95 恋病
◯ 95 恋病
「彼女は今日からしばらくここで働く事になった。皆よろしくな」
ルカード班長がそう言って、紹介をしている人物に見覚えがあったが、なぜここに?
「ミレイユ ハンシュートと言います。先輩方よろしくお願いしまーす」
いや、別人かも知れない。良く似た他人のそら似だきっと。ハンシュートさんは赤い髪を揺らして元気よく挨拶して軽く手を振った。
「おおー! 女の子だー」
「やったー。春が来たっ。よろしくしちゃうよ〜」
「ミレイユちゃんかー、かわいいなあ」
先輩達はそれぞれに浮かれていて、ザハーダさんはいつもと一緒だった。
今日も僕達はカシガナの世話だ。成長記録と契約の成功を調べる為に観察だ。最初に植えたカシガナはことごとく契約に失敗して、魔法生物班はがっかりしていた。しかし、昨日の新たな情報……まあ僕が見落としていた葉を食べる行為も試すという。
「んーと、食べるというか……まあそうなんですけど、どっちかというと世話の延長って感じなので、無闇には採ってないというかその……」
リリーさんは契約に失敗したのが悔しかったのか、グイグイと近寄って来ては根掘り葉掘り聞いてきた。私の気合いが負けるはず無いのにと怒り心頭で、どの位気合いを入れたか聞かれたが困る質問だ。
「んーと、本格的な植物を育てるのはあれが最初だったから、僕も気合いは入ってたかもしれないです」
「そう、気合いはかなり入ってたのね」
「そうだと思います。でも、あんまりストレスを掛けない方がうまくいく気がします。優しく接してください」
「そうなの?」
「僕はそうしましたよ? 環境も考えて森の土を少し運んだし……そういえば、単体ですね、実験のカシガナ」
「それよっ! 確か報告に何かと植えた方が良いとか書いてあったわ、そう! 寂しがりやなのね?! まっててね〜っ、吸血カシガナちゃんっ!」
そう言ってリリーさんは実験室に飛び込んで行った。おいていかれたティティラと顔を合わせて、溜息をついた。
「契約獣も大変だね」
僕がガラス越しにリリーさんを目で追いかけてるティティラに話しかけた。ティティラは全くだと言った感じでこっちに視線を一瞬向けて頷いた後、また元の方を向いた。しばらくして諦めたのか、僕の足下でふて寝を始めた。
僕はその間にまとめられた資料に目を通してチェックした。その後、満足げな顔で返って来たリリーさんに、ティティラは付いて出て行った。
「鮎川さん?」
顔を上げると今朝のハンシュートさんがいた。
「はい、ハンシュートさん何か用ですか?」
「あの、話があるんですけど……良いですか?」
何か、ちょっと言いにくそうに、俯き加減で上目遣いに聞かれた。
「え、あ、はい」
何だろう、彼女は初日だから、ザハーダさんが今日は面倒を見ているはずだ。だから、分からない事は無いはずだし。
「私、貴方の事が好きになったみたい……」
「…………は?」
言葉を理解するのにかなり時間が掛かってしまった気がする。人生初のシチュエーションだ。どうしたらいいんだ? って言うか……そんな要素は、今日のうちにあっただろうか? いや、無いはずだ。一目惚れとか言われても信じれそうにないぞ!? だって目を合わせたのも今さっきが初めてだ。
いや、よしんばあの、赤い髪の女性なら……いや、同一人物なのか?! 余計にその発言はありえない。
「それで、お付き合いして欲しいの」
また俯いて、話し始め……最後にまた上目遣いにこっちを見て来た。お、おつきあい?!
「え、そ、それはその……」
「良いでしょ?」
またしても……上目遣いで迫って来た。何やら距離が近くなって来ていると思ったら、一歩ずつ詰め寄られていた。
「ええ、とそれは性急すぎると言うか……お互い良く知らないし」
椅子から後ろに仰け反ってしまわないと、くっ付くほどに近い。
「私が嫌い? 前の事は謝るし……反省してる。だから、ね?」
前の事……という事はやっぱり本人か。ボヤ事件の際に物を投げつけて来た張本人だ。なんでここにいるんだ?
「って言われても……」
「お互いを知る為に付き合うのよ……ね?」
手を握られて更に迫られた。
「いあ、な、んで、好きになんてなれるのか分からないよ」
「いつの間にかよ? なんか考えてるとこの辺がムカムカして……鮎川君の事を考えると頭が熱くなるし……」
何やら説明してくれているが、なんだかおかしい。
「? それは逆じゃないのかな……」
「逆? 何の事?」
「あー、もうちょっと冷静になってから、話しをした方が良いと思うよ。手を離して貰っても?」
僕は少し冷静になれた。
「そんな、これは恋だと思うわ」
受け入れてもらわないと困る、といった顔で迫って来た。
「でも、その、いきなりそれを押し付けられても……困るよ」
それに、何か違う気がするんだ。
「男はこうしたら喜ぶものでしょ?」
膝の上に乗っかられてしまった。ぐっ重いし……痛い。身長差は多分向こうの方が高いのだから……それは止めて欲しい。嬉しいとかそういう余裕は無く、身が椅子に挟まれた痛みに顔をしかめていたら、
「そんなに嫌なの? 謝るって言ってるのに……。心が狭すぎっ! やっぱり気のせいだわっ、あんたなんてクズだわっ!! この、セクハラ男、離れなさいよ!!」
ムッとした表情で、またしても一方的な事を言いだし、離れた彼女に肘鉄を貰った。
「ごはっ」
椅子から転げ落ちて、したたかに腰を打ち付けてしまった。そんな僕を見ながらハンシュートさんは、
「……なんだかスッキリしたわ。どういう事かしら……?」
と、言った。……僕は何となく分かった。本人が言っていたじゃないか、ムカムカすると。
「もう一回殴らせてみて、それではっきりするかも」
遠慮したい……という要望は聞き入れてもらえそうにない。が、頑張って腕を前に出して押しとどまるように、説得してみた。
「あの、暴力は良くないと思うんです」
なんとか痛みをこらえて立ち上がったが、ハンシュートさんが目の前にいた。
「セクハラは良くないと思うわ」
そう言った後、唇を噛み、不機嫌な表情をこちらに向けている。それは違うんじゃないかな……でも、自信が無い。
「そんな……あれはハンシュートさんが乗っかって来てたし……」
一応、意見を言ってみたが、なんだか妙な圧迫感に後ろに下がると、拳を握りしめた怒りのハンシュートさんと目が合った。
「嫌そうな顔したっ」
引きつけた拳から、暗く赤い色が炎の様に薄らと立ち上っていた。かなりまずい気がする。
「それはがっ」
左頬にミレイユさんの拳がめり込んだ後、ゆっくりと宙に浮かんだ気がした……走馬灯は起きなかったが、
「往生際が悪いっ!!」
という台詞が聞こえて来た。その後は記憶に無い。
「ぶっっくっくっくっくっくっくっ……」
「マシュ、笑い過ぎだよ……」
「そうですわ、アキさんが可哀想ですわ」
「しかし、これ、傑作だろう……あはっはっはっひーっ、いたたっ」
「確かに腹がよじれるほどおかしい事を言ってるよね、この人」
「こういう方とのおつきあいは、遠慮したいですわね……」
「同感だよ。アキも頑張った方じゃないかな?」
「確かに彼女とは話し合うという余地は、あり得ないですわね」
「言葉が通じないタイプって、こういうタイプだよね」
「自身の事が全く見えてもいない……そんな状態で恋を語るなんて見苦しいですわね。しかも、勘違いに気が付くのが遅すぎますわ。確かに傑作ですわね」
「でも、アキが犠牲じゃ、ちょっと素直に笑えないよ」
「そうですわね、その後がいけませんわね……」
「確かに。この後のタコ殴りはダメだろう、一発で止めとけばまだ良かったのに。……幾ら自分が勘違いしてたのが悔しいからって頂けないな」
「それにこの人、それもアキのせいだとか叫んでるよね、どういう思考回路なんだろう。ボクには分からないよ」
「こちらに偽装して入り込んだ時点で、復讐に来たとこちらが判断しても向こうは返す言葉は無いはずですが……馬鹿に付ける薬は無いといいますが、全くその通りですわね、言葉を尽くして説明をする気が失せました。出入り禁止も考えましたが、折角ここに移転して来たのです。歓迎する事にしましょう。ほほほ」
「何か背筋が寒いぞ……」
「たっぷり歓迎して上げてね?」
「勿論ですわ」
なんだか話し声が聞こえて来ていたが、意識が水の中に沈んだ感じで、内容はよく分からなかった。僕はぼんやりとした意識の中、揺れる水に合わせて一緒に揺れていた。
気持ちよくそれに身を任せていたが、気が付くと真っ赤な炎が迫ってくるのが見えた。炎の中にハンシュートさんの顔が見え、髪も炎と同じに燃えていた。
僕は必死で逃げようとしたが、足が地面に縫い付けられているのかぴくりとも動かなくて焦るばかりだった。
炎は周りを囲みながら迫ってきて、ハンシュートさんが小さな火をこちらに投げつけて来るたびに僕は火傷を負った。
よく見ると僕の足は根っこが生えていた。手は葉になり……全身がカシガナになっていた。囲んでいたすべての炎が一斉に襲って来た…………どこかで悲鳴が聞こえた。
「動いちゃダメだよ」
「落ち着いて下さい、アキさん」
「あああ、あぁぁ、ぁ」
悲鳴は僕の口から出ていた。急激に感覚が戻って来てようやく分かった。夢を見ていたらしい。目が開かない……? またなんだか体が動かないし、痛い……。暴れている間は押さえつけられていたようだけど、それが無くなってもなんだかおかしい。
「落ち着いて聞いて下さいね。今、治療中で目を覆っているので見えていませんが、心配ありません。一時的なものです。治療が終れば視力は戻りますわ」
「……あ、あぁ」
また何かあったんだろうか……。声は出るのに、喋りにくい。
「あーっ、はうあっ! ひちゅ」
思い出した。殴られたんだった。それでどうしてこうなってるんだろうか? 思い出せない。と言うか、声を出しただけで何かあちこち痛いんですけど、どうなってるんだろう。見えないとよく分からないよ。
「興奮してはいけませんわ。落ち着いて下さい」
メレディーナさんが優しく言ってくれた。
「そうだよアキ、随分こっぴどくやられたね」
「あうあぁっ?」
「喋らないで……舌を噛んでるし、歯が折れてるから」
レイが少し説明してくれただけで、僕は聞く気が失せた。あちこちの痛みが倍増する感じがした。
「う……」
「痛み止めは効いていると思いますが、あまり普通に動かれてもいけませんので、少し押さえてます。我慢をして下さいね?」
僕は頷いた。説明によると、ハンシュートさんに目一杯に殴られたそうだ。ザハーダさんが来るのが遅かったら、失明していたかもしれないと言われた。う、そんなに? よっぽど鬱屈が溜まっていたのでしょう、とメレディーナさんは言っていたが……。
スフォラも今回はメンテナンスが大幅に必要な位壊れたらしい。身体強化された力で殴られてたので防護にもかなり負荷が掛かって、追いつかなかったのも原因だ。これだから脳筋は……とレイが呆れていた。
ハンシュートさんはボヤ騒ぎの後、母方の姓を名乗ってアストリューに来て移転を登録したそうで、普通ならそれだけで犯罪になるのだとか。他の二人も他の部署に潜り込んでいたので、何かを画策している可能性があると見て、メレディーナさんは何か対策をとると言っていた。
接近禁止の魔法をハンシュートさんには掛けたので、僕には近づけなくなったとの説明も受けた。あの感じだと、他の二人に良いように言いくるめられて、僕に近づいたのだろうとレイが言っていたけど……確かに言われてみればそんな気もする。
役者が悪すぎてぼろが出るのが早かったのでしょう、とはメレディーナさんだ。そこら辺はもう良く分からない。とりあえず、逆恨みによる犯行という見解だそうだ。
三人ともメレディーナさんの治療を受ける事になる、とレイが説明してくれた。陽護さんの例があるから安心だね、とレイに伝えたら、マシュさんのくぐもった声が聞こえた。どうしたんだろうか。見えないと色々不便だ。
スフォラは明日の午後には帰ってくるので、それまでは回復に努めておけとマシュさんに言われた。前に見た武器に変わる機能の応用で、防護にも使ってみるとかなんとか言っていたが、どうするのだろう……。
まあ、僕に付けても僕自身の力が弱いので、両方を動かすので精一杯になるからどう調整するかで悩まないといけない。マシュさんは正直に匙を投げたいとこぼしていた。
大体、なんでこういう奴らばかりに会うんだ、構われ過ぎだろうと嫌みを言われた。そんな事を僕に言われても、困るよ。




