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ゾディアック  作者: 亜耶
26/44

25 契約者の力



「……何を考えてるんだ、お前は」


 相変わらずの憎まれ口。

 もういい加減聞き飽きたわ。


「いいか、おまえはゾディアックの一員、〈導星〉だ。……俺が何を言いたいかは、分かっているな?」


「相変わらず口煩いのね、騎士団長サマは。何よ、私は間違ったことなんてしてないわ……!」


 そんなに睨んだってちっとも怖くないわ。

 そうよ、私は間違ってないもの。何かを言われる筋合いはないわ。


「痛っ……」


 走った痛みに、唇にもまた傷が出来ていたことに気付いた。思い出したかのように、体中に出来た擦り傷が痛み出す。素足に砂利の冷たさが染みた。


「ヴァルゴ」


 ため息が出る。

 ああ、私――こんな筈じゃなかったのに。

 きっと呆れてるわ。呆れ果てた表情で、また言うのよ。馬鹿な女だって。


 顔を上げる。

 けれど、そこにあったのはいつにない真摯な表情。

 レオの手が、私の頬に触れる。その冷たい指先が唇に当たった。


「な、何よ」


 レオの深い緑色の瞳が瞬く。

 ……何よ。

 そんな顔したって、私は――。




   ◇◇◇




「……私は――」


 目の前にある深緑の瞳を持つ青年に手を伸ばす。


「レオ……あなたに――」


 言いかけて、優姫は目を見開いた。

 目の前にいるのは――レオ。


「レ、レレレレオ!? どうしてここに!? ていうか、ここどこ!? あれっ?」


 急速に意識がはっきりとして、上体を起こし、周囲を見渡す。辺りは暗く、手の平に伝わるのは冷たい土の感触。日中には感じなかった寒さに、優姫は思わず身を震わせた。


「大丈夫か」


 状況の飲み込めない優姫に、レオが声をかける。その手が近付き、指先が唇に触れた。

 その瞬間、沸騰したかのように顔が熱くなっていく。優姫はふわふわした気分になりながら、慌てて答える。


「わわわ、だ、だ大丈夫!」


 しかしそんな気分は、すぐに吹き飛ぶことになる。

 それは、足音と振動。

 何かが、それも沢山の何かが近付いてくる。腹を突き上げるような地響きと揺れに、さすがの優姫も気付いた。


「……?」


 ほんのわずかな静寂。そこに混じる浅い息遣い。それは人のものではない。

 危険だ、そう本能的に察した瞬間。

 低い唸り声と、闇夜に光る双眸、鋭い牙が一斉に二人の元に襲い掛かった。


「やっ、いやああっ!」


 目を閉じる刹那、視界に映ったのは、狼に似た獣。狼だと断定出来ないのは、四足全てが鱗に覆われていたからだ。

 爪が、牙がまさに届きそうになったその時放たれたレオの斬撃。横に薙ぐように大きく一閃。それをくぐり抜け再び飛び掛かろうとする獣は、その刃で刺し貫く。

 血飛沫が舞い、獣の骸がどさりと音をたて地に沈んだ。深手を負いながらも生き残った数頭は、散り散りに逃げ出していく。それは時間にして、ほんの数秒のことだった。

 優姫は固く目を閉じ、身を縮こませたまま動けない。ほんの数秒、しかし彼女にとっては悪夢のような時間に等しかった。そんな姿を見て、レオの手が優姫の肩に伸びたが、赤く濡れた自分の指先を見て、レオは動きを止めた。逡巡した後、伸ばした手を戻し、優姫に背を向ける。


「もう、大丈夫だ」


 長剣を鞘に納める音に、優姫は恐る恐る目を開いたが、その眼前に広がった光景に身震いする。

 折り重なるように転がった獣。舌をだらりとはみ出し、ぴくりとも動かない死体もあれば、痙攣し泡を噴いている獣もいる。共通しているのは、全てが斬られ血みどろになっていることだ。


「ひ……」


 思わず優姫はレオにしがみつき、レオの黒衣の裾を掴む。震えは中々収まらなかった。

 しがみついたまま、もう一度周囲を見渡す。幾分暗闇に慣れたからなのか、今度はもっと鮮明に状況が理解出来そうだった。

 あんなにも美しかった風景は、そこにはなかった。草原や色とりどりの花は姿を消し、広がっていたのは枯れた大地。水分を失い、ひび割れたそこに生命の色はない。

 空を見上げる。青く澄み渡っていた昼間の空とは打って変わり、黒く厚い雲が立ち込め、星が出そうな気配はない。

 加えて、襲い掛かってきた沢山の獣。昼間と状況はあまりに変わりすぎていた。


「何……、何なの」


 優姫は震える声を絞り出す。

 自分が置かれている状況は理解出来た。しかし、どうしてこんな状況になってしまったのかが分からない。

 ただ一歩を踏み出しただけだ。ほんの少しだけこの島を見てくると、そうアリエスに告げて。


「ア、アリエスは? エルレインはどこ? ねえ、レオ……っ」


 縋るように、優姫はレオを見上げる。涙が溢れた。

 優姫に背を向けていたレオだったが、啜り泣く声に、振り返り跪く。自分の目を真っ直ぐ見つめるレオの深緑の瞳に、優姫ははっと息を飲んだ。


「ここは、オフィウクスの支配下にある地だ。幻影は払ったが、お前は危うく引きずり込まれる所だった」


「オ、フィウクス、って何?」


 その単語は一度聞いたことがあった。この世界に来て間もない頃、怪物に襲われかけた時も、確かにレオはその言葉を発した筈だった。オフィウクスに支配された地と怪物――当然すぎる疑問を優姫は口にした。


「……立てるか? アリエス達の所まで送り届けよう」


 しかし、レオは問いには答えず、立ち上がる。優姫は幾分落ち着き、一度大きく深呼吸すると、青年に倣って立ち上がった。それを待ってから歩き始めたレオに、遅れまいと着いていく。

 前もこんなことがあったなと思いつつ、優姫は今度は別の質問を投げかける。


「ねえ、幻影ってどういうこと?」


 道の悪さを感じさせない颯爽とした歩きで、優姫の前を行くレオ。優姫は相変わらず、その速さについていくのに精一杯だ。


「その言葉の通りだ。この島は幻影に覆われていた――今までお前達が見ていた景色は幻だ」


「ま、幻? じゃああの草原も、沢山咲いてた花も」


「そうだ。あれは本来この場所の景色ではない。ここにはもう何もない、過去の遺物がわずかに残るだけだ」


「でもでもっ、どうしていきなり幻なんて。アリエスは何度か来たことがあるけど、初めてだって――」


 言いかけて、突然レオが立ち止まり、優姫もぶつかるすんでのところで足を止める。広い背中から顔を覗かせると、先程と同じ獣が行く手を遮っていた。手負いの獣が仲間を呼び寄せたのか、おびただしい数の双眸が、闇の中に光っている。

 その数は、一度に切って捨てられる限度を軽く超えているように見えた。


「レ、レオ」


 恐怖に身を竦める優姫。

 レオはそんな優姫を左手で庇い、右手を胸の前に掲げると、同時に素早く印を結び呪詛を唱え始めた。

 優姫の知るどの国の言葉でもないそれがレオの口から発されると、空に厚く広がる雲が雷鳴を伴いながらうねり出す。その間にも獣達は優姫とレオの周りを取り囲んでいく。


「身を屈めていろ」


 頭上から降るレオの声。

 震えながらも、優姫は顔を上げた。その瞳に映った光景――青年は脇に差した小剣を左手で抜き取り一瞬高く掲げると、それを勢いよく地面に突き刺した。


「魔女と契約せし我が名において命じる!」


 それは目を疑うような光景だった。

 小剣の刺さった地面に青白い光の陣が現れたかと思うと、その光が黒い空に立ち昇っていく。


「来たれ、いかずち!!」


 刹那、空に閃光が走ったかと思うと、激しい音と共に幾多の雷が大地に降り注いだ。


「きゃああっ」


 腹の奥までにも感じる衝撃に、優姫は悲鳴を上げる。目を閉じ耳を塞ぎ、これでもかと言うほど身を低くした。しかしその体勢もすぐに崩すことになる。あれほどの轟音はすぐに止み、静寂に包まれたからだ。


「……って、あれ?」


 恐る恐る目を開け、顔を上げる。

 そこにあったのは、抉れた大地と黒く焦げた影、そして膝を折り息を切らしたレオの姿だった。


「レオ!? どうしたの! 大丈夫!?」


 それまで感じていた恐怖など吹き飛んだ優姫は、思わずレオに駆け寄った。荒い呼吸をする青年の顔色は、酷く青ざめて見える。優姫は突然のことにおろおろするばかりで、とりあえず背をさすってみるが、レオは俯いたままだ。


「ねえ、レオ……大丈夫? ねえ、しっかりして」


 やがてその声に応えるように、レオは大きく嘆息し立ち上がった。


「大丈夫だ……俺は大丈夫だ。さあ、急ごう、今のうちに」


 小剣を鞘に納めながら、漆黒のマントを翻し踵を返す。優姫は不安げな眼差しで、目の前に立つ青年の姿を見つめていた。



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