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咲弥は皮手袋をいじりながら、吊り天井を上げるスイッチを押した。監視カメラを設置している天井のみを吊らずに固定していたが、このアングルでは涼子がどうなっているのか分かりにくい。のろのろと緩慢に上がっていく天井にもどかしさを感じつつ、分割されている映像を切り替えた。風花達を閉じ込めている部屋をアップに、天井が上昇している最中の涼子の部屋を端に映す。
岸野優美の死体が横たわる部屋で、風花達は話しあっているようだった。今回、涼子のゲーム内容やその様子は、風花達には知らせていない。そういった状況にいる人間の行動なんて、限られている。黙るか、話しあうか、泣き叫ぶか、外部と連絡が取れないかと試みるか。
この中で最も愚かなのは『泣き叫ぶ』だと、咲弥は考えていた。建設的でも何でもなく、その場の感情に身を任せているだけの愚者。今回の場合、雛菊愛華がそれに該当する。彼女は恐らく、一人で監禁されていれば泣き叫んで終わりだろう。
黙るという選択肢を取っているのは、羽村ひいなのようだった。瀬野風花もどちらかと言えば黙っているタイプだが、二人には大きな違いがあった。
受容し諦観しているか、思案し考察しているのか。
羽村ひいなは前者、瀬野風花は後者だろうと咲弥は分析した。過去、あれほど『濃い関係』を持ったせいで、彼女達の性格は嫌になるくらいに把握している。
羽村ひいなは恐らく、もう助からないと思っている。そしてその原因が自分にあるということも、理解している。死にたくはないが、何も考えたくない。そんな諦めが、ひいなを黙らせていた。
一方、瀬野風花の方は『思案するために黙っている』のだろう。現に、考え込む時の癖である、口元に手を持っていくポーズのままで彼女は固まっている。なんとか話し合いを進めようとする真由に合わせて、時には頷いたり、時には質問したり提案したりしているが、必要以上に話そうとしない。
思った通り、こいつが一番厄介になるかもしれないと、咲弥は睨んだ。
意外だったのは徳田真由だ。いつも通り、『しきりたがり』を発揮することまでは読んでいたが、それはてっきり皆をあらぬ方向へ導くものだと思っていた。『皆で最初の部屋に残ろう、皆でいれば怖くないよ』などと、馬鹿な事を言い出しそうなのもこいつだと。
しかし、真由はよく働いていた。愛華が警察警察と騒いでいる時も、何をやっても扉は開かないし、外部と連絡する術がないと諭したのは真由だった。それに対して風花は、あたりを見渡し何かを考えているようだったが。
実際問題、その部屋から脱出するのは不可能だ。天井裏に逃れる術はないし、壁を破壊する道具もない。携帯やパソコンといった通信器具はあらかじめ全て奪取しているので、外部との連絡も不可能である。
ゲームをする順番を決めよう、と言いだしたのは真由だった。頷いたのは風花。真由が言い出したのは意外だったが、真っ先に愛華が手を挙げたのは予想通りだった。やはりこいつは何も考えていない。
確かに、ウイルスという時限爆弾を背負っているのだから、早いうちにゲームをするに越したことはない。しかし、加持涼子がどんなゲームを行っているのかも分からないこの状況で手をあげるのは、馬鹿の極みだ。
この状況ならば、堅実なのは二番手ではなく三番手を選択することだと咲弥は考えた。
三番手までならウイルス発症の確率は低いし、情報収集することもできる。二番手までがどういうゲームを行ったのか、咲弥に探りを入れることだってできる。頭が良ければ、対策も思いつくかもしれない。……まあ、一人ひとりゲームが違うので、対策という物はないわけだが。
いずれにせよ、今回のように情報が少ない状態で動くのは馬鹿だ。
案の定、徳田真由がちゃっかりと三番手を選択した。恐らくこの後、こちらに探りを入れてくるだろう。そんな事をしなくとも、どんなゲームをしたかくらい教えてやるつもりだった。何も知らずに死んでいくのは流石にかわいそうだし、面白くない。咲弥は声を出して笑い、呟いた。
「……まあ、私が隠している事や偽っている事は、まだあるけれど」
咲弥は一通り笑うと、再びモニターへと集中した。
――やはりというか、瀬野風花は五番手を自ら選んだ。
咲弥はわざと、一人のゲームが一時間はかかるかもしれないと宣言しておいた。そこで五番手を選択するということは、捨て駒になると言っているようなものだ。
「――……やっぱり馬鹿ね」
咲弥は画面越しに風花へ向かって微笑むと、1の部屋の映像へと視線を移した。天井は元の位置に戻っており、無様に潰されている涼子の姿がそこにはあった。
顔をあげていたせいで、吊り天井が顔面に直撃したらしい。顔面はミンチ状に仕上がっており、後頭部からは脳が飛び散っていた。右腕は関節が一つ増え、おかしな方向に曲がっている。左足はもはや原型がない。中途半端に食いちぎられたチキンような右足は、肉片をいくらか床にばら撒いていた。
「……綺麗に死ぬことすら選べなかったんですね。お疲れさまでした、加持さん」
適度に頭だけ潰す予定だったが、吊り天井の威力が強すぎた。しかし特に後悔するわけでもなく、咲弥はパネルを操作し始めた。
涼子の死体が数秒映された後、ザッというノイズと共に映像が切り替わった。頬笑みを浮かべている咲弥の顔。左顔面の白い包帯には、一滴の血も付いていなかった。
『雛菊さん、2の扉をくぐってください』
「イヤ、イヤあああぁぁああああ!」
愛華はまるで死刑宣告を受けたかのように泣き叫んだ。それにつられて、ひいなが小さな悲鳴をあげる。場を収拾するため、真由が咲弥に何かを訴えようとした。
「待ってよ! なんで、なんで……」
流石の真由も混乱しているらしく、「なんで」の後は言葉を成さない。しかし風花は、取り次ぐこともできなかった。
あくまでも冷静なのは咲弥のみだ。咲弥は、不気味なほど優しい頬笑みを見せた。
『徳田さん、なんで、というのはどういう意味でしょう。加持さんが「なんで」死んだのか、どういったゲームだったのか。……あるいは「なんで」私が、二番手は雛菊さんだと知っていたのか、ですか?』
噛み砕いた言い方だったが、それがかえって真由達を混乱させた。知りたいのはそのすべてで、けれども――
「……雛菊さんが二番手だと知っていたのは、この部屋に盗聴器があるから、だよね?」
風花が尋ねると、咲弥は嬉しそうに頷いた。
『その通りです、瀬野さん。でなければ私達はこうやって、お話しすることもできませんからね』
「私達の会話、ずっと聞いてたの?」
『いいえ。お恥ずかしながら、加持さんのゲーム中は、彼女と話すことに夢中になっていましてね。こちらの部屋の盗聴器は電源を入れっぱなしにしていましたが、何を話していたのかまでは把握していません。加持さんのゲーム終了後、こちらの部屋の会話を聞いてみたら、ちょうど順番決めの最中だったんです』
風花は黙り込んだ。咲弥に話の内容を聞かれることは承知していたし、必要以上のことは話さないように注意していた。だがやはり、こちらの話が筒抜けになっているというのは気味が悪い。風花の沈黙を無視して、咲弥は話を続けた。
『それから、加持さんのゲーム内容ですが』
皆一様に、息をのんだ。見るも無残な涼子の死体。一体どんなゲームが行われれば、あんなことに。
しかし咲弥の説明は、たった一言だった。
『走る、です』
その意味が分からず、またもや皆沈黙した。しかし、真由が口を開いた。
「嘘でしょ?」
『嘘ではありません。加持さんは走るのに失敗した。それだけです』
「冗談言わないでよ! 走るのに失敗しただけで、どうやったらあんな風になるっていうの!」
『私は嘘なんて吐いていませんよ?』
埒があかなかった。最初は威勢の良かった真由も、段々と言葉を失っていく。見かねた風花が、咲弥に問いかけた。
「二番手はどうしても、雛菊さんじゃないとだめなの?」
『ええ。せっかく決めたことですから、その順番でいきましょうよ。二番は雛菊さん、その次は徳田さん、羽村さん、最後は瀬野さん。面白い順番だと思います。――ということで、2の扉にはぜひ、雛菊さんに入っていただきたい』
「やだ、やだあ!」
『……安心してください、雛菊さん。第二のゲームはそこまで体力を使うゲームではありませんから。いいですか、皆さんもよく聞いてください。2の扉には雛菊さんが入ってください。これはもう決定です。もしも他の人が入ったら、全員に死んでもらいます。ゲーム自体は個人の問題ですが、ゲームの順番に関しては連帯責任ということで』
「っ……、待ってよ神崎!」
『それでは、雛菊さん。お待ちしております』
真由の呼びかけを無視し、一方的な会話は切られた。通信終了の合図と言わんばかりに、2の扉のロックが外れる。
場に残ったのは、愛華の泣き声のみ。真由はしばらく真っ黒なモニターを凝視していたものの、やがて愛華へと歩み寄った。
「……愛華」
真由の声に、愛華はびくりと身体を震わせた。両手で頭を抱え、大きく首を振っている。
「愛華。頼むから」
「イヤ! マユは、マユはアイカに死ねって言うの!?」
「そんなこと言ってない!」
思わず声を荒げてしまい、真由は慌てて口を押さえた。愛華はがたがたと震えている。視線は床のままで、顔をあげようともしない。真由は唇をかみしめ、愛華の肩に手を置いた。
「愛華が次のゲームで死ぬなんて思ってないし、決まってない。だけど、愛華がこのままこの部屋に居続けたら、皆死ぬのは確かなの」
「……イヤだ、やだあああああ!」
真由は目を瞑ると、愛華の両腕を引っ張った。傍から見ても、脱臼してしまうんじゃないかと思えるほどの強い力で。向かう先はもちろん、2の扉だ。それでも、地面に這いつくばって抵抗しようとしている愛華を一人で引きずるのは難しい。
「風花、手伝って!」
声をかけられたものの、風花は呆然と立ち尽くしていた。優美と涼子の死を見せつけられた今は、真由の気持ちも愛華の気持ちも分かる。だからこそ、動けなかった。
「ひいな!」
真由に名前を呼ばれたひいなは、授業中に難問を当てられた生徒のごとく身を縮こまらせた。どうすればいいのか分からないといった様子で、真由と愛華、それから風花の間に視線を漂わせている。
「ひいなってば!」
再度呼ばれ、弾かれたようにひいなは動いた。嫌がる愛華の背中を押し、真由と共に2の扉へと引きずっていく。愛華の足はその力に抵抗しようと、でたらめに空を蹴り続けていた。新聞紙に足が当たり、無造作に積み重ねられていた情報は軽い音をたてて崩れ落ちる。
「助けて、たす、やだあ! 死にたくないよおお!」
風花はその様子をぼんやりと眺めながら、あの時と同じだと思っていた。
自分を守る。そのためだけに自分は、親友であった咲弥を生贄にした。いじめられている咲弥に手も差し伸べず、見ていることしかできなかった。
やり場のない罪業感を、風花は背負ったままでいた。
「やめて、やめてえええ!」
2の扉に近づくと、真由は愛華の両手を解放し、ひいなとともに背中を押した。
泣き叫ぶ愛華の身体が2の扉の向こうへと押し込まれた瞬間、荘重な音と共に、扉は固く閉ざされた。




