三 青い光
三 青い光
トロフィー盗難事件をきっかけに、ビーダマンは、いっぺんに世間に知られるようになった。校門の前では、テレビ局のレポーターが、カメラの前に立ち、興奮した様子で、事件のことを解説していた。
「ビーダマンは、正体を明かさないまま、空に飛んでいったと言います。正義の味方だということだけはわかっていますが、はたして何者なのでしょうか。なぞは深まるばかりです」
取材を受けているのは、もっぱらマリちゃんだった。マイクが、マリちゃんに向けられている。マリちゃんは、得意げに、ビーダマンのことを説明していた。
「佐倉さんは、どうして、ビーダマンのことを知ったんですか」
「変身するところを、偶然見かけたんです」
「どんな感じの人でした」
「うーん、かっこいい、男の子って感じでした」
「男の子――、というと、おとなの人ではなかったんですね」
「えっ、ええ。小柄でしたから……、小学生ぐらいだと思います」
「何年生ぐらいでしょうか」
「たぶん、四年生だと思います」
「三年生でも、五年生でもなく、四年生ですか」
「はい」
「どうして学年まで、わかるんですか」
「ええと、それは……、あっ、そうそう、算数の授業で使ってるプリント、持ってましたから。いろんな種類の三角形を、いっぱい描いてるプリントです」
「ほほう、算数のプリントですか。これは重要な情報ですね。どこの小学校に通っているのか、知りませんか」
「わかりませんが――、案外近くのような気もします」
「変身していたとき、声をかけましたか、話をしたことはありますか」
「いえ、話は……」
「とすると、どうして、ビーダマンという名前だってわかったんですか」
「そっ、それは、そのう……。あっ、そうそう、確か自分のこと、ビーダマンだと言ってました」
レポーターは、たたみかけるように質問してくる。マリちゃん、調子に乗って話して、ぼろを出さないだろうか。ぼくは、ヒヤヒヤしながら、眺めていた。
三つめの事件が起こったのは、マスコミの取材攻勢が、一段落したころのことだった。
ぼくのクラスに、すみれちゃんという女の子がいる。まず、すみれちゃんがどんな女の子なのか、その話をしよう。
すみれちゃんは、超大金持ちのひとり娘で、親から、ものすごく大事にされている。専属の家庭教師が何人もいて、入れ替わり立ち替わり、勉強を教えてもらっているらしい。
かわいらしくて、おとなしくて、勉強ができて、ピアノも上手、しかもお金持ちとくるんだから、もてないのが不思議だよね。すみれちゃんにあこがれている男子、ぼくが知ってるだけでも三人はいる。でも、だれも声をかけられない。すみれちゃんって、気品がありすぎて、近寄りがたい雰囲気をただよわせているんだよね。高嶺の花って、こういうのを言うのだと思う。
学校では、いつも、机に座って静かに本を読んでいる。簡単に言うと、でしゃばりのマリちゃんとは、正反対の女の子ってこと。
ぼくは、三年生のとき一度、すみれちゃんの家に呼ばれたことがある。誕生パーティーを開くからってことで、友だち十人ぐらいが招待されたのだった。
すみれちゃんの家は、宮殿のように大きかった。「部屋、いくつあるの」と尋ねると、「二十個ぐらいかな。コックさんやお手伝いさんの部屋もあるし……」と返事が返ってきた。それがまた、いやみに聞こえない。ちょっとくやしかったね。
パーティーで、すみれちゃんはピアノを披露してくれた。広い部屋のまん中に、でんと置かれたグランドピアノの前に座って、塩パンじゃなくて、ええと――、ショパン、そうだ、そのショパンのなんとかって曲を、演奏してくれた。すみれちゃんの横には、ピアノの先生らしい女の人がいる。ぼくらは壁に並べられた椅子に座っていた。はしゃいじゃいけない気がして、かしこまって、聴いていたことを覚えている。たぶんほかの友だちも、そうだったんだろう。演奏が終わると、ふう、と息をつく音が聞こえたから。
そんなすみれちゃん、普段は歩いて登下校しているけど、雨が降ってるときは、自動車で送り迎えしてもらっている。専属の運転手が、校門の前で、かさを持って、すみれちゃんを待ってる姿を、何度も見かけたことがある。小学生のぼくが言うのも変だけど、小学生をこんなに甘やかしちゃダメ、とぼくは思うのだ。
ある日のこと、下校の時間に、校門近くで自動車が停まっているのを見かけた。若い運転手が、後部座席の横に立っている。すみれちゃんを待っているんだろうけど、雨も降っていないのに変だなあ、とぼくは思っていた。運転手は、いつものお年寄りの人ではなかったし、自動車もいつもの黒いのではなく、白っぽいものだった。
「すみれちゃん、また自動車で帰るみたいだね」
「そりゃそうよ。なんと言っても、オジョーサマなんだから」
マリちゃんが、ふてくされたように言った。すみれちゃんは、家ではいつも、お嬢さまと呼ばれている。
「マリちゃん、うらやましいの」
「まっさかあ、わたしにはこれがあるのよ、これが」
マリちゃんはそう言って、自分の足をぽんとたたいた。
すみれちゃんが校門までやってきた。運転手となにやら話をしている。すみれちゃんは、ちょっと不思議そうな顔をしたあと、後部座席に乗り込んだ。運転手は、扉を閉め、前に回った。運転席に乗り込むと、すぐに発進していった。
いま、雨は降っていない。けれど、すみれちゃんの自動車がやってきた、ということは、これから降るのかもしれない。空を見あげると、確かに雲行きが怪しい。ぼくも急いで帰ろうかな、と、そこまで考えたときのこと、ズボンの中のビー玉が、突然、震えだしたのだ。
えっ、事件?
ぼくは、ビー玉を取りだした。ビー玉は、今度は、鮮やかな青色に光っていた。マリちゃんも一緒にビー玉を見る。
「えっ、なに、事件が起こったの。どこ、どこで」
ぼくは、青い光線の先を見た。光線は、走り去っていくすみれちゃんが乗った自動車を、指していた。
そうだ! さっき、すみれちゃん、不思議そうな顔で、自動車に乗っていったけど、あの自動車、すみれちゃんの家のじゃないからだ。ということは――、
「誘拐?」
「そうだよ。すみれちゃん、きっと、誘拐されちゃったんだ!」
ぼくは、さっそく自動車のあとを追おうとした。
「待って!」とマリちゃんの声。
「変身しなきゃ!」
「そうか」
ぼくは、ランドセルからマスクとマントを取りだした。校門のへいの脇で着替えてから、道路に飛び出した。ランドセルをマリちゃんに放り投げる。
「これ、たのむ」
マリちゃんは、ランドセルを全身で受け取った。
「オッケー、まかしといて。ビーダマン、がんばって!」
自動車はすでに、はるか先まで走っていた。光の線をたぐるように、ぼくは追いかけた。いままでの事件と同じ、ビー玉がぼくを、ぐいぐいと引っ張っていた。
自動車は、すみれちゃんの家とはちがう方向に進んでいる。間違いない。すみれちゃん、誘拐されたんだ。
自動車に追いついた。ぼくは、運転手に気づかれないよう、一定の間隔を空けて追いかけた。もし、ぼくが追いかけていることがばれると、運転手が、なにをするかわからないからだ。いまは、すみれちゃんが人質にとられている。下手なことをするわけにはいかないのだ。
広い道路に出た。自動車のスピードがさらにあがった。ぼくも、スピードをあげた。このスピード、おそらく世界新記録、いやいや、そんなものではない。ヒョウやピューマと同じくらいの速さで走っていたんだと思う。
沿道で、人々が騒いでいるのが見えた。
「おい、見ろよ。なんだ、あれ」
「あれじゃないか、ほら、この間、テレビでやってた」
「そう、そうよ。ビーダマンよ」
「ビーダマン! がんばってー」
横を走る自動車からも声援が飛んだ。
「ビーダマーン、ねえ、こっち向いて。こっち向いて、手を振って!」
おいおい、あんまり、まわりで騒がないでくれよ。誘拐犯に気づかれるじゃないか。ぼくは声援を無視して、追いかけた。
自動車は、港に入っていった。大きな倉庫がいっぱい並んでいる。入り組んだ道、倉庫の間を縫って進んでいく。一キロほど走っただろうか、なにかの倉庫の前で停まった。
ぼくは、電柱のかげに身を隠した。運転手の男が出てくる。後部座席に回って、すみれちゃんを引きずり出そうとしている。すみれちゃんは抵抗している。
「いやーっ!」
すみれちゃんの叫び声がひびく。男は、すみれちゃんの口をふさいで、むりやり倉庫の中に連れていった。
ぼくは、そおっとあとを着いていった。すみれちゃんは、倉庫の隅っこに連れていかれた。男がこわい顔をして、すみれちゃんになにか言った。すみれちゃんは、泣きそうな顔をして、ランドセルを下ろして男に渡した。男は、すみれちゃんの両手を後ろ手にしばったあと、そのロープを柱にくくりつけた。そのあと、ランドセルから、携帯電話を取りだして、どこかに電話をかけた。かすかに声が聞こえる。
「警察には、絶対知らせるなよ」
「娘の命、どうなってもいいのか」
「古いお札で、用意するんだぞ」
電話が終わると、男は、椅子に腰かけ、タバコに火を着けて、ふーっと煙を吐き出した。すみれちゃんを見る。すみれちゃんは恐怖の目で男を見ていた。
「心配するな。金さえ手に入れば、ちゃんと帰してやる」
男はそう言って、そばにあったテレビをつけた。お笑い番組をやっていた。
ぼくは、男に気づかれないように、男の後ろから、そおっとすみれちゃんに近づいていった。男が大きな笑い声をあげた。びくっとしたけど、ぼくに気がついたわけではない。テレビに夢中なのだ。
すみれちゃんがぼくに気がついた。くちびるが動いた。
「ビッ、ビーダマン。どうしてここに」
「しっ、静かに」
男を見る。男はテレビのほうを見て、ゲラゲラ笑っていた。ぼくは、すみれちゃんの後ろに回って、ロープをほどいた。
あとは、ここから逃げ出さなきゃ。
と言っても、入り口のほうには、男が座っている。警察に知らせるにも、ぼくは携帯電話を持っていないし、すみれちゃんの携帯電話は、男に取りあげられている。
ぼくの怪力をもってすれば、男をつかまえることはたやすい。でも、もし男が凶器を持っていたとしたら、格闘したとき、すみれちゃんに危害が加わるおそれがある。やはり、下手なことはできないのだ。どうしよう……。
そのとき、手首のビー玉が、ぐいっと動いた。ビー玉がまた、なにか教えてくれている。ビー玉から出る青い光線は、棚の中を指している。ペットボトルのような容器が並んでいた。この倉庫で保管しているものだ。容器には「瞬間接着剤」と書いてあった。
そうか! これを使えばいいんだ。
ぼくはボトルをひとつ取って、そおっと、男の背後に回った。
「キャハハーッ」
男は、椅子にのけぞって笑い声をあげている。ぼくは、ボトルの中身を、男の背中と椅子の背もたれの間に、一気に流し込んでやった。液体は、背中からお尻に流れていった。
「なっ、なにをする!」
男は、振り返ってぼくを見た。だが、動くことはできない。男の背中とお尻は、瞬時に椅子にくっついてしまったのだ。
「おっ、おまえは……」
「正義の味方、ビーダマンだ!」
ぼくはそう言って、右手の人差し指をななめ上に向けて、ポーズをとった。なにを隠そう。このポーズも、家で練習していたのだ。
「なっ、なんだと。生意気な」
男は手を振りまわす。けれど、椅子に固定されたままでは、その手でぼくらをつかまえることなど、できるはずがなかった。
男は、胸元に手を入れた。まっ、まさか、ピストル? ぼくは、すみれちゃんを背に、仁王立ちになって身構えた。男が、取りだしたのはナイフだった。ナイフならこわくない。ぼくは、男のそばまで行き、ナイフの先っちょを、親指と人差し指で持って、男の手から引きはがした。男は抵抗したが、ぼくの力にかなうわけがない。ぼくは、ナイフを指先で、ちょいとひねってやった。ナイフは、水あめのように、くにゅっと曲がった。男の表情が恐怖に変わった。
「誘拐犯、観念しろ」
ぼくは、そう言って、男の横にあった携帯電話をうばい返した。
その後のことは、解説することもないだろう。まもなく、警察官がやってきて、男は椅子に固定されたまま逮捕された。
「すみれちゃん、では、さらば」
ぼくが、立ち去ろうとしたときのことだ。すみれちゃんが、「待って」と言って、ぼくの手をとってきた。涙を浮かべている。
「ビーダマンさん、ありがとうございます」
ぼくも、すみれちゃんの手を、にぎり返した。怪力のぼくだ。にぎり返したといっても、力を入れるようなことはしない。やさしくそっと、包み込むように。
「いえ、これがぼくの仕事ですから」
「せめて、お顔だけでも。お礼させていただきたいので」
「正体は明かせません。でも、ぼくはいつも、すみれちゃんの近くにいますよ」
ぼくはそう言ったあと、マントをひるがえして、かっこよく立ち去ったのだ。手のひらには、すみれちゃんの柔らかい手の感触が、残っていた。