31 二人の青年
目の前の赤髪の青年。
優姫が持つ導石の光は、間違いなく彼の胸元に伸びている。そのことに気付いた青年は怪訝そうに眉を寄せた。
「なに、これ?」
まさか、と思いつつ優姫は青年を凝視した。エルレインは口をぽかんと開け、アリエスは困惑している。それもそうだろう、彼はアリエスの甲冑を模造品だと言い放ち、さらにはそれを売るために譲ってくれないかと、散々頼み込んでいたのだから。
「……貴様」
「ひいっ、すいませんすいません!」
ついに口を開いたアリエスが鋭い眼光を向けると、青年は竦み上がり悲鳴を上げた。優姫は少しだけ青年を哀れんだ。
あんな目を向けられたら、自分だって震え上がってしまうだろう。
アリエスは青年の姿を上から下までじっくりと眺めてから首を傾げる。
「石はないのか」
平謝りする青年は、見たところ宝石の類は身につけていないようだった。そのことを不審に思ったアリエスが尋ねると、青年はおずおずと答えた。
「石……なんて、知らないっスよ」
しかし不自然に逸らされた青年の褐色の瞳に、アリエスが気付かないはずもなく。
剣の切っ先を喉笛すれすれに近付け、無言で威嚇するアリエスに、再び青年の口から悲鳴が漏れる。
「うわわわ、これは……これだけは譲れないんだ。俺の、俺達の、一等大事なもんだから……っ」
「いいから出すんだ」
体勢を変えることなく、アリエスが言い放つ。青年は涙目になりながら抵抗を試みようとしていたが、それは無駄な足掻きに過ぎないようだった。
「よこせと言っているわけではない。見せるだけでいい」
「い、いい嫌だっ!」
強引に剣を振り払おうとする青年の頬に一瞬切っ先が触れ、赤い線が浮かび上がったことで、アリエスは刃を鞘に納めた。
しかしそれを狙ったのか偶然なのか、青年はそのわずかの合間に身を翻し跳躍する。
「ちきしょうっ、マズイ奴に声かけちまった」
足場の悪さを感じさせない身軽さで次々と瓦礫を飛び越えていく、赤髪の青年。
そんな姿を感心しながら眺める優姫と、面倒臭そうにそっぽを向くエルレインに、アリエスから声がかかる。
「追うぞ、飛べ」
「は?」
「え? ええー!? ウソでしょ!?」
二人を待たずにアリエスもまた跳躍する。あんな甲冑を纏って、よくあんなにも高く飛べるものだと、頭の隅で優姫は考えたが、すぐに思い直して声高に叫ぶ。
「ちょっとアリエス! 無理だよ、こんな高さを飛ぶなんて! ねえ、エルレイン!」
「そうよ、何考えてるのよ。さっきからこんな所登るなんて嫌だって言ってるじゃない!」
めずらしく素直に同意するエルレイン。本当の所は分からなかったが、彼女はさておき、優姫はこの瓦礫の山を登るのは無理だと考えていた。
アリエスはたびたび無茶を言う。エルレインの時もそうだったが、あの時とは状況が違う。修道院の屋内を走るのと、瓦礫の山を駆けるのとでは、肉体的にも精神的にも雲泥の差があるだろう。
冷静になって考えても無理だ。同時に今になって思い出した、周囲に充満する悪臭に優姫は目眩さえもしていた。
「……なら、待っていろ。私は奴を追う」
そう言うやいなや、アリエスは瓦礫の山に消えていく。
取り残された優姫とエルレインは思わずお互いを見合ったが、だからと言って何が出来るわけでもなく、二人は大きく嘆息した。
「ちょっと思ったんだけど、アリエスって顔に似合わず猪突猛進よね。人の話、ちっとも聞いてないじゃない」
「そ、そうだね」
エルレインの呆れ声に頷きながら、優姫はこめかみを押さえた。
「なによ、あんた本当に具合悪そうじゃない。大丈夫?」
「う、うん。でも、早くこの瓦礫の山を抜けたい……かな。この臭い、ちょっとキツイかも」
「アリエスなんか放っておいて、とりあえずここ抜けるわよ。こんな所にいたら、私まで具合悪くなりそうだし。ちょっとくらいここから離れたって平気よ、平気」
そう言って有無を言わせない足取りで、エルレインは優姫の腕を掴んで歩き出す。大丈夫かな、と思いつつもそれを口にするのも躊躇われた優姫は黙ってついて行くことにしたのだった。
◆
「まだついて来る……、しつこいよ! お兄サン!」
瓦礫の上を器用に走る赤髪の青年は、自分が声をかけてしまった騎士に言い放った。
まさかこんな場所に、本物の王都の騎士団がいると思っていなかった自分に腹が立つ。きっと甲冑を模造品呼ばわりしたことが、騎士を怒らせたのだ。捕まってしまったらどうなるか――そんなこと、考えたくもなかった。
「甲冑のことは謝ってるじゃないスか! 勘弁してくれよ!」
徐々に間を詰められていることは、青年も気付いていた。それは、鍛練を積む騎士と自分との違いでもあるだろうし、身長の差もあるだろう。背が伸び悩んでいることは、青年にとって大きなコンプレックスだった。
「止まれ! 危害は加えないと言っている!」
後ろから突き刺さるアリエスの声に、青年は走りながら身震いする。
捕まってはいけない。甲冑に関してだけではない、他に理由があるのだ。
がむしゃらに走り抜ける青年。それを追いかけるアリエス。しかしそれはすぐに終局を迎えた。
「あれ? 何してるの?」
二人が走る先に現れたのは、白い外套をフードまですっぽりと被ったもう一人の青年。
「あっ、サイ!? やばいんだって、逃げろ逃げろ!」
足場の悪い瓦礫の上で道を遮られ、青年は足を止めるが、すぐに現れたもう一人の腕を掴み逃げるよう促す。しかしサイと呼ばれたもう一人の青年は微動だにしない。
「え? なになに? どういうこと?」
そうしているうちに青年はアリエスに追いつかれ、動こうとしないサイの後ろに仕方なく隠れた。
「観念したようだな。さあ、石を見せろ」
あれほど走ったというのに、息ひとつ切らしていないアリエスをサイの後ろから盗み見て、青年はその場に座り込んだ。
「何なんスか……ホント」
「え? この人誰? 石ってもしかしてこれのこと?」
「あっ!? サイ、駄目だって――」
白い外套のフードを脱ぎ、首元から何かを取り出そうとするサイ。空気を読もうとしない彼に青年は声をかけるが、すでに遅く。
しかし、その行動に一番驚いたのはアリエスだった。
「!」
目の前にあるのは、同じ顔。
赤い髪に、垂れた目をした二人の青年。そしてそのうちの一人が石を載せた手を差し出している。
「何だか知らないけど、僕の連れ、いじめないでくれるかな?」
手の平に光る石。それは美しい緑色をした宝石だった。
「これは、スマラグドス……。君達は――〈双児宮〉ジェミニか……」
アリエスは小さく呟いた。