Ⅱ 妖精女王ティターニア
「そこの者、待たれよ」
去年建てた妖精の大家の目と鼻の先。植物で形作られたアーチの前で、リルは妖精の衛兵に呼び止められ足を止めた。
草を編みこんだ兜に葉っぱで作られた鎧。手に持つ槍は木の枝を鋭く削りだしたもので、蔦植物で飾られている。
「はい、なんでしょう?」
リルは腰を屈め、衛兵と目線を合わせた。
腰を屈めなければかなり見下ろす形となり、それはいくらなんでも失礼だと、九歳ながらに弁えているからだ。
そんな衛兵の身長は、十センチほどしかなかった。
どうしても、多少は見下ろしてしまうことは仕方がない。気持ちの問題だ。
「この先は、妖精女王ティターニア様の御座す処である。許可のない者は早々に立ち去られたし」
人間に怯えることもなく、毅然とした態度で衛兵は文句を口にした。
しかしリルは立ち去ろうとする挙動を見せることはなく、服のポケットから何かを取り出す仕草をする。あからさまに警戒の表情を濃くし、衛兵は身構えた。
「この花環は、許可証にならない?」
ここへ来る前にお爺さんから渡された花環を手のひらに乗せ、衛兵の眼前にずいっと差し出す。
爪楊枝のような槍を、思わず幼い手に突き刺しそうになる衝動をグッと堪え、衛兵はその花環を見やった。
「これはッ!?」
「ティターニア様のために編んだものを、持ってきたの」
わたしが編んだものではないけれど、とリルは心の中で付け足した。
「毎年ご苦労様です。ささ、女王様はこの先にいらっしゃいますよ。けれど気をつけてください、いまは少々気が立っておられるようですので」
衛兵は花環を見るや態度が一変し、リルの行く手を快く開けた。
人間の指の太さくらいの円周で編みこまれた緻密な花環は、妖精女王と対面する際、必ず持参しなければならないもので、通行手形のような役割をも果たしている。
そしてそれを持ってくる人間は、毎年、新居を建ててくれる家族であることを証明しているのだ。
「どうもありがとう」
衛兵に手を振り、枝葉で組まれたアーチを腰を屈めながらくぐり、湿気った葉っぱが敷かれた道を歩いていく。目標に一歩ずつ近づいてゆく毎に匂いを増す森と花の香り。
やがて見えてきたのは、去年お爺さんと一緒に建てた大家だ。
ミニチュアの子供のおもちゃみたいで、けれど他の妖精の家々とは違うことが一目で分かる。それはきのこではなく、ちゃんと木材で作られていたのだ。
ログハウスのような家は色とりどりの植物で飾られ、鬱蒼とした森の中にあって、それはまるでファンタジー世界を描いた絵画のように、鮮やかな色彩で彩られていた。
ひときわ目を引くのは屋根の上。大きな青いユリの花が枯れずに存在し続け、霧を纏った花びらが、空から差し込む木漏れ日を浴びてキラキラと輝いている。
女王様の飾りつけは毎年見事だな、とリルが感心していると――
「まったく、私のことをほったらかしにするなんて!」
綺麗な風景には似つかわしくない、怒った声が家の中から聞こえてきた。直後、ガシャンと何かが割れる音が響く。
「ティ、ティターニア様?」
驚いたリルは、小指を優しく弾いて家のドアをノックする。
するとしばらくして、中から、ぷんすか怒りながら女性が出てきた。
「なにか用なの?」
エルフのように整った顔に、不機嫌そうな皺を眉間に寄せているのは、蝶のような薄紫の羽を持つ妖精女王ティターニア。
小さくて真っ赤な果実のついた枝を、金色の髪を束ねて後ろ差し、しみ一つないうなじを惜しげもなく披露している。その透明な素肌を包むのは、葉っぱの薄皮を剥いで作ったようなシースルーの下地に、青や緑の鳥の羽と植物の葉で装飾されたドレス。
これまた衛兵ほどの背丈の女王様は裾を大きく閃かせ、テラスに設置されている小さな椅子に静かに腰掛けた。
いつ見ても女王様は美しい。熱いため息とともに見蕩れていると、
「用があって来たんじゃないの、娘さん?」
よほどイライラしているのか、テーブルを指でトントンと叩きながら急かすような口調で女王様は言った。
「あ、そうだ、この花環を……」
女王様に対する初めの挨拶として、リルは手のひらに乗せた花環を指でつまみ上げ、そっと女王様の頭に載せた。それから乾燥バラの入った小さな布袋を手渡す。
「あら、ありがとう。今回も綺麗な出来で本当に素敵だわ。そしてこれはバラね! 入浴剤にしてもよし、ハーブティーにしてもよし。相変わらず気の利くご家族だこと」
女王様が喜んでくれているようで、リルはホット胸を撫で下ろす。
でも安心している場合じゃない、喧嘩の原因を聞きに来たのだ。このままでは新居を用意しても、二人はぎくしゃくしたまま。自分になにが出来るか分からないけれど、とりあえず話を聞いてみよう。
「あの、ティターニア様」
「なにかしら?」
「オベロン様と喧嘩をしたって、お爺ちゃんから聞いたんですけど……本当ですか?」
リルの言葉に、花環に見蕩れ気遣いに感激し、今の今まで忘れかけていたその事を、思い出して急に腹がたった。
普段温厚で優しい女王様が、鬱憤を晴らすかのように溜まっているイライラを、リルに向けて打ち明けた。
「ちょっと聞いてくれる! あの人ったら私たちの結婚記念日を忘れていたのよ! 毎年綺麗な指輪を用意してくれていたから今年もかなって期待していたのに! 聞いたら用意してないって。それで私言ってやったのよ、私のことはもうどうでもよくなったのって! そしたら無言で家出しちゃって! 出て行きたいのは私の方だってのに!」
バンッとテーブルを叩いて感情を迸らせる女王様。それはまるで鉄砲のように勢いのある熱演振りだった。
まだ九年だけれど、生まれてこの方、こんな女王様の姿はかつて見たことがない。
女王様も怒るんだなって関心を抱きつつも、リルは肝心なことを女王様に問う。
「……それで、オベロン様は、どちらに?」
「知らないわよ」
女王様はぷいっとそっぽを向いて話を切り上げた。
憂さを晴らせて少しすっきりしたのか、花環をまじまじと見つめながら気分を落ち着け、そうして再び家の中へと戻っていった。
「ああ、どうしよう……」
怒りは相当なようで、まるで取り付く島もなかった。
このままでは、仲の睦まじい夫婦に戻れなくなってしまうかも。新居を用意しても、住んでくれなければ意味がない。二人の仲が崩壊してしまったら、きっとお爺ちゃんも悲しむだろう。
お爺さんは、二人の家を大祭の日に合わせて作ることを、毎年楽しみにしているのだ。
静かになった家を、扉の向こうの女王様の気配を見つめ感じながら、リルは思考する。
やがて決心したように大きく頷くと、リルは来た道を門まで戻り、そこから新たな進路をとって、足を一歩ずつ踏み出した。