35 不安と罪悪感
「てことで、これからヨロシク! ジェミニ、もといカイ=シールス、十四。好きな食べ物はブテの丸焼きで、好きな言葉は公明正大!」
ぱんぱんに膨らんだ鞄を片手に、カイはゾディアックの三人の前で自己紹介をした。突っ込み所満載の発言にアリエスと優姫は言葉を失ったが、エルレインは早速食いつく。
「あんたの好きな食べ物なんてどうでもいいし! てゆーか、どの口から公明正大なんて言葉でてくんのよ」
思っていたことを代弁してくれたエルレインを見守りながら、優姫は新たに旅の仲間に加わったゾディアックの一員に視線を向けた。十四歳の彼を見て、若いなと思ってしまった自分に、何だかおかしくなる。
「えっと、お姉サンがヴァルゴで、そっちのおっかなそうな人がタウロス、騎士サマはアリエス……だよね」
「エ・ル・レ・イ・ン、よ。タウロスなんていかつい名前で呼ばないで」
相変わらずのエルレインは、優姫に言ったことと同じことをカイに告げる。
「あれ、突っ込む所ってそこだけなんだ。あ、えーと、カイ? 私のことは優姫って呼んでね。よろしく」
どうやら、おっかなそうな人、というのはエルレインにとっては気にすることではないことらしく、特に言及することをしない彼女に続いて優姫もまた自己紹介をする。
「ユウキ? 変な名前……あ、ごめん」
思わず、といった様子で言葉をこぼした青年は素直に詫びると、会話に加わったのはアリエスだ。
「ユウキは予言に則って異世界からやってきたのだ。少々無礼な所もあるが、それでも〈処女宮〉ヴァルゴはようやく現れた希望の宿星。それくらいは知っているだろう?」
「……まあ、本当はね。ずっと見続けてた夢と、ゾディアックの伝承に共通点があるって分かってから、先生の所で新聞なんかを見せてもらったりしてたからさ」
そう言って笑う。
しかし心なしかその笑みには影があったように思えたが、そのことに気付いたのは優姫だけではなかった。
「あんたが夢見てたってことは、あっちの怪我してた子には言ってたの?」
「小さい頃はよく話してたけど……母さんが死んでからは言ってないなあ。まあ、サイには俺がまだ夢見てるってこと気付かれてたけど」
聞きながら優姫はアリエスの言葉を思い出した。
なぜ私だけが――そう思ったことがあると、彼はそう言った。過去の自分の今際まで覚えている彼がそう思うのは、無理もない。そしてカイもまた、それが理由で母親を失ったというのなら、夢の話を言えなくなってしまったことも当然のことだ。
それに比べて自分はどうだろう。仲間達に比べて、思い出していることはごく僅かで、しかもレオに関することばかりだ。
同時に不安になる。過去の色々なことを思い出すことによって、カイのように今の自分に何かしらの影響が及ぶのではないか。アリエスやエルレインが言葉を濁していたこと――それを思い出してしまったら、どうなるのか。
考えれば考えるほど、気持ちは落ち込んでいった。
「お姉サン?」
「えっ!? あ、なに?」
そんな暗い考えを吹き飛ばしたのは、優姫の顔を覗き込んだカイの顔だった。
「なんか暗いけど、俺、変なこと言った?」
「ううん! ごめん、ちょっと考え事しちゃって……な、なに!?」
じっと視線を向けてくるカイに、優姫の頬が紅潮していく。思わず、語気が強くなってしまったのが、また恥ずかしい。
「……いや、お姉サンがヴァルゴなんだなあって思ってさあ。なんか想像してたより地味――じゃなくて、前より普通になったね」
「それって、喧嘩売ってる?」
突然の地味発言に、怒るよりも思わず吹き出してしまいながら、優姫はカイに聞き返した。
失言に気付いたであろうカイは、ぶんぶんと頭と手を勢いよく振る。
「いやいや! ごめん! 地味って悪い意味じゃなくってさ、ほら、前のヴァルゴは……その、なんて言うか、良い意味でも悪い意味でも目立ってたじゃん。それに比べたら、お姉サンは意外に普通の人だなあって」
「私ってそんなに目立ってた……っけ?」
「えー! お姉サン、それ本気で言ってんの!? ほら、温泉事件とか不敬発言とか、ヴァルゴは数々の伝説残してんじゃん!」
「ち、ちょっと待って! なんか怖いこと言ってない? それって本当に私がやったことなの」
笑いを堪え言うカイに、優姫は耐え切れず待ったをかける。
温泉事件と不敬発言――言葉の響きがすでに恐ろしい。
「あれ? 本当に覚えてないってやつ? 舞踊大会に参加したこととか、その後に泥酔しちゃったこととか、他には青い料理殺人未遂とか」
「あーー! ストップ! やだ、なんか聞きたくない!」
さらに不穏な言葉が羅列したところで、ますます恐ろしくなって優姫は声を上げる。
カイは残念そうに大きく息を吐くと、再び優姫をじっと見つめた。
「ユウキは……もしかしてあんまり過去のこと覚えてないってやつ?」
覚えていない――その言葉に優姫の胸は痛んだ。皆が過去の記憶を覚えている中、ほとんどと言っていいほど記憶がないことに対する罪悪感だった。
思い出すことに対しては、不安が募る。しかし思い出せないということは、今ここに存在出来る理由が希薄になるような気もした。
しかしそんな優姫の悶々とする心の内にに気付けるはずもないカイは、あっけらかんと笑って見せる。
「まあ、覚えてるからって別にいいことなんかないし。まあ、笑えることは沢山あったわけだけども」
裏表のない笑顔に幾分ほっとしながら、優姫もまた笑って見せた。
「ユウキ! カイ! 追いていくわよ、さっさとしなさいよ!」
そんな中響き渡るエルレインの声に、大きく肩を跳ね上げたカイは優姫にぼそりと耳打ちする。
「こわ! つーか、やっぱりおっかな! タウロ……じゃなくエルレインか。前より随分おっかなくなったんだな。別人だっつーの!」
その表情がおかしくて、思わず吹き出す優姫。
そういえばこんな風に笑ったのは久しぶりだと気づいて、わずかに気持ちが上昇したことを感じながら、優姫は年相応の顔を見せた青年の後ろ姿を追ったのだった。