表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

在りし日の。

作者: 六角 橙


 おとぎ話の英雄と御姫様が結婚して、ずっと幸せに暮らす絵本。

 それは、宝物だった。


「絵本、か」


 皺にまみれた指先で、私はそれをなぞる。かつての若々しさが消え失せた顔を見て、ふっ、と微笑んだ。

 始まりは若い日の些細なすれ違いだった。英雄であることを望む姫と、夫婦であることを望んだ私の、若い若いすれ違い。それは大きな歪となって、今では私が英雄であることを願い、姫は私に夫婦であることを望んでいる。

 私と姫は、今日、離婚する。

 姫と呼び続けてしまった、私の過ち。近づけなかった、私たち夫婦の隙間が形となっている。


「ステファノ様」

「様は要らないと、言ったでしょう?」

「それならあなたも、その口調は要らないと、言いましたよね」


 姫が微笑む。

 あの日の輝かしさを、一寸も失わず、それどころか年齢と共についた肉も、皺も、姫が隠したがる白髪の一筋すら私には愛おしい。

 だがいくら愛しく思っても、私たちの間には、遠い遠い距離がある。


「気持ちは変わりませんか」

「ええ。貴方は?」

「変わりません」


 確認しあったその時、部屋の中に懐かしい魔力の波動が満ち溢れる。見えたのは、美しい、あの日の姿と変わらない青年。金髪に碧眼、女性と見まごうばかりの美貌。あの日から変わらない笑みを浮かべ、彼は朗らかに言った。


「久しぶり!」


 私と、姫の目に、知らず知らずのうちに涙がにじむ。


「ステファノ、エルメリリア」


 勇者、レイオン。

 私たちの希望。今なお輝く、不老不死であり、世界を守る魔王封印の礎。


「君たちの選択を聞いて、ここに来たよ」


 どこまでも、あの日と変わらない口調で言う彼の優しさに、胸が詰まる。ああそうだ、結婚のあの日ですら、彼は何一つ変わらなかった。

 多くが変わった。この街も、世界も、たくさんのことが変化してしまった。

 その中の一つが、変わる日が来た。それだけのことだ。


「すまない、レイオン」

「ごめんなさい、レイオン」


 謝る私たちに、彼は変わらぬ声で、応えてくれる。


「大丈夫だよ。ステファノ、エルメリリア」


 あの日と変わらない、優しい笑顔だった。





====




「この街に戻るのも、いつ以来だろうか……」


 感慨深さもひとしおに、私は乗ってきた馬車を降りた。


「それでは旦那様、打ち合わせ通りに」

「うむ。宿へ向かってくれ、連絡は後程する」

「かしこまりました」


 長い付き合いの御者兼執事であるゼネルへ声をかけ、私は周囲を見回す。そこは活気ある、馬車乗り場の一角であった。外見は初老の男性にしか見えないように魔道具を利用している。この街では、私の外見は少々目立ちすぎる。一般的な茶髪に、緑色の目をした40代前後の男。馬車に乗ってきたというあたりから、おそらくは商人か下級貴族にみられているだろうことを願う。

 今のところ、じろじろ見られてもいないし、そこはこの街が立派な観光都市となった御蔭だろう。

 私の本来の外見は、”ある理由”から年齢に不相応な瑞々しさを保っている。その外見というのは、20代前半の女顔をした青年で、その上金髪碧眼だ。少し歩けばやや華美な装飾の、在りし日の私を模した像に出くわした。私を中心に、4人の仲間の像も共に安置されている。


 勇者、レイオン。

 今も、そして昔も、私を形作る名前である。


 そう、勇者と呼ばれていた。最も魔王討伐ということ自体が、20年以上前の出来事なのだが。

 もともと、4人組の冒険者だった。私はパーティーの盾役で、あるダンジョンを制覇した際、奥底に眠る剣を引き抜いたことがきっかけで、勇者となった。

 魔王討伐の旅路は、今でも鮮やかに思い出すことが出来る。

 剣を抜いたから私は勇者になれたのではない、と断言できる。それだけ過酷で、遠く、気が遠くなりそうな旅路だった。

 やがてたどり着いた魔王の城で、私は勇者としての務めを果たした。結果として魔王を封印する”鍵”となった私は不老不死となり、生涯老いることは無くまた、死ぬことのない体となってしまった。人々を見送るだけの日々を過ごすことを覚悟し、山深い場所に領地を貰い、今日まで穏やかに過ごしてきた。私が不老不死となったことを知るのは、ごく一部の人間だけである。

 しかし思うことあって、こうして今日、この街へやってきた。


「おじさん、誰か探してるの?」


 低い位置から話しかけられ、私は顔をそちらへ向ける。小柄な少年が、私を見上げていた。にっ、と笑顔を作る彼からは、微かな自信を感じる。私が人探しに来た、と感づいた辺りも気にかかり、会話をすることとした。


「うむ、これから探すところだ」

「あてはあるの?」

「ある。古なじみでな、久しぶりに会いに来たんだ」

「ふぅん」


 客にならないと判断したのだろうか。詰まらなさそうな顔になった少年に、しかし、と続けた。


「だが街の様子はずいぶん変わったな。最後に来たのが十年以上前だった、この像もまだなかったころだ」

「えっ、そりゃずいぶん前だね! 俺が生まれるより前だよ」

「だろう。今もバンゲルク通りはあるかね? そこに住んでいる友人なんだが……」


 少年の顔が明るくなる。

 こうした道案内を申し出る見習い冒険者、あるいは貧民街の子供は、旅先の観光地ではよく見かけたものだ。この街にもいるようになったのか、とふと思う。安全だが、街に詳しくなければ金を払ってもらえないことも多く、難しい仕事だ。


「ああ、その通りはね。今は違う名前だし、区画整備で通りが変わっちゃってるよ」

「おや。じゃあ探すに苦労しそうだな……」

「同じ位置になら案内してやれるけど?」


 窺うように尋ねる少年に、頷き返した。


「任せよう。冒険者見習いかね?」

「えっ、そうだけど」

「なら後でギルドに出す書類はあるかね。案内の証明に必要だろう」

「おじさん、冒険者? そこまで知ってる人、俺、じゃなくて、グレスって言うんだけど……初めて会った」


 どこか高揚した面持ちの彼、グレスに、旅をする中で必要になったもう一つのギルドカードを見せる。一端の冒険者であったことを示すための、身分証のようなものだ。見習いから始まり、1級まで順に数字が小さくなる冒険者の階級である。その中で4級となれば、一流の冒険者だと周囲から認められる。

 もう引退しているがね、と付け加えると、グレスは納得した面持ちになった。


「おじさん、じゃなくて、レイオンさん! 勇者と同じ名前なんだ」

「偶然でね。若い頃はよく聞かれたが、とても似てないだろ」

「うーん、まあね」


 書類に魔力印を押してから、グレスの先導で歩き出す。


「でもあの通りに住む知り合いなら、レイオンさんよっぽど古い知り合いだね」

「ああ。二人とも幼馴染でな……私が引っ越してきたとき、最初に友達になってくれたのだよ」

「そうなんだ」


 そんなことを会話しながら歩くと、見慣れない街並みにひそかに動揺する。区画整備があった、というのは、既に聞いていたし、目的の幼馴染も索敵魔法ですぐに見つけられる。だがしかし、街の中をわざと歩いていきたい、と思っていた。

 人々の会話に耳をそばだてるが、危惧していた内容はどこからも聞こえてこない様子だ。


「ほら、あれが、前はバンゲルク通りだったっていう証の碑だよ」

「……ずいぶん、警備が厳重になってしまったな。当たり前だが」

「……そりゃあ、そうだよ」


 呆れた目で見てくるグレスに、すまんすまん、と謝る。


「十五年以上帰らなかったから、まるで知らんかったのだ。だが、当たり前か」

「うん。でも、昔を知ってる爺さん婆さん達も、よく言うよ。仕方ないとはいえ、ちょっと寂しいって」


 私とグレスが見つめる先。

 巨大な門に、鎧の騎士。街の中で、そこから先がまるで隔離されたかのような造り。他の家々に比べると、明らかに大きく、そして装飾がしっかりと施された屋敷ばかりが続いている。

 出入りを待つ人々もいるが、多くは観光客の様子だ。街の中ではあるが、身分証を提示しているのが見える。それだけ警備が厳重だということであろう。


「今はなんと?」

「エルメリリア通り」

「……なるほど、違いない」


 私がこの街を訪れた理由、それは”離婚の承認役”となるため、だ。

 魔王討伐の仲間であり、大親友である元騎士のステファノ。そして、その妻となったエルメリリア姫。

 かつて誰もが祝福した英雄同士の結婚。

 今もなお、物語の英雄と姫だと、ある意味勇者である私以上に慕われる二人。

 身分差を乗り越えた恋物語として、愛を貫き通した真の騎士道として、民に愛される二人。


 その二人が、離婚するという。

 結婚の認め役を果たした私に、その連絡は二人の執事より伝えられた。


「で、レイオンさんはここを見に来たの?」

「中の者に用事がある。すまないな、手間をかけた」

「えっ。……あ、ううん、大丈夫」

「ありがとう」


 銀貨を一枚。こうした報酬のうちでは、かなり破格だろう。驚く顔をする彼を置いて、門番を務める騎士の元へ向かった。列に並び始めてすぐ、騎士がもっともらしい理由を言いながら、私を早いうちに通してくれた。

 むろん、見せるのは、本物の身分証だ。不思議だが、こういう場では、こうしたものが最も役に立つし、分かりやすい。


「話は?」

「伺っております」


 低い声で答えてくれた彼は、何処か沈痛な面持ちをしていた。


「それでは」

「お願いいたします」


 観光客でごった返す通りを抜けて、奥へと向かう。二人が暮らす屋敷は、通りの奥にあった。

 ひっそりと探知魔法を使い、思い知る。


 おそらく。

 おそらく私が思っていた以上に長い間、この屋敷は外観の手入れだけが続けられていたのだろう。中に、人気は、まるでなかった。代わりに二人の反応は、遠い場所にある小さな屋敷から伝わってくる。


「……そうか、君たちは」


 ずっと長い間、我慢していたのだろう。

 そんなことを、ふと思った。


 魔道具の効果を裏路地で静かに切り、私は彼らの元へ、一足飛びに転移した。


「久しぶり!」


 ああ、あの日と同じ笑顔を、私は浮かべていられるだろうか。

 彼らは次の旅路を選んだだけだ。そう思って、祝福できているだろうか。








おわり

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ