表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マッドピエロは踊り続ける  作者: うわの空
第五章 徳田真由
13/17

 真由が部屋を出てしばらくすると、風花は床に座り込んだ。緩慢な動作で、近くに横たわっているひいなへと目をやる。

 ひいなの顔は穏やかで、けれども悲惨だった。風花は残っている力を絞り出し、ひいなの死体に新聞紙をかけ始めた。新聞紙にどんどん血が染み込むのを見て、更に六枚ほど追加してやる。それが終わると、ひいなと優美の死体を避けるように、腰も上げずにずるずると部屋の隅へ移動した。


 ――あんたは最後まで、神崎の味方でいられた?


「私は……」


 壁に背を預け、両手で目を覆う。二人で自転車を漕いだあの日。長い坂道。風に揺れる彼女の髪。二人で笑う、それが普通だと思っていた時。


「ずっと友達でいたいと、思ってた」


 言葉にしてみれば、それは単なる願望でしかなかった。


「ずっと友達でいたいと思ってた」


 もう一度繰り返す。繰り返せば繰り返すほど、それが単なる否定だと気付く。今でも友達、というのを否定するための文章。


「友達でいたいと思ってた」


 友達でいたいと思ってた。けれど、何もできなかった。風花は心の中で付け足すと、嗚咽をあげた。




『きっと一番簡単で、けれど一番難しい』


 不意に聞こえてきた咲弥の声に、風花は顔をあげた。見ると、モニターが自動で切り替わっている。

 先ほどまで咲弥のアップだったはずの画面は、見知らぬ部屋を映しだしていた。天井に設置されている監視カメラのものらしいアングルで。


「徳田さん!」


 画面に映っている人物の名前を、風花は叫んだ。真由はカメラに背を向ける形で立っている。風花はふらつく身体を起こし、テレビの元へと向かった。

 涼子の時は何をしているのかすら分からず、愛華の時は音声しか聞こえていなかった。それが今は、映像も音声もはっきりと分かる。風花はテレビにすがりついた。

 その時、画面の右上に黒い影ができた。


『――謝ってください』


 影が確かにそう言った。見覚えのある、小さな影。


『ごめんなさい、と十回言ってください。心から、私に謝罪してください』


 そっと、モニターへと手を伸ばしてみる。

 真由にも、影にも、決して届くことはないと知っていた。


「――……咲弥ちゃん」


 昔、隣で笑っていたはずの友達は、酷く遠いところにいた。




「あんた馬鹿? あんたの言うことなんて誰が聴くか。この部屋で、私があんたを殺して終わり。でしょ?」


 真由が吠えると、咲弥は鼻で笑った。


「それでもいいですけど。徳田さんはいいんですか? 私のような人殺しになっても」


 咲弥は何のためらいもなく、自分の事を『人殺し』だと言った。そのことに真由は一瞬ひるみ、けれどもすぐに威勢を取り戻す。


「私があんたを殺したって、それは正当防衛ってやつでしょ?」

「なるほど。では、好きなようにしてください。私の提示するゲームは一つ、『十回、ごめんなさいと言う』です。それが完了しない限り、抗ウイルス薬はお渡しできません」

「あんたを殺してから奪うわよ、そんなの。どうせ、そのポケットの中にでも入ってるんでしょ」


 真由は言い終わるや否や、咲弥に向かって突進した。画面越しではない、本物の咲弥がいる。今がチャンスだと思った。ここで全てを終わらせて正行のところへ帰る、チャンス。

 勉強はともかく喧嘩ならば、例え咲弥がナイフを持っていても負けない自信があった。一発殴って、脳震盪を起こしてやればいい。包帯で覆われている左顔面を狙ってやろうか。恐らく、死角になっているはずだ。更に右目も潰してやれば、やりやすくなる――


 真由の思考は、ここで途切れた。


 乾いた音と共に、真由はバランスを崩した。背中から後方に倒れこむと同時に、少量の血が降ってくる。なに、と思った次の瞬間、左腕に熱い痛みが走り、真由は悲鳴をあげた。


「……今のも正当防衛って言うんでしょうか。ねえ、徳田さん?」


 硝煙を吐きだす拳銃を右手に持った咲弥は、無表情だった。黒い皮手袋のせいか、拳銃は手と同化しており、やたらと重々しく見えた。


「やはり、西部劇のような早撃ちは難しいですね。片目というのも相当なハンデのようです。おかげで、肩を打ち抜くつもりが腕をかすめる程度になってしまいました」


 左腕を押さえたまま何も言い返してこない真由を見て、咲弥はがっくりしたように肩を落とした。


「私が武器を持っていることも予想していなかったんですか? だとしたら相当なお馬鹿さんですね。……痛いですか?」


 咲弥は右目だけで微笑むと、真由との距離を詰めた。それに気付いた真由は、何とか起き上がり逃げようとする。背中を向けられた咲弥は、笑った。


「駄目ですよ、怪我人が無理に動くなんて」


 軽い発砲音と共に、右太腿がえぐれる感覚。真由は再び悲鳴を上げ、今度は前方に転倒した。

 咲弥は一歩ずつ、確実に真由との距離を詰めていく。銃は、真由に照準をあわせたままだ。真由は右足に手を当てながら、咲弥へと向き直った。


 ――こいつは本当に、私を殺す気だ。咲弥の表情を見た真由は確信した。こいつはきっと、何の躊躇いもなく私を殺す。真由の思考回路は、瞬時に方向を変えた。神崎を殺すのではなく、ゲームに勝つことを考えなければならない。でなければ、死んでしまう。……このゲームに、勝たなければ。

 十回、ごめんなさいを言わなければ。


「ご、ごめんなさい」


 一回目。咲弥の肩がかすかに動いた。真由は床に這いつくばったまま、大きく息を吸い込む。

 あと九回。ごめんなさいを、あと九回言えばいい。


「ごめっ……」


 ごめんなさい。その一言を言いきる前に、咲弥の右足が負傷している真由の左腕を蹴り上げた。


「っ……うああああ!」

「ああ、すみません。一回目の『ごめんなさい』は聞こえました。その後、なんて言いました?」

「――っご、ごめんな」


 負傷している箇所に手を当てていたせいで無防備だった顔面に、咲弥の足が振り下ろされた。みしり、と不気味な音がして、鼻から生温かいものが溢れる。それを飲み込んだ真由は、激しくせた。


「なんて言いました?」


 それは、何の感情も込められていない声だった。

 咲弥の目は光を宿していなかった。その目を、真由は見たことがある。優美の、涼子の、愛華の、ひいなの。――それは、死んでいった者の目だった。

 真由は鼻に手を当て咳込みながらも、どうにかして言葉を繋げようとした。


「ご、ごめ」


 またしても顔面に、咲弥の蹴りが直撃した。今度は口元ではなく、両目に。失明こそしなかったものの、両目が頭の奥へ押し込まれたような感覚に、真由は叫喚した。


「なんて言いました?」

「ごめんな、――がっ」


 鳩尾に渾身の蹴りを喰らった真由は、身体をくの字に折り曲げ胃液を吐いた。その拍子に、鼻血と胃液の混ざったものが気管に入る。ごめんなさい、と言う言葉は形にならないまま、真由は噎せ続けた。


「なんて言いました? 言いたいことがあるなら、はっきり言ってください」


 咲弥は言葉を切るとしゃがみこみ、銃口で真由の頬をつついた。


「――下品な言葉を大勢の前で叫ぶ。あのゲームを考えたのは徳田さんでしたっけ。帰宅ラッシュ時の駅構内で、恥ずかしい単語を連発して来い。大きな声ではっきりと言わないと、あとで殴るからな。……私、あのゲームも嫌いでした。ですが、あなた達はお気に入りのようでしたね。次々と新しい【単語帳】を持ってきて……」


 枝で蟻をつつく小学生のような体勢で、咲弥は真由を見下ろした。


「大声ではっきりと叫ぶ。あなたが教えてくれたんですよ。なのにどうして、そのあなたが出来ないんです?」

「――……ご」


 咲弥の左手が真由の右手首を掴み、引っ張った。その直後やってくる、軽い発砲音と重い衝撃。

 宙に飛んだのは、真由の右手小指だった。


「なんて言いました?」

「う、あ……」


 消し飛んだ指の先から噴き出る血を見て、真由は泣きじゃくった。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。


「だって、だってまだ正行は五歳で、だってまだ私死ねない、嫌だ、だって、悔しかっただけなの、あんた全部持ってた、頭良くて顔も綺麗で、羨ましくて、だから、でも、正行がいるから私、死にたくない、ごめ、ごめんなさい、殺さないでください」


 しばらく無言だった咲弥は、銃口を下ろした。左顔面に手を当て、笑う。


「逆ですね」

「え……」

「私はあなたが羨ましい。大切なものを持っているから。私が失くしたもの、全部」


 咲弥は微笑み、けれど、と続けた。


「徳田さん、『何故謝っている』んですか?」


 真由はその質問の意味が分からず、瞬きを繰り返した。咲弥は銃口を床に向け、首を傾げる。


「あなたはどうして、先ほどから私に謝っているんですか?」

「え……だって私まだ、死にたくないから、十回謝らないと、私……」

「そうですか」


 ――私まだ、死にたくないから。その言葉を号砲に、咲弥は立ち上がった。下ろしていた銃口を、真由の頭部へと向ける。真由は目を見張り、大きく首を振った。


「嘘、やめ、ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「……ええ」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめ」

「やはり難しいものですね。謝るのって」


 ……嘘。早く逃げなきゃ。約束したのに、正行と。寂しい思いさせないって約束したのに。こんな所で死ぬわけにはいかないのに。

 逃げなきゃ、動け、動かないと。今死んだら、誰が正行を育ててくれるんだ。

 赦してもらわないと。だって私まだ、死ねないから。


「ごめんなさ……」





 ――おかーさん。ぼく、はしるのはやいって、先生にほめられたよ!

 ――よかったね、正行。

 ――今日もいっとうしょうだったよ。

 ――すごいすごい。流石お母さんの子供!

 ――うん。うんどうかい、ぜったい見にきてね! ぼく、またいっとうしょうだから!見ててね、ほら、よーい






 どん。







 頬に付いた返り血を手の甲で拭うと、咲弥は天井に取り付けた監視カメラを見た。自分からは見えない、けれど自分の姿が見えているであろう相手に、静かに語りかける。


「……瀬野さん。これで、残るはあなた一人となりました。このゲームも次で最後ですね。今からそちらに向かいますので、その部屋から動かないでください。――まあ、逃げたくても逃げられないとは思いますが。それでは、また後で」


 咲弥は優しく微笑むと、監視カメラを拳銃で撃ち抜いた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ