とリリィと違い、息一つ乱れる事なく……汗もかいてない。
……クロトは疲れてないのかな……?
「……マツリ、回復薬頂戴。」
「え?回復薬?つ、使うの?」
「ここまで舐められてマツリは女として恥ずかしくないの!?ほら!回復薬頂戴!!」
「わ、分かったよ…。」
私としては舐められた態度を取られているとは思っていなし、思っていたとしても回復薬を使って疲労を回復させるなんて…そっちの方が恥ずかしいと思うのは私だけだろうか……。
鞄から回復薬を出し、それをリリィに差し出す。勢いよく回復薬に手を出すとそのままの勢いで飲むリリィに私は思った事を口に出す事が出来ず、飲み切る姿を茫然と見つめていた。
「…ぷはー!よし!またすぐに疲れるだろうけど、とりあえず疲労が少し回復した気がするわ!マツリも飲んだら?」
「い、いや…いいよ。もうすぐなんでしょう?」
「あぁ。ここから更に階段を上って、少しばかり歩いたら着く。」
「………やっぱり飲もうかな、回復薬。」
笑顔で答えるジークに若干の不安を覚えた私はリリィと同じ様に回復薬を口にした。リリィの言った通り、重たかった身体が少しだけ軽くなった気がした。
初めて飲んだけど……苦味もなければ甘い味すらしない。色のついた水を飲んでいる様だった。…それでいて身体の回復を促すのだから凄い代物だ、回復薬。
「さて、じゃあ進むぞ。もう少しだからな。辛抱してくれ。」
そうして再び歩き出す私達。「もう少し」というジークの言葉に淡い期待を抱いたが……それは軽く一時間歩いた辺りで私の中で完全に消滅した。
そして更にそこから数十分歩き、二つ目の回復薬を使おうかと考えていた所で……ようやく目的地に辿り着いたのだった。