賽の河原 鬼子の苦難
親より先立ってしまった子が逝くと云われる賽の河原。
ここへやって来た子供たちには両親を供養するために河原に落ちている石を使って積み上げるが命じられている。その石の一つ一つを父母と見立て、祈りながら塔を作り、河原の向こう岸へと渡り成仏へと向かうのである。
だけれど、三つ四つと子供たちが石を積み上げていくうちに頃合いを見計らって悪い鬼がやってきてせっかく積み上げた小さな塔を壊してしまう。
「なんだその歪な形をした塔は。本当に両親のことを思っているのか?」
一人の小さな子供が佇んでいると影が差し込んだ。
子供がビクリとしながら見上げてみると若く可愛らしい女子の容姿をした鬼であるが、せっせと積み上げていた未完成の塔を容赦なく鉄の鞭で打ち崩してしまった。
「やり直しだ!! 時間はたっぷりあるからな」
「そんな……」
そう鬼は告げるが、既に子供の手はボロボロである。
何度も何度も石を積んでいるうちに豆は潰れ、皮膚も破れてしまっている。
その様子を見て鬼も慈悲を見せてやりたくなるがこれも与えられた鬼の仕事。
立場上、決して子供たちに手を差し伸べる訳にはいかずこうして塔を潰して回らなければならない。
「こら鬼子!! 悪事を働くのもそこまでよ」
「げっ、ボサ子……」
次の子供へと重い足取りで向かおうとする鬼に眩い後光を放ちながらまたしても若い女子の容姿をした法師が現れた。
鬼は思わず声を引き攣らせる。
「菩薩様―っ!!」
先ほど鬼に塔を壊されてしまった子供は現れた法師を菩薩と呼び、一目散に駆け寄った。
「あぁ、可愛そうに。こんなになってしまって……、今お姉ちゃんが治してあげるからね」
駆け寄ってきた子の手を取り、菩薩は両手で覆い隠すと忽ち無数にあった傷がみるみる回復していく。
「ありがとう菩薩様!!」
「またあの鬼子に悪さをされたらいつでも私の所に来なさい? 石積み、頑張ってね」
菩薩に笑顔を向ける子供の様子を横目で見ていた鬼こと鬼子は羨ましそうに、自分だって好きでこんなことをしているわけではないのだと言いたげな表情で指をくわえて見ていた。
そんないつもと変わらないルーティーンが崩れることになろうとはこの時誰も思いもしなかった。
それはまた一人、新たに親より先立つ子が現れたことから始まった――。
賽の河原に一つの扉が現れ、押しあけてきたのは若い男性だった。
「あん? どこだここ? 」
扉から姿を現した男性は辺りを見回すとそう呟いた。
そのキョロキョロとしている男性の元へと鬼子は鞭を肩に掛けて新入りを迎えにいった。これも鬼の仕事の一つなのだ。
「おい、貴様。名をなんという?」
鬼子はまず男の名を尋ねた。
「あん? 」
聞こえてきた鬼子の声に反応し、振り返ると鬼の姿を見た男は目を見開いてこう言った。
「……え、露出狂かよ」
「違う!! これは仕事着だ!!」
そもそもここはほどんど小さな子しか来ないこともあって身体に薄い布地しか纏っていなかった鬼子は年頃の男に見られていることに気が付いたのか露出してしまっている部分を隠すように言った。
「それにさお前、他人に名を尋ねる時は自分からって親に教わらなかったのか?」
あろうことか続いて男は頭をガシガシとかきながらまずはお前から名乗れと鬼に言う。
「……。私の名はファルバールプロメテオス・ミカド。鬼だ」
「わかった、なげぇから鬼子な」
「だからファルバールプロメテオス・ミカド――」
「俺は九条辰巳だ。ところで鬼子、ここはどこなんだ?」
「なんでみんな私の事を鬼子というのだ……」
名を名乗ったというのにまるで無かったことにされたかのような扱いに鬼子は沈みそうになる。
しかし、子を案内するのは鬼の役目。この飄々とした男にここの仕来りを叩きこんでやらなければならない。
「ここは賽の河原だ。聞いた事くらいはあるだろう?」
「ん? 賽銭の河原? めっちゃ金落ちてそうだな!!」
「……」
良い歳をした男が賽の河原も聞いたことがないのかと呆れそうになるが、案内してやるのが鬼の役目。
んん、と咳払いをしてから鬼子は男にここですべきことと目的を伝えた。
・・・・・・
「ほーん、つまりそこら辺の石を親父やおふくろに見立てて感謝しながら積み上げたら向こう側に渡れるっていうわけだな」
「そういうことだ。分かったらさっさとしろ。また後で見に来てやる」
あまりこの男――、九条とは関わらない方が良いと鬼子は直感で感じ、必要最小限のやり取りでその場を離れようと背を向けるとグイと腕を引っ張られた。
「きゃぁ!?」
鬼にあるまじき小さな悲鳴を上げて鬼子は思わず尻餅をついてしまった。
「貴様!! 何をするっ!?」
顔を赤く染め挙げて鬼子は九条に向かって叱責した。
「いや、なにもなんも出すもんがあるだろ?」
掴んでいる手とは逆の手で何かを催促するかのようにクイクイと九条は動かす。
しかしその意図が掴めない鬼子はあからさまに頭上に” ? “を浮かべ、九条が一体何を言っているのか理解するこが出来なかった。
「こんなアンバランスな石ばっかり積み上げられるわけねぇだろ。接着剤を寄越せって。そしたらすぐにでも積み上げてやるよ」
得意げに言って見せる九条にもう――、鬼子は開いた口が塞がらなかった。
あろうことか九条は石積みに接着剤を使用しようとしていたのだ。
「九条……貴様、石を積む意味を分かっているのか!?」
石を積むということは両親を供養することに繋がる。
これ以上両親が心を痛めないように魂を込めて一つ一つ丁寧に積むのである。
子供たちが丁寧に積み上げたそれを破壊して回らなければならない使命を与えられている鬼子にとって、それがどれほど苦痛な物か――。
その石積みに接着剤を使う? あまりにも馬鹿げた話である。
「いや、だから積まなきゃ向こうに渡れねぇんだろ? 親父たちも安らかにって祈ってるわけだし早く逝ってあげた方が為だと思わねぇ?」
そうだけど、そうなんだけどと鬼子は葛藤した。
そうなんだけど、そうじゃないのだと。
「接着剤はやらん!! いいから早く積みに入れ!! また様子を見に来るからな!?」
相手にしてられるかと鬼子は今度こそ、九条の元を去って行った。
「なんだアイツ……。まぁ、さっさと積み上げて向こうにでも行くか」
そうして九条は屈みこんで石を積み上げ始めるのであった。
……数刻後
「やっべぇ、飽きた。バランスわりぃ石ばっかりだしこんなん無理ゲーだろ」
飽きてしまったのか、ゴロンと寝転がる九条の姿がそこにはあった。
手に持っていた半円形の薄い石を片手で回しながら空を仰ぐ。
「うっし!!」
寝転がっていた体勢から飛び起きた九条はスタスタとその半円形の石をもって川の水面へと近づいた。
「いくぜ親父!!」
ブンとスライダーを投げるような見事なフォームでなんと九条はその半円形の石を水面に向かって投げたのである。
――水切りである。
「おー、23回!!」
石はもう少しで向こう岸へと届きそうな位置で失速し、水没していく。
「ドあほ!? 貴様、何をやっている!?」
我ながら良く飛ばしたと目を輝かせている九条に思わず鬼子は駆け寄った。
ここにある石は全て両親に宛てた石。
それを向こう岸に渡すという意味を九条は知らなかったのだ。
「何って、飽きたから石飛ばしてんだよ」
さらには見ていたかと問いかけてくる始末。
「九条、貴様が飛ばした石は両親の御霊でもあるんだぞ!? 見て見ろ、貴様が親父と叫んで投げる物だから今まさに親父殿が倒れているではないか!!」
鬼子が虚空に手を翳すと徐々に映像が浮かび上がり始め、はっきりと見える頃には九条の父親が倒れこんでいた。
声は聞こえないが母親が懸命に父親の身体を擦っている。
「その石が向こう側に渡ったが最後、貴様の親父殿は死んでしまうのだぞ!! アホたれが!!」
「まじで!? やっべぇじゃん!! 俺、結構飛ばしたぜ!?」
そう、やばいのだ。
「もうわかったら大人しく石を積んでくれ……。必要なら接着剤でもなんでも用意してやるから……」
こいつの積み上げた石は気が付かなかったことにして完成させてやろうと鬼子は思った。
「お、まじで。早く親父たちの願いを叶えてやらねぇとって俺も思ってたんだよ」
鬼子はそっと薄い布のポケットから瞬間接着剤を取り出して九条に渡すのであった。
かくして男は向こう側へと舟で渡っていく事になるのだが、次のところで一体どんな問題を起こしたか知る者はいなかった。
短編でした。