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梅雨去り  作者:
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梅雨去り 2


 相変わらず雨が続く。梅雨前線は街に降り注ぎ、紫陽花と色とりどりの傘を咲かせていた。

 俺はと言うと、ずっとリサのことばかり考えていた。それはいつかの俺みたいに。馬鹿みたいに。あの夜の決心は酔いが冷めても揺るがずに、さぁ、どうしよか。なんて思っていた。

 まず思ったのが、想いを伝えるタイミングがないということ。

 実際、リサにはもう十年くらい会ってなかった。あ、せやせや、ちょうど十年やな。最後に会ったのは確か成人式やから。うーん、もうだいぶ前やなぁ。

 それからは一度も連絡を取っていない。これがマズかったなぁ。少なからず連絡を取ってたなら、不自然じゃなく接触できんのに。

 会社から早帰りした夜、洗濯物を干しながらスギタニに電話してみた。

「もしもし、何?」

「もしもし。あ、仕事中?」

「うん。まだ仕事中」

「悪い。あのさ、この前のことなんやけど」

「何? この前のことって」

「ほら、リサのこと。想いを伝えるて言うたやん。俺」

「は? あれ冗談ちゃうかったん?」

「アホ。冗談ちゃうわ。マジやマジ」

「お前さぁ。止めとけよそんなん」

「なんで?」

「なんでって、お前、よう考えろよ。リサ結婚したんやで。普通に考えてまずいやろ」

「ちょっと待て。お前さ、なんか勘違いしてる。別に想いを伝えて不倫しようとかそんなんちゃうねん」

「じゃ、何やねん。意味が分からん」

「やからな、正直に想いを伝えたいねん。それだけや」

「なんか意味があるん? それ」

「意味なんて無いけど」

「とにかく言いたい、と?」

「そう」

「うん、まぁ、じゃあ勝手にしとくれ、という感じやな。俺は。で、いつ言うん?」

「それやねんけどな、チャンスが無いねん。会う機会が」

「ま、せやろうな」

「お前さ、同窓会とか開いてくれん?」

「アホ」

 そう言ってスギタニは電話を切った。くっそ、何やねんコイツ、と思ったが、ちょっと冷静に考えたら、まぁそうやろな、とも思った。

 無駄に夜道を散歩してみる。

 梅雨の切れ目で、ぐずぐずした天気やったけど雨は降っていなかった。夜の帳。都島通を歩いた。相変わらず交通量が多くて、光化学スモッグが霧みたいに漂っていた。その空気はなんとなく哀愁。どことなく恋慕。

 コンビニで百四十円のコーヒーを買ってなお歩く。気づけばけっこう歩いてる。川を渡ればもう天六だ。そんなに遠出をする気でもなかったから俺の履物はサンダルで、ぺたぺたと。アスファルトを踏む感触が気持ちが良かった。リサに会いたいなぁ、と思った。漠然と。

 でも同窓会はやっぱあかんな。

 だいたいにしてまず、スギタニに同窓会でクラスメイトを集客するほどのポテンシャルがない。冷静に考えたら分かることやん。そんなんさぁ。藁をもすがる思いで頼んでみたが、あんな藁、掴んだらすぐ引っこ抜けて転倒、共倒れ、お陀仏や。まぁ、結局藁の方から俺を避けたんやけどな。そしてもちろん俺にもそんなポテンシャルはない。

 で、もっとシンプルに考えた。

 よく考えれば携帯にまだリサのアドレスが残ってるんちゃうかと。電話帳を見てみる。えーと、ハ、マ、ヤ、ラ、リ、リ、リ、あっ、あった、あった、これや。ちゃんと「リサ」で登録してある。うへー、まさかまだ残ってるなんて思わんかった。

 天六の駅近にあるつけ麺屋に入る。古風なテーブル。その下には週刊誌やゴルフ雑誌なんかが置いてある。冷たい水をゴクリと飲んでつけ麺を待つ。ここのつけ麺は超濃厚魚介系で、どろっとしたスープに太麺が上手に絡み、美味い。たまに来る。

 さて。どうしようか。

 ポケットから携帯を取り出し、液晶にうつるリサのアドレスを見て思う。とりあえずこの番号にメール、もしくは電話をすれば現実的にリサに繋がることができ、そして何かしらの意思疎通を図ることができるのだ。うーん。かなり久しぶりやからここはメールが無難か? いや、でも想いを伝えるなら電話の方がベターか。

 てかそもそも今もこの番号のままなんやろか。変わってへんやろか。変わって俺に連絡してへんとかないやろか。頑張ってメールしてエラーメールから早々のお返事、なんて最悪過ぎる。ほんまに。や、しかしこればかりは連絡してみないと何とも言えない。参ったなぁ。

 超濃厚魚介系に麺をしっかり絡めてすする。噛み応えがあり非常に美味。中盛りにしたけど、大盛りでもよかったかなぁ、なんて思う。でもちょっと胸が苦しい。リサよ。て、何やってるんやろ、俺。アホみたいやな、俺。スギタニの言う通りやわ。

 外に出たらまた雨が降り出していた。仕方ないから天六駅から谷町線で、地下鉄に乗って帰る。ベランダの洗濯物の無事を祈って。

 地下鉄の中でリサにメールを送った。

『結婚おめでとう』



「で、それでなんて返ってきたん?」

 数日後、淀屋橋近辺にある立ち飲み屋。俺はまたしてもスギタニを呼び出していた。メールの画面をスギタニに見せる。

『ありがとう。久しぶりやねぇ。今は大阪におるん?』

「えっ、何かええ感じやん。てかエラーメールちゃうかってんなぁ。良かったなぁ」

 スギタニは興味津々で、楽しくてしゃあない、という感じに見えた。

「うん、せやねん。それはまぁ、とりあえず良かった」

「で、それで?」

 スギタニがビール片手に前のめりになる。

『久しぶり。俺は相変わらず大阪やで! リサは?』

「なんかお前のメール、浮き足立っててキモいな」

「うるせぇ。で、その返事がこれ」

『私も大阪やでー!』

「あぁ、うん。それで?」

「これから返してない」

「え? なんで?」

 驚いた顔で俺を見る。

「いや、なんかさぁ、何話せばええんかなって思って。これさ、『大阪やでー!』で一旦話完結してるやん? ほんで、そこから何の話すればええんか分からんくなって」

「なんやそれ。お前全然あかんやないか」

「だって意中の女の子とどきどきしながらメールするなんてもう何年もなかったから」

「うわぁ、気持ち悪いことシレっと言うなぁ」

 うん、自分でも内心気持ち悪いと思った。でも事実やからしゃあないやんけ。芋焼酎を水割りでたのむ。

「てか正直、メールは失敗やった」

「そうか?」

「うん、やっぱこれ、会わなあかんわ」

「あー、まぁでもそれはなかなかハードル上がるなぁ」

「せやねんなぁー」

「うーん、まぁ、でもリサもまだ新婚やし、もし会っても間違いは起こらんやろ」

「おい。こら、こら。そんなんちゃう言うたやろ。人を獣みたいに」

「十分獣やわ。今更、なんか頑張ったりして」

「今更か……」

 まぁ、スギタニがそう言うのも仕方ない。確かに今更や。でも獣、ではないよなぁ。多分。うん、多分。なんかはっきりケジメをつけたいだけやねんなぁ。極力迷惑はかけへんようにするから。

「とりあえずメール、返してみたら?」

「それしかないよなぁ」

「そりゃそうやろ」

「うーん」

 なんて唸ってたらスギタニが俺の背中をばんと叩いた。平手で。突然でびっくりした。

「お前なぁ、どうせやるならしっかりやれよ。もじもじせんとさぁ。俺は一応、応援してやるからさぁ」

「おう」

 何やってるんやろ、俺。三十にもなって恋にもじもじして、友人に励ましてもらって。背中押してもらって。情けねぇ。ここは一つ、頑張らな。やるでぇ。友よ、俺はやるでぇ。

 そのままの勢いでメールをうつ。

『大阪ならさぁ、一回会わへん?』

 で、その晩はしこたま飲んだ。

 帰り道、ウォークマンで青春パンクを聴いて帰った。足、千鳥足。手、エアギターチックな動きさせて。薄汚れた野良猫ですら俺と目を合わせようとしなかった。



 あまり乗り気ちゃうかったけど、週末は彼女と遊園地に行くことになった。彼女と会うのは三週間ぶりやった。

 朝、大阪駅で集合した。久しぶりに会った彼女は少し髪が伸びたみたいで、茶髪の髪を軽く巻いていた。細身の身体にアイボリーの上着を羽織って、その下はユニクロのシンプルなシャツやった。

「髪型変えた?」

 道中の環状線の中、横に座る彼女に聞いてみた。

「あ、うん。分かった?」

「うん」

「うれし。どう?」

「ん、良くなったと思う」

「ありがとう」

 ほんまにちょっと嬉しそうやった。でもどことなくちょっと以前にはなかった壁がある感じ。思えば最近あんまり連絡を取ってなかった。

 遊園地の前まで来ると、週末やからかめっちゃ混んでた。入り口から長蛇の列。うへー、すげぇ人、なんて思ったが、俺たちはこの遊園地の年間パスポートを持っていた。付き合ってすぐくらいの時に二人して買ったのだ。やからなんだかんだ混んでてもすんなり入れるやろうなぁ、なんて勝手に思ってた。しかし、

「お客様、申し訳ございませんが、本日は年間パスポートの対象除外日になっております」

 受付のお姉さんは少し気まずそうに言った。

「えっ?」

「あの、パスの裏に除外日が書いておりまして、今日がちょうどその日で……」

 裏を見ると確かに除外日一覧の中に今日の日付が。うへへー、これには参った。

「あの、一応聞きますけど、除外日ってことは入れないってことですよね?」

「そうです。申し訳ありませんが」

 彼女はめっちゃ残念そうやった。仕方なく二人、来た道を引き返す。

「久しぶりやったのになぁ」

「除外日とは参った」

「ちゃんと調べてくれば良かった」

「そうやな」

 彼女は少し怒っているようにも見えた。俺やって残念やった。

 仕方がないので、遊園地から割と近くにある水族館に行くことにした。近いって言うても更に環状線と地下鉄を乗り継いでいかないといけないんやけど。また並んで電車に揺られる。何となく二人、黙ってた。

 あれ以来、リサからメールの返信はない。やから俺は何年かぶりにあのブルーな気持ちを味わっていた。リサからメールが返って来ない時のあのブルー。普通にしてたら何もないんやけど、ふと油断した瞬間、それは俺の気持ちをぎゅっと握った。痛かった。

 リサのことを思い出してしまう。

 俺の中にあるリサの像は十年くらい前、高校生の時のものやった。高校の制服を着た黒髪の乙女。小さなくちびる。

 大人になった姿を想像してみる。ウエディングドレスじゃない普通の格好で。思い描く。想像の向こうに微かに見えたビジョン。黒髪の乙女、いや乙女というよりもう少し歳は上で、貴女という感じ。めっちゃ可愛いかった。やばかった。

 そんなことを考えてると、隣に座る彼女が急にありふれた、なんの変哲もない現実に見えた。

 水族館もそれなりに混んでた。人々の隙間からちらちら泳いでる魚を見る。子供連れが前の方を占領するから、全体的にあんまりちゃんと見れんかった。たまに、すごいなぁ、とか、大きいなぁ、とか言ってみたがイマイチ盛り上がらない。

 お、ここは空いてるなぁ、と思って近づいた水槽には魚はおらず、ダイバーみたいな格好をした係員がブラシで床を磨いていた。ごしごしと。これはこれで大変そうやなぁ、と思った。吐き出す空気は透明な塊になって、するすると水中を昇っていく。綺麗やった。新素材のような輝きやった。ついつい見入ってしまう。

「そんなん見たってしゃあないやない」

 彼女が不機嫌そうに言った。

「ま、そうやな」

 向こうの水槽にはカワウソ。めっちゃ交尾してた。人目も憚らずめっちゃしてた。

 なんやか中途半端な一日やった。



 メールが返ってこないまま二週間が過ぎた。

 俺のブルーは相変わらず続いていて、頻繁にスギタニを呼び出して居酒屋でおいおいと愚痴った。スギタニは半ば呆れていたが、まぁ、一応、ドンマイ、ドンマイなんつって俺を慰めてくれた。周りから見たらどんな二人組に見えたんやろう? 考えたくもない。

 天気も相変わらずぐずぐずで、雨降りばかりで、それが更に気持ちをブルーにさせた。彼女とも水族館以来連絡を取っていない。

 ほぼ、毎晩散歩した。

 都島通を真っ直ぐに歩いた。夜遅くても、雨が降ってても。恋、てのはこんなに辛いもんやったんやなぁ。なんて思いながら。

 実際、ほんまに辛かった。

 これは過去にも味わったことのある辛さやったけど、当時はまだ若く、希望、未来、少なからずの夢、等々、心にまだいろいろな良薬が効いた。でも今はもう駄目で、身体が恋をすっかり忘れてしまっているし、無駄に積み重ねてきたプライドもあるから、モロにそういうブルーの衝撃を受けてしまう。簡単に恋人を作ってばかりいるとこうなるんやなぁ。あかんなぁ。こういう時、大人なんてほんまに脆くて潰れやすい生き物やわ。

 てか、完成しない恋愛て、なんて素晴らしいんやろ。それはもう、ほぼ無敵な気がする。

 でも、もしさ、もしやけど俺がリサを手に入れることができてたなら、どうなってたんやろ? どんな今になってたんやろか? 二人で手繋いでデートしたり、ラブホテルに入ったり。或いは途中で別れたりしてまうんかなぁ、そんなんは嫌やけど。でも、もしずっと付き合ってたなら、リサもいつの間にか何の変哲もない現実になるんやろうか? そんなん半ば信じられんけど、まぁ、でも多分そうなるんやろうなぁ。それくらいのことは分かる程度に俺やって恋をしてきた。

 熱しやすく冷めやすい。結局そういうことなんやけど、何故こんな熱してしまうんやろ。しかもリサはもう結婚してもうたのに。厄介なもんやな、初恋なんて。燃えちまって。俺。

 家を出る時は雨が降ってなかった。でも最近の傾向からいって歩いてる途中で降られることもあると思い、ビニール傘を片手に家を出る。

 すると案の定、天六の駅が見えたあたりで雨が降り出した。俺は傘を開く。が、雨はどんどん強くなり、横殴りの、スコールみたいな感じになって街に打ち付けた。空がごうごう鳴いている。ほんまにものすごい雨。ちゃちなビニール傘で耐えられるレベルではなかった。俺は何とか天六の駅まで駆け込んで、堪らず地下へ降りる。

 地下には同じように避難してきたのであろう人々が大勢いた。観光客や学生やら。みんな濡れていた。どどどぉーっと強烈な雨音が地下にまで響いてる。

「参ったわねぇ」

「びっしょ濡れよ」

「最悪、最悪」

 なんつってみんな話してる。

 それにしてもこの雨足、おそらく通り雨なんやろうけど凄い勢いやなぁ。靴もズボンもめっちゃ濡れてた。これは帰りはまた地下鉄で帰るしかないなぁ。

 地下鉄は通勤ラッシュの時間を過ぎて空いていた。人は疎らやった。

 俺はシートに座り、雨に濡れた傘を巻く。すると、表面に付着していた雨水が押し出され、雫になって傘の先端からぽたぽたと落ちた。雫はやがて水溜りになりゆっくりと流れ出す。それはするすると向かいの席の方へ流れていった。何気なくそれを目で追う。向かいの席には女の人が一人座っていた。

 何気なく顔を見ると、驚くことにそれはリサやった。

 いや、正確にいうとリサによく似た女の子。リサかもしれないし、もしかしたらそうではないかもしれない女の子。驚いた。

 声をかけるべきか、本気で迷った。焦った。リサなんか? 君、リサなんか? 声に出して聞きたかった。でも不思議なことにそれは声にならなかった。気持ちだけが先に走ってるみたいな感じで。行動が、思考が、置いていかれてしまっていた。

 そして、なんやろう。リサは、彼女は、すごく神々しかった。もしかしたら彼女は、俺にしか見えない存在なのかもしれない。幻なんかもしれない。彼女は薄汚れた谷町線の列車の中で信じられないくらいの輝きを、熱量を放っていた。

 目が合うと、少し微笑んでくれた気がした。

 ちょうど十何年か前のリサのように。校舎の窓から俺に見せてくれたあの笑顔みたいに。花みたいに。

 いつの間にかみんな消えていた。人々も列車もシートも。俺と彼女、二人きりやった。会いたかった。ほんまに。会いたかった。と言ってみたが、多分声にはなっていなかった。

 その時、

「あなた、何なんですか?」

「えっ」

 さっきまで微笑んでたリサが、彼女が急にキッとした顔をしてる。見慣れた谷町線の車両の中やった。

「さっきからじろじろと人のこと見て」

「あ、いや」

「嫌なんで、やめてください」

「あ、はい。あの……」

 なおも俺を睨んでいる。

「ごめんなさい」

 傘から流れ出した雨水はにょろっと曲がって排水の方へ落ちていってた。誰にも見られず、静かに消えていった。



 気がついたら俺は都島駅に立っていた。

 階段を上がり、外に出たらまたいつもの街。いつもの交通量。光化学スモッグ。激しい雨はもう止んでいた。

 ふと、振り向いてみたけどリサは、あの子はもういなかった。そこにはまた灰色の雑踏しかなかった。いつもの。現実の。

 何にせよ雨は上がっていた。あんな激しい雨も、ちゃんと止むんやなぁ。あ、激しい雨やからこそピタっと止むんかな。なんて思って。

 雨上がり。息を大きく吸い込むと、夏の匂いがする。うん。めっちゃする。

 明日からまた生きてこう。千鳥足でもええから、現実をちゃんと歩いていこう。普通にそう思った。

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