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マッドピエロは踊り続ける  作者: うわの空
第三章 雛菊愛華
8/17

途中で登場する『マップ』ですが、小説内で使われている物は正方形だとお考えください(筆者の力不足で、ここでは長方形になっています)




 雛菊愛華にとって、いじめは単なる遊びだった。

 家はそこそこ裕福で、特に苦労した覚えはない。大抵の物は頼めば買ってくれたし、両親から怒られたこともほとんどない。世間体を気にするような親でもなかったので、学校は公立でも私立でも好きな方に行きなさいと言われた。私立は遠いし、校則が厳しくて面倒くさそうだという理由から、愛華は公立を選択した。高校は、大学付きの私立に入ってしまえば後が楽だろう。偏差値さえ気にしなければ、そういう私立は山ほどある。

 安定した家庭。安定した生活。当たり前になってしまったそれは、愛華にとって退屈でもあった。


 中学に入学し、真由達と知り合った。途中で、ひいなとも友達になった。


 気付けば、神崎咲弥をいじめるようになっていた。


 それは愛華にとって、楽しい遊びでしかなかった。親は大抵の物は買ってくれるが、流石に『人間』は買ってくれない。

 人間をいじめる、それは愛華にとってちょうどいい遊びだった。動物虐待は異常だと思うし興味もないが、人間同士のいじめは昔から存在する、――ある意味『当たり前』のものだ。自分がおかしい訳でも、特別な悪人だという訳でもない。

 愛華は暇を潰す道具として、真由も目をつけていた咲弥を選んだ。

 愛華にとって咲弥は、目障りというほどの存在でもなかった。いじめの対象にさえ選ばれなければ、頭が良くてすごいなあ、くらいにしか考えなかっただろう。

 強いて言うなら、自分が目をつけていた同級生――ジャニーズ系の顔をした男子が、咲弥のことを好きだという噂を聞いて、嫉妬していたくらいだ。

 愛華にとって咲弥をいじめる理由は『遊びたかった』から、そして『強いて言うなら』のそれだけだった。




 力尽くで2の扉の中に押し込められた愛華は、薄暗く狭苦しい廊下で呆然としていた。

 真由に腕を引っ張られたせいで肩が痛かったが、脱臼しているということはなさそうだ。

 愛華は我に返ると振り返り、冷たい2の扉を懸命に叩いた。


「開けて! 開けてよマユ!」


 反応はなかった。扉は硬く施錠されていて、愛華の力では開きそうにもない。そもそも、施錠したのは真由ではなく――


『……お友達に売られちゃったんですか。惨めですね、雛菊さん』


 嗤いを押し殺した咲弥の声が、廊下中に響いた。廊下にはモニターが無く、スピーカーのみ設置されているようだ。愛華はどこを見ていいのか分からず、宙に視線を泳がせながら叫んだ。


「謝るから! あの時のことは謝るから! だからここを開けて!」

『残念ですが、その扉を開けるつもりはありません』


 咲弥に断言され、愛華はぺたりと尻餅をついた。

 もう、真由のところに帰れない。死んでしまう。涼子のように。涼子のように血まみれになって死んで血まみれで優美も涼子も死んでしまってだから自分も血を噴き出して血が――


『雛菊さん、大丈夫ですよ。そこからしばらく進んだところに、開いている扉がありますから』


 咲弥の声に、愛華はぱっと顔をあげた。廊下の先の扉、自分の知らない場所。そのはずなのに、愛華は救われた気分でいた。

 開いている扉がある、助かる。

 正常な判断力を失った今、愛華は咲弥の声だけを信用してしまっていた。


『その廊下、薄暗くて怖いですよね。大丈夫です、その廊下の向こうに開いている扉がありますよ。そこよりもずっと明るくて、広い場所に繋がっています。安心してください』


 追い風のように、咲弥の柔らかな声が響く。その声が自分を追い詰めようとしていることに、愛華は気付けていなかった。古いカーナビのような、信頼してはいけないナビゲーションに従って、愛華は進みだす。疑う余裕すらなかった。

 助かる、助かる、自分は大丈夫、助けてもらえる。愛華は何故か、声も出さずに笑っていた。自分が助かればいい。この後、真由達がどうなってもいい。自分さえ、助かればいい。


 自分さえ痛い目に遭わなければ、他人がどうなろうと構わない。


 中学の教室で宣言した時、咲弥がどういう顔をしていたのか、愛華にはもう思い出せなかった。




 愛華の姿が見えなくなると、ひいなはその場にしゃがみこんだ。真由は2の扉を見つめたまま動かない。誰もが口を閉ざしたまま、放心しているようだった。そんなしばらく無音が続いた後、2の扉の内側から、どんどんと大きな音が響いた。


「……雛菊、さん」


 その音を出している主の名前を呼んだものの、風花は2の扉に近づけなかった。喚くような声と、誰かを非難するような金属音が部屋中に響く。ひいなは耳を塞ぎ、ごめんなさいと繰り返し始めた。それはまるで、地獄にいるような風景だった。

 やがて金属音が聞こえなくなると、ひいなの呟く声だけがそこに残った。真由は舌打ちすると、ひいなへと目をやり、


「うるさい!」


 吠える犬を感情的にしつける飼い主のように、怒鳴りつけた。


「何がごめんなさい、だよ! 私が悪いって言うの!?」


 それは半ば、自問自答のようだった。


「悪いのは全部、神崎だよ! 私達に復讐して正義面してるけど、私は……私達はここまでやってないもん! 誰も殺してなんかない! ちょっと、……ほんのちょっといじめただけじゃない!」


 ――神崎咲弥に、いたずらしてやろうよ。

 最初に『それ』を計画した真由は、何もかもを否定するように怒鳴り続けた。




 狭い廊下をしばらく歩くと、鉄製の扉が見えた。黒いペンキで大きく、2の部屋と書かれている。愛華は何も考えず、その扉を開けた。そして、凝り固まった。


『……ようこそ、雛菊さん。2の部屋へ』


 咲弥の声が、得体のしれない部屋に響いた。

 扉を開いた先の部屋は主に、『左に広がって』いた。愛華のすぐ右には、コンクリートの壁がある。

 部屋の形は正方形。頭上からカメラで写したのだとすれば、愛華は右下に立っていることになる。そして、愛華の開けた扉の対角線上――左前方には、ゼロと書かれた扉があった。

 しかし愛華にとって何よりも不気味なのは、床だった。床はすべて白色のタイル張りで、一枚ずつ1から100の番号が振られている。愛華の開けた扉から一番近いタイルは100番、そして、ゼロの扉の前にあるタイルは1番。100枚のタイルは威圧的で、愛華は後ずさりした。


「なに……これ……」

『ああ、まずはマップを表示しますね』


 ゼロの扉の隣に埋め込まれていたテレビがふいに明るくなり、モノトーンのマスを映した。




01 02 03 04 05 06 07 08 09 10

11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

31 32 33 34 35 36 37 38 39 40

41 42 43 44 45 46 47 48 49 50

51 52 53 54 55 56 57 58 59 60

61 62 63 64 65 66 67 68 69 70

71 72 73 74 75 76 77 78 79 80

81 82 83 84 85 86 87 88 89 90

91 92 93 94 95 96 97 98 99 100

               ★





『そのマップは、雛菊さんのいる部屋を頭上から映したものだと思ってください。言わなくともお分かりかと思いますが、数字はパネル――床にある、数字入りのタイルを現しています。そして、黒い星が雛菊さんの現在地。白い星がゼロと書かれた扉、すなわちゴールです』


 モニターはマップのみを表示しているため、咲弥の表情はうかがえない。愛華はあたりを見渡しながら、「ゴールって何」と問いかけた。


『ゴールであるゼロの扉は、私のいる部屋に繋がっています。無事にゲームをクリアし、ゼロの扉から私の元へ来てくだされば、抗ウイルス薬をお渡しします』

「ゲームって……走るんじゃないの?」

『第二のゲームは体力を使う物ではない、と事前に言っておいたはずなんですけどね』


 咲弥の溜め息が、スピーカー越しに聞こえてきた。


『今回のゲームでは、雛菊さんにパネルの上を移動していただきます。お好きなパネルを一枚ずつ踏んでください。あくまでも一枚ずつ踏んで移動することをお勧めします。ちなみに、パネルは一メートル四方のものを百枚用意しました』

「待って、わかんない」

『分かりやすく言います。雛菊さん、まずは裸足になってください』

「え?」

『裸足になって、目の前にある100番のタイルの上に乗ってください』

「なんで……」

『理解力のない人間ですね。いいんですよ、そのままその場で【発症】するまで待っていただいても』


 それを聞いた愛華は、「やる! やるから!」と叫び、大慌てで裸足になった。脱いだ靴はその場に放置し、あわててタイルへと足をかける。ひんやりとした100番のタイルに両足を乗せた刹那、一センチほどタイルが沈み、かちり、と音がした。


『……はい。そのパネルはセーフでした』


 咲弥の声と共に、テレビに映されたマップ上の100番が緑色へと変わった。


「なに……」

『そのパネルはセーフ、つまりは何も起こらないパネルだったということです。セーフパネルは、全部で九十枚あります』

「……九十?」


 首を傾げる愛華の姿を、監視カメラで見ているらしい咲弥は笑った。


『お察しの通り、残りの十枚はアウトのパネルです。アウトを踏んだ場合はタイルが開く仕組みになっています。一応、全てのパネルに切れ込みを入れてあるので、どのパネルがアウトなのか、パッと見では分からないと思いますが』

「……アウトを踏んだらどうなるの?」


 訊きたくないが、聴くしかない。怯える愛華をたしなめるように優しく、けれども冷徹に、咲弥は宣告する。


『十枚中九枚は、単なる罰ゲームパネルです。ただし、一枚だけ【失格】のパネルがあります。失格パネルを踏んでしまった場合、その時点で雛菊さんには死んでいただきます』


 途端、愛華の脳裏に涼子の死体が浮かんだ。


「うそ、うそ、やだああああ」

『落ち着いてください雛菊さん。失格パネルは百枚中一枚だけです。アウトのパネルだって、百枚中十枚のみ。つまり、セーフを踏む確率の方が遥かに高いんです』


 眠くなる数学の授業を始める教師のごとく、咲弥は諭し始めた。


『この場で誓いますが、アウトパネルは十枚しか用意していませんし、既に配置済みです。雛菊さんの選択肢に合わせて、私がアウトパネルを操作することはありません。それから、先にも言いましたが、パネルは一枚ずつ踏むことをお勧めします。……そのパネルが何キロの負荷で作動する仕組みになっているのかは、残念ながらお教えできません。ただ、片足ずつ違うパネルに乗せたりするのは無意味だ、ということは前もってお伝えしておきます。そうしたところで、両方のパネルが開くのがオチですからね。……むしろ開くパネルが増える分、アウトを踏む確率も必然的に高くなります』

「そんな……」

『同様に、ジャンプすることもお勧めしません。着地に失敗して、目地に尻餅でもつけば、最悪四枚ほどのパネルを一気に踏むことになりますから。雛菊さんはまれに見る運動音痴でしたし』

「じゃあどうするの! アイカはどうすればいいの!?」

『……一枚ずつパネルを踏んで、1番のパネルを目指してください、としか言えません。――100のパネルから1のパネルまで、そこからだと最短でも九枚のパネルを踏むことになります。雛菊さんは大の数学嫌いでしたし、一応確認しておきますが、最短ルートは分かりますか?』


 答えようとしない愛華にしびれを切らしたのか、『89、78、67、56、45、34、23、12。対角線上、つまり斜めに進めばいいんです』と咲弥は教えた。

 その最短ルートにアウトパネルが密集しているのかもしれないし、裏をついてそれ以外の場所に設置されているかもしれない。――分からない。


『上下左右、斜め。どの方向に進んでいただいてもかまいません。最後にお教えしておきますが、1番のパネルはセーフパネルです。――……雛菊さんが無事、1番のパネルに辿り着くことを祈っていますよ。それでは、ゲームスタートです』



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