40 異教徒の街
「うっ」
朝一番、気持ちの悪さで優姫は目が覚めた。喉の奥から込み上げてきそうになるのを堪えながら、優姫は起き上がった。かろうじて押さえ込んだ後には、額に冷や汗が浮かんでいた。
最悪な目覚め。
頭はがんがんと痛み、起き上がろうとすると足元がふらりとよろめいた。
「ユウキ?」
そんな優姫の様子に真っ先に気付いたのはエルレインで、おぼつかない足取りでふらふらと歩くそんな彼女に歩み寄っていく。
「あんたどうしたの? 何か変だけど」
「エルレイン……、なんか、私、気持ち悪い……」
そのまま肩を委ねてきた優姫を、エルレインは慌てて抱きとめた。
「はぁ!? あんた大丈夫!?」
「なになに、どうしたんスかー?」
そこにちょうどやって来たカイが二人に声をかけると、エルレインは都合良くやって来た青年に手招きする。
「カイ、あんたいい所に! ちょっと手伝いなさいよ」
エルレインの語気の強められた要請という名の命令に、言われるがままにカイは手を貸したのだった。
「これで、ますますラトハルクに向かう必要が出てきたな」
カイの背におぶさる優姫を見ながら、アリエスは静かに言い放った。
ラトハルクはこの丘からならば、半日とかからないという。それならば急ぎラトハルクへ向かい、とりあえず宿を取ろうというのが、全員の一致した意見だった。
「ごめん……みんな。ごめん、カイ」
カイの背の上で、優姫は呻くように詫びる。特に、背は彼女よりは高いにしても、年下で、しかも全体重を預けてしまっているカイには申し訳なくて顔向け出来ない思いだった。
しかしカイは特に意に介した様子もなく、白い歯を光らせて笑ってみせる。
「ん? ああ、俺なら大丈夫。こんくらい楽勝楽勝、てかお姉サン軽いし」
「そうよ。あんた今回は若いんだから頑張りなさい。ほら、さっさと歩く!」
「うわ、鬼! エルレインは昔と違って鬼になった!」
二人のやり取りに、優姫は思わず吹き出しそうになりながら、この調子の悪さの原因を考えてみる。熱があるわけでも、貧血の体質であるわけでもない。ならどうしてと考えて、ふと、思い当たる。
――そういえば、夢を見た。そう、それは悪夢と呼べるものだった……筈だ。
しかし、不思議なことに思い出すことが出来ない。不快な悪夢――ただ漠然とそう思い浮かぶだけで、内容を全く思い出すことが出来ない。
「あれ……」
「どうかしたんスかー?」
思わず呟いた声に反応され、優姫はかぶりを振る。
「う、ううん……何でもない」
――思い出したくないことを思い出しかけてるからよ――
そんなエルレインの言葉を思い出して、優姫は口元を押さえた。
異教徒の街ラトハルク。
地図に載ることのないその街は、カイを除くゾディアック一行にとって、意外なほど活気に満ちた場所だった。
街の入口である大きな門をくぐると、大通りには沢山の露店が建ち並び立ち並び、その最奥には教会のような大きな建造物が見える。そして、通りには多くの人が闊歩していた。
もし周囲をぐるりと覆う外壁がなければ、誰もこの街が異教徒の住むそれだとは思えないだろう。
「なんか……予想と違うんだけど。もっと陰欝な雰囲気が漂う、暗い街だとばかり」
そこまで言いかけると、優姫を背負うカイが得意げな表情でエルレインに話しかける。
「だから言ったじゃん! ここは唯一、三百年前の災厄から逃れられたって! ……だからここの奴らは、平和ボケしててとろいんだよ」
後半は小声ながらも、この街の現状を知っていたカイは、いつもの癖で周囲の人間に値踏みするような視線を向ける。
「いや、それにしても……これほどとは……予想以上だ、異教徒の街がこれほど活気に満ちているとは」
アリエスの言葉に、この世界に来てからまだそれほど長くない優姫も内心で同意する。王都シャングリラで見た町並や人々のよりも、ラトハルクの町並みや人々の表情は生気で溢れているような気がした。恐らく他の二人もそうなのだろう。アリエスとエルレインは、絶句しながらも、周囲に視線を巡らせている。
「これは、粛清を急がねばならんな」
「ちょっ……」
「無論、ゾディアックの旅が最優先だ。これは偵察だと、そう言っただろう」
「だ、だよねー。頼むよ、いきなりここが無くなったら、みんな路頭に迷っちまうからさ」
つまりは、ラトハルクの異教徒を粛清してしまうと、スリのかもがなくなってしまうのは困ると訴えるカイだったが、アリエスはその辺りは寛容に受け答えしていた。そのこと自体は面白かったのだが、いまだに本調子でない優姫は、ただ黙って二人のやり取りを聞くしかなかった。
「ほら、さっさと宿行くわよ」
エルレインに促され、四人はそこには質素な一軒家といった規模の建物があった。室内に足を踏み入れても、外見通りの佇まいで、ここは地図に乗らない異教徒の街であり、旅人が訪れることはほぼ無いに等しいであろうことがうかがえた。
「じゃ、私達は休むから。あんた達は偵察でも何でも行ってくればいいじゃない」
宿泊の手続きを済ませ、アリエスとカイを送り出した後、優姫とエルレインは部屋へと向かう。二階に用意されたその部屋の窓からは、大通りの様子がよく見えた。
「はあー、疲れた。久しぶりのまともなベッドだわ」
優姫を寝台に寝かせてから、エルレインはもう一つの寝台に勢いよく飛び込むと、まるで湯舟に浸かった時のように、心底嬉しそうに息を吐き出す。
そんな様子を見て、まだ具合が悪いながらも優姫は笑みをもらした。
「エルレイン、すごく嬉しそう」
「え? そうよ、当たり前じゃない! ベッドじゃなきゃ寝た気しないわよ。その辺、アリエス達男には分からないのよ。あんたもそう思うでしょ?」
「あはは、そうだね。やっぱりこれくらいフカフカじゃないとね」
エルレインの言うことには一理ある。怪物討伐に忙しい騎士団は野営に慣れているのだろう。そしてスリをしていたことを公言していたカイも、恐らく野宿を苦とはしないだろう。修道院暮らしであったエルレインと、日本からやって来た優姫とでは、精神的な鍛え方が違うのだ。
そんなことを考えているうちに、優姫は隣の寝台から寝息が聞こえてくることに気付いた。見てみれば、ついさっきまで話をしていた筈のエルレインが、目を閉じている。余程疲れていたのか、優姫が小さく呼びかけてみても目を覚ます気配はない。
その寝付きの早さに驚きながら、優姫もまた目を瞑った。
「もう変な夢を見ませんように……」
恐らく不調の原因を作ったであろう悪夢を呪い、見なければいいと願う。しかしそんな願いが裏目に出でしまうことを、優姫は知らない。