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マッドピエロは踊り続ける  作者: うわの空
第二章 加持涼子
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 1の部屋に足を踏み入れた直後、鉄の扉は自動的に閉まり、更には施錠されてしまった。涼子は扉に手をかけ、――けれどもすぐに諦めた。初めにいた部屋同様、ちょっとやそっとの衝撃ではこの扉は開かないだろう。涼子はすぐに前へと向き直った。

 正面の壁にはやはり、壁面埋め込み式の大型テレビとスピーカーが設置されている。壁は相変わらずのコンクリート、広さもやはり初めの部屋と変わらない。相違点をあげるとするならば、先ほどまでいた部屋には扉が四つあったのに比べこちらは二つ。一つは涼子が通ってきた扉。もうひとつには、ゼロと書かれている。更に、床はゴムのように弾力のある素材で出来ており、新聞紙や段ボールといったものは置かれていなかった。


「神崎、出て来いよ!」


 涼子が監視カメラに向かって叫ぶと、モニターにぱっと咲弥の顔が映った。先ほどと変わらない、左顔面に包帯をした白衣姿。涼子は監視カメラからモニターに視線を移し、吠えた。


「てめえ、いつまでもそんな所にいてないで出て来いよ! 殺してやる!」

『出ていきますよ、……加持さんがゲームに勝ったのならね』

「――あ?」


 ラジコンのモーターのような音と、大きなシャッターを開くような音が部屋に響き始めた。それに合わせるかのように、視界の中央に捉えていたはずの咲弥が、徐々に左へと移っていく。涼子は咲弥が左に移動したのかと一瞬思ったが、実際は自分が右に、――自分の乗っているゴム製の床が動いていることに、気付いた。


『気付きましたか? その部屋自体がルームランナーになっています。今はまだ低速ですが、徐々に速くなりますので気をつけてくださいね。……向かって右側、見てください』


 促されるがままに右を見ると、長さ五センチ程度の太いニードルが、室内に向かって突き出ていた。まるで涼子のことを大勢で指差しているように、何百本も。

 その様子にぞっとした涼子は、ニードルの生えている壁とは距離を置くように、部屋の左に向かって移動し始めた。床が動いているせいで、少し移動するだけなのに労力を使う。

 涼子はニードルだらけの壁を見ながら叫んだ。


「な、なんだよあれ!」

『スイッチです』

「スイッチ!?」


 咲弥はまるで絵本を読み聞かせる母親のような、柔らかい声で語った。


『加持さんが走るのに失敗して床のベルトに流され、そのスイッチに接触した場合、接触してから十秒後に天井が落ちてきます。天井が落ちてくればどうなるか、……物理の苦手な加持さんでも分かりますよね?』

「……なっ」

『一時間走りぬくことができたら、私のいる場所へと続いている【0の扉】が開きます。頑張って走ってくださいね』


 応援する気持ちなど微塵もない声で、咲弥は言い放った。


『それでは、ゲームスタートです』


 咲弥の声と同時に、ベルトの速度が急速に上がった。ハンドルバーもないルームランナーは、涼子の全速力とほぼ同じ速度になっていく。ニードルの壁と涼子の距離は一メートルほどにまで迫り、涼子はよろめきつつもすぐに体勢を整えて走り出した。

 ニードルの壁に背を向け、何もない方向へ全力疾走。なのに、景色は少しも変わらない。


「くっ……」


 全速力で一時間。もつはずがない。

 歯を食いしばる涼子に、咲弥は画面の中で首を傾げた。


『どうしました? もしかしてもう、ギブアップですか?』

「っ……神崎! これを止めろ!」

『――加持さんはカルビ弁当が好きでしたね。それも、学校から一番近いコンビニのではなく、駅前にあるお弁当屋さんの』

「ああ!?」

『学校から駅まで、走っても片道十五分近くかかるのに、よく買いに行かされました。昼休み中に買いに行くと間に合わないので、四時間目の授業中抜けだして。あるいは保健室に行くと嘘をついて。……わざわざ加持さんが自転車で並走して、私が本当に走っているのかどうかチェックした時もありましたね』


 咲弥は卒業式のように清々しく、けれども悲しい笑顔を見せた。


『お弁当代はもちろん私持ち。いつか毒でも入れてやろうと思っていましたが、そうするとあのお弁当屋さんが不憫だと思い、止めました。お弁当屋さんのおばさんは優しくて大好きでしたからね』


 息の切れ始めた涼子を見て、咲弥は更に目を細める。


『それから、私に万引きさせるのも大好きでしたね。しかも、失敗した時には走って逃げなければいけないという妙なルールまで作られて。おかげで、走るのが少し得意になったような気がします。そのご恩をお返したくて作ったのが、そちらの部屋なんです』

「……っ」

『万引きに成功したら侮蔑されて殴られて、失敗したら笑われ水をかけられて……弁当が少しぬるくなっていると怒鳴り、カルビ弁当を顔に押し付けてきたこともありましたね。――走っている時、いつも不安で仕方がなかった。この後も痛い思いをするのにどうして走ってるんだろうって。……どうですか、その部屋の使い心地。私の気持ちを上手く再現できていますか?』


 暗い影を落として笑う咲弥を睨み、涼子は唇をかみしめた。

 絶対に謝るものか、と思う。謝ってしまえば何かに負けてしまうような、そんな気がした。




 今の女の子は頭がよくないと生きていけないぞ、と言ったのは父だった。冗談で言ったのか本気だったのかは分からない。父は、自分の上司だった女と結婚し、家庭に『入り』、涼子と三人のきょうだいを育てた。いわゆる主夫というやつだ。

 母がどうして、父と結婚したのかは分からない。無駄に身長の高いウドの大木。仕事のできる母とは違い、父は何をやらせても不器用で頭も悪かった。愛想だけで生きてきたような、そんな人間だった。

 その父が『頭がよくないと』と言った時、涼子は同感したし、父のようにはなりたくないと侮蔑すらした。結局母に捨てられた父は、不慣れな力仕事をしたものの身体を壊し、今では生活保護に頼りきっている。私は、父のようにはならない。力仕事には限りがあるが、頭を使う仕事なんていくらでもあるに違いない。頭さえ良ければ、みじめな思いをしなくても食べていけるだろう。

 しかしそんな思いと裏腹に、涼子の成績は一向に伸びなかった。

 いくら勉強しても、成績はよくて中の上。五段階評価で、一番優れている五を取れているのは体育のみ。涼子はうんざりし、やがて勉強を放棄した。


 そんな時、目に付いたのは神崎咲弥だった。


 大して勉強している雰囲気もないのに、成績は常にトップ。それをひけらかしていないところが、かえって調子に乗っているように見えた。視界の端に映るだけでうんざりしたし、教師達が彼女の噂をしているだけで吐き気すらした。

 努力してもどうしようもないものを、彼女はあっさりと手にしていた。それが気に食わなかった。それだけだった。


 いじめるのは、至極簡単だった。

 彼女の私物を雨の中に放り投げるだけ。

 教科書を紙吹雪にして、彼女に振りかけるだけ。

 抵抗されたら皆で殴って黙らせるだけ。

 更に抵抗されれば煙草を押し付けるだけ。

 全員で、嗤うだけ。


 大して頭は必要なかった。腕力で黙らせることができた。大勢でいじめれば、そちらが正義だと錯覚すらした。

 ――錯覚だと、気付いては、いた。




『……さすがは加持さんですね』


 その言葉に、感嘆の意味は一切含まれていなかった。右顔面には嫌悪の文字しか浮かんでいない。涼子は息を切らしながらも「なにが」と返した。


『謝ろうとしないことです。あのメンバーの中で一番プライドの高いあなたなら、もしかすればと思っていましたが……。素直に驚いています』

「嘘つけ。もしかすれば、じゃなくて絶対に謝らないと踏んでたくせに」

『――ばれました?』


 咲弥はちらりと赤い舌を出してみせる。涼子はふんと鼻を鳴らした。足がもつれ始めていたが、弱いところを見せたくない一心だった。それに気付いているのか、咲弥は少しだけ悲しそうな表情を見せた。


『……下らないプライドのために死ぬつもりですか』

「下らないのはお前の方だね。一時間後にあたしと会うって約束、忘れてないだろうな」

『加持さんが一時間走り切ったら、です。正確には走り始めてから十二分経過していますので、残り四十八分です』

「なんだ、それじゃよゆ……」


 余裕、と言いかけた涼子は、急に減速したベルトと歩調を合わせることができず、派手に転んだ。うまく受け身を取れず、強かに胸を打ちつける。


「がっ……」

『あ、すみません。加持さんがあまりにも苦しそうだったから減速しました。転ぶとは思ってもみなかったです。元のスピードに戻しますね』


 待て、という涼子の言葉は、加速したベルトに巻き込まれた。急に速度を上げられ、もつれていた足ではうまく立ちあがることができない。涼子の抵抗も虚しく、ニードルの突き出ている壁との距離は、みるみる縮まっていく。


「待て、頼むか…………うあああぁぁああああ!!」


 最後まで言いきる前に背中に激痛が走り、涼子は悲鳴をあげた。とっさに身を丸くして壁との接地点を少なくしたが、それでも十本ほどのニードルが背中に突き刺さったらしい。異物が身体に突き刺さる痛みと、それを更にねじ込もうとするベルトの動きが涼子を苦しめる。ある場所では肉を裂くようなブチブチという音が聞こえ、ある場所では骨を砕いたような音が鳴った。しかしそれよりも、涼子の耳に大きく響いたのは、防犯ブザーのようなけたたましい音だった。


『……スイッチに接触しましたね。ゲーム失敗です』


 残念そうに、しかし晴れやかな笑顔で咲弥は言い放った。


『吊り天井が落ちてくるまで、あと十秒です』

「う、あ、待て、待って!」


 自分の血で滑る床に必死になって手を突きながら、涼子は叫ぶ。しかし、ベルトも警告音も止まらない。涼子は身を丸くしながら、咲弥に呼び掛けた。


「神崎! かんざ、き! ま、」

『……無様に丸まって、まるで団子虫みたいですね』


 涼子を見る咲弥は、昆虫の死骸を踏んでしまったかのような目をしていた。

 天井から、重いものが擦れるような音が聞こえてくる。警告音は、やまない。

 咲弥は、血濡れの涼子に優しくほほ笑んだ。



『――さようなら、加持涼子さん』




 涼子は頭上を見た。

 迫りくる天井が見えた。天井しか、見えなかった。


「…………いやだ、死にたくない」


 涼子の最期の言葉は轟音にかき消され、誰にも届かなかった。



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