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ゾディアック  作者: 亜耶
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43 流砂の内部



 あの日から、変わったわ。

 みんな、みんな、私に優しくしてくれる。

 でも、レオだけは変わらない。


 みんなが私に気を遣ってるのに。

 私があの日のことを思い出さないように。

 私にあの日の痛みを思い出させないように。


 でも、忘れられるわけがない。

 忘れたくても忘れることが出来ない。

 恐怖、絶望、痛み――全てこの体に刻み込まれている。


 けれど。

 あの時初めて見せてくれた、あなたの優しさ。そしてそれは、私の負った全てのものを覆い隠してくれている。

 でも、分かってる。

 それが偽りの優しさだというくらい。


 だからこそ変わらない。

 あなたは私を導石の持ち主としか見ていないから。

 でも、それでもいい。

 変わったみんなを見ていると、嫌でも認識してしまうから。私は哀れな女だと。

 だからあなたは変わらないでいて。

 あなたが変わらなければ、私、前のままでいられるから。




     ◆




 冷たいものを額に感じて、優姫は瞼を開けた。手を伸ばし当てると、そこには濡れたタオルがある。


「……っ」


 まだ夢心地だった気分は、体を起こそうとした時に走った痛みで吹き飛んだ。

 ぼんやりと見上げたそこにあるのは、ごつごつとした岩肌。

 ――砂の渦に飲まれたはずだったのに。

 優姫は体を横たえたままぼんやりとしながら、砂漠でのことを思い出していた。

 為す術なく砂に飲まれていく感触。

 苦しくなっていく呼吸と、それに伴って薄れていく意識。

 死を受け入れざるを得ない状況――のはずだった。

 しかし、それにしても。


「私、生きてる……」


 ぽつりと呟く。

 よくよく考えれば、この異世界にやってきてから、大小は違えど一体いくつの危機を乗り越えただろう。

 この世界に初めてやって来た時から始まり、亡者の森での出来事、ナダ港での諍い、ヨーク島の怪物、リードベルクの悪夢、そして砂漠の流砂。

 中には優姫の軽率な行動が危機を呼び寄せたこともあるのかもしれないが、それにしてもその数はこの世界に滞在する期間に対してあまりに膨大だ。

 そこまで考えてから、優姫は大きく息を吐いて再び今の状況に思考を巡らす。


「ここ、どこ……?」


 痛みに軋む体を起こし、周囲を見渡した。洞窟のような場所だが、その天井には点々と穴があり辺りは思うほど暗くない。どこかに水源があるのか、かすかに水が流れるような音がした。

 さらに砂漠の上での暑さはそこにはなく、感じるのはひんやりとした岩肌の感触。ますますもって、優姫は混乱することになった。そんな気持ちを払拭する為に、優姫は大きく息を吸い込み、声を張り上げた。


「みんなー! どこー! アリエスー! エルレインー! カイー!」


 しかし帰ってくるのは反響した声ばかりで、期待する声はない。


「アリエス! エルレイン! カイ!」


 それでも諦め切れず、仲間である三人の声を呼び続けた。それは優姫にとって、得体の知れない場所にたった一人でいるという恐怖に囚われない為の、唯一の手段でもあったからだ。

 一瞬、もしかしたら自分は既に死んでいるのではないかと思い立ち、頬を強く摘んでみると、相応の痛みが走りその不安はすぐに立ち消えた。


 何度、同じ名前を繰り返したのか。

 大声を張り上げ痛む喉を摩りながら、優姫は息を吐いた。同時に込み上げてきそうになる涙を必死に押さえて、再び顔を上げる。

 気持ちは既に折れてしまっていた。

 それでも、もう一度。もう一度だけ、と大きく息を吸った所で、その声は降ってきた。


「ユウキ」


 久しく聞いていなかった自分以外の誰かの声。そんな声が耳に届いた瞬間、優姫の心で張り詰めていた糸がぷつりと切れた。


「目が覚めたんだな」


 聞き覚えのある声――それは優姫が名を叫んでいた誰のものでもない。しかし、ピンチに陥ると必ず彼女を救ってくれた青年のものだった。


「……レ、オ……」


 背後から彼女の元へ歩み寄る青年の名を呼ぶその声は震えている。

 涙を流し立ち上がるそんな彼女の姿に、レオは自分が思ったよりも長い時間をその場から離れてしまっていたことに気付き後悔した。


「レオ……!」


 がむしゃらに走り、目の前の青年の胸に飛び込んだ。


「レオ、レオ……っ」


 搾り出される声に、レオの胸は締め付けられる。

 嗚咽を漏らし、まるで幼子が親にするかのように必死にしがみつくその細い体を抱き寄せたい衝動に駆られながら、青年はそんな思いを抑え、その代わりに震える肩にそっと手を置いた。


「すまない、出口を探していて少し離れ過ぎたようだ」


 優姫は肩に触れる手の温かさに心底安心しながら、レオの声を聞いていたのだった。





「……落ち着いたか」


 小さな光が差し込む壁際で、レオは隣で鼻を啜る優姫に声をかけた。


「うん……ごめん、安心したらなんか訳分かんないことになっちゃって。しかも涙と……鼻水でマント汚しちゃって、本当にごめん、なさいっ!」


 恥ずかしさで上気する頬を押さえて、優姫は頭を下げた。ちらりと移した視線の先には、ひとしきり泣いた後になってようやくその事実に気付いたレオの黒いマントがある。


「大丈夫だ。それより、お前は……ユウキは大丈夫か?」


「私はもう平気! しいて言うなら、あちこち打ち身みたいなんだけど、でもレオに会えたから!」


 言ってから、まるで告白のような発言であったことに気付き、優姫は慌てて言い繕う。


「あ! ち、違うの! 皆がいなくて不安で押し潰されそうだったんだけど、レオが来てくれたから本当に安心して! だから抱き着いちゃったのもその流れで、別にやましい気持ちがあったわけじゃなくて。多分私、アリエスとかエルレインとかカイでも抱き着いちゃってたと思うし……って私何言ってるんだろ」


 レオの何倍もの言葉を言い終えた時には、優姫は肩で息をする羽目になっていた。まだほてりの残る顔を上げると、そこにはかすかに笑みを浮かべた青年の姿がある。


「なら、良かった。あの時は、咄嗟のことで、手を取ることが出来なかったから」


 落ちる沈黙。

 優姫はその時ようやく、レオの纏う衣服が自分と同じく砂で薄汚れていることに気が付いた。


「もしかして、私を流砂から助けてくれたのは、レオなの?」


「……俺は瞬間的に入口を広げただけだ。落ちていくお前の体には手が届かなかった。一緒に大量に落ちた砂で若干衝撃は和らいだようだが、運が悪ければ命の危険もあっただろう」


 レオは俯き加減に答え、さらに言葉を続けた。


「それにここはまだ流砂の内部だ。出口が見つかるまで安心は出来ない」


「……私、またレオに助けて貰っちゃったんだね」


 それは紛れもない事実。

 死を受け入れる他なかった優姫を救ったのは、レオ自身に他ならない。優姫は素直にそれを述べたのだが、青年の表情は憂いに満ちていた。


「レオ……?」


 晴れる気配のない雰囲気に、優姫は恐る恐る声をかけると、レオはわずかに顔を上げ、深緑の瞳を向けた。

 居抜かれた瞬間、どきりと高鳴る優姫の鼓動。やっぱり格好いい、なんて場違いな思いを抱きながら聞こえるはずもない胸の高鳴りを必死に隠すべく、新しい話題を放り投げた。


「ね、ねえっ! ここが流砂の内部って、一体どういうことなの?」


「……そのままの意味だ。ここは流砂に飲み込まれた者全てが行き着く場所だ。俺も初めて知ったことだが、この砂漠一帯の地下にはどうやら固い岩盤が存在していて、そこに空いた何箇所もの穴が定期的に流砂を引き起こしているようだからな。さっきはどこか脱出出来るような場所を探してみたんだが……」


「もしかして、閉じ込められたってこと……じゃ、ないよね?」


 青年が言い澱んで訪れた沈黙に、優姫は喉を鳴らし尋ねたが、その答えが即答されないことに、今度は思わず青くなる。

 いてもたってもいられず立ち上がり、光が差し込んでいる場所まで走り天井を見上げると、その事実に愕然とした。

 光が差し込む穴は、遥か上空。そこに登る為の道具は勿論、手段さえも優姫には思い浮かべることが出来なかったのだ。


「嘘……」


 しかし、その場にぺたりと座り込んだ優姫の肩が叩かれたのは、すぐのことだった。


「脱出する方法は、ある。しかし、かなり危険な方法になる。ユウキ……俺にその身、預けられるか?」


 青年の瞳と首から下げられた十字のネックレスの中央を彩る宝石が、きらりと光る。


「は、はいっ!!」


 意味深な発言に、それ以外の言葉を返すことなど、顔を真っ赤に染めた優姫には出来る筈もなかった。





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