第五話‐②
『こっちだよ。迷っちゃダメ。』
女の子の声がした。声のした方に視線を向けると女の子の背が見えた。片手で私の手を掴み、森の中を走っている。
『いい?目印はこれだよ?ここを曲がるの。』
目にした先には一本の木。その木の枝部分に小さな赤いリボンが括り付けられている。女の子は私にそれを見せると、言葉通りその木を右へと曲がった。
『次にこの三つの大きな石。ここをまた曲がるの。』
曲がった先にある大きな石。三つ積み重なる様にある石を今度は左に曲がるとさっきまで聞こえなかった音が聞こえた。
これは……水の音だ。
『ここまで来たら大丈夫。後は分かるよね?』
繋いでいた手が離れる。女の子が振り返ると同時に私は閉ざしていた口を開いた。
『分かったよ、姉さん。』
少し低い子供の声。その声に女の子は満面の笑みを浮かべた。
●●●
「………。」
「おはよ。…何、その顔。変な顔ー。」
「どういう顔だよ……。おはよう、リリィ。」
目を覚ました先にある青い空と流れる白い雲。疲労がとれてない重たい身体を無理やり起こすと先に起きていたリリィが身なりを整えていた。
視線を移すとクロトも先に起きていたのか辺りを見渡す様に立っていた。
「クロトもおはよう。」
「あぁ。……大丈夫か。」
「え?」
クロトの言う「大丈夫か」という言葉はもしかしてリリィが言っていた顔の事を言ってるのか。思わず自身の手で顔を触るが当然ながらどんな顔か分からない。
鏡も持っていないし、自分の顔が分かる術もない。
「リリィ、私ってそんなに変な顔してる?」
「変な顔っていうか…目の下、凄い隈よ。悪い夢でも見た?」
「いや…悪い夢は見てないと思うけど……。」
見てないけど…何か夢を見た様な気はする。どんな内容だったかは……あまり覚えてないけど……。
「じゃあ、きっと疲れが取れてないのよ。まぁ、その点に関しては無理ないわね。マツリは旅や野宿に慣れてないし、疲れをとるにも取れないわよ。」
「そう…なのかな?」
「そうなのよ。さて、朝食食べたら行きましょう。今日こそ辿り着いて見せるわ…待ってなさい!ピネー!!」
高らかに宣言するリリィ。旅慣れているとはいえリリィも疲れているだろうに何故あそこまで元気なのか……。そして私は本当に疲れが取れていないのかリリィの大声が頭に響く。
頭に響いて、痛い。
●●●
「ハァ…また森の中を抜けなきゃいけないのね。本日二回目よ。おめでとう。」
「何におめでとうって言ってるの…。」
「よく凝りもせず、ひたすら進んでいられる私に言ってるのよ。」
「訳が分からない……。」
あれから歩く事半日。リリィの宣言通り本日二回目の森を抜ける。森と言っても大きくなく、今まで通ってきたものは五分もしない内に出口に出てしまう。今通っている場所も恐らくそうだろう。
「痛…、」
「ん?どうしたの?頭なんか押さえて……。」
「ちょっと今朝から頭痛がね…。」
「え、大丈夫?少し休む?」
「休む程じゃないから大丈夫だよ。それより今は少しでも歩かないと……、」
「それはそうだけど……無理はしないでよ。倒れたら元も子もないんだから。」
リリィの言葉に私は頷く。頭痛と言ってもずっと痛い訳ではない。時折…そう、森に入ると一瞬電撃に似た様な痛みが頭を走り抜ける。それさえなければ普通だ。
けど…なんで森に入った時なんだろうか。疲れているとはいえ景色が変わらない平原を歩くより、景色の変化がある森の方が歩いていてまだ楽しい筈なのに……。
「…ん?」
ふと視線を周りに向けると一本の木の枝に何か括り付けられているのに気づいた。足を止めて凝視すると、それは赤いリボンであるのに気づいた。
「どうしたの?いきなり止まって…。」
「リリィ、あれ。何かあるよ。」
「何かって……あら、本当ね。よく気付いたわね。あんなに小さな物。」
私と同じ様に枝に巻かれたリボンを凝視するリリィ。確かに…歩いていて気付く程目立つものではない。リボンが巻かれていた枝も高い所にあり、細い。リボン自体赤いとはいえ明るい色ではなく、茶色に近い薄暗い色の赤色だった。
普通に歩いていて気付くものではない。けど私は気づいた…いや、『知っていた』。あそこにあのリボンが…『目印』があるのを知っていた。
でもどこで?どこであれを……。
『いい?目印はこれだよ?ここを曲がるの。』
「…夢と同じだ…!」
「は?夢?」
「そう!夢と同じ光景!あれが目印で、あそこを曲がったら大きな石が三つあるの!」
首を傾げるリリィに私は忘れかけていた夢の内容を思い出した。そう、これは『目印』で、あそこを曲がればまた新たな『目印』が現れる。
「ちょ、ちょっと落ち着いて!…夢を信じろっていうの?疲れてるんじゃない?」
「そんな事ない!…いや、冷静に考えてみたら変か。変だよね。ごめん。」
「いや、謝る事じゃないけど……。」
「うーん……夢と同じ光景なんだけどなぁ……。」
木の枝もその高さも、細さも…そこに巻かれたリボンの形状も……全て夢と同じだ。違うのは女の子がいない事だけ。
あそこを曲がれば石がある…夢の通りなら。けど所詮、夢だ。夢の通りの事が起こる訳ない。そんな事、冷静に考えれば分かるのに……曲がった先の事が気になって仕方がない。
「……気になるなら行けばいんじゃないか。」
「え。」
「ちょっと、クロト…。」
「迷う程大きい森じゃないし、行くにしたって支障はない筈だ。」
「それは…そうだけど。……うーん…マツリはそこに行きたいの?」
「い、行けるのなら行ってみたい気持ちはあるかな…。」
「そう。…なら、行きましょ。」
「え、いいの?」
「マツリが行きたい場所なんでしょ?だったら行くわ。それに初めてじゃない。マツリが自分から行きたいって言ったの。しかも行きたい場所が夢と同じ光景かもしれないんでしょ?」
「う、うん。そう。夢と同じ場所。」
「本来なら夢と同じ光景の場所に行くなんて絶対不可能だし、信じろと言われて信じにくいかもしれないけど……ここはマツリの強い意志を信じるわ。行ってみましょう!」
「リリィ…!ありがとう!クロトもありがとうね。」
「俺は別に…。」
「さぁ!そうと決まったら行くわよ!確かこの木を曲がるのよね。どっちに曲がるの?」
「えっと確か……右だった。」
「右ね」とリリィを先頭に歩き始める。リボンのついた木を右に曲がり、草木が生い茂る森の中を歩いていく。しばらく歩いくと何十とあった木がなくなり、開けた場所についた。
開けた場所には大きな石が三つ、積み重なる様にして鎮座している。…夢で見た通りだ。
「ほ、本当にマツリが言った通り石があったわ…。」
「………。」
「夢の通りだ……。確かこれも目印なんだよ。確か夢では……、」
『次にこの三つの大きな石。ここをまた曲がるの。』
「そう。ここも曲がるの。確か……ここは左だったかな。」
「左ね。了解~。」
再び目印となる石を今度は左に曲がる。リリィを先頭に歩いていくと『ある音』が耳に入ってきた。
これは…夢の中でも聞こえた。歩く音でもなければ、木々がざわつく音でもない。これは……『水の音』だ。
水は水でも流れる音。ザァザァと遠くからこちらに向かって流れる水の音だ。
「マツリ!クロト!見て!!」
先頭を歩いていたリリィが大声を張り上げる。何かあったのか私と後ろを歩いていたクロトは足を止めたリリィの隣に並ぶ様に立つ。そして、目の前に広がる景色に言葉を失った。
「す、凄い……。」
目の前に広がる光景、それは川だった。それも大きく、広い川だ。
少し青みがかった…エメラルドグリーンの透明な水が勢いよく目の前を流れていく。流れていく先を目で追ってみるが……先が見えない。それほどまで続いているという事だ。
対岸までは川幅が広く、水の流れも勢いがあって渡れそうにない。けど…その先にはさっきまで通った森とは違い遥かに大きな森が広がっているのが分かる。
けど、それ以上に目を奪われたのは……水が流れ来る方、川の原点となっているであろう場所だ。
大きな岩肌を持つ二つの山。先端は針の様に鋭く、険しそうな岩肌の山の間をエメラルドグリーンの川が通り抜ける様にして走っている。正に谷間だ。
それにしても……こんな壮大で自然が豊かで…こんなに透明な川、見た事がない。圧巻の景色だ。
「綺麗…。」
「本当……。…にしても不思議ね。こんな大きな川、近くにあったら気付く筈だけど……なんで気付かなかったのかしら。」
「この山もだよね。歩いていた場所の近くに山なんてなかったのに……なんでいきなりこんな近くに……。」
「それは簡単な話だ。人避けのまじないをしてたからな。」
「!!」
男性の声。けどクロトの声ではない。
初めて聞く声に私は声の主を探し辺りを見渡すが……誰もいない。でも確かにこの耳で聞いた。男の声をハッキリと聞いた。
バクバクと心臓の音が響く。得体の知れない声に私は緊張で動けずにいると「シュッ」という風を切る様な音がどこからか聞こえた。
その瞬間だった。
「危ないッ!」
「え!?わぁ!!」
隣にいたクロトに腕を掴まれたかと思ったら強い力で後ろへと引っ張られる。突然の事に一瞬思考が停止するも「きゃあああ!!」とリリィの悲鳴で意識を戻した。
「リリィ!?」
「な、なななな何よ!これ!!」
「何って……え!?」
リリィが言う『これ』というのはさっきまで私がいた場所にある物で、長い柄に端にはいくつもの羽がついてる。そして鋭い金属がついた先端が地面に突き刺さっている。……もしかしてこれって…、
「弓矢の…矢?なんでこれがここに…。」
「そ、そんなの決まってるでしょ!?今マツリが攻撃されたのよ!!」
「!?」
私が攻撃された…!?そんなまさか……いや、でもクロトがあの時助けてくれなかったら今頃私は矢の餌食になっていた。この鋭い先端が自分の身体のどこかに……そう考えるとゾッとする。
何故攻撃されるのか。また攻撃してくるんじゃないか……。そう考えるより前にクロトが私の前に立ち塞がる様にして立つと腰にある鞘から剣を取り出し、構えた。
リリィも杖を宙から取り出すと私を守る様に前に立つとクロトと同じ様に杖を構えた。どこから来るか分からない攻撃に備えて緊張の糸を張り詰める二人。そして……一番早く動いたのはクロトだった。
「…そこか!」
剣を構えたクロトが先にある木に向かって走っていく。そして地面を勢いよく蹴り上げると高く跳躍し、構えた剣で跳躍した先にある枝を切り落とした。
その瞬間、枝の上にいたであろう人影が動き、クロトに斬りつけられるより前に軽やかに地面に降りてきた。
「いやぁ…驚いた。気配を消していたつもりだったが、まさか見破られるとは……アンタ、中々やるな。」
クロトと左程変わらない身長と斬られそうになっていた人物とは思えない程楽し気に語る口元。背には私を攻撃した矢と同じ矢が何本も入った筒があり、手にはそれを使う為の大きな弓がある。
切れ長の目には深い青色の瞳があり、襟足が少し伸びている翡翠色の髪の毛の隙間からは人とは思えない程の長い耳が出ている。
「お前……エルフか。」
「エルフ…?」
「お、ご名答。流石強そうな御仁だ。知識も多いみたいだな。あっはっはっ。」
「どこに笑う要素があったか理解不能なんだけど、今は追及してあげないであげる。…アンタ、何者よ!なんでマツリを狙ったの!?答えなさい!」
クロトと並ぶ様にリリィも私の前へと出ては、目の前に建つ男性を睨みつけた。すると男性は怯むどころか、楽し気に笑みを浮かべていた。
「おー、怖い怖い。そう睨むなって。ちょっと試したかっただけだよ。」
「試したかった…?」
「あぁ。…勇者がどんな人物か、どれだけの強さを持っているのか……谷を守る者として確かめる義務があったからな。」
「え、」
今、この人…勇者って言った?誰もそんな事を言っていないのに……なんで勇者の事を話題に出してきたのだろうか。いや、それ以上に何故私が勇者だと分かったのだろうか。
この人…何者なの……!?
「俺の事が気になる?」
「え!?」
「君はすぐに顔に出すな。実に分かりやすく、人間らしい。いいだろう、ここは自己紹介をしようじゃないか。」
クロトに剣を向けられているのにも関わらず楽しそうに笑みを浮かべる男性は持っていた弓を地面に置くと、背筋を伸ばし、そのまま優雅に手を広げながら頭を下げた。
「御初御目にかかる。俺の名は『ジーク』。この谷にあるピネーから勇者を連れてくるよう仰せつかった、風の民の一人だ。」