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マッドピエロは踊り続ける  作者: うわの空
第六章 マッドピエロ
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 神崎咲弥は、大人がはやすほど、自分の事を天才だと思っていなかった。天才になりたいとも思っていなかった。

 ただ普通に、誰かと一緒に遊びたかった。他の子供達もやっているように、無邪気に笑いたかったのだ。

 だがそれすらも、咲弥にとっては難しかった。


「咲弥ちゃんは頭いいんだし、勉強しとけば?」


 同級生の言葉は、咲弥にとって不要な気遣いでしかなかった。頭がいい子供はやっぱり大人びてる、馬鹿なことはしない、普通の子供とは遊ばない、勉強が好き。そんなこと、誰が決めたのだろう。

 いざ遊ぶ相手を見つけても、「神経衰弱は咲弥ちゃんに勝てないだろうから絶対やりたくない」「かくれんぼしたって、咲弥ちゃんなら隠れてる場所なんてすぐに分かっちゃうんだよね?」などと言われ、遊ぶ内容が決まらない。咲弥の方から提案してみても、「それってきっと、咲弥ちゃんが有利になるから言ってるんだよね」と勘繰られ却下される。咲弥はやがて全てを諦めると、無表情のまま毎日を過ごした。


 小学二年生の初夏、両親を交通事故でなくし、親戚の家に引き取られることになった咲弥は転校した。クラスの全員が書いてくれた寄せ書きには、ほとんど『元気でね』としか書かれていなかった。


「神崎さん、はじめまして。瀬野風花って言います」


 隣の席の女子が話しかけてきた時、自分がどんな顔をしたのか、咲弥はもう覚えていない。どうせこいつもすぐ、自分から離れていくのだと思ったことは覚えている。咲弥は適当な返事をして、教室を出た。その時の風花がどんな顔をしていたのかも、もう覚えていない。


 頭のいい転校生が来た、という噂はすぐに広まった。新しい環境では目立たないようにしようと思っていたのに、叔母が勝手に広めてしまったらしい。

 羨望、嫉妬、憧憬、嫌悪。あらゆる感情が、咲弥に向けられた。いずれも友達に向けるものではない、と咲弥は知っていた。


 ただ一人、瀬野風花を除いて。




「――……ふーうかちゃん、あーそびーましょ」


 咲弥は右手に銃を握ったまま、打ち抜いた監視カメラに向かって歌った。カメラは破壊したが盗聴器は生きているので、今の声は風花に聞こえたはずだ。咲弥は真由の死体を横切ると、風花のいる部屋に繋がっている廊下へと出た。


 薄暗い通路で、ポケットから球体を取り出す。子供の頃、風花がくれた『魂のボール』。蛍光塗料を塗っただけのスーパーボールに、よくもそんな大仰な名前をつけられたものだと思う。そしてよく、こんなものを大切にしていたな、とも。

 魂のボールは、今でも弱々しく光っていた。まるで、これから起こることを示唆しているかのように。


「――自分が大切だと思ったものは、ゴミでも何でも宝物なの」


 咲弥は風花の言葉きおくをなぞると、スーパーボールを投げ捨てた。




 瀬野風花は、ただの子供だった。

 スーパーボールに変な名前をつけていたり、牛乳瓶の蓋を意味もなく集めていたり、リトマス紙にやたらと感動したり――。咲弥にとってはどうでもいいことを、風花はとても大切にしていた。

 こんな子供になりたかったという思いは、この子と遊びたい、に変わっていった。

 風花はそれを快諾した。咲弥の事を煙たがったりせず、毎日のように咲弥と遊んでくれた。遊ぶと言っても凝ったものではなく、かくれんぼだったり鬼ごっこだったり――。

 私達は親友ね、とある日風花に言われた。咲弥は素直に、それが嬉しかった。



「……今思えば、少し依存していたのかもね、彼女に」


 息のつまる空間で、咲弥は一人呟いた。薄暗いせいか、一歩進む度に床が傾いていくような不安定さを覚える。

 自分が向かう先は親友でも元通りの日々でもなく、ただの破滅だと知っていた。




 中学に入り、他校からやってきた生徒に毛嫌いされ始めた。それ自体は問題なかった。白い目で見られるのは慣れていたから。

 ただ、風花が自分から離れていったことに衝撃を受けた。何故かは分からない。けれど、どんなことがあっても彼女は自分の側にいてくれると信じていた。


 ――自分が大切だと思ったものは、ゴミでも何でも宝物なの。


 ああ言ったのは、彼女だ。だとすれば私は何なのだろう。少なくとも、大切なものではない。大切だと思ってくれているのなら、ゴミでも宝物にしてくれるはずなのだから。宝物なら、こんな簡単に捨てるはずがない。

 無価値、という言葉が浮かんだ。結局のところ、自分はなんの存在価値もないのだろう。勉強ができようが、必要とされなければ、大切にされなければ意味がない。

 そう、自分には価値がない。

 自分の存在意義も見出せない日々が続いた。同級生から言われたことを淡々とこなし、痛みに耐えるだけの毎日。

 一生これが続くのであれば、自分の手で終わらせた方がいい。そう思った。



 咲弥は廊下の途中で立ち止まり、軽く呼吸を整えた。

 胸ポケットから白色のスマートフォンを取り出すと躊躇いなく電源を入れ、馴染みがあるようでない三桁の数字を押した。山中だが、電波が通っていることはあらかじめ確認している。でなければ、意味がない。

 咲弥は必要最低限の事だけを告げると、慌てたように話しかけてくる相手を無視し、一方的に通話を終了させた。再び電源を切り、ポケットの中へと戻す。そしてまた、一歩ずつ進み始めた。

 しばらく歩くと、扉が現れた。なぜか懐かしく見える、重々しい扉が。


 ――これまでのほとんどが、自分のシナリオ通り。恐らく、この後も。


「だとすれば、地獄を見るのはどちらだろうね」


 咲弥は微笑み、扉を開いた。




 むっとする臭気の漂う部屋で、風花は一人佇んでいた。部屋の中には新聞紙と段ボールが散らかっている。大方、愛華がダダをこねた時に蹴散らしたものだろう。もしかすれば脱出の手掛かりを探していたのかもしれないが、生憎その新聞紙は、風花達にとって何の役にも立たない。

 新聞紙も段ボールも、咲弥が自分のために用意したものなのだから。

 咲弥は床に視線を落とす。二か所、不自然に盛り上がっている新聞紙は、二人分の墓標のようだと思った。


「……久しぶりですね、瀬野さん」


 咲弥の方を凝視していた風花は、名前を呼ばれ肩を震わせた。


「ああ、そういえば、大学院卒業おめでとうございます。心理学を専攻していた瀬野さんは、春からはカウンセラーとして活躍されるんでしたっけ。……修士論文、大変興味深く拝読させて頂きました。『いじめの心理学』、よく研究されていて恐怖すら覚えましたよ。まあ、十年前とはいえ目の前にサンプルがあったんですから、中身が多少生々しくなっても仕方ないんでしょうけど。――いじめについて研究していたのもカウンセラーになったのも、罪滅ぼしのつもりですか?」


 黙りこくる風花に咲弥は微笑み、モニターへと目を移した。そこには、先ほどまで自分の目で見ていた光景――真由の死体と、赤黒い血液が映し出されている。


「徳田さんの最期、ちゃんと映っていたようですね。よかったです」

「――……私も殺すの?」


 消え入りそうな声のした方に、咲弥は向き直った。風花は、咲弥の持っている拳銃を見つめている。そんな様子に咲弥は苦笑し、白衣に付着した血液を見せつけるようにして言った。


「そうですね。私はあくまでもそのつもりです」

「……ごめん」


 風花の言葉に、咲弥は眉をひそめた。銃口を風花に向け、額へと照準を合わせる。


「随分あっさりと謝るんですね、瀬野さんは」


 風花は、濡れた瞳で銃口を見据えていた。それからもう一度、「ごめん」と呟く。その掠れた声は、ほとんど聞き取れない。


「……どうすればあなたのためになるのか、分からないの」


 だが、その言葉は確かに、咲弥に届いた。


「どう謝ればいいのか分からない。どうすればあなたが幸せになるのかも、私には分からない。謝れば、あの日まで時間を巻き戻せるという訳じゃない。あなたの親友だと、胸を張って言える立場になる訳でもない。どうすればいいのか、もう分からないの。だから、――……ごめんなさい」


 風花の目から零れおちる涙を、咲弥は黙って見つめていた。沈黙が続く。風花は無理矢理涙を拭うと、ふっと笑みを浮かべた。


「神崎さん。それ、私にちょうだい」


 それ、と言われた拳銃に咲弥は目を落とす。風花は右手を伸ばし、首を傾げて笑ってみせた。

 ――咲弥ちゃん、遊ぼ。

 手を差し伸べてくれたあの日の彼女と違うのは、手が震えていること。そして、涙を流していることだった。


「……私を殺す。それで神崎さんの気が済むのなら、私はそれでいい。けれどこれ以上、あなたに人を殺してほしくない。もうそんな、悲しいことを繰り返してほしくない」


 誰かが死ぬたびに、誰よりも顔を歪めていたのは、――咲弥だ。一見清々しい笑顔の中にある、隠しきれていない感情。誰もが我が身を案じる中で、風花だけはそれに気付いていた。


「もう、誰も殺さなくていいから」


 咲弥は答えない。風花は一瞬だけ下を向いたが、何かを決意したように咲弥の目を見た。


「あなたは、私を殺さなくていい。私が勝手に自分で死ぬから。だから…………私が死んだら、本当の笑顔を見せてくれる?」



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