(十) 急転
(十) 急転
「か、課長……」
「ヒロシ、離れて!」
ミレイがゴーレムの中から叫んだ。
「そんな、死んだはずなのに」
俺は思わず後ずさった。死者が生き返ることなんてあるのか。
「ヒロシくん、こんなことになってしまって本当にごめんなさい」
「どうして……あのとき脈も呼吸も無かった」
「私、人間じゃないから」
「じゃあ、あなたは何なんです?
アンドロイドだとでも言うんですか?」
「そうよ、信じられないかも知れないけど」
「嘘だ!」
近年、アンドロイドの製造技術は飛躍的に向上し、
その造形は精巧を極め、外見などは人間と区別できない程の
製品が多く出回っている。だがその言動はどこか不自然で、
いまだ人工的な雰囲気が払拭できずにいる。
しかし、目の前にいる彼女は全く違った。
言葉も表情もまったく自然……もはや人間そのものだ。
「身体は機械、でも脳の半分は人間のものよ。
クローン技術で作られた人工脳だけど」
その言葉に、またパズルのピースが繋がっていく。
エルザさんが持っていた科学論文のファイル。
電子頭脳とクローン脳のハイブリットの人工知能……
もう実用化されていたのか。
ということは、課長はそのプロトタイプだとでもいうのか。
だが、そんなことよりもっと重要なことがある。
このアンドロイドは殺人を犯した可能性があるということだ。
「もしかして、あなたが殺したんですか?
エルザさんも、船長も、アキオも」
「……ええ、そうよ」
長い沈黙のあと、アンドロイドは静かに答えた。
「どうして、彼らには何の罪もないのに」
「殺したくて殺したワケじゃないわ!
ある役員の命令で仕方なく……」
そういえば彼女は自室に居ることが多かった。
ティルトウェイト社の上層部と頻繁にやりとりしていたのだろう。
「なるほど、口封じですか」
西暦三〇一五年の現在、地球全土で「世界経済連携協定」が
締結され、世界百五十の国と地域すべてがその協定に批准する形で
経済活動を行っている。
その条項のなかには貿易や商取引に関する規定があり、
現在、貴金属やレアメタル、レアアースなどの鉱物は、
国際連合が直轄する「世界貿易監視機構」の許可なしに
取引することは出来なくなっている。
貴金属の流通量と取引額を適正化し、価格の乱高下を
抑制するためである。
つまり国連の許可なしに物品の売買はできないということだ。
経済活動に国連が、政治が介入しても良いのか?
という疑問はある。
しかし近年、貿易手段が海上輸送から飛空挺や宇宙船へと
シフトしたことで、高速大容量化が進み、貿易額と総量が
増大した結果、輸送船と貿易会社を多く有する先進国が
資源や食料を買い占めてしまうという由々しき事態が発生し、
地球規模での富の偏在と貧富の格差が加速した。
これを憂慮した国連が、過剰な貿易取引を管理・抑制するために
作り上げたのが、この「世界貿易監視機構」と「世界経済協定」
である。
名目上は「協定」となっているが、実質的には国際法に等しく、
もし違反すれば国連から懲罰金を課されてしまうのだ。
「こいつをマダルト社に密売するとなれば、当然違法取引だ。
バレたらマズいってことですか」
貨物室にある莫大な数のコンテナを思い浮かべながら俺は言った。
ここ数年、貴金属の価格が高騰している。エルザさんのPCには
そうした貴金属の相場に関するニュース記事がたくさん保存されて
いた。
コンピュータとクローン脳を融合させ、相互にデータのやりとりを
するハイブリット脳……複合回路を製造するには、水分を含む脳との
接合部の耐食性が特に重要で、その導線には、必然的に耐食性と
電導率に優れた金や銀などの貴金属を使わざるを得ないだろう。
もし受注が増え、商売が軌道に乗ってくれば、
それこそ大量の貴金属が必要となってくる。
それでこの船に狙いを付けたというワケか。
医療分野などで高い需要が見込まれている技術だけに、
マダルト社としてはいち早くにハイブリット脳の製造に
着手したかったのだろう。
そして、その先端技術の嚆矢となる試作品が、
俺の目の前に立っている。
「お願い、話を聞いて」
セリーヌは悲しそうな顔をした。
表情も声も仕草も人間そのものだ。
機械とはとても思えない。
「俺も殺すつもりなんだろうが、そうはいかないぜ」
黒光りするベレッタの銃口を彼女に向けた。
「そんなことしないわ! だってヒロシくん、
私のことを命がけで助けてくれた」
「……」
「さっき私が死んだ振りをしたとき、
ヒロシくん泣いてくれた。抱きしめてくれた。
私、すごく嬉しかったの」
眼に涙を浮かべている彼女を見て、俺は激しく動揺した。
「脳の半分は人間なのよ! だから感情だってあるわ!
私、あなたが好き……ずっと一緒に居たいの」
「黙れ! おまえは機械だ!
エルザさんと船長とアキオを殺したんだ!
俺は絶対におまえを許さない」
銃を持つ手が震える。照準がなかなか定まらない。
「そう……」
セリーヌは顔を背けて、眼を閉じた。
「だったら撃ちなさい。その銃で私を殺せばいい。
もう、うんざりしてたの。今まで何度も期間従業員を
雇って鉱物を採掘させ、そして密売するために殺してきた。
事故死や突然死に見せかけてね。何十人もやったわ」
「……」
「所詮、私も会社の道具でしかない。
代わりなんていくらでも居るわ。
さっさと殺しなさい。
もうこんな人生、終わりにしたいから」
まるで人間のように泣いている。
俺は銃を構えたまま固まってしまった。
あれは人間ではない。機械だ、作り物だ。
エルザさんを、船長を、アキオを殺した犯人だ。
今までたくさんの従業員を殺してきた殺人マシンだ。
許せない、でも……
「くそっ!」
俺は銃口を下げた。
撃てなかった……相手は機械なのに撃てなかった。
「アドン様、サムソン様、カシナート号へようこそ」
突然、天井のスピーカーからBALの声が聞こえた。
エアロック側の気密扉が徐々に開き、そして大柄な男が二人、
格納庫に入ってきた。
マダルト社の輸送船に乗っていた人間だろうか。
俺が侵入者に銃口を向けると、二人も素早く拳銃を出して構えた。
動作に無駄がない。元警官か元軍人というところだろう。
互いに銃口を向けて対峙している。銃把を握る手が汗ばむ。
「オイオイ課長さんよ、ハナシが違うじゃねえか」
「従業員は全員ブッ殺ことになってるハズだぜ?」
二人はセリーヌのほうを見ながら全く同じ声で言った。
どちらも筋骨隆々で、身長二メートルほどの大柄な黒人だ。
一卵性双生児だろうか、角刈りで全く同じ顔をしている。
「アドン、ちょっと手違いがあって」
「しかもコイツ、拳銃を持ってるじゃねえか!
もしかして貿易監視機構の潜入捜査官か?」
アドンと呼ばれた男はドスの効いた声で聞いてきた。
「違うわ、捜査官はすでに始末してある。
彼はただの期間従業員よ」
課長が冷たい口調で言った。
捜査官って、もしかしてエルザさんのことか。
「へえ、そうかい……まあ何でもいいや。
殺してもかまわんだろ?
警察にタレこまれるとマズいからな」
アドンは不敵な笑みを浮かべている。
俺は心底恐怖を感じた。
たぶんこの男は一切の躊躇なく人を殺せるのだろう。
銃を構えたまま、ゆっくりと近寄ってくる。
「く、来るな!」
「どうした兄ぃちゃん? 撃てよ」
表情に余裕がある。
俺が荒事に関しては素人で、撃つ度胸など無いことを
知っているようだ。じりじりと近づいてくる。
「撃てないならそいつを捨てな、悪いようにはしねえからよ」
突然、俺の背後にいたゴーレムが動いた。
二人に向かって突進してゆく。
「死ねぇぇ!」
コクピットのなかでミレイは大声で叫びながら
ゴーレムを操り、ドリルアームを横凪に振り払う。
アームが二人の頭上をかすめる。
「気を付けろサムソン!」
「大丈夫だアドン、問題ない」
二人の男は大柄にも関わらず猫のように敏捷で、
ゴーレムが繰り出すドリル攻撃を容易く躱すと、
コクピットに向けて拳銃を乱射した。
だが銃弾はキャノピーに当たって、あらぬ方向へと
弾き返されてしまう。双子は同時に舌打ちした。
「BAL! ゴーレムを強制停止!」
課長が壁際にある端末に向かって叫んだ。
「了解、ゴーレムを強制停止します」
BALの無機質な声が格納庫に響くと同時に、
ゴーレムは突然動きを止め、糸の切れた操り人形のように
崩れ落ちて、両膝を床に着いた。
そしてキャノピーがゆっくりと開いてゆく。
「出てきやがれ」
二人の大男に引っ張り出されるミレイ。
「クソガキが、脅かしやがって……
おい兄ィちゃん、銃を捨てな」
アドンは拳銃の銃口をミレイのこめかみに当てた。
「このガキがどうなってもいいのか?」
さらに追い打ちを掛けるように言った。
ミレイは震えている。
俺はどうすればいいのか分からず、銃を持ったまま
完全に固まってしまった。
その隙を突いて、課長が俺の手から素早く銃をもぎ取っていった。
それを見たアドンとサムソンは銃をおろした。
「へへ、てこずらせやがって」
俺とミレイはロープで後ろ手に縛られてしまった。
二人の巨人が、俺たち見下ろしながらニヤニヤと笑っている。
「まだ殺すなよサムソン、たっぷり楽しんでからにしようぜ」
「そうだなアドン」
「やめて、私に乱暴するつもりなの? エロ同人みたいに?」
ミレイが震え声を出した。
「いや、おまえじゃねえよクソガキ」
「えっ……」
「俺たちは、そっちの兄ィちゃんに用事があるんだよ」
アドンとサムソンはいやらしい眼つきで俺を見ている。
マジか。
「兄弟でヤるのも飽きたからな。たまには違う男を抱きたいんだよ」
「可愛がってやるぜ」
マッチョ兄弟は下品な笑いを浮かべていた。
褐色の顔に真っ白な歯が輝く。
アドンの巨大な右拳が、俺の腹に突き刺さった。
強烈なボディーブロー。たまらず床に崩れ落ちた。
「アニキ、オレもう我慢できねえ」
弟のサムソンが宇宙服を脱ぎ始めた。
筋骨隆々の褐色の裸体が露わになる。
「待て、オレが先だぞ、ハアハア」
兄のアドンも息を荒げながら服を脱いでいる。
「よせ……やめろ、何をするつもりだ」
オレは後ずさった。
「これからオレたちの愛情をたっぷりブチ込んでやる」
「心配するな、痛いのは最初だけだ」
アドンとサムソン……二つの黒い顔が目の前に近づいてくる。
ミレイや課長の見てる前で、俺は陵辱されてしまうのか。
絶望で目眩がしてくる。
「やめて! 私が相手するから、ヒロシくんには手を出さないで」
課長が突然叫んだ。
「あぁ? なに言ってンの?」
「オレらオンナとかマジ興味ねえし」
「つか、おまえ機械じゃねえか」
黒人兄弟は醒めた目で課長を見ている。
「たしかに機械だけど、人間と性交できるように作ってあるから」
「おいおい、聞いたか? サムソン」
「課長さん、この兄ィちゃんにゾッコンみたいだぜ」
「たまらねえ、ヤリ甲斐があるってもんだ」
「カノジョの目の前でカレシを犯すなんて、
最高に興奮するシチュだよなぁ、兄弟ぃ」
「やめなさい!」
課長はポケットから拳銃を取り出し、全裸の男達に銃口を向けた。
「おい待て、正気か? 俺たちを裏切るつもりか?」
ふいにドアロックの気密扉が開き始めた。
「シーマ様、カシナート号へようこそ」
BALの声が天井から聞こえて、気密扉がゆっくりと開いた。
そこには黒髪ロングの中年女が立っていた。
三〇歳ぐらいだろうか。美人だが鋭い目つきをしている。
女はアドンとサムソンが全裸になっているのを見るや、
血相を変えて懐から鞭を取り出した。
「おまえら、何をしている!」
彼女は鞭を振り回し、二人の男たちを激しく叩いた。
「ひ、ひぃっ」
「シーマ様、お許しを」
アドンとサムソンは両手で頭を抱え、壁際で身を縮めている。
「さっさと服を着ろ、この変態どもが!
積み荷をアタシらの船に移すんだよ」
「へ、へい」
二人は弾かれたように立ち上がると、ふたたび宇宙服を着込んで
ゴーレムに乗った。
「貨物室へ行け! ゴーレムでコンテナを移動させろ!
モタモタするんじゃないよ!」
二体のゴーレムはエアロックに入って気密扉を閉めた。
課長が俺のそばに駆け寄り、後ろでに縛られたロープをほどくと
すぐに抱きついてきた。
「ヒロシくん」
「セリーヌ」
俺も彼女を抱きしめた。セリーヌは機械なんかじゃない。
ちゃんと心がある。人間以上に人間だ。
俺はもう彼女がいとおしくてたまらなかった。
アキオを……友達を殺した犯人だというのに。
バチィィン!
突然、鞭の音が格納庫に響き渡った。
「アンタたち、何イチャついてるんだ!
課長、なぜ生存者が居る? 皆殺しにする手筈だっただろうが!」
女は課長を怒鳴りつけた。
「もう誰も殺させないわ、シーマ」
「あぁ? なに言ってんだ? 話が違うじゃないか」
シーマは俺とミレイを冷たい目で見てから、拳銃を取り出して
銃口を向けた。
「アンタがやらないなら、アタシがやる。
悪く思うなよ、これも仕事なんでな」
「お願い、やめて! もう人が死ぬのを見たくないのよ!」
セリーヌは俺とミレイを庇うようにして前に出た。
「駄目だ、セリーヌ!」
「大丈夫、ヒロシくんもミレイさんも絶対に殺させない。
私が守ってみせる」
セリーヌも拳銃を取り出して構えた。
「アタシたちに逆らうつもりかい? 惚れた男のために?」
「あなたたちの思い通りにはさせない」
「人形のくせに、色気付いてんじゃねえよ」
互いに銃を向け合いながら対峙するセリーヌとシーマ。
格納庫内の空気が、いっそう張りつめる。
「積み荷は全部持って行けばいい、でもこの二人は見逃して」
「駄目だ、サツにバラされると困るんだよ。
秘密を守るため一人残らずブッ殺す……そういうルールで、
今まで巧いこと密売をやってきたんじゃねえか」
「……」
「今まで何人殺してきた? 五十人か? 百人か?
死体が一つや二つ増えたところでどうってことないだろうが!」
「私が好きで人殺しをしていたと思ってるの?」
「アンタは会社の奴隷だ! 黙って言う通りにしてりゃいいんだよ!」
「違う! 私は奴隷なんかじゃない!」
「じゃあ欠陥ロボットだ! アタシが解体してやるよ!」
シーマとセリーヌが同時に引き金を引いた。
銃声。短い間隔で二度鳴った。倒れたのはセリーヌのほうだった。
刹那、俺の身体の中で何かが沸騰した。激しい怒り。
床を蹴り、低い体勢でシーマに体当たりする。
もつれ合い、倒れ込む。その拍子に彼女の手から銃が離れた。
幸い暴発はしなかった。シーマの腹の上に乗った。
マウントポジション。顔面を殴りつける。
五、六発殴ったところで、彼女はぐったりと動かなくなった。
我に返ったとき、俺は震えた。殺してしまったのか?
あわてて首筋に手を当てた。
脈動。息もある。気絶しているだけのようだ。
俺は倒れているセリーヌの傍らに寄った。
心臓のあたりに小さな弾痕がひとつ開いている。
「セリーヌ! セリーヌ!」
返事がなかった。
「嫌だ、そんな……目を開けてくれ」
俺は彼女を抱きしめた。涙があふれてくる。
ミレイが俺のそばに来て、そっと肩に手をおいた。
「俺は彼女が好きだった」
セリーヌを床にそっと寝かせた。頬を撫でる。
「彼女のそばに居られるのなら、会社の悪事に荷担したって
構わない。なんならアンドロイドになったって構わない。
それぐらいセリーヌのことが好きだったんだ」
「……」
ミレイは黙っていた。
突然、セリーヌが目を開けた。そして俺に抱きついてきた。
歓喜で気絶しそうになった。
「ずるいぞ、また狸寝入りしていたのか、セリーヌ……」
それ以上、言葉が出なかった。
抱き合い、そして唇を重ねた。
「もう放さない、これからはずっと一緒だ」
「でも私、あなたの友達を殺したのよ」
「好きで殺したワケじゃないんだろう。
悪いのはセリーヌじゃない、会社だ」
「ヒロシくん」
「たとえ世界を敵に回したって構わない。
ずっと俺がそばに居る。だから一緒に逃げよう」
スゴく恥ずかしいことを言ってしまったのだが
このときの俺は、それぐらい嬉しかったワケで……。
次回、最終回です。
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