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マッドピエロは踊り続ける  作者: うわの空
第四章 羽村ひいな
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 自分は宇宙人なのではないかと、羽村ひいなは錯覚しそうになっていた。


 関西弁というだけで、そこまで面白がられるとは思っていなかった。しかもその「面白がる」は、決して良い意味ではない。嘲笑、というのが一番しっくりくるのだろうか。

 なんとかして関西弁を修正しようと、ひいなは必死だった。

 五歳まで関西にいた。逆に言うと、五年間しか関西にいない。ならば修正も簡単だろうと、ひいなは高をくくっていた。

 だが、実際は違った。

 親が関西弁を使うせいで、自分もつられてしまう。こてこての関西弁は使わないよう配慮できても、ちょっとした発音が「関西弁だ」と嗤われ、仲間にしてもらえない。

 ひいなはうんざりしていた。それと同時に、孤立しているという状況がとてつもなく怖かった。――早く周りと打ち解けたい。それだけを考えていた。

 弁当屋でパートをしている母親は、ひいなの様子に気付いているようだった。だが、その程度の事なら、あっという間に解決するだろうとも思っていたようだ。大人にとっては『ちょっとした違い』であっても、それが子供にどれほどまでの影響を及ぼすのか。ひいなの母親は、そこまで考えていなかった。


 結果、小学生の六年間、ひいなはいじめの対象となった。


 中学に上がると、他校からの生徒が増えた。六年間固定されていたクラスから解放されたものの、ひいなは不安を抱えたままでいた。またいじめられるんじゃないか。また笑われるんじゃないか。

 入学式の日、ひいなは標準語で話そうと必死になっていた。


「……もしかしてさあ、羽村さんって関西人?」


 徳田真由に指摘された時は、心臓が止まるかと思った。また地獄の三年間が始まるのだ、と目の前が真っ暗になる。ところが、真由は人懐こい笑みを浮かべた。


「私、関西弁って好きなんだよね。あ、そうだ。関西の人ってさ、本当にマックじゃなくてマクドって言うの?」

「え、うん……」


 ひいなは、いじめられる原因となった関西弁で、徳田真由と友達になった。

 ようやく一人じゃなくなった。ようやく友達ができた。

 帰宅したひいなは、母親にそう報告した――




「羽村、さん」


 風花は複雑な表情で、ひいなの顔を覗きこむ。真由は距離を置くように、一歩後退した。


「……ありがと、風花ちゃん」


 ひいなは消え入りそうな笑顔を見せると、そっと顔をあげた。わずかに充血した目には、恨みや憎しみといった負の感情は映っていなかった。


「神崎さん、聞こえる? ……ごめんな。気分悪くて、これ以上大きな声、出せそうにないんやけど……」

『大丈夫、聞こえていますよ』


 マイクテストに答えるかのような、事務的な声だった。それでもひいなは、「ありがとう」と表情を緩める。


「わたし、アホやから、もっかい訊いていい? わたし、もう助からへんのやんな……」

『ええ。自覚していらっしゃる通り、羽村さんはもう発症していますから。こうして話せるのも、あと一分あるかないかです』

「そっか……」


 ひいなは力なく笑うと、もうひとつ、と呟いた。


「お母さんは、本当に、無事やんな……?」

『ええ。私の目標はあくまでもあなた達でしたから。その家族には興味ありません』

「そう。よかった……」


 ひいなは壁にもたれかかると、再度目を閉じた。咲弥はしばらく考えてから、それに、と付け加える。


『羽村さんのお母様には、色々とお世話になりましたから』

「え……?」

『あなたのお母様は、とても人間らしかった。綺麗で、けれど醜くて。手を差し伸べてくれて、けれど払いのける。そういうところが大好きでした。あと、揚げたての唐揚げも』


 ひいなは画面上の咲弥と目を合わせ、「やっぱり気付いてたんやね」と苦笑した。




 徳田真由、雛菊愛華、加持涼子、岸野優美。一気に四人も友達ができたのだと報告する娘を見て、ひいなの母親――幸江は安心した。これでもう娘は大丈夫。そう信じていた。


 ひいなの通っている中学に在籍しているらしい女子が、弁当屋に顔を出すようになったのは、それから一か月後だった。


 自分の娘も同じ中学に通っているからこそ確実に分かることだが、その時間帯は授業中だった。社会人としては少しだけ早い昼食の時間。しかし、中学生が訪れるにしては妙に早い時間帯だった。


「――なあ、あんたと同じ制服着た女の子が、しょっちゅうウチの店に来るんやけど。知ってる子?」


 娘に訊いてみると、「知らない」とだけ返ってきた。コップに麦茶を注ぐと、いそいそと自分の部屋へと帰っていく。そんな娘の様子を見て、幸江は首を傾げた。普段ならそういった話に食いつくはずなのにおかしい、と直感的に思った。

 ……きっと知ってる子なんだ。だとしたら、あの時間に店に来る理由は?

 いじめ、という言葉が真っ先に浮かんだ。自分の子どもが経験者だっただけに、安易に結びつけてしまったのかもしれない。けれども娘の様子や、上履きのまま店まで走ってくる女子生徒を見て、幸江は確信した。

 きっとこれはいじめで、何らかの形で自分の娘も関わっているのだ、と。


 それに気付いた幸江の取った行動は、――――気付かないふりだった。


 幸江は、自分が下手に手を出すことで、娘が再び孤立することを恐れた。ひいな自身が恐れているのもそれだろうと思った。同級生を庇って孤立するのではなく、いじめる人間に同調することを娘は選んだのだ。――もしも自分が言及すれば、ひいなの立場はどうなるのだろう。

 見知らぬ人間の子供より、自分の子供の方が百倍大事だと、幸江は考えた。


 しかし、毎日のようにやってくる女子生徒を見る度、胸が痛んだ。


 彼女はいつだって走ってやってきて、弁当を一つ、多ければ四つ買っていく。恐らくそれは、自分の分ではない。調理場から店内の様子を覗きながら、幸江は罪悪感を覚えていた。


「内田さん」


 幸江は出来たての唐揚げを一人前、プラスチックの容器に盛ると、レジ係の従業員に手渡した。


「唐揚げ、一人前多く揚げ過ぎてしまって」


 それから、ついと咲弥へと目を移した。


「あの女の子、弁当できるの待ってるところですよね? これ、勿体ないし、あの子に渡してくれませんか。ちょうど今、他のお客様もおらんし、待ってる間に食べてもらえるように……」

「ええ? でもねえ、羽村さん」

「お願いします。あの子常連やし、ちょっとサービスってことで……」


 幸江は渋る従業員に頭を下げ、揚げ物のポジションへと戻ると、そこにある窓ガラスから店内の様子を覗いた。客用のパイプ椅子に座っている少女は、落ち着きなく何度も時計を確認している。そこへ唐揚げを持った従業員が近づいていくと、彼女は瞬時に笑顔を見せた。

 明るく、だというのにどこまでも空虚な笑顔だった。

 唐揚げ一人前と引き換えに得た情報は、彼女の名札に書かれている事のみだった。神崎という名前と、所属しているのが――ひいなと同じ一年三組だということだけ。

 やっぱり、ひいなはあの女の子の事を知っていたんだ。

 そう確信した後も、幸江は見て見ぬふりを続けた。


 きっと誰かが解決してくれる。誰かでなければ、時間が。


 罪悪感を和らげるため、唐揚げや白身魚を「揚げ過ぎ」ては、少女に渡してもらえるよう、他の従業員に頼んだ。だって自分は、そんな少女の存在を『知らない』のだから。

 そうこうしているうちに、彼女は転校した。

「あんたの同級生の神崎さんが、しょっちゅう私の店に弁当を買いに来てたよ」とひいなに報告したのは、それから更に三か月経った頃だった。




「……わたしもお母さんも、知らんふりしててん」


 再び一人になるのが怖くて、徳田真由のチームから抜け出すことができなかった。もうやめなよ、と言うのも怖かった。とにかく、誰にも目をつけられたくなかった。


『――ええ。そんな事だろうと思っていました』


 咲弥は感動する風でもなく言った。


『私が弁当屋に行った時、店員が揚げ物サービスしてくれる時と、くれない時がありました。いつも同じ店員が渡してくるわけでもない。どうなっているんだろうと思って、気付きました。調理場にとある女性が入っている時だけ、サービスしてくれるんだ……とね』

「そう……」


 ひいなは笑うと、両手で口元を覆い、激しく咳込み始めた。


「羽村さん!」

「……大丈夫。風花ちゃん、ちょっと、離れといて」


 真っ赤に染まった両手を見て、ひいなは苦笑した。風花は戸惑ったが、「離れて」ともう一度頼まれると、何歩か後ずさった。


『……瀬野さんも、もう感染しています。今更あなたと離れたところで、何の意味もありませんよ』

「うん……。でももう、怖いのは、見せたくない、から……っ」


 耐えきれなくなったひいなは、大量の血液を吐きだした。咳と同じリズムで、ポンプのように赤い液体を噴出する。その合間に、どうにかして言葉を繋げようとしていた。


「っ……神崎さん、ごめ、ごめんな……。わたし、自分、いじめられたくないからって……同調してもて……わたしホンマ、阿呆、やから……!」


 ひいなの両目から溢れだしたのは、どろりとした赤い涙だった。狭い空間が、再び赤い霧で覆われ始める。

 真由と風花は、何も言えなかった。咲弥は、何も言わなかった。

 ひいなだけが、言葉と血液を吐きだし続けていた。


「いじめられるのがどんだけ怖いか、知ってたはずやのに、やのに、わたしは、見てるだけで、怖いからって、逃げて……。ホンマ……ごめん……ごめんな神崎さっ……」


 バッと音を立ててひいなの身体が破裂し、血液を撒き散らした。



 その言葉を何度言ったところで、自分がもう助からないことは理解していた。

 何度繰り返そうが、赦されないだろうことも分かっていた。

 それでもひいなは、最期までそれを言い続けた。


「ごめ、ん……」


 ひいなはしばらく虚ろな目で画面上の咲弥を見ていたが、やがて激しく痙攣すると、地面に突っ伏した。



 誰も動かなかった。真由と風花は、言葉を失っていた。


『……私は』


 咲弥は逡巡し、口を開く。


『私は、あなたのような馬鹿……嫌いではなかったです』


 囁いたその言葉は行き場を失い、真っ赤な宙に溶けた。



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