22 次なる地へ
「絶対無事に帰ってくるんだぞ! 絶対だぞ」
「怪物が出てきたら、アリエス様の後ろに隠れているんだぞ!」
「ハンカチは持ったか? 傷薬は? 忘れ物はないか? エル、聞いているか!?」
怒涛のごとく声を張り上げ続けるカイルを背に、三人はシディス邸を後にした。
優姫は隣を歩くエルレインをちらりと窺う。両耳を塞ぎ、はいはいと怒った風に返事をしてはいるが、頬と耳は赤く染まり表情は柔らかい。
「あー、本当に口うるさい。もう、いつまで経っても子供扱いなんだから……」
ぶつぶつと呟きながら、優姫の視線に気が付くと、一瞬ばつが悪そうな表情を浮かべた後、すぐにいつもの気の強そうな目で睨みつけた。
「なによっ! 文句ある!? なに笑ってんの!?」
「ないない! 文句なんかないし! エルレインの被害妄想だってば」
苦笑しながらも、優姫はエルレインについて気付いたことがあった。と言っても、よく考えればもっと早くに分かっていただろうことだったのだが。
「……ほんと、エルレインってば素直じゃないんだから」
振り返るエルレインの表情が歪んだまま固まる。
それは、旅立つことを渋々了承した後、延々と兄妹のエピソードを披露し続けたカイルの功績だと言えるだろう。
まず、ゾディアックの証たる宝石のついた首飾り――それは幼い頃カイルに贈られたもので、歳の離れた兄から貰った首飾りを、エルレインは今も身につけているのだ。本人は恐ろしい勢いで否定していたが、大切に扱っていなければ手元に残っているのはおかしい。
またエルレインは、カイルのことを散々鬱陶しがってはいたが、そもそも家に行きたいと言ったのは彼女自身であり、優姫が推測するに、妹思いの兄に心配をかけるまいと考えてのことだったのだろう。
つまりは、素直じゃないのだ。
「あんたねえ、ふざけたこと言ってるとただじゃおかないわよ!」
今さら凄まられても、ちっとも怖くないのは、そんなエルレインの本質が分かったからだろう。
「ユウキ」
そんな中、アリエスが優姫の肩を叩く。二人の後ろを歩いていた彼に向き直り立ち止まる。アリエスは呆れたような目で二人の顔を交互に見た。
「……とりあえず、石を」
「え? あ、ああ! そうだよね、行き先決めないとね」
言われて優姫は、次に向かうべき所が決まっていないことに気付き、ポケットから濃紺の石を取り出した。そのまま握り、強く念じる。
「あ――」
すぐにこぶしからは光が溢れ出し、優姫は慌てて手を開いた。青紫色の光の筋は、再び彼方を指し示している。
「……えっと」
しかし、その光が指す場所が優姫に分かるはずもなく。
視線を泳がせる優姫に助け船を出したのは、すでに地図を広げているアリエスだ。
「ナダ港か、あるいはヨーク方面を指しているようだな。しかしヨークは……」
「えー!? ヨークなんて、私、行きたくないんだけど! だいたいヨークって何にもないじゃん。しかも怪物だらけだって噂聞いたけど」
言葉を濁したアリエスを代弁するように、エルレインが盛大なブーイングと共に言い放った。その言葉遣いはすでに彼女の素のものであり、アリエスの前で猫を被るのは止めたようだった。
「……確かに。騎士団もよく討伐に向かっている場所だ。安全な場所ではないな」
「でしょ!? やだやだ、絶対反対!」
「ちょっとちょっと! ナダ港とかヨークとか、私にも教えてほしいんだけど!」
危なく話題に乗り遅れそうになって、優姫は声を張り上げ、アリエスの持つ地図を覗きこんだ。
王都シャングリラ、亡者の森、オーランド修道院、そして森に戻ってゼクセンへ。指で自分が歩んで来た道をなぞりながら、呟く。
「だから、この先よ。ゼクセンから南東にある港町がナダ。ヨークはそこから船に乗って行ける、南にある小さな島を指してるの。島には遺跡があるんだけど、それだけ! あとは、なんっにもなくて、昔から怪物が沢山出るって噂があるのよね。ほら、この島よ……ちゃんと見なさいよ!」
光が指した方向を、地図で示すエルレインの指を追う。丁寧な説明は分かりやすく、おかげで優姫は自分達がこれから向かう場所のことを知ることができた。しかし同時に発覚したのは大問題だ。
「ありがとう、エルレイン。……ところで、ヨークってそんな怖そうな所なの?」
怪物、と聞いて優姫が思い出すのは、この世界に来た直後に襲われかけた虎に似た獣だ。四肢が鱗に覆われ、尾の代わりに蠢く蛇。その姿を思い出すだけで、背筋がぞくりとした。
「そうよ、だから行きたくないって言ってるでしょ! ねえ、この行き先間違ってるんじゃない」
「いや、それはない」
どうしても行きたくないエルレインは猛然と抗議したが、それはアリエスにばっさりと切り捨てられた。
「〈導星〉の導石に間違いはない。光の指し示す場所にはゾディアックがいる。エルレイン、お前がそうであったように」
「えー……」
むくれるエルレインをアリエスは一瞥した後、優姫に向き直った。
「次の目的地は決まった。まずはナダ港へ向かう。そこでもし仲間が見つからなければ――ヨークへ」
「えーやだやだ、行きたくない!」
なおも抗議するエルレインの声を聞きながら、優姫はアリエスに不安げな眼差しを向ける。正直、またあのような怪物に遭ってしまったら――と思うと、今にも逃げ出したい気持ちで一杯だった。
しかし、そんな気持ちを見透かしたように、アリエスは石を載せた優姫の手に自らの手を重ねた。
「言っただろう、ユウキ。お前を守るのは私の役目。そしてエルレイン、お前もだ。兄君に約束したことを、私は破りはしない」
そう言って、アリエスは空色の瞳を二人に向けた。そのまっすぐな瞳と、真摯な声にエルレインは口を閉ざす。優姫もまた、わずかではあったが安堵する気持ちを抱くことが出来たのだった。