梅雨去り 1
すべてを台無しにするように
真昼間。珍しく仕事で外出している最中、雨のステイションでスギタニの奴から電話が入る。出ようか否か迷った。
なんせ俺は最近、流れが悪い。ほんまに。非常に悪い。わざわざ足を伸ばして外資系CDショップへ行けばお目当の音源がなかったり、お気に入りのラーメン屋を堪能しようとチャリを飛ばせば臨時休業やったり、仕事が忙しくて何かとバタバタしてるし、それが原因でなんとなく最近彼女の態度も冷たいし、たまに電話をしてもなんだかつれないし。
そんな中、突然の奴からの電話。不吉でしゃあなかった。
そうこうしているうちに着信が切れる。切れると切れるで、まるで俺が人間関係を一方的に遮断したみたいで、無視したみたいで、何だか悪いことをした気持ちになって、やり切れなくて仕方なく折り返す。
スギタニはすぐに電話に出た。
「もしもし」
「もしもし。ごめん。電話もらってたみたいで」
「あぁ、うん。今、仕事中?」
「お前な。平日、火曜日、午後二時。普通のサラリーマンは仕事中やろ」
「ま、せやな。俺も仕事中や」
奴の後ろからは百貨店のアナウンスみたいな音声が聞こえる。ピンポンパンポーンなんつって。
「どうしたん」
「うん。いや、大したことちゃうんやけど」
「はぁ、何?」
「うん。お前さ、なんも聞いてない?」
「だから何が」
「あ、知らんか。その反応」
「おい。もったいぶんなや」
「あんな、リサが結婚したらしいで」
リサ。
ステイションにはざあざあと雨音。
なんとなく陰鬱な雰囲気で、電車を待つ人たちも皆気だるい顔をしてる。眼前を通過電車が足早に通り過ぎていく。すーっと。雨がホームの床を濡らしていた。俺が立つ場所は屋根のある場所やけど、吹き込みが激しく靴の先端が少し濡れていた。
唐突に聞いたリサの名前、そして結婚という単語はそんな映像をさっとシャープにした。
「何? それ、何情報?」
「SNS。今や情報はここからしか来ない」
「あ、そうか。SNS。最近全然見てなかったなぁ」
なんせ付き合い出して半年になる彼女の顔もしばらく見ていないのだ。
「お前に報告しといた方がええかなと思って」
「それはご丁寧に」
「付き合ってたんやっけ? お前ら」
「付き合ってへん。超、付き合いたかったけどな。俺は。て、こら。お前知ってるやろ!」
「なんや片思いかぁー」
「はっきり言うな」
「断られたんやっけ?」
「いいや、結局何も言ってない」
「チキンやなぁ。ははっ、ビビったんか」
「うるせぇ。そんなんちゃう」
嘘やった。それも情けないくらい浅はかな嘘やった。正直、ビビった。完全にビビった。
「あぁ、そう」
「お前、それが伝えたかったんか?」
「うん、そう」
「ふーん。そうかぁ」
「仕事中に悪かったな。ほなまた」
そう言ってスギタニはさっさと電話を切った。
雨はまだまだ止む気配がなかった。霧ががかった線路の向こうから対の明かりが二つ。電車が来た。不本意ながら各駅停車。俺は雨に濡れないように素早く車内へ入り席へ着く。終着駅まで、うとうともせず外を見てた。雨に濡れる灰色の景色を。
若い頃の恋愛で、想いを告げられない理由など、チキン、つまりはビビったという意外、どんな理由があると言うんやろう? 知っている方がいるなら教えていただきたい。
そりゃ、多少なりともややこしい事情、例えばー、その、なんだ、好きになった相手が友達の彼女やとか、他校のヤンキーの先輩と付き合っているなんて噂やとか、まぁ、あるやろう。でも結局、想いを告げられない理由というのはチキン、つまり勇気がなかった、としか言いようがないのではないか。纏めれば全部そうなる。と、俺は思う。
歳を取ってからの事情、例えば、うーん、憧れの上司には妻子がいる、とか、そんなんはまたちょっとちゃう気がする。勇気と無茶は別物だ。そこはちょっと冷静に足元を見ようや。と、俺は思う。
リサのことが好きやった。
俺の初恋。あれは確か、初めて会った中一から高三くらいの間までずっと。終わりはぼんやりしてるけどなぁ。うん。思えば結構長いなぁ。
リサはどうしようもなく可愛い女の子やった。少なくとも俺にとっては。
小さくて、肩まであるかないかくらいのストレートショート、黒髮。まさに黒髮の乙女、とでも言おうか。大人しい性格で、小さな薄桃のくちびるから可愛い言葉を話す。黒板に書く文字も、美術の時間に作る工作すら可愛かった。派手さはなかったので、万人からモテるわけちゃうかったけど、俺はどうしようもなく惚れていた。
俺とリサは仲が良かった。
何も物陰からひっそり恋心を抱いていたわけではないのだ。
よくメールしたし、学校でも話したし、廊下とかで、バレンタインやってチョコレートをもらった。手作りな。義理かどうかは分からんけど。みんなに配っとったけど。あと、一度だけ、デートしたこともある。
平日、朝「おはよぉ」なんてメールが来てたらその日はもう俺の勝ちやった。他に何があろうと俺の勝ちやった。逆に連絡が返ってこないと、めちゃブルーになった。
つまり俺は彼女の言葉、行動、一つ一つに一喜一憂してたというわけで、つまりそれは恋やった。
でもそれも昔のこと。俺ももう三十やし、それにちゃんと彼女やっておる。生活は寂しくなんてないし、別にもう、リサからの「おはよぉ」が無くても大丈夫。毎日ちゃんと、ブルーにならずに暮らしてる。満員電車で会社に行っている。
それでもやっぱりスギタニからの電話の、何かが引っかかり、数日後、俺は奴を呼び出した。スギタニは中高の同級生で、俺の親友であって、そのへんの事情を熟知しているのである。
土曜日の夕方。また雨が降っていて、梅田のビッグマン前は雨に濡れた人々の往来でどろどろになっていた。阪急の方からエスカレーターでスギタニが降りてくる。久しぶりに会ったが相変わらずで、焼きそばみたいな天然パーマの髪を小さなニット帽で抑えていた。
東通りに移動して素早く安居酒屋に入る。北新地になんて行かないところが良くも悪くも俺たちらしい。だから一向に進歩がないのかもしれないが。
「で、今日はなんや」
スギタニがニット帽を外して言う。髪がペタンコで、非常にキショかった。枝豆で空腹を誤魔化しながら、ビールで乾杯する。
「べっつに。何も」
「嘘つけ! どうせこの前の電話のことやろ! SNS見た?」
「見た」
あの後、見たのだ。半ば怖いもの見たさで。久しぶりにSNSにログインした。件の投稿は結婚式の写真やった。ウエディングドレス姿のリサがいた。
「リサ、昔から全然変わらんね」
「せやな」
「髪もずっと黒髮やし。昔よりちょっと長くなってたけど」
「うん、あと、ちょっと痩せてたなぁ。ま、だいたい女の子って結婚式前はダイエットするもんやしなぁ。ドレス着るし、身体細く見せたいし」
「旦那さんは分からんかったな」
「うん」
そうなのだ。SNSの写真には旦那さんが写っていなかったのだ。そもそも、件の投稿というのも、どうもリサ自身が投稿したものでなく、所謂、タグ付けという奴。誰々と一緒にいます、的な奴で、投稿主は知らない女子なんやけど、察するに、リサの結婚式に参加した友人があげたものらしく、「リサ、おめでとうー!」なんつってる投稿で、内容は自身とリサのツーショットだけ。旦那さんの写真がなかった。で、それがますます俺をヤキモキさせた。
めっちゃ男前でも嫌やけど、めっちゃブサイクも嫌。でもどちらか分からず、実態が見えないのが一番嫌やった。とりあえず、いいね! しといたけど、内心はあまりいいくなかった。リサの友達よ、どうせやるんならしっかり情報を取ってきてくれ。
「誰やろ?」
スギタニが一杯目のビールを飲み干して言う。俺もほぼ同時に飲み干し、目配せをして店員さんを呼ぶベルを押す。
「誰って、そんなん俺らの知らん人やろ」
「意外と中高の同級生とかかもしれへん」
「まさか」
「いや、分からんでぇ。ナルナールのこともあるし」
ナルナールは中高の同級生で、同じく同級生の女の子と結婚した。それも昔から付き合っていたわけではなく、どうも働き出してから再会して急接近したらしい。
「そんなんレアケースやろ」
「まぁ、せやけどさ。あるやん同窓会とかで再会して急に盛り上がるとか」
「おい。そんな同窓会に俺は呼ばれてないぞ」
「はは、俺も」
てか、そんなケースがあるなら俺と盛り上がってほしい。同窓会で盛り上がってほしい。
「相手、同級生とか嫌やなぁ」
「あ? そう?」
「うん、知らん奴の方がまだいいわ」
「てか、お前さ、やっぱまだ好きなん?」
「うーん」
二杯目のビールを飲み考える。揚げたてのフライドポテトを指でつまむ。ちょい熱い。
「分かんね。好きかも、もしかしたら」
「うわぁ、出たぁ」
スギタニが指さして笑う。
「いい加減あきらめろよ。てかリサ結婚したんやで? 今度こそもう終わりやろ。初恋を引きずる三十歳、男子。会社員。主任。ダサいで。ほんま。くっそダサい」
「うるせぇなー。別にな、本気で言ってるわけちゃう。ただ、ちょっと。なんか、ちょっと、なー、て感じやねん」
「ちょっと、なんやねん?」
「それを上手く言えへんねん」
その後もぐだぐだと飲んだ。
二人ともあまり酒は強くないから足にくる。いわゆる千鳥足で東通りをふらふらと歩き、道中、エロDVD屋なんかに寄って陳列されたAVのパッケージを見てああだこうだ議論したりした。
てか、今の時代、AVなんて誰が買うんやろ? 今時、全部ネットで見れるやろ、正味。昔は違ったなぁ。俺が高校生くらいの頃はネットなんて選択肢はなくて、夜な夜な親が床に就いたのを見計らってリビングに忍び込み、再生機をめっちゃ小音にしてAV見てた。丁度、VHSからDVDに移行する頃で、よく分からんけど、なんか円盤、画期的やなぁ、なんて思ってた。思えば必死やったなぁ。それは多分、俺だけちゃうけど。スギタニなんかもアホで、注文したAVを親がいない時間にわざわざ佐川急便の時間指定で受け取ったりしてた。カラクリはよく分からんけど、その綿密な計画を立てれる頭を別のことに使えばええのに、なんて思った。
それが今やDVDなんて遥か古のツール。その後ブルーレイが現れ、いつの間にかどんどんネットへ移行していった。文明は少しずつ、且つ着実に進歩している。で、十五、六やった俺は三十に。それなりの時間なのだ。それなりの時間が経った。いろいろあったし、いろいろ失くした気もする。もちろんちょっとかもしれんけど、手に入れたものもある。
でもふとした瞬間、リサはそこに立っていた。ずっと。昔と変わらず立っていた。
ぼやっとした頭で昔のことを思い出す。
「ほんま中学のときから変わらんなぁ」
休み時間の廊下。スギタニとキャッチボールをしている俺を見てリサは笑った。授業前の移動中ぽい感じ。くすくすの笑顔で。
「そんなことないで。俺の投球は日に日に進化してる。速くなってる」
そう言って俺はゴムボールを思い切りスギタニに投げた。シュン、と昼休みの風を切る音。
「な?」
「よく分かんないよ。てか、そうじゃなくて、もう高校生やのにいつまでも廊下で野球なんかして」
「いいやん。廊下野球、楽しいし」
「ほら、また中学生みたいなこと言う。こんなとこで野球なんてしてたら、また先生に怒られるで」
なおもくすくす笑う。
「大丈夫。すぐ逃げるから」
「ほんま?」
「うん。な、スギタニ」
「そうそう」
俺が変にカッコつけるから、スギタニはにまにましてゴムボールを投げ返してくる。そんなことを言ってたら、向こう側を生活指導の先生が通った。先生はすぐにこちらに気づき、すっごい剣幕で走ってきた。本気で捕まったら殺されそうなくらいの。生活指導の先生はほんまにおっかなかった。
「こらーっ、お前ら!」
「やべっ、逃げろ」
俺とスギタニは慌てて逃げる。無我夢中で校舎の中を走る。
捕まったら終わりや。汗をかいて階段を駆け下りる。すれ違う下級生たちは皆、変な目で俺とスギタニを見てた。そりゃそうや。普通、校舎の中をこんな全速力で走らんもん。
校庭まで飛び出すと生活指導の先生はもう追ってきてなかった。校庭はサッカーやバトミントンをしてる奴らで溢れてた。その中に紛れ、俺は肩で息をする。
「上手くまけたな」
「せやな。あー、やばかった。やばかった」
スギタニが額の汗を制服のシャツの袖で拭って言う。
「さ、パン売りでも行こか。ジュース飲みたいし」
「おう」
歩き出した時、振り返り校舎を見ると、教室の窓からリサがこっちを見てた。古くさい校舎の窓にリサの笑顔が咲いてた。手、振ってる。小さく。やから俺も振り返した。前を歩くスギタニに気づかれないように。
あれは高二くらいやろか。
なんかめっちゃ覚えてる。笑ってたなぁ、リサ。校舎の窓から。なんか花みたいやった。手、振って。風に揺れる花みたいやった。
茶屋町の方まで移動してカラオケに入った。年甲斐もなく青春パンクを歌う。いや、叫ぶ。高校生くらいの時、青春パンクてめっちゃ流行った。いろんなバンドがいた。今も生き残ってるんはほんまに一部やけど。当時、みんな歌ってた。青春パンクのいいところは、嘘が無くて、真っ直ぐなとこ。これぞ、まさに青春。そのものやった。
部屋を少し暗くして、二人で歌いまくった。
靴を脱ぎ、ソファの上に立って、声、がらがらになって、少し歌うたびにお茶飲んで喉を潤したりして。ジュースは口の中がべたべたするから最近は嫌やった。三十。俺たち三十。ウォウ、ウォウ。
青春パンクなんて聴く時は、当然誰かをイメージして聴いてた。俺にとってはそれはリサで、てか、俺、リサ、ほんま好きやったなぁ。めっちゃ好きやったなぁ。歌いながらものすごく思った。ほんまに結婚してもうたんかぁ。絶叫する。
「スギタニ、俺さ。決めたわ」
「え? 何?」
「リサに、ちゃんと想いを伝える」
ちょうど退出十分前の電話が鳴った。でもテレビからまた青春パンクのイントロが流れ出す。




