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ゾディアック  作者: 亜耶
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41 長き因縁



「――――っ!」


 嫌な夢を見たような気がして、優姫は飛び起きた。早鐘を打つ胸を押さえ、乱れた呼吸をゆっくりと整える。


「今のは……」


 呟き、しかしおかしいことに気付く。

 たった今見た夢なのに、覚えていないのだ。その映像も、言葉のひとつさえも。

 嫌な夢、だったような気がする。しかしそれを証明するのは、今や落ち着きつつある鼓動と呼吸のみ。それは奇妙な感覚だった。

 少し眠ったからなのか調子を取り戻した優姫は、すぐに眠る気にもならず寝台から抜け出した。

 隣ではエルレインが静かに寝息をたてている。そんな彼女を起こさないよう窓際に寄り外を見てみれば、外は闇に包まれ人の気配はない。壁にかけられた時計の針は、深夜の時刻を指していた。


「……ん?」


 その時だった。

 外を眺めていた視界の端に何かが映り、優姫は目を凝らした。


「なに……あれ」


 闇に浮かぶ白い影。

 それはゆらゆらと動き、浮遊しているようにも見える。思わず優姫はカーテンを勢いよく引き、窓を開け放って身を乗り出した。


「も、もしかして……幽霊――」


 そんな考えが浮かび、身の毛がよだつ。背筋がぞくりとして目を逸らしたい思いに駆られたが、しかし怖いもの見たさな気持ちもあって、白い影から目を離すことが出来ない。優姫の胸中では、恐怖と好奇心が相対したが、すぐにその勝負は決することになった。


「……見に行ってみよう」


 優姫はそれでも起きないエルレインを部屋に残して、階下へ静かに駆け降りていった。




 日本風に言うならば、丑三つ時。しかし大通りに沿ってわずかな街灯しかないラトハルクでは、その闇の深さは比べものにならない。

 優姫は宿を出て一番近くの街灯の元までやってくると、目を凝らして白い影を探す。


「いた!」


 目当てのものは、幸いすぐに見つけることが出来た。それは優姫のいる場所からひとつ先の街灯の下で、ゆらゆらとまるで誘うように揺れている。

 そんなことなど考えることもなく、優姫は光の下から走り出し、闇を抜けて再び光の下に辿り着いた。しかしそこにはすでに白い影はなく、優姫は辺りを見回すと、それはもうひとつ先の街灯の下に移動していた。


「あれ? 何であっちに行ってるのさ」


 呟きながら再び走り出す。

 しかし、やはり追いつくことは出来ず、優姫が白い影がいた街灯に辿り着けば、それはいつの間にかひとつ先の街灯の下に移動している。

 何度同じことを繰り返したのか。

 今更引くことも出来ず、むきになって白い影を追い続けた結果、ようやく優姫は追いつくことが出来た。随分と走ったもので、わずかに息が上がっている。目の前には大通りの終着点である教会らしき建物がある。

 目の前で浮遊する白い物体。幽霊の類だと思っていたそれは、消えることも逃げることもなく優姫の目の前にあった。しかし、逃げれば追いたくなるものだが、いざ目の前に実体として存在している得体の知れないものを触れるのは勇気がいる。一度、大きく深呼吸して、優姫は意を決してそれに触れた。

 刹那、浮いていた白い物体は、いきなり実体をなくしたように地面へと沈んでいく。

 足元に残るのは、白い布。

 優姫がそれを摘みあげようとした、その時だった。ひやりとした感触が足に走った。


「ひゃっ!?」


 慌てて視線を下ろすと、そこにいたのは白い布から体を覗かせる小さな蛇。布と同じ色の艶やかな鱗に覆われたその蛇は、赤い瞳で優姫を一瞥すると、するりと股の間を抜けていく。

 その直後、軋むような鈍い音を立てて目の前の建物の扉が開いた。白蛇は吸い込まれるように屋内へと消えていく。


「あっ! 待てっ!」


 蛇には嫌な思い出ばかりだというのに、目の前に現れた蛇が小さく珍しい色だったからなのか、優姫は恐怖心を感じることなく、白蛇を追いかけることが出来た。それに加えて、開いた扉から煌々と光が漏れていたことも、優姫の背中を押しただろう。

 白蛇はすばしっこく、小さいからこそ狭い場所をぬい走り、優姫は追いかけるも中々捕まえることが出来ない。

 ワインレッドの絨毯が伸びる長い通路を抜け、その先にある開け放たれた扉をくぐる。白蛇を追い周りが見えていなかった優姫だったが、そこに足を踏み入れた瞬間がらりと変わった雰囲気に気付き、ようやく足を止めた。

 優姫の視界に映ったのは、巨大なステンドグラスがはめ込まれた聖堂。白を基調としたその場所は百人は入るであろうほど広く、沢山の長椅子が整然と並んでいる。奥の台には金糸で刺繍の施された緑色の布がかけられ、正面の巨大なステンドグラスは色とりどりのガラスで美しい紋様が表されていた。

 しかし、優姫が最も注目したのはそのいずれでもなかった。


「……?」


 ステンドグラスの真下でゆらりと揺れた白い影。それが人であることに気付くことが出来たのは、優姫が追いかけてきた白蛇を白い影から伸びた同じく白く細い手が拾い上げたからだった。


「おかえり、サビク」


 静寂に包まれた聖堂内の空気が震える。優姫が扉の前で立ち尽くす中、白い影はゆっくりと振り返った。

 それは、確かに人間だった。

 腰まで伸びた白髪と、雪のように白く美しい顔立ち、そして纏うのは光沢のある白い衣。血の色をした赤い瞳はその白い表情の中、異様なほど存在感を持っている。しかし白髪ではあったがその外見は若く、中性的でありながらもかろうじて男性だと分かったのは、高い身長とそんな顔立ちに似合わない低い声を持っていたからだ。

 美しすぎるその姿に、優姫は思わず身震いしながらも、見入ってしまっていた。妖艶――そんな言葉がぴったりだと思った。


「……やあ、はじめまして」


 白い男の形の良い唇が動いた。

 赤い目を細め、微笑む。

 優姫は見とれそうになる気持ちを振り払い、慌てて答える。


「あ、どうも! す、すみません勝手に入ちゃって! 私、もう行くんで!」


 いくら扉が開いていたからと言っても、時刻が時刻だ。咎められる前に出ていこうと考えるのは当然で、優姫もまた踵を返す。


「いいんだよ、ふふ」


 肩に登った白蛇を撫でながら、笑う。

 その様子に幾分安心して、優姫は足を止めた。目の前にいる真っ白な人間に、興味が沸いたのだ。


「……あの、人のこと言えないんですけど、あなたはここで何してるんですか?」


 こんな時刻に自分がここにいることがおかしいということは、それは目の前の白い男も同様だ。優姫は恐る恐る尋ねた後、ひとつの可能性に思い当たった。


「あ、もしかして司祭の人、とか」


 もしここを統轄する司祭であれば、こんな時間だとしても聖堂にいることはなんらおかしくない。しかしその可能性は、本人によってすぐに一蹴された。


「私が? まさか! そう見えるかい? ふふ、あはは……おかしいね」


「……ですよねー、えへへ」


 笑顔で答えながら、優姫は内心焦っていた。目の前の男は特に自分に危害を加えそうにはない。しかし様子が少し普通とは違うような気がする。

 そう思ってからは、浮かべる笑みにすら狂気が窺い見えるようになってしまった。


「あ、私やっぱりもう戻ります。すいません、お邪魔しちゃって」


 ぺこりと礼をし、再び踵を返す。男はもう引き止めることはせず、笑顔のまま手をひらひらと振っている。

 優姫はそのまま門をくぐり、建物を抜け、暗い夜道を宿まで走り急いだのだった。




     ◆




「ふふふ、あの娘も変わらないな」


 壁際の燭台に手を伸ばし取ると、男は静かに呟いた。揺らめく炎が映りこんだ赤い瞳を細め笑い続ける姿は、どこか妖しい。


「君もそう思うだろう?」


 静寂に包まれた聖堂内の柱に向かって話しかける。誰もいないはずのその場所に燭台を向けると、柱の影がゆらりと揺れた。


「出ておいで。私が気付いていないと思っているわけではないだろう……レオ」


 その言葉を受けて影から現れたのは、黒衣を纏うレオ。漆黒の髪を揺らし、白い男の前へずいと進み出ると、射抜くような深緑の瞳を向けた。


「おお、怖い。彼女に近付くなとでも言いたげな目だ。悪いが、彼女は自分からここへやって来たんだよ」


「違うだろう、お前があいつを呼んだ……どういうつもりだ」


「おや、ばれていたかい? でも、どういうつもりかなんて、君も野暮だね。ヴァルゴを呼ぶ理由は、たったひとつじゃないか」


 レオの鋭い視線にさらされながらも、男には少しもこたえる様子はない。それどころか、触れそうになるほど顔を近づけ、白く細い指でレオの頬に触れた。


「君の望みを打ち砕くためさ」


 男が頬をなぞる指に力を入れると、それは赤い線を描いていく。レオは顔をしかめ手を振り払うと、男は心底愉しそうな笑みを浮かべ、後ずさった。


「もっともっと、愉しませておくれ――〈獅子宮〉レオ。ふふ、あはは……」


 そう言い放った男の輪郭がぼやけていく。それと同時に、煌々と辺りを照らしていた沢山の燭台の炎が一斉に消えた。

 まるで煙のように忽然と姿を消し、残った闇の中では、頬に傷を負った青年が俯き立ち尽くしていた。


「……ヴァルゴ」


 闇に包まれた聖堂の中、レオは小さく呟いた。




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