第四話‐④
「……ん…、」
窓から入る太陽の光が眠っていた私の顔面に直撃した。あまりにも眩しくて私は渋々と瞼を開けては倒していた身体をゆっくりと起こした。
「…うーん……!」
腕を伸ばして身体を伸ばす。自分が眠っていたすぐに近くには握ったままだったエレクシールが布団の上で転がっていた。
私は手を伸ばしてエレクシールを手に取ると、それを透かすように眺めた。窓から入る太陽の光が反射して青色の液体がキラキラと輝いている。……本当宝石の様で、綺麗だ。
「うーん…もう…ふふふふ。」
「!…リリィか。」
変な寝言が聞こえて自分のベッドの隣に視線を移すとそこには何時戻ってきたのかリリィが幸せそうに眠っていた。むにゃむにゃと口を動かした姿が少し面白く感じた。
そんなリリィに私は布団を肩まで被せると「あ」と、持っていたエレクシールを失くさない様に鞄の中に入れた。
「…さて……どうしようかな。」
少なくとも今は早朝。窓の外を見ても道には誰も歩いておらず、静かだった。二度寝をするにも……すっかりと目が覚めてしまった。
リリィを起こすのも悪いし……ここは自分のレベルを上げる為に少しでも多くの回復薬を合成して経験値を稼ぐしかないかな。もしかしたらエレクシールみたいな物がまた出来るかもしれないし…!
「…ってあれ?薬草がもう殆どないや…。」
鞄の中から回復薬を合成するのに必要な取り出そうとするが必要な薬草が殆どない事に気付いた。昨日結構採ってきたつもりだったけど思いの外浪費していたみたいだ。
「…よし、採りに行ってこようかな。」
そうと決まれば、と身なりを整え鞄を肩から掛けた私は眠っているリリィを起こさない様に静かに部屋を後にした。外ど同様静かな宿屋の中を足音に気を付けながら歩き、階段を降りていくと入り口で掃除をしていた宿屋の主人と鉢合わせた。
「おや、おはよう。早起きだね。」
「おはようございます。ちょっと早起きしちゃって……あの、また裏にある森に行ってもいいですか?薬草が無くなっちゃって…。」
「あぁ、構わないよ。あ…この時間なら少し歩いた先にある森に行くといいかもしれないねぇ。」
「え、そうなんですか?」
「普段は魔物が多くて人も寄り付かないもんだから珍しい薬草も沢山生えてるんだよ。昼間や夜だと危険だけど今みたいな早朝だと太陽の光に怯えて魔物が出てこないんだ。深い所まで行かなければ君でも大丈夫だと思うよ。」
「へぇ……珍しい薬草が……ならそこに行ってみようかな。詳しい場所教えて貰っていいですか?」
ちょっとした冒険心が芽生えた私は宿屋の主人に詳しい話を聞き、その珍しい薬草が生えている森の場所を聞いた。なんでも街の少し外れた場所にある森らしい。ここからそう遠くない。
宿屋の主人にお礼を伝えた私は早速と聞いた場所に向かった。
●●●
「大きい木が多いなぁ…。」
予想通り森に着くのに左程時間掛からなかった。
道らしい道はないものの手つかずの森は奥まであり、土から天に向かって伸びる背の高い木々は私が今まで見た中でも遥かに高く、幹の太さも特別太い様に見える。
チュン、チュン…、
どこからか聞こえる鳥の声と微かに靡く風の音。新鮮で混じりけのない森の空気は早朝とあってか冷水の様に冷たく、澄み渡っていて気持ちいい。
「これがマイナスイオン!…なんてね。さて、薬草は……あ!」
辺りを見渡すと早速見た事のある薬草が生えていた。それを手に取ると更に進んだ先にも沢山生えている事に気付いた。中には見た事のない形をした草もある。
もしかしたら……合成をすれば別の物も出来るんじゃない?…そう考えるとなんだかワクワクしてきたかも……。
「これも薬草、これも薬草……これは、なんだか分からないけど面白い形をしてるから一応採っておこう。こっちにも薬草~。」
ガサガサッ…、
「昨日いった森より沢山ある。採っても採っても全然無くならないよ~。薬草天国だね~。」
ガサガサッ!!!
「!!」
大きく草木が揺れる音がした。風で靡いた様な音ではない。明らかに何かがいて、それに合わせて草木が動いた音だ。
ドンッ、ドンッ、ドンッ……、
「な、何……この音……。」
地響きに似た様な音が遠くから聞こえる。リズムよく聞こえる音はまるでコッチに近寄ってくるかの様に段々と音が大きくなっている。
まるで何かの足音の様だ。
「………ッ…、」
薬草を取っていた手が自然と止まり、ごくりと生唾を飲み込む。音のする方へ視線を向けながら身体を硬直させ、中腰だった腰を下ろした。
ドクドクと心臓の音が早鐘を打ち、得体の知れない恐怖と緊張で身体は指の先まで動かす事が出来ない。
ドンッ、ドンッ、ドンッ、……、
ガサガサッ…!
近づいてくる二つの音。段々と大きくなってくる音に呼吸する速度が増し、息の仕方が分からなくなってくる。
冷や汗に似た様な変な汗が全身を伝う。怖い、怖い怖い怖い……!どうかあっちに…別の方へ行っ……!
ガサガサッ!!!!
「きゃあああ!!」
「ッ!!」
大きな音と共に何かが飛び出してきた。反射的に叫んだ私は飛び込んできたものに目を見開いて驚いた。
黒い髪に黒い装束、手には長い剣を持っている男性の姿……その姿に身に覚えがあったからだ。
「く、クロトさん…!?」
「…なんでお前がここに……ッ!立て!!」
「え?」
「いいから!……クソ!来い!!」
急に慌てたかと思いきや若干苛立ちを見せながら私の腕を取ると無理やり立たせ、そのまま強い力で引っ張られた。
「ちょ…クロトさん…!?」
突然現れたかと思ったら私の手を引きながら全速力で走るクロトさん。縺れそうになる足を精一杯動かしながら前を走るクロトさんの背を見ていると後ろから別の音が聞こえた事に気付いた。
ドンッ、ドンッ、ドンッ!!
地響きに似た音…さっきまで聞こえていた音が後ろから、まるで追ってくる様に聞こえてくる。恐る恐る後ろに視線を向けると、私は息をのんだ。
グァアアアアアア!!!
「ヒッ!!…な、何あれ…!?」
後ろから迫る足音と響く鳴き声。全身硬い鱗で覆われた巨大な身体と鋭利な刃物の様な爪が生えた巨大な手足。後方には長い尾があり、爬虫類の様な顔立ちには血走った目と大きく開かれた口には鋭い牙が並んでいる。見るからに凶暴だ。
二足歩行でこちらに向かって走ってくる姿は、まるでテレビで観た恐竜みたいだ。その巨大な恐竜の様な生物は、巨体を阻む木の枝等を気にも留めず、バキバキと大きな音を立てて木の枝を折りながら私達を追いかけてくる。
得体の知れない巨大な生物が迫る恐怖と襲われる恐怖に足が震え、転びそうになる。だけどそれをさせない様にクロトさんが更に強く腕を引っ張る。
「余所見をするな!前だけ見てろ!」
「ッ!!」
怒号の様なクロトさんの声に私は反射的に前だけを見て走る。怖さと全力で走っているせいか一瞬で胸が苦しくなり、呼吸が浅くなる。けど、ここで立ち止まってはいけない。
後ろから迫ってくる恐怖に私はクロトさんに手を引かれながら全力で走り続けた。そして前を走っていたクロトさんの身体が別の方へと向いた瞬間、更に強い力で引っ張られた。
「うわっ!」
足が縺れるもクロトさんが無理やり私を引っ張り、先にある木の幹のぽっかりと空いた穴へと無理やり投げられた。投げ入れられた勢いで思わず木の壁に頭を打つも、すぐにクロトさんも入ってきては私に覆い被さる様に身を寄せてきた。
突然の事とあまりにも近い距離に息をのんだ。
「く、クロ…、」
「静かに。」
空いた手で私の口を塞ぐクロトさん。クロトさんの鋭い視線が背の向こう側にある穴に向けられる。緊迫感漂う空気に私も気になって、クロトさんの視線を追う様に穴の向こう側に視線を向けた。
その先にある光景に私は思わず叫びそうになった。
「ッ!!」
人がやっと通れる穴の向こう側。全貌は見えないけれど、そこから見えるのは鋭く大きな何かの爪。…つまり、さっき追いかけてきた生物がこの外にいるという事だ。
ガッ!ガッ!!
「ッー…!!!」
「………。」
鋭い爪が穴の中に入ろうとしている。けれど穴が小さいせいか奥まで入る事が出来ず、地面に爪痕が残るだけだ。
すぐに近くにいるのか生物の荒れた鼻息と唸り声が聞こえる。これだけでも襲われる恐怖で叫びそうになるのに、今度は私達のいる木に向かって体当たりをしてきた。
ドンッ!!!
「~ッ!!」
体当たりされた木は大きく揺れ動き、中にいる私達に強い衝撃が伝わる。すぐ迫る恐怖と衝撃に私は叫んでしまうが、その度にクロトさんが強い力で口を塞ぐ。
痛い、と思うけれどそれ以上にすぐに迫る恐怖の方が勝り、何も考えられなかった。
「………。」
「………。」
何度も伝わってきた衝撃が止み、口に覆われていた手がゆっくりと離れた。あんなに衝撃を与えられていたのに木は倒れる事なく無事だ。
心なしか穴の外も静かな気がする。
「…行った?」
「いや…俺達が出てきた所を狙ってる。今下手に出れば奴の餌食だ。」
「そ、そんな……。」
穴の向こうにはまだあの生物がいて、外に出れば襲われる…。けど出口はここしかないし、ずっとここにいる訳にもいかない。
救助を待つ…にしてもここは普段は人が立ち寄らない場所だと宿屋の主人は言っていた。救助が来る可能性は……低い。
ど、どうしたら……、
「…ッ…!」
「え!?」
バタンと目の前にいたクロトさんが突然、倒れた。あまりにも突然だったから一瞬動けずにいたが慌てて我に返り、すぐに倒れたクロトさんに駆け寄った。
「く、クロトさん!?だ、大丈夫ですか!?」
「ハァ…ハァ……クソ…。」
顔を赤くしながら荒い息遣いをするクロトさん。よく見てみれば全身傷だらけな上、肩や腰には大きな傷があるのか、そこから流れた血で服が濡れている。
なんで気付かなかったんだろう…凄い怪我じゃない!!
「な、何か……あ!回復薬!これさえあれば……!」
鞄からいくつもある回復薬を取り出し、クロトさんの口元に近づける。けどクロトさんは受け取る事はなく、視線を逸らした。
「無駄だ……そんな回復薬じゃ…これは…治らない…ハァ、ハァ…。」
「え、な、なんで…。」
「奴の爪は、猛毒…なんだ。…いくら回復薬を使っても…ハァ、回復が、追い付かない……だから、無駄だ…。」
「も、猛毒…!?」
私達を襲ってきた生物の爪には猛毒がある。…つまりクロトさんは私と会う前に爪で傷をつけられたって事?それで爪にある猛毒で苦しんでるって事…?
こんなに苦しんでるのなら早く治療しないと……!けど回復薬は使えないし、外に出たら襲われてしまう。
「ど、どうしたら……どうしたらいいの…。」
「……俺が…囮になる。」
「え?…って無理して起き上がらないで!」
私の制止にもクロトさんは無視して無理やり起き上がる。ふらつく身体を支える様に背中に手を回すと触れた場所が熱いのが分かった。いや、触れた先だけじゃない。全身が熱い。
医者じゃない私でも分かる位、クロトさんは高熱になっている。けどクロトさんはそんな状態なのに落ちていた剣に手を伸ばし、それを手にした。
「俺が奴の目を、引き付ける……その間にお前は…逃げろ。」
「そ、そんなの出来る訳ないでしょ!?そんな危険な事…!」
「だが…これしか、ここを出る方法はない……。」
「だとしても!クロトさんが危ないじゃない!こんな大怪我して…しかも猛毒で高熱も出てる。危険過ぎる。」
「…俺の事は気にするな…。」
「な、何言って…、」
「俺の命は…お前が気にする程のものじゃない…。……ましてや俺とお前は、他人同士…ッ、俺の事なんて気にせず逃げ…、」
「何馬鹿な事言ってるの!?気にするよ!!」
「!」
「こんなに苦しんでるのに気にするな?それでいて逃げろですって!?そんな事出来る訳ないでしょ!」
「……、」
相手は明らかに凶暴で危険な生物だ。万全な状態ならまだしも、倒れそうな身体で囮になるなんて……そんなのダメに決まってる。
何か…何か…方法が……。せめてクロトさんの状態が良くなる方法はないの?考えて……考えるんだ、マツリ。
何か方法を……!
『瀕死状態からの体力全回復、身体異常や精神汚染等の状態異常の治癒、それだけじゃなくて状態異常予防をしてくれる回復薬界の王様!!』
「あ!!」
リリィの言葉に私は持っていた鞄を逆さにして中身をひっくり返した。そして出てきた一つの回復薬を手にするとそれをクロトさんに差し出した。
けど、それはすぐにクロトさんの手によって止められた。
「お前…これがどういう物か……分かってるのか。」
「分かってるよ。これは凄い回復薬なんでしょ?エレクシールって言うんだっけ……。」
「分かってるなら…尚更、分かるだろ。…これが、どれだけの価値があるのか……。」
「知ってるよ。けど、今はそんなの関係ないよ。」
「な…、」
「いくら価値があろうと、そんなの今は関係ない。これでクロトさんの身体が治るなら使う。ただ、それだけだよ。」
「……いいのか。…それさえあれば……生活に困る事もない。贅沢だって出来る筈だ。…それでも、」
「目の前に傷ついている人がいるのに助けない方が嫌。こんな薬より私は、クロトさんの命の方が大事だよ。」
「………。」
「さぁ、飲んで。…ってこれ飲む感じでいいんだよね?はい。」
持っている回復薬…エレクシールをクロトさんに再び差し出す。クロトさんは信じられない様に目を見開いていたけど、すぐに元の顔に戻し、私の手からエレクシールを受け取った。
そしてエレクシールの入った瓶の蓋を取ると口をつけ、一気に飲み干した。その瞬間、エレクシールの色と似た様な淡い青い光がクロトさんの全身を包んだ様に見えた。
「………。」
「クロトさん…?」
「…やっぱり変わってるな。」
「え?」
「素性の知らない相手に、しかもこんな状況なのに…自分の事より他人である俺を助けるなんて……やっぱり変わってる。だが、」
先程と違い生気のある声。力の籠った声。
手にした剣を再び持ち直し、目の前で立ち上がった姿は私から見ても逞しく、力強く見える。
「俺は、嫌いじゃない。」
「…クロトさん…。」
一瞬見えたクロトさんの表情。何も感じ取れなかった今までと違う……一瞬だけど見えたクロトさんの柔らかな表情。小さな笑みを浮かべた表情。
少し、動揺してしまった。
「き、傷は…?熱とか…。」
「薬のおかげで塞がったし、熱もない。…ここから出て奴を仕留める。」
「え!?仕留める!?に、逃げるじゃなくて!?」
「奴…『レイデックス』はここいらを荒らしてる魔物で討伐依頼も出てる。まだ広く知られていないが、奴の凶暴性は年々増加している。このまま行くと街にも被害が出る。」
「…その為に倒すの?街に被害を出さない為に…。」
「…誰もやらないから俺がやる。それだけの話だ。」
視線を穴の外に向けるクロトさん。その後ろ姿は『お金を貰う為に仕事している』とリリィが言っていたものとは違う様に見えた。
それと同時に心の底で芽生えた感情に私は咄嗟にクロトさんのマントに手を伸ばした。突然の事にクロトさんは驚いたけど、私は言葉を止める事が出来なかった。
「私、クロトさんに仲間になってもらいたい!」
「は、」
「だって街の為に…誰かの為に自分の命を危ない目に遭わせてでも助けようとするクロトさんは凄いと思うし、カッコいいと思うし、優しいと思う。だから、」
「………。」
「だ、だから…えっと……もしクロトさんが良ければの話であって、嫌だったら無理にしなくてもいいけど……私はクロトさんに仲間になってほしい。魔王を封印する為に力を貸してほしい。」
「……、」
自分でもめちゃくちゃな事を言ってるのは分かってる。お金を用意して仲間にするって話もあるのに…その上、その用意するお金を失くしてしまった私が言うのもおかしいのは分かってる。
けど…それでも伝えたかった。いや…『伝えなくちゃいけない』気がしたんだ。
「お前……。」
「は、はい…。」
「…今、言う事か、それ。」
「………違いますね。とりあえずここから出ないとダメですね、はい。」
クロトさんの言う通りだ。今はそれ所じゃない。とりあえずここから出ない事には何も出来ない。
「勝算はあるの?」
「奴は夜行性。朝になった今なら奴の動きも少しばかりは鈍くなる筈だ。だが……確実に仕留めるにはもう一つ何かが欲しい。」
「というと?」
「奴の弱点は後方にある長い尾だ。あれを切ればバランスを崩して自立して立つ事が難しくなる。その隙に急所を突く。だが……その為には奴の後方に回り込む必要がある。」
「…そうやって言うって事は難しいんだね。」
「奴は目も良ければ鼻もいい。いくら隠れていても狙ってきて、回り込む隙を与えてくれない。」
「………そ、それなら……私を囮にすればいい。」
「え、」
私の言葉にクロトさんは驚く。自分でも何を言ってるのか…自分で自分に驚いている。けど…今はこれ位しか考え付かない。
「私ではあの魔物は倒せないし、けど倒すには後方に回り込まなきゃいけないんでしょ?だったらあの魔物が私に集中している隙にクロトさんが回り込んで、弱点である尻尾を切れば……仕留める事が出来る。」
「それはそうだが……いいのか。失敗したら最悪お前の命が…、」
「大丈夫。私、運良いみたいだし。それに……クロトさんならやってくれると信じてるから。」
グッと親指を突き上げて私は言う。…正直は話、怖い。怖いに決まってる。あんな得体の知れない凶暴な生き物相手に戦闘経験なんて皆無の私が囮になるなんて…考えるだけで吐きそうになる位怖い。
…けど、クロトさんは街に被害を及ばない様にあの魔物を倒すって言っていた。そしてその方法も魔物の尾を切れば成し得る。…それなら私に出来る事だってしたい。
力になりたい。
「……信じてる、か。」
「え?」
「…なんでもない。…今から俺が言う通りに動いてくれ。」