マリー・ゴールドの退廃した都市での騒々しいある一日
遥か昔、世界を巻き込む大戦があった。
何年も続いた戦争は世の中のありとあらゆるものを破壊し、戦争が終わるころ、そこには何も残らなかった。
国も歴史も文化も社会も何も残らず、只々かろうじて生き残った人々だけがまた一から生活を営み始めた。まっさらな状態になった世界で生きていく人々はやがて当時の事も忘れてしまったが、戦争が起きた原因だけは忘れなかった。そして二度と同じことが起きないようにソレを捨てた。
憎しみ、怒り、恨み、妬み、人が持っていたとされる負の感情。人間の黒い側面を捨て去り、真っ白なまま生きていくことを望んだ。
そして捨てられたソレらは世界から放逐されるようにある一点に集まり始める。
どうしても真っ白になれなかった人たちと共に。
そうしていつしかソレらが集まる点は『黒の街』と呼ばれ、真っ白な人々が住む世界と途絶した社会が構築されていった。
「もう起きてよ。ほら!!」
「………………………。」
時刻は昼に差し掛かろうかというのに、未だ全く起きる気配を見せないことに呆れが募る。この家の主はいつもそうだ。夜行型で不規則な生活習慣で動いていて、それに振りまされるこっちの事なんかちっとも気にかけていない。
傍若無人で傲岸不遜。
普通なら私はこんな人と知り合いにすらならなかったかもしれない。
けれどあの日、命を救われた日から相性が合わない二人の奇妙な同棲生活が今まで続いている。
「ご飯、そろそろできそうなんですどぉ――!!」
耳元で叫んでいるのに全く反応は帰ってこない。枕にうつ伏せで顔を伺うことは出来ないが、すやすやと寝息は聞こえる。困ったものだがもしも寝ている時に不用意に触ったりするとヒドイ目に合うのはもう学習済みだ。
こうなったらしばらく放置するしかないようだ。
「はぁぁ……。」
私、マリ―・ゴ―ルドがこの街にやって来たのは諸事情があってだが、右も左もわからない私は血が飛び交う喧嘩に巻き込まれ、襲われているところ命もからがら助けてもらい、そのまますやすや寝ている彼女、クロノと契約した。
契約の内容は、
この街での一切の危険から護る代わりに私が彼女の家に住み込み家事を担当する、
であった。
その日から炊事、洗濯、掃除、全て私がやっている。
生まれ育った村にいた頃とは環境が何もかもが違い、初めは大変だった。慣れない場所でろくに道具も無く、近所の地理もわからない為に足りない物を買いに行くことも出来ず、右往左往する毎日。この街に慣れるまではとにかく大変な日々を過ごしてきたものだ。
いや、慣れてきた今でも大して変わっていない。例え(ここが馴染みの場所で)どこに何があるかわかっていてもホイホイとそこに行くことは出来ない。何故ならば決して私一人では自由に外は出歩けないからである。
ここは、この街はそういう場所なのだ。
今私が生活している街、通称『黒の街』はとてもシンプルなル―ルに支配されている。
それは「力」である。
力無き者はより強い力を持つ者に搾取される。
それが当たり前であり、街中では常に喧嘩が起きていて、日々流血沙汰は絶えない。私のように何の力を持たない者がこの街で歩くというのは大自然の荒野に鴨にネギを背負わせて放つようなもので、きっとものの数秒で狩られてしまうだろう。
力無き者は力を持つ者に蹂躙され、何もかもを奪われる。
弱肉強食の摂理がまかり通り、力によって支配されている街。
訳あって今こんな街で生活しているが、私が生まれた村は、いや私が暮らしてきた世界はもっと人は大らかで争いなんて起きず、皆がみな互いに譲り合いながら足りないところを補いあって生きていた。誰もが他人に優しく、村の皆で一つの家族で。殺人はおろか喧嘩だって起きたことは無かった。この街とはまるで正反対だった。……………私の故郷の人たちはきっと一生こんな街になんて来ずに済むはずだ。それは私だってそうだったはずなのに。あの事件さえなければ私だって…………。
「ご飯、…………早く持ってきて。」
ようやく起きたクロノはぶっきらぼうに私に指示する。散々待たせた挙句にこの物言いだがここはぐっと我慢をする。立場は私の方が下だ。
「わかったってば。今すぐ持ってくるからちょっと待ってて。」
「ダメ。とっとと持ってきて。」
かぶせ気味に言ってくるこの家主。寝起きで少し不機嫌なようだ。
黒のチュ-ブトップに黒い短パンは寝ている際の服装のまま。だらしなく着こなしている様はまさに寝起きである。それとは対照的に髪は流れるような長髪のストレ―トで乱れは一切無い。黒い髪は光を反射して眩しさすら覚える。
癖毛で毎朝の手入れがややこしい私にとってそれだけ腹立たしい。
「いいから早くして。」
再度催促を受ける。
(あ~もう!!)
正直イラっとするが、もう一度我慢だ。がんばれ私。
一応キッチンと呼べるほどに物が揃いつつある部屋に入り、先程まで作っていた料理の仕上げと温め直しを行う。簡単なキャベツとジャガイモのス―プに火を入れつつ、バレットを二枚切り、片方にバタ―を塗る。
しかしちょうどバタ―が切れてしまった。買いに行かなければならないが、これもまた一筋縄ではいかない。
バタ―は貴重品だ。というよりも食料品はどれもここでは貴重な品である。この街では全くといっていいほど生産活動は行われていないからだ。この街で消費される一切の食料や生活必需品はある例外を除いて、外から持ち込まれている。その為に数は少なくなるし、需要に追いつかない。それでもこの街の人間たちが少なくならないのは力さえあればそんな状況でも飢えないから、自身の力次第でいくらでも好き勝手が出来るから。そんな街では生産活動なんて行われなくて当たり前だろう。殆どの人間は他人から奪うことを前提にして生きている中、せっせと野菜やらを作っていたらすぐに襲われるし、奪われるだけである。
温めた料理を食卓に並べて食べ始める。ちなみに持って来た時もクロノは一切の感謝を述べることは無かった。………………まぁどうでもいいことだけどね。
「そういえば、バタ―が切れたわ。後で買い物に行きたいんだけど。」
「……………………………………………………………。」
何も言わず、じっとこちらを見てくる。光を吸い込むような黒い瞳は何かを含んでいるが、表情は全く変わらないので読み取れない。
「な、何よ?バタ―とか足りない物を今日買いに行こうかと思ってるんだけど?」
「あっそ。」
クロノの返事はそれだけで終わり、そのまま食べ続ける様にまたイラっとするが、しかしそれは表に出さずもう一度聞く。
「だから、今日中にウォ―ルテン通りのおばちゃんのところに行きたいの。」
聞いているのかどうかさえわからない様子であったが、かろうじて聞き取れる程の声で返ってくる。
その返事は余りに素っ気なかった。
「そう。……………………………………………………行ってきたら?」
(………………………………………は??????????????)
無理だと分かっていて言っているのだ。
この目の前の少女は私一人では行けないことを理解し、私との契約も覚えているのにも関わらず、こうしてそれを放り出すような無責任な言動を平気でとる。
気分屋であるとしてもこれはヒドイだろう。
………これはもういいだろうか。もう我慢しなくていいよね?
「…………………………………………………あんたねぇぇぇぇ!!。」
こうして私の怒号が飛び出すのも同居し始めてからほぼ毎日だった。
ずっと私がネチネチと言い続けたら、ようやく重い腰も動いたようで彼女と買い物に出かけることになった。
彼女、クロノは気分屋でいつだって気まぐれだ。
クロノは口数が少ない上にその表情を変えることがほとんど無い。クロノの笑った顔なんてそこそこ長くなってきた彼女との付き合いの中で一度か二度くらいだろう。そうした彼女だからこそクロノの考えていることを当てるのは難しい。そして彼女は気難しい。何気ないことですぐに機嫌を損ねてしまう。クロノと付き合うのはとても疲れるのだ。
しかし、そんな彼女も素直なところは多い。まず食欲には案外負ける。どんなに機嫌が悪くても美味しい物を食べたら簡単に機嫌が直る。これは間違いがない。もう何度もクロノの機嫌をとる為に使った手だ。
「行くよ。はやくすまそ。」
思考している最中にクロノが急かすかのよう言ってくる。こちらはクロノの準備が出来るのを待っていたのだがそんなことはちっとも気にかけていないようだ。
クロノの恰好はいつも着ている外着であった。黒のホットパンツにタンクトップ、その上に細身で小柄なクロノには少し大きめのコ―トだ。膝下まであるコ―トを着る彼女はその見た目だけは可愛らしい容姿からは不相応な貫禄が出ている。そして厚底の黒のロングブ―ツは重々しい印象を残し、全身黒づくめであるのが更にそれを助長している。
表からは見えないがコ―トの内側には無数の刃物が仕込まれている。そして腰には彼女が最も愛用している短刀が差さっている。この街では武装しているのは当たり前のことだが彼女はその中でも軽武装だろう。それはクロノの戦闘スタイルに起因している。彼女の戦闘スタイルはその短刀をメインにした刃物による近接戦、それも超至近距離で高速で刃物を自由自在に操り的確に相手を切り刻む。もう何度もクロノの戦闘を見たが、早すぎて何が起こっているのかわからないことがままある。速度がクロノにとって最大の武器であるからこそ軽装なのだ。
クロノが先に出ていってしまったので急いで追いかける。
「ちょっと待ってよ!!」
家から一歩外に出るとまず感じるのは血の匂いだ。そこら中で常に流血沙汰が起きているこの街では血の匂いが無くなることは無い。染みついたこの匂いはこの街そのものだ。
私達が生活している家は狭い路地の入り組んだところにあり、路地裏は陽の光も届きにくくとても暗く、ジメジメしており不快だ。とっとと抜けたいが入り組み過ぎていて慎重に進まないと迷うし、何度も曲がるために歩く速度は中々あげにくい。そんな中でも前を行くクロノはスイスイと進んでいく。当たり前だが彼女にとってはここはよく親しんだ庭なのだろう。こちらのことを一切気にかけないのはいつものことなので従いていくので私としては精一杯だ。
あぁ早くこの路地裏を抜けたい。
この街ではどんなものでも何かしらを売買している店の存在は珍しい。客がしっかりと対価を支払うとは限らないからである。そんな状況で商売する者は余程のアホか、もしくは有無を言わせない力を持っている者だけだ。
そう、これから買い物に行く店も売り子は只のおばちゃんだ。しかし、その裏に大きな力を持った存在がいる。それを皆が知っている。だからこそこの街で店が続けられているのだ。誰もこの店には手を出せないから。
そうした背景を持つ店はちらほらとある。お陰で街の住民は必要な物を揃えることが出来ている。大きな力を持つ者は街全体も支配できるのだ。
ウォ―ルテン通りに着いても人気が無く閑散としていた。少し珍しいことでこの通りはいつだって人通りは多く、今日の様に私たち以外誰も居ないことは滅多にない。
静けさに支配された空間を気にもかけず、重厚なブ―ツで足音を立てながら颯爽と歩いていくクロノの姿は今日で一番頼らしく思える。
余りの人気の無さにもしかしたらおばちゃんの店もやっていないのではないかと不安になってくる。それでは何の為に来たのか分からなくなってしまう。ウォ―ルテン通りのちょうど中央にある為、通りの入り口から店が開いているかどうか伺えないのでどうしても店の前まで行く必要はある。
私は心持ち足を早めた。
そして、閑古鳥が鳴いている店に着くのにそうかからなかった。
「バタ―と、……それと珍しくあるこの魚って何?」
「知らないよ。名前なんて何の役にもたちゃしないんだから。食えるよ。そう言われてる。」
そう言うおばちゃんは青い鱗を身にまとった身元不明の魚を秤に置いた。
「ちょっと!!買うなんて言ってないんだけど!!」
「うるさいこと言うんじゃないよ。聞いたんだから買いな。」
最早押し売りであるが、しょうがないので魚料理でも作ろう。どう食べたらいいのかも分からないけど。
このように店で生鮮食品だって手に入るし、衣服や家具などの生活必需品も売られている。けど、それらが一体どこから来ているのかは定かではない。しかし、そんなことは誰にとっても決して重要なことではないのだ。誰もが生きていくのが必死なのだから。
この街に流れてくる食べ物もよく出回る物とあまり見かけない物に分かれている。
新鮮な野菜などは不足気味だがジャガイモなどの日持ちする作物は豊富にある。塩も多く手に入るが逆に砂糖なんかは貴重で滅多に手に入らない。しかしこれも天然物は、の話だ。
サトウキビなどからでなく植物以外から作られた砂糖があり、それは至る所で売られていたりする。一体どうやって作っているのかは謎だが、この街ではそういった不思議な方法で作られたという物で溢れており、そうした物たちはかなり安く手に入る。
何でも街に残っていた前時代の遺物によって作られているそうだ。
私が生まれた村では野菜も肉も大地に植え、手間をかけて育てて、長い時間をかけて収穫してようやく手に入った。しかしそうしたやり方とは対称的に遺物を使っての生産は速く手間もかからない。
野菜や肉もそうした人工物ならば格安で売られていて、大した力を持たない者はそちらばかり食べて日々を過ごしている。もしもそれらが無ければこの街の住民の大半は餓死しているだろう。
摩訶不思議な物は食品以外にも他に沢山あるのだが、誰もそれらの製造の仕組みを理解していない。ただただ作られ、ただただ消費する。皆がみんなそうしたことは気にもかけない。自身が口にするものであろうが、食べれれば、生きていければ何も気にしないのだ。欲望のまま、好きに生きたいだけだ。
滅んだ前時代の遺物もこの街では幾つも発見されており、それらがどのような仕組みであるかも全く解らないままそれらが生み出す効果だけを街の住民は手に入れる。
遺物の有用性は高い。そしてその周りには幾重もの欲望が渦巻いている。いつだって奪い合いによる闘争は起きており、手に入れる為ならば最早何でもする。
この街の住民は揃ってどこかオカシイ。外から来た私にはそうとしか思えない。
「まいど。また来な。」
「ど―も。今日は余りに誰もいないから店も閉まっているのかと思ったよ。」
「まぁ。あんたたち何も知らずに来たのかい?近頃新しく街にアホどもがやって来たらしくてねぇ。そいつらが暴れまわってるからか、ここいらは誰も出歩かなくなっちまったってわけさね。てっきり黒の嬢ちゃんがウォ―ロックの旦那さまから依頼でも受けたから来たのかと思ったよ。」
クロノを指しておばちゃんが言う。
「ははは。」
(それは早く知りたかったなぁ。なら出てこなかったのに)
振り返り、一応尋ねてみる。
「クロノは知ってた?」
「……………………………………………。」
無言でいるクロノを見て私は悟った。これはついでだったな、と。
すでにウォ―ロックさんから話を聞き、依頼も受けていたのだろう。それを一切私には聞かせずにここまで連れてきたわけだ。
先程会話に出てきたウォ―ロックの旦那さまとやらは、この店の裏役であり、この街の顔役の一人である。
黒の街では数人の有力者が顔役として街を牛耳っている。それぞれが大規模な私兵を持ち武力で街の覇権を取らんと日々せめぎ合っている状態なのだ。そんな彼らは街に縄張りを持ち、そこでは自身が取り仕切る店をいくつも経営しているわけで。この店を含むこの一帯はウォ―ロックさんの縄張りというわけだ。
ウォ―ロックさんとクロノは個人的に繋がりを持っており、私も何度も会ったことがある。一見してわかるほど凄みと貫禄を持った人物であった。
出来れば会いたくはない。
噂をすれば何とやらではないが、その話をしてすぐに通りに大柄な男たちがぞろぞろと表れ始めた。10を遥かに超える集団であり、私は15、6人を超えはじめた所で数えるのを止めた。
「こんにちはお嬢ちゃんたち。なんか良い物持ってんねぇ??」
「いいねいいねぇ俺たちにも分けてくれよ。なぁ?」
「いやぁ、悪い様にはしねぇからよ。ちょっとついてきてくれよ。お?」
見るからに型通りのならず者集団であり、そうした前口上なんてこの街に来てからもう耳が腐るほど聞いてきている。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」
見慣れた光景に聞き飽きた台詞。そして容易に想像が出来るこの後の展開に思わずため息が漏れる。
「消えて。」
クロノは淡々と毒を吐く。本当に彼女はぶれない。
「嬢ちゃん、聞き間違いかな?俺らに向かって何言ってんだ?」
「おいおいおい、強がっちゃてよぉ。度胸だけで生きていける程世の中甘くねぇぜ?」
「ははははははははははははは。」
クロノの突然の暴言もいたいけな少女のせめてもの強がりと受け止めた様で男たちは笑っている。
彼女の容姿は一見只の少女であり、整っている顔はまるで人形のように美しい。勘違いしてしまうのも無理はないかもしれない。
しかし、そんな勘違いが命を落とす切っ掛けになる。
男たちの方こそこの世界をわかっていない。
確かにこの街では度胸だけじゃ生きていけない。だがそれよりも、最も大切なことは喧嘩を売る相手を間違えてはいけないことだ
命は私が持っているこの食べ物よりも軽いのだから。
流血沙汰が日常茶飯事のこの街の住民は血の気が勿論早い。しかし、そんな住民たちでも決して喧嘩を売らない相手がいる。その筆頭がウォ―ロックさんを含む街の顔役たちである。圧倒的な力を持つ顔役たちにとって今私の目の前にいるアホどもなぞ塵芥の存在だろう。
まず少しでも事情を知っている街の住民なら顔役の縄張り内で荒らし行為なんてしない。手が出せない禁則地域であることは重々承知しているからだ。
さっきクロノの様子からウォ―ロックさんから何かしらの依頼を受けているのは間違いないだろう。個人的に繋がりを持っている為にクロノには今までも何度もウォ―ロックさんからの仕事の依頼があった。そしてウォ―ロックさんの縄張りで暴れている新参者のアホどもが居て、そいつらが居る場所にクロノはついてきた。
つまりクロノの受けた依頼はアホどもの駆除だ。
先程の暴言もクロノなりの警告なのだ。
お前たちはもう目をつけられてしまった。命が惜しければこの街を去れ、と。
普通に考えればあんな短い言葉で伝わるわけは無い。しかし、あれで彼女には精一杯のコミュニケ―ションなのだからしょうがない。むしろこの街の住民であれば何も言わずに殺すのが一般的なことを考慮するとクロノの対応は情がある部類だ。
彼らは限りないチャンスをもらった。しかしそれに気付くことは一生無いだろう。
「邪魔だって言ってたから。早く消えた方が………………………もう二度と言わないから。」
クロノの声のト―ンが明らかに下がっていく。本気になっていくのが手に取るようにわかり、二度目のクロノの警告を彼らも少しは真面目に受け取ったようだが、しかしそれを逆方向に受け取ってしまった。クロノに挑発されたものだと勘違いした彼らはクロノにいきり立つ。
「何言ってんだこのアマ。」
「よくわかってね-みたいだな。俺たちあんま怒らすなよ。」
「嬢ちゃんに悪いが、言ってることわかんね―わ。もうちょぉとなぁ、俺らにもわかるようにしてくれねぇ「そう。じゃぁ、わかるように殺してあげる。」」
瞬間、話していた男の喉にはナイフが刺さっていた。
糸が切れたように体が崩れ倒れるのを見てもその場にいる誰しもは言葉を失ったままだ。クロノが投げたナイフは音もなくならず者の命を刈り取っていった。
私には、いやこの場に居る誰もが全く、その動きを追えていなかった。
「ふ、フザンけてんじゃね―ぞクソアマァぁぁぁ!!!」
激高した一人の男がクロノに向かってくる、が次の瞬間にはその額に角の様にナイフが刺さる。倒れていく男は既に息絶えている。また誰もクロノの初動を掴めず、突然の死の恐怖に彼らには動揺が広がっているのが見て取れた。
この街で喧嘩を売ってはいけない者は何人かいる。先程述べたように街の顔役たちがそうであるが、彼らの力は組織の力だ。しかし、個人の力のみでその危険人物のリストに名を連ねる者がいる。圧倒的な戦闘力を持ち、圧倒的多数の集団相手にも引けを取らない力を持つ者だ。
そしてこの街には一人、街の象徴のような人物がいる。
その者は力を体現し、街の名を現すかのような人の黒さを身に纏っている。罪も悪も全てを内包し、あらゆるものに死をもたらすと言われた。
黒の街に愛され、街そのものとまで言われる一人の少女。
出自も名もわからない少女はいつの間にか現れ、そしていつの間にか街の頂点に立った。
いつしか人々は彼女を『黒の乙女』と呼び、街の象徴として崇め始める。
名を持たぬ少女は周りから呼ばれるうちに自身を『クロノ』と名乗るようになった。
「お、オイ!!囲め囲め!!一気にかかればナイフだって一度には2本しか投げれねぇんだ。そのまま押し切れる。」
リ―ダ―と思わしき男が指示を飛ばしてようやく呆然としていた男たちも戦闘態勢に入った。クロノも腰に差していた短刀を抜き、これではすぐにでも戦闘が始まってしまう。
やばい。このままじゃ戦闘に巻き込まれる。
慌てて周りを見渡すと店のシャッタ-を閉めようとしていたおばちゃんと目が合った。
「…………………。」
「…………………。」
「入れて下さい。………入れてくれますよね?」
「自分で頑張りな。」
一呼吸の間に意思疎通を図ったものの、無情にも一瞬でシャッタ-は閉じられてしまった。
(嘘でしょ?????!!!!!!)
「この薄情もぶべまぁ。」
「うるさいし、ちょっとあっち行ってて。」
蹴られたかのような鋭い痛みの後、クロノの冷たい声が聞こえたが壁に打ち付けられたような強い衝撃と共に私の意識は闇に落ちていった。
「うううぅぅ………。」
「気が付いたかい?ならとっと起きてそこどきな。」
私が目を覚ました時、おばちゃんの店の前に無造作に投げ出されたままであった。
おばちゃんから無常な言葉が投げかけられる。
「うぅ………ヒドイ。目の前でシャッタ―閉めたくせに。」
「当り前さな。この街で情なんてものには何の価値もありゃしないからね。」
それは身に染みる程味わったこの街の真理だ。
情なんて抱いていたらまず命は無い。
「わかってますよぉ。…………………………はぁ、それでどうなりました?」
おばちゃんを見ながら先ほどの騒動がどうなったかを聞く。
「あんたが起きる随分前に終わったよ。全部片付いた。一瞬さ。流石黒の乙女さね。」
わかりきった結末だったようだ。しかし、クロノの姿は見えない。
「もう終わったんですね。それでクロノはどこに?」
「ウォ―ロックの旦那さまのところだろうよ。すぐ戻ってくるだろうさ。」
「そうですか。」
成程、報告に行ったのだろう。そして報酬を受け取りに。それならばそろそろ帰ってくる頃合いかもしれない。
(そうだ)
「そうだ。ありがとうございました。」
いきなりお礼を言い、頭を下げる私におばちゃんは怪訝な顔をする。
しかし、私には礼を言う理由がある。
「何言ってるんだい?感謝されるようなことはしてないよ。」
「いえ、気絶している間見ていてくれたんですよね?」
そう、気絶している間、おばちゃんは店を開け続けてくれた。私をどかさずに。店の前に置いていてくれたのだ。もしも私がどこか路地裏に転がされていたら今頃無事だったかどうかわからない。
「な、何言ってるんだい。あんたが勝手に店の前で転がっていただけさね。」
言われて照れているのか焦ったように言い返してくるおばちゃん。
例え口で否定されても、私は彼女にお礼を言いたい。
「それでも、ありがとうございます。」
「はぁ、これだから白の世界の住民は嫌なんだ。勝手に人の行為を良く受け取る。」
「はい。まだ私はこの街の住民では無いみたいですね!」
「…そうかい。ほら帰って来たよ。とっととおゆき。もう店閉めるよ!」
怒ったように言っているがその顔は少し赤かった。
言われた先に振りかえると、一切音もたてずにいつの間にかクロノが立っていた。
「帰る。行くよ。」
いつもと変わらないクロノがいつもの様にぶっきらぼうに私に告げる。
クロノの元まで走っていき、その頭をはた…こうとして避けられる。
「なんであそこで蹴るのよ!!蹴って飛ばす必要あった?!」
「……知らない。邪魔だったから。」
「邪魔ならまず一声かけてよ!」
クロノはいつだって一言足りない。不愛想な彼女は口数が少なく、大事なことを伝えないことも多い。でもそんな彼女もこうして付き合っていくと段々わかってきたところもある。先程も巻き込まれないように配慮した結果であるのは理解しているのだ。
「いいから。はやく帰ってご飯食べる。」
「作るのは私だけどね!」
全く、食欲には素直なものだ。しょうがないなぁ。
「じゃ、帰ろっか。」
帰り道の私たちの後ろには未だに無数の男たちの死体が転がったままだった。
この世界は二つに分けられている。
白と黒。
善の白と悪の黒。
遥かに広がる白き世界に只一点、ぽつんと存在している街。
この世の全ての罪と悪が集う場所。
ここは『黒の街』。
私、マリ―・ゴ―ルドは今、およそ私には似つかわしくない『黒の街』の只中で暮らしている。