Ⅰ お爺さんと孫娘
まるでレゴで作ったおもちゃみたいにカラフルで小さい街の郊外に、泉をいくつか擁するくらいには広くて深い森がある。樹種様々に生い茂る森林は、緑にむせ返るほど濃厚な霧に覆われていた。霧が立ち込めると方角すら分からなくなってしまい、地元の人々はあまり近づこうとはしない。
それどころか、子供に「妖精に攫われてしまうから近づいてはダメだ」と吹き込む親がいるほど、陰鬱とした森と認識されている。
けれどそんな森の中に、ぽつんと一軒の家が建っていた。天然の木材を使用した木組みの家だ。
そこには、今年八十歳になるお爺さんと、九歳になる孫娘が住んでいる。
住んでいるといってもこの家は別荘で、連休を利用して、理由あって二人で別荘に来ているのだ。ちなみに少女の両親は共働きなため、一緒には来ていない。五歳離れた姉もいるが、勉強熱心な娘なのでついては来なかった。
そんな家の周囲には自給自足で賄えるよう畑が設えてあり、簡素ながらに保存も出来るようにと物置小屋も併設されている。
太陽の光を遮って立ち込める霧を仰ぎ見ながら、お爺さんは庭に置かれた木の椅子に腰掛けていた。
しかし、こんな辺鄙な森の中に、なぜ二人だけで滞在しているのか。その理由として、このお爺さんの仕事にある。
年老いてもなお精力的に映る、筋骨隆々としたその体躯。若い者にも負けない膂力を感じさせる太い腕。昔はさぞモテたであろう面影を、今はしわを年輪のように刻む端正な顔立ちに残す、この老人の職業は大工なのだ。
大工と言っても、人間サイズのものではない。大工をしだしたのも、定年を迎え、することがなくなったからだ。
一般的な小人よりもさらに小さな、妖精のための家大工。
素材は、別荘からも見えるのだが、そこかしこで大地から顔を出す傘を差した植物。そう、きのこだ。
しかし一般的に人々が食すサイズとはいささか違って見える。なんとそれは人の膝丈ほどもある大きさをしていた。
お爺さんの仕事は、そんな大きなきのこをくり貫き、木材で家具を拵え、妖精のための家屋を作ることだった。
「はぁ」
けれど、お爺さんには悩みの種がある。妖精暦と呼ばれる暦の、一番大きな祭日が間近に迫っていたのだ。
年に一度の大祭で、お爺さんは重要な役を、孫娘に任せようと思っているのだが……。
「おじいちゃん、そんなにため息ばかりついて、どうしたの?」
椅子に座り天を仰いではため息をこぼす祖父が気になり、孫娘であるリルが訊ねた。
「どこを探しても、青いユリの花が見つからないんじゃ」
「たしかに、今年は見てないね」
リルも森の中を駈けずり回って、青く色づくユリの花を探したけれど、結局今年は見ていない。
お爺さんの悩み。それは毎年、五月七日の妖精女王ティターニアと妖精王オベロンの結婚記念日に、新築の家を二人に贈るというものだった。それには、この森のどこかに自生する美しい青いユリが不可欠なのだが……。
「はぁ」
ユリが見つからない。探しに行きたいけれど、老体には堪える。若い頃ほどの体力のなさを痛感していると、そんな遣り切れない心情がため息となってもれた。
しかしお爺さんの悩みは、それだけではなかったのだ。
「おじいちゃん、そんなにため息ばかりつくと、真っ白どころか、頭が透明になっちゃうよ」
雪に埋もれていても気づかないくらい、綺麗な白色をしている頭を見て言うと、お爺さんは小さく首を横に振る。
「リル、驚かないで聞いておくれ」
「なに?」
「実はな……」
うんうんと、今から祖父が何を話すのかが楽しみなのか、リルは肘掛にしがみつくようにして寄り添う。けれど見上げた祖父の表情は、楽しい童話を読み聞かせる時のような愉快な顔ではなかった。まるで反省している子供みたいに眉をひそめている。
「どうしたの、おじいちゃん?」
それほど言いにくい話なのか。聞いていいものなのか判断に迷ったけれど、リルは先を促した。
「実は、妖精女王と妖精王が夫婦喧嘩をしてしまったらしくてな。妖精王が家出をしたらしいのじゃ」
「えぇええっ!!」
リルは仰け反りながら大層驚く。
まさかこんな大事な時期に夫婦喧嘩だなんて。もう祭日まで一週間もないって言うのに、女王様が大好きな青ユリも見つからないこの状況で。悩みの種が一つどころか二つになっちゃった。
「はぁ」
お爺さんは変わらずため息ばかり。夫婦喧嘩なんて、お爺さんが妖精の家大工を始めた六十代の頃から、一度たりとて経験したことがなかった。いつも二人は愛し合っていて幸せな理想の夫婦。人間から見てもそうなのだから、誰が見ても羨む番だろう。
なのに喧嘩をして、挙句妖精王の家出。自身にも経験ないことなためか、現状、何をすればいいのか、何をすべきなのか、お爺さんには冷静な判断が下せないでいた。
そんな悩めるお爺さんを見るリルの目は、いつになく真剣だ。熱意を肌で感じるほど、強い意志に燃えていた。
「おじいちゃん、わたし、女王様のところに行ってみる」
「なんと!」
孫娘からの思わぬ申し出に、お爺さんは椅子から転げ落ちそうなくらい驚いた。
こんなに積極的な子だったか? と、不思議に思いまじまじと顔を見つめてしまう。
「どうして喧嘩したのか、ティターニア様に聞けばきっとわかるでしょ?」
「そうだろうか……」
「きっとそうだよ」
自身ありげにリルは大きく頷いた。
亡くなったお婆さんとは喧嘩したこともないから分からない。夫婦喧嘩とは何がどうなってしてしまうものなのか。お爺さんには甚だ疑問でしかなかった。
けれど、孫娘は自分の耳でそれを聞いてくると言った。
妖精女王と妖精王の前に始めて連れて行った時、リルはこれ以上ないくらいの緊張をしていたっけ。
それを思えば、ずいぶん成長したなと、孫が大きくなっていくことへの喜びをいま、改めて感じている。それを噛み締められるくらいには、自分も年をとったのだと、同時に実感も湧いた。
「分かった、リルの好きなようにやってみなさい。お爺ちゃんも応援しよう」
「本当っ!?」
ああ、と返事しながら椅子から立ち上がる。そしてお爺さんは家の中へといったん戻り、花環の指輪と小銭入れみたいに小さな布袋を持ってきた。
「リル、これを持っていきなさい」
「花環だね。あと、これは?」
花環は毎年見ているものだけれど、この布袋は見たことがない。用途が分からず訊ねると、
「これは妖精女王のための供物じゃよ。まだ大祭の日でもないのにお邪魔するんだ、この乾燥させたバラを、女王様に差し上げなさい。話くらいは聞いてくれるかもしれない」
「うん、分かった」
リルは花環と乾燥バラの入った布袋をお爺さんから受け取った。
「失礼のないようにな」
ポンとその肩を叩き、お爺さんは笑顔でリルを送り出す。
孫が頑張ろうとしているんだ、自分も出来ることをやろう。と諦めずにユリの花を探すことを心に決めたのだった。