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マッドピエロは踊り続ける  作者: うわの空
第六章 マッドピエロ
15/17

「……自殺、ですか」


 咲弥は苦笑し、顔面に巻かれた包帯に左手を当てた。


「自分で死ぬ、というのは案外難しいですよ。失敗したら、相当惨めですしね」

「え……?」


 右手の拳銃は風花に向けたまま、左手のみで器用に包帯を取り始めた。徐々に現れる咲弥の左半面に風花は息をのみ、伸ばしていた手さえも下ろしてしまう。

 ぱさり、と軽い音を立てて包帯が床に落ちた。しかし咲弥は包帯をしていた時と同じく、半面で微笑んでいた。


「それ……」

「自分で死のうとして失敗した痕、ですよ。惨めで、醜いだけの」


 咲弥の左顔面は、ケロイド状の酷い傷跡があった。目の焦点も定まっておらず、右目とは若干違う方を向いている。更に、右半面は微笑んでいるのに比べ、左半面は無表情のまま引きつっているようだった。

 咲弥はそれを隠すように、手を当てた。


「左の顔面神経は麻痺しているので、笑ったりすることはできません。物を食べてもこぼれ落ちますし。……気持ち悪いでしょう?」


 俯き、無言で首を振る風花に、咲弥は昔の自分を重ねていた。




 一生ピエロとして生きていかなければならないのなら、死んでしまった方がましだ。


 中学二年生の春、咲弥は自殺を企図した。それにいち早く気付いたのは、当時咲弥と生活をしていた叔母だった。叔母は咲弥の身を案じたが、学校に訴えようとはしなかった。いじめという事件が大きく取り上げられれば、同じ中学に通っている我が子の印象も悪くなるのではないかと考えたからだ。

 結果、祖母は学生寮の完備されている私立を探し出し、そこに転校することと学生寮に住むことを、咲弥に勧めた。


「分かりました」


 それを了承した日、咲弥はマンションのベランダから飛び降りた。




「……若干高さが足りないことは承知していましたが、頭から落ちれば問題ないと思っていました。想定外だったのは、引っ越し業者の大型トラックが落下地点に駐車されていたこと。そして、無意識のうちに急所を庇おうとしていたことです」




 目を覚ました時、咲弥は病院のベッドに繋がれていた。半面は麻痺してしまったものの、一命はとりとめたらしい。

 祖母は執拗に、大丈夫かと繰り返している。『私はちゃんと心配しています』という顔を貼り付けているが、実際はうとましがっているだけだという事実に咲弥は気付いていた。自殺未遂ではなく事故として片づけられたのが、世間体のためだという事も。


 入院中、祖母が勝手に退学手続きを取っていたため、咲弥はある日突然転校することになった。


「舞台から引きずりおろされようと、ピエロは踊り続けなければならない」


 退院後、医師の判断で自宅療養することになった咲弥は、フリースクールに通いはじめた。だが、そこで友達を作ることもなく、大半の時間を読書に費やした。


 暇潰しに、ハッキングを始めたのはこの頃だった。

 とある人物に目をつけられたのも、この時期だった。

「その才能を活かしてみないか?」

 躊躇いは、なかった。


 外の世界では、同じ中学の制服を着た女子生徒が楽しそうに笑っている。咲弥はカーテンの隙間からそれを覗くと、鏡の前に立った。笑顔を作ってみるが、半面は笑わない。しばらく試した咲弥はやがて無表情になると、一生忘れないであろう名前を呟いた。


「……徳田真由、岸野優美、加持涼子、雛菊愛華、羽村ひいな、――瀬野風花」


 次のピエロは、あんた達だ。




「――中学卒業と同時に家を出て、反社会的研究を始めました。実際私は、ハッキングよりも科学や物理の方が得意でしたし」


 咲弥は笑い、風花へと近づいた。風花は動かない。


「……親友なら一生そばにいてくれるだなんて、私も純情だったんでしょうか。そんなこと、あるはずないのに。大体、あなたは私の事、親友だとも思っていなかったでしょう?」

「そんなことない……!」

「そうでしょうか? 本当は、知り合い程度の付き合いだったんじゃないですか? だから、孤独と私を天秤にかけた時、あっさりと私を手放すことができた」

「それは……」


 違う。その一言を、風花は飲み込んだ。自分がどれほど悩み苦しんだか、――それは単なる言い訳でしかない。自分が咲弥の元から離れたことも、孤立を恐れたことも確かなのだから。

 ――言い訳はしない。できることは一つだけだ。風花は再び、咲弥へと手を伸ばした。


「……いつまでそれを続けるつもりですか」

「あなたがそれを渡してくれるまで」


 風花の瞳に映る銃口を見て、咲弥は微笑んだ。


「この状況で、あなたにこれを渡すと思いますか? 下手をすれば、私が殺されるかもしれないのに」

「そんなことしない。約束する」

「裏切り者が、約束なんて言葉を使いますか」

「……約束する。今度こそ」


 風花は右手を伸ばしたまま、あえて咲弥へと一歩近づいた。


「ごめんなさいと言うだけであなたの気持ちが晴れるのなら、何度でも言う。私が死ぬことで満足するのなら、それでいい。けれどあなたは、私達が『死ぬ』ことを望んだのだとしても、『殺す』ことは望んでいた?」


 返事はない。もう一歩近づく。咲弥との距離は、三メートルほどだろうか。


「もしも望んでいるのなら、それで撃ち殺すなり発症するまで放置するなり、好きにしてくれればいい。ただ、もしも『殺人』を望んでいないのなら、それは私に渡して。私が自分で引き金を引いて、全てを終わりにするから。それが……」


 もう一歩近づき、風花は立ち止まった。銃を扱ったことがない素人でもはずすことがないであろう距離で、微笑む。


「それが、私にできる精一杯の謝罪だから」


 微笑む風花の瞳から、涙が一粒零れおちた。

 咲弥はしばらく黙っていたが、やがて何かを諦めたかのように、ふっと息を吐いた。そして、呟いた。


「やっぱり駄目ね……」

「え?」

「――ねえ。人間が謝るときって、どういう時だと思う?」


 咲弥の質問に、風花は首を傾げた。右手は咲弥に伸ばしたまま、答える。


「自分の罪を認めた時……被害者にその気持ちを伝えたい時?」

「違う」


 咲弥の即答に、風花は言葉を失った。咲弥は嫌悪するような目で、モニターに映っている真由の死体を一瞥し、言い放った。


「人間が謝る時、それはね。――自分自身を守りたい時、よ」


 ――だって『私まだ、死にたくないから』、十回謝らないと、私……。


「不祥事を起こした会社の責任者、いじめ問題を告発された学校の校長、不適切な発言をした有名人。記者会見で深々と頭を下げ、大変申し訳ないことをしたと謝る。……けれどあれって、本当に被害者や周囲の人間のため『だけ』に謝っていると思う? 例えば、不祥事を起こそうがいじめが起きようが、なんら責任を問われない世界にいたとしても、彼らは謝るかしら?」


 咲弥は風花へと視線を移す。風花は神妙な面持ちのまま微動だにしない。


「彼らが謝っているのはあくまでも、『自分の立場がまずくなったから』、『自分自身を守りたいから』じゃない? 逆に、自分の存在さえ脅かされなければ、どんな問題を起こしてもどんな犠牲者を出しても人間は謝らない。犠牲者のためだけを思って謝れる人間なんていない。私は、そう思ってた。実際に岸野さん、加持さん、雛菊さん、徳田さんは私のためじゃなく、保身のために謝っていた。そう思ったから、殺した」


 ――あの時のことは謝るから。本当にごめんなさい、助けて。

 ――いやだ、死にたくない。

 ――ごめんなさい、謝るから、ごめんなさい。


 咲弥は断末魔にも近い謝罪を思い出し、「なのにあなたは」と笑った。


「神崎さんが神崎さんがって、私のことばっかり。挙句、震えながら『自分で死ぬ』なんて言いだして……。やっぱり馬鹿ね。変わってない。――だから嫌だったの、躊躇ってしまうから」

「……咲弥、ちゃん」



 

 校内の植物に水をやる、植物係というのがあった。

 風花と二人でそれをしていた頃、小さな花を枯らせたことがある。花壇の隅に咲いていた一輪の花を見落とし、水をやり忘れたのだ。

 仕方のないことだ、と咲弥は思った。植物も動物もいつかは死ぬ。この植物は、それが少し早まっただけなのだ、と。

 しかし風花は、茶色くなった花を手に取り「ごめんね」と繰り返していた。

 その植物を枯らせたところで、教師に叱られるわけではない。生徒に糾弾されるわけでもなかった。

 それでも風花は、「ごめんね」と言い続けていた。

 ただただ、その植物に向かって。




 もう戻れない記憶に、咲弥は笑みを漏らした。両足に力を入れ、目測する。


「動かないでね」


 そのまま一歩踏み込むと、いとも簡単に風花との距離を詰めた。風花が自分へと伸ばしていた右腕を、左手で押さえる。何か言おうとする風花を無視し、右手に持っていた拳銃を投げ捨てた。複雑な金属音を響かせながら、拳銃は床を転がる。風花がそれに目を奪われている隙に、空いた右手を白衣のポケットにつっこみ、小さな箱を取り出した。


「なにっ……」

「動かないで」


 泣きだしそうな風花を押さえこんだまま、片手で器用に箱を開ける。注射器のキャップを外すと、シリンダー内の空気を抜き、力尽くで風花の袖をめくった。そして、抵抗しようとする風花の腕を自らのわきに挟みこんで押さえると、無造作に注射針を刺しこんだ。


「安心して、毒じゃないから。……約束していた抗ウイルス薬よ」


 右腕を解放すると、風花は後方にたたらを踏んだ。どうして、という目をしている。咲弥は注射器を投げ捨てると微笑んだ。


「私もなんだかんだで、まだ人間だったかな。あなたを自分の手で殺すのは難しいみたい」

「咲弥ちゃん……」

「勘違いしないでね。私の復讐はこれで終わったわけじゃないから」


 むしろ……。咲弥は言いかけていた言葉を飲み込むと、4と書かれた扉を指差した。


「あの扉の向こうへ歩いて。一本道だから迷うことはないはずよ。……あの扉だけ、唯一外と繋がっているの。抗ウイルス薬も打ったし、あなたはもう発症の心配はないから」

「……そんな」

「いいから行って。それとも言い方を変えましょうか? 自分で死ぬと言っている人間を殺しても、復讐にはならない。だから、あなたはもう私のターゲットじゃなくなったの。分かったら早く行って」


 風花は右腕を押さえたまま、今まで見せたことのないような顔をした。強いて言うなら『悲しい』に近いその表情は、咲弥の持ち合わせている全ての単語を並べても、表現できそうになかった。


「……咲弥ちゃんは?」


 その言葉に、咲弥は本心から笑った。


「この期に及んでまだ、私の心配? ……これだけの事したのよ、堂々と人前を歩けると思う?」


 新聞紙で覆われた二人と、ここには居ない三人へ向かって吐いた言葉に、風花は閉口した。「自首する気もないし」と肩をすくめると、咲弥は懐かしいあの日のように手を振った。


「さ、早くここから出て。あなたがここに居座っていたら、私も逃亡できないの。それくらい悟ってくれる?」


 場にそぐわない軽口に、咲弥自身が笑った。風花は無言のまま、咲弥に背を向け4の扉へと向かう。だが、すぐに振り返った。


「……咲弥ちゃん、もしも」


 風香は咲弥の目を見つめる。弱々しく、けれども目を逸らせないような眼差しで。


「もしもまた出会えたら、もう一度私と友達になってくれる?」


 咲弥は顔を歪めた。涙は流さず目を細め、泣いているのか笑っているのか分からない顔をする。


「殺人鬼と友達になりたいの? あなたは本当に変わってる。――じゃあね」


 咲弥は風花に近づくと思いきり背中を押し、4の扉の向こうへと押し込んだ。そしてそのまま、扉を固く閉ざした。



 風花が最後に見たのは、今にも崩れてしまいそうな咲弥の笑顔だった。



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