失恋メガネの富豪譚(マネーファイト)
今回の小説について
テーマ三題噺「雨・少年・最後のメガネ……を文中に挟んだ悲恋」
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_prologue..
絵に描いたような雨の日だ、と少年は自虐する。
それはとある夏の終わり。
思えば近頃、晴れの日というものに縁がないような気がする。
曇天はこれで一週間続いただろうか、遂に今日、この街の低気圧は堪えが効かなくなったらしい。それは――、
酷い雨であった。
「……、……」
とある教室の一角。
誰かが開けたままにしていたらしい窓を閉める気力もなく、少年は、窓から縁へと注ぐ雨粒をただ眺めていた。
……夏であったはずだ、と少年は記憶していた。
しかし外の風景は昼と夜の中間、黄昏を経ずに延々と鉛色の様相を呈す。
いやに暗い、或いは、やたらと暗いというべきか。
夜とは言えない程度の日差しを確保して、以前今日は夜に至らないまま。
彼はもう二時間は、ここで呆けていた。
「……、……」
どうにも暗い。
彼の羽織る学校指定のセーターが、湿気を帯びたような感覚。
恐らくは、体温の方に問題があった。風邪を引く前日のような、そんな寒気を享受する。
彼は、延々と、それに対処することもなく。
季節柄にもなく寒い日だと、人ごとのように上の空であった。
思うのは、過日。
それは、運命的な失恋へと続く、とある初恋のことであった。
彼女はまず、自分のメガネを褒めてくれたのであったか。
まさしくそれは、若気の至りというやつであった。
――少年は自虐する。
彼女に褒められて有頂天になってから、それ以来の三週間はおそらくは、彼にとっての生涯の絶頂であったのだろう。
なるほど、自分にはメガネが似合うらしい。それに気づいた彼が次に想起したのは「飽き」であった。
……「まあ妥当だね」という一言、思えば彼はそれを、何よりも恐れていたようだった。
以来、彼は。
新しいメガネをつけ続けた。
とある日はシックな黒ぶちを。
とある日は冗談のような厚縁を。
とある日は、二〇〇〇年のアニバーサリーのアレを。
つけ続け、
つけ続け、
つけ続け、
そして、今日、
彼女は、裸眼の彼氏を作ったのであった。
「……、……。」
そして彼の手元に残っていたのは、帰結、三五〇〇個のメガネであった。思えば、それは依存症のようなものであろうか、いつしか彼は、一日一〇個のメガネをポチらなくては不安にさいなまれる身体になっていたのである。
しかし、それでも、
それももう、過日の夢。三五〇〇個のメガネは、言ってしまえばその残滓であった。
「……………………………………売ろう。」
その囁きは、ほんの数瞬だけ教室を揺蕩い、そして雨音に叩き落された。
しかし、それならそれでもいい。
彼にとって、余生とは全くの蛇足。
生涯の絶頂は、ここに悲恋として完結した。
思えば彼のメガネが日増しに、そして加速度的にデザインがぶっ飛んでいったのだって、多少の変化では彼女には気づかれないことを察したことが原因であった。
ならば彼とは、元来影の物、現代に生きる忍びといっても過言ではない。
ならば、その言葉には意味は要らず、聴衆も要らず、そして、誇りさえ必要はないのであった。
そうだ、彼は思う。
メルカリとか流行ってんだしそこで売ろう。出来る限り妥当な値段で売ろう。一応利率は確保しよう。そのためにマネジメントを勉強しよう。あとはそう、ブランドだ。失恋メガネとしてのブランドの確保のために経済学を学ぼう、そしてすべて売ろう。
そんな彼のささやかな思考も、やはり酷い雨にかき消され、淡い覚悟を知る物は誰もいない。
「……、……」
彼は教室を後にする。窓閉めてないとかもう正直どうでもいい。僕以外の誰かが閉めろ。そんな、半ば自棄じみた思考のみが、彼の胸中にはあった。
がらがら、と、扉が音を立てる。最後に彼は、ささやくような声で、フ〇ックと言い残して。
それが、彼のメガネ富豪としての第一歩だとは、誰も想像もできないまま、――今始まる。
彼の三五〇〇の在庫の、その最後のメガネを売るまでの物語、失恋メガネの富豪譚が。
『失恋メガネの富豪譚』
※続編の予定はありません