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ある年、ある都市のクリスマス



 12月25日はクリスマス。「神の子」イエス・キリストの生誕を祝う日である。が、現代日本で本来の意味通りにこの日を楽しむ人は少ないだろう。今ではすっかりいわゆる「リア充」のための日だ。

 その功罪について議論する気はないが、少なくともこれから語られる出来事はクリスマスの意味の変遷なしでは起こり得なかっただろう。

 


 舞台はクリスマスを迎えたとある大都市だ。今年のクリスマスは休日ということもあり、ただでさえ人の多いこの都市は例年にないにぎわいを見せていた。

 聡明な読者の方ならお気づきだとは思うが、これは2017年の出来事に関する物語ではない。2017年のクリスマスは月曜日だ(イブは日曜日ではあったが)。

 しかし、これが何年の出来事なのかをあえて決定する必要はない。年月日と曜日に関する公式もあったような気はするが、それはこの物語の趣旨に関係ないため割愛させていただく。これから語られるのは今現在ではないが、限りなくそれに近い年のクリスマスの出来事だということだけ理解してくれれば問題ない。

 同じ理由で、舞台であるこの都市の名前が明かされることもない。各々自分にとって身近な大都市を思い浮かべていただければ幸いである。

 さて、前置きもほどほどにして本題に入ろう。



 午前11時、本日の午後5時からイルミネーションに彩られる大きなクリスマスツリーが設置された広場にその男はいた。20歳前半ほどの見た目の男だ。赤と黒で統一された彼の服装は、クリスマスの華やかな町にはミスマッチである。

 名を産田黒尾うみたくろおというその男は、あまり自分には向けられたくない類の笑みを浮かべていた。恋人でも待っているのだろうか。確かに黒尾は顔立ちが整っており、恋人の一人や二人いても違和感はない。もっと楽しげな表情をしていれば、彼に声をかける女性もきっといたはずだ。

 いいや。彼は決して恋人を待っているわけではない。この男はクリスマスになると毎年日本のどこかの人口密集地に現れ、聖なるこの日を楽しむ人々の幸せに水を差して回っているとんでもない男なのだ。


 その手口は多種多様。これまでに10通りの嫌がらせをしてきた(彼の名誉のために補足するが、当然全て法を犯していない手段である)。黒尾は毎年様々な趣向を凝らしているが、今年は「ナンパ」で攻めることに決めたようだ。先ほどから何組かのカップルに声をかけては不快な思いをさせ、何人かの愛しい彼を持つ女性の笑顔を真顔に変えてきた。話題になる前に町を転々とし続けて2時間経つが、彼が満足した様子は見られない。とうぜんだ。クリスマスは夜からが本番なのだから。

 そしてこの広場での最初の標的を定めたようである。


 (南側のベンチに座っている女、待ち合わせ中だな)


 そうと決めれば黒尾は躊躇しない。寒空の下、愛しい恋人を待ちながら健気に寒さに耐えている女を、自分の手で、怒りのあまりに震えている女に変える。

 ああ。標的にされた女性の何と哀れなことか! 彼を待つドキドキに満ちたすばらしい時間が、黒尾の手によって不快以外の何物でもない時間に変えられてしまうのだから!


 「ねえ君、一人? よかったら俺と一緒にお茶しない?」


 何とも古風な誘い文句ではあるが、ナンパであることは疑いようもない。これを聞いた女性は怒るか怯えるか、あるいは適当にあしらうかの反応を見せるのだが、この女性は違った。うつむいたまま何の反応も返さないのである。

 しかし黒尾はめげない。彼の目的はあくまで女性をゲットすることではなく不快な思いをさせることだからだ。


 「ねえ無視しないでよ~。ちょっとだけ、1時間だけでいいから! ちょっと遅れても彼氏は怒らないって!」


 「う、うう……」


 しかしこの女性(仮にA子としておく)は無視していたのではなかった。黒尾が気付かないような小さいうめき声を上げていたのだ。そしてそれはどんどん大きさを増していく。


 「うわああああああああん!!!!」


 これには黒尾もびっくり仰天である。何とA子は人目もはばからずいきなり泣き出したのだ。


 「か”れ”し”の”は”な”し”は”し”な”い”で”く”だ”さ”い”い”い”い”い”!!!」


 A子は「彼氏の話はしないでください」と言ったのだが、涙と鼻水が止まらない状況で大声を出したものだからこう表記せざるを得ない。

 その場にうずくまってしまったA子に肩を貸し、黒尾は広場から少し離れた、あまり目立たない場所にある喫茶店に入った。




 「……ご迷惑をおかけしました」


 「いや、いいよ別に」


 (まさか本当にお茶をする羽目になるとは)


 黒尾はA子に声をかけたことを後悔しながらも、彼女が泣いていた理由に少し興味があった。


 「よかったら君の話を聞かせてくれよ。ここなら誰にも聞かれないしね」


 「人が私たち以外いないですね。今日はクリスマスなのに……。まあ、わかりました、話します。コーヒーとハンカチ、そしてあの広場から逃がしてくれたお礼です」


 お礼だと言いつつも、A子は話したくて仕方がないようだ。テーブルの上にぐちゃぐちゃになった黒尾のハンカチを置き、黒尾が奢ると言ったコーヒーを一口飲んでから、A子はゆっくり話し始めた。


 

 馬鹿正直にA子の話を全て文字に起こしていたらきりがないので、要点だけをまとめさせていただく。


 1.A子は1か月前に付き合い始めた彼氏と今日あの広場でデートする予定だった。

 2.しかしおととい突然彼氏から別れを告げられ茫然自失。噂によると、どうやら彼は新しい恋人を作ったらしい。

 3.しかし彼を諦められなかったので、来ないとわかっていながらもツリーの前で無駄に時間を過ごしていた。


 これだけだとその彼氏は悪逆非道な人物に見えるが、恋の終わり、その原因が一方だけにある場合はきわめて稀である。しかしこのカップルが別れるにいたった経緯も話の本筋には関係がない。各々好きに想像してほしい。


 「それは悲しかったね」


 「わかってくれますか黒尾さん!」


 (いや、全然)


 1時間近く話に付き合った黒尾の内心は今日の外気のように冷え切っているが、同時に彼の中に一つの思いが生まれていた。


 「その彼氏にさ、復讐したいと思わない?」


 「ふ、復讐……?」


 「ああ、そんなに身構えないで。ちょっと彼のデートの邪魔をするとか、そんな可愛いものだから」


 いまだに戸惑いを隠せないA子に、黒尾は楽しそうに続ける。しかも例の下衆めいた笑みを浮かべていた。


 「だってさあ、こんなに楽しい日なのに、君だけがつらい思いを抱えなくちゃいけないなんて不公平だよね」


 黒尾の言葉に、A子は大きく目を見開いた。しばしの沈黙のあと、彼女は意を決して返事をした。


 「はい、やります。やらせてください!」


 「そう言うと思ってたよ」


 黒尾が浮かべたのはほほ笑みだったが、その内心をA子は窺い知ることはできなかった。


 

 

 とにもかくにも、A子の元彼氏への報復は大成功だった。

 ちなみに、この物語において必要ないと判断された部分は遠慮なく割愛されるのであしからず。A子と黒尾は姿を見られることなく、また自分たちへ疑いを向けられることなく事を終えたのだということだけは理解していただきたい。

 そして今は夜。イルミネーションの光が遠くに感じられる路地裏に二人はいた。


 「……」


 「あれ、浮かない顔だね。もしかして楽しくなかったの?」


 「……いえ、やってる最中は楽しかったんですが」


 

 「思い返してみると、あそこまでする必要はなかったんじゃないかなあって……」


 「うん。そう言うと思ってたよ」


 「……え?」


 「君、実はその男のことあんまり好きじゃなかったでしょ」


 「い、いや、そんなことは……」 


 「あ、そう? じゃあ、これからする話はあくまでも仮の話として聞いてね」


 「……」


 「今日はクリスマス。一歩外に出れば恋人たちがひしめき合う異空間だ。君は去年この空間になじめなかった」


 「そしてそのことを自分で恥じたか、あるいは誰かに笑われたんだ。そして今年こそは、いや今宵こそは、と思って適当な男を捕まえることにした」


 「当然狙うのは自分と同類の男。クリスマスを独りで過ごす寂しさ、恥ずかしさは知っているだろうから、きっと彼は渡りに船とばかりに君の話に飛び付いただろうね。君のことなんて全然好きじゃないのに」


 「そして言わせてもらうと、君はメイクも下手だし服装のセンスもよくはない。彼が君を見限るのはまあ当然だろうね。だって彼には君でないといけない理由なんてないんだから。だからあっさりと別の女に靡いた。君と同じことを考えていた女にね」


 「そして君は一人残された。君は諦めきれなかったって言ってたけど、それって何を? きっと恋人とクリスマスを過ごすことだよね。でも君にとって大事なのは『恋人と過ごすこと』であって『彼と過ごすこと』じゃなかったはずだ」


 「そして裏切られたと思った君は俺の誘いに乗った。しかし冷え切ったあの二人の間の空気は君が望んだものの一つかもしれないけど、すべてではなかった。だって相も変わらず君は」



 「恋人がいないままだから」

 


 口調こそ穏やかだったが、黒尾の言葉は氷でできた刃のようにA子の心に痛みと寒さをもたらした。

 けれどA子は黙ってその言葉を聞き逃せるような精神状態ではなかった。

 言葉は涙とともに、抑えようという意思に反して溢れてくる。


 「それの、それの何がいけないんですか!!」


 「クリスマスを一人で過ごしたくないと思って何がいけないんですか!!」


 「人に笑われたくないと思って何がいけないんですか!!」


 「ドラマでしか見れないようなクリスマスに憧れて、何がいけないんですか!!」


 

 「君の思いは何も間違ってはいない」


 「なら、どうして……!」


 「でもね、一人が嫌だと言うのなら他にも方法はあったはずだ。例えば家族と過ごすとか」


 「そんなの、一番恥ずかしいですよ」

 


 「ふざけるのも大概にしろよ! 家族と過ごす時間、恋人と過ごす時間。その間に優劣なんてあるわけねえだろうが!!」


 「別に家族でなくてもいい。友人と過ごしたとしても、それはかけがえのない時間だ。恋人と過ごしていたら経験できない時間だ」


 「それなのにお前らは、まさか恋人じゃなければならないとでも思ってんのか!?」


 「別に教会で祈れなんて言わねえよ。日本はキリスト教徒の方が少ないからな。でもクリスマスが、恋人のためだけの日だと思うなよ!!」


 

 「え、え……?」


 突然怒髪天を衝く勢いで怒り出した黒尾にどんな言葉をかけるべきか。A子にはわからなかった。

 しかし黒尾はすぐに落ち着きを取り戻し、A子にサンタクロースの絵が描かれた箱を渡した。


 「俺の用事に付き合わせた礼のケーキだ。家族とでも食べろ」


 「あの、今その箱はいったいどこから……」


 「いいから行け。何度も何度もメールを送ってくるぐらい心配している人たちがいるんじゃねえのか?今からでも遅くない。クリスマスは夜からが本番だからな」


 ハッとした様子のA子は何度も渡された箱と黒尾の顔を見比べると、


 「あの、ありがとうございます!」


 とだけ言って急ぎ足でその場を去った。



 「メリークリスマス」


 先ほどまでとは打って変わって優しく聞こえたその言葉に振り返ると、そこには誰もいなかった。


 「メリークリスマス。黒尾さん」


 そしてA子は大事にケーキが入った箱を抱え、彼女の家族が待つ家へ再び急いだ。

 妹はどんなに喜んでくれるだろうか。弟もきっと顔ケーキで汚しながら食べてくれるだろう。お父さんは甘いものが苦手だから、お母さんがその分をねだるかもしれない。それはとても、想像するだけで笑顔になるような素晴らしい光景だった。






 「ねえ君、そんな男よりも俺と遊ばない?」


 「んだとてめえ! 人の女に何言ってんだ!」


 恋人を口説かれそうになって怒った男が、赤と黒に統一された服に身を包んだ男を怒鳴って追い払う。

 

 その男はいったい何者なのだろうか。まさかクリスマスの朝にプレゼントをくれるサンタクロースではないだろう。


 しかし、クリスマスが恋人のためだけの日ではないように、赤い服を着た小太りの老人だけがサンタクロースなのだ、というわけではないのかもしれない。



メリークリスマス!

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