38 双児ノユメ
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「ほっほっ、お二人とも相変わらず仲がいいですねえ」
もう日課のようになっているレオ君とアリエス君の勝負を眺めながら、私は頬が綻んでいることを感じる。
彼らは本当に微笑ましい関係だと思う。
私にはライバルどころか、師弟関係を通り越して、兄弟にも見えるほどだ。
「誰がっ!」
「ああ、すみません。これは真剣勝負でしたね、アリエス君。私に気にせず続けて下さい」
決まってむきになって否定するのはアリエス君。そしてそんな彼に、毎度ため息を吐きながらも付き合っているのはレオ君。
そもそもの始まりは、ヴァルゴさんに好意を寄せているアリエス君が、挑んだ勝負だというのだから、全くもって若いとは素晴らしい。
彼らの三倍近くの年月をすでに過ごし、孫とも呼べるほどの年齢の私にとって、二人の青臭さはとても眩しく、そして羨ましくもあった。
「……あっ!」
王都シャングリラの騎士団長の手によって弾かれ、こちらへ飛んできたアリエス君の長剣をかわし、拾い上げる。
これでちょうど五十戦五十敗。アリエス君、お疲れ様です。
それにしても齢六十過ぎにして、ゾディアックとして世界救命の大任を与えられたことは、まさに青天の霹靂。元は騎士団に在籍する身であり、引退してから妻と二人、慎ましく過ごしていこうと決めた矢先のことだった。
妻は笑顔で送り出してくれた。帰ったその時こそ、また二人で残された人生を、また共に歩んで行きましょうと、私の手と同じくらい皺の多い手を振って。
当たり前ではあるが、私は一番の年配だ。世界を救うためにゾディアックとして旅立った仲間達は皆若く、そして青春真っ只中といえた。旅自体は簡単なものではなかったが、それでもそんな若い彼らと旅を続けることは新鮮で面白かった。若い頃を思い出す、と言っても過言ではなかっただろう。
それにしても、個人的に興味深いのは他でもないレオ君のことだ。彼は私が騎士団に所属していた時から、すでに特筆すべき存在だった。
彼はもともとは孤児であり、出身地はヨークの孤児院だという。怪物討伐の為遠征に来ていた前騎士団長に、幼い身でありながら同じ院の孤児を守り剣を振るう姿を認められ、引き取られたのだ。
そこから彼は駆け登るように、異例の出世を果たしていく。しかしそれは、彼の剣の腕が正当に認められてのことだった。
そして彼には、その名の通り使命が課せられた。ゾディアックとして災厄に襲われた世界を救う為に、聖地星降る丘へと旅立つという大任。
引退してから風の噂で聞いたその話に、まさか私も関係することになるだろうとは、夢にも思わなかった。
「ジェミニ殿、今後の経路について相談があるのですが」
「はいはい、何でしょう?」
騎士団内では格下であっても、年配の私に対する敬意の込められた態度。私から見ても随分と出来た人格の青年だ。
「俺はサイロス経由で進むのがいいと思うのですが、ジェミニ殿はどう思われますか」
「そうですね。私もそれでいいと思います。反対のジールからでは、近道ですが大変な悪路ですからね。急がば廻れ、です」
「やはりそうですね。良かった、あなたが言うなら間違いない」
この老人の助言を素直に受け入れる。立場が上になればなるほどそれはしがたくなるものだが、彼は違うようだった。
誰から見ても人格者。ただし、ある人物に対してを除いては――。
「おはよー、ジェミニ。……ついでにアリエスも」
そこに現れたのはゾディアック一行のマドンナ、ヴァルゴさん。彼女はひとことで言えば逞しい女性に尽きる。旅の一座暮らしで鍛えたあげられた精神は、王立騎士団の長であるレオ君さえも、ものともしない。
「おはようございます、ヴァルゴさん。これはまた、今日もお美しいですな」
「やめてよ、ジェミニ。あなたも相変わらずね」
「そうです、ジェミニ殿。わざわざヴァルゴを付け上がらせる必要はありません。……遅いぞ、もう支度は済んだのか? 皆はもう港で待っている」
ああ、始まった。
アリエス君とレオ君の勝負と共に、今や私の旅の醍醐味となりつつある、レオ君とヴァルゴさんのやりとり。
「あー、あなたってば口を開けば私に対して文句ばっかり。私だって皆には悪いと思ってるわ。でも女にはね、どうしたって調子の悪い日があるのよ。あなたには分からないでしょうけど」
「お前は、口を開けば俺に対して口答えばかりだ。そんな暇があるなら、女だというならもう少しその女らしさを磨いたらどうだ。そのがさつさでは嫁の貰い手も見つからないだろう」
「はあっ!? よ、余計なお世話よ! あなたこそそんなに口うるさいんじゃ、いい人なんか絶対に見つからないわよ!」
青春ですねえ。
本当に、若いとは素晴らしい。
私もあと四十若く、妻と出会うことがなかったら……いいえ、やめておきましょう。
「生憎だが、俺はこの生涯を剣として陛下に捧げるつもりだ。嫁が見つかろうが見つかるまいが、全く持って問題ない。それよりも困るのはお前のほうでは? 俺ならば、お前のようながさつな女は願い下げだ」
「……何よっ! 馬鹿っ!」
最終的に捨て台詞を残して去って行くのはヴァルゴさんだ。こちらも毎度同じ展開だが、いつか訪れる変化を期待して、私は彼らを見守り続けるつもりだ。自分の気持ちに気付いていない彼と、自分の気持ちをひた隠しにする彼女、それぞれの想いが交差するその日まで。
しかし、いつかは来ると思ったその日が、ここまで歪んで訪れるとは、誰が思っただろう。
「ジェミニ! ジェミニ!」
すでに寝床に入りまどろみかけていた所だったが、ドアを激しく叩く音と焦燥した声とで、私は目が覚めた。
扉を開けると、そこにいたのはアリエス君だった。額には汗が浮かび、息を切らしながら、険しい表情を浮かべるその様子に、ただならない雰囲気を察知した。
「どうかされたのですか?」
汗はかいているのに、蒼白の顔で唇をわななかせて彼は言った。
「ヴァルゴが帰ってこないんだ。夕方に宿を飛び出してから……もうこんな時間なのに」
壁にかけられた時計を確認すると、すでに日は変わっていた。夕方にいつも通りレオ君と口論し走り去っていったのが彼女を見た最後だとしたら、優に六時間以上が経過している。大きな街ではあるが、それ故に富裕層とそうでない者達との差が大きく開いているこの街で、女性が一人歩くのは大変危険であることは分かりきっていることだった。だからこその、この焦りようなのだろう。
「レオは今、貧民街を捜しに行ってる。俺も今一通り外を回ってきたけど……見つからないんだ。どうしよう……、どうしよう、ジェミニ。ヴァルゴがいなくなったら、俺……」
その瞳には涙が浮かんでいる。
彼が彼女寄せる好意もまた、そこまで深いものなのだ。
「落ち着いて下さい、アリエス君。しかし一通り捜したというのにいないとは……」
落ち着いて思考を巡らす。
こんな時だからこそ、私は落ち着かねばならない。それがゾディアックの中で最年長たる老人の役目だ。
「どこに行ったんだよ、ヴァルゴ……。ちきしょう! レオがいつもヴァルゴに辛く当たるから……!」
そんな絞り出すような声に、私の脳内が警鐘を鳴らす。
「……そう言えば、ヴァルゴさんは午前中に街の住人と揉めていましたね。夕方のレオさんとの諍いもそのことが原因だった――」
ありとあらゆる可能性の中に存在する、最悪な出来事。
こんな予想など外れてしまえばいい。しかし、昔からそう思っていることほどそうなってはくれないのだ。
「――急がなければ。ヴァルゴさんが危険かもしれません」
私は枕元に置いていた剣を取り、足早に部屋を出た。
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