20 ゼクセンの災厄
「……あれ?」
開けた視界が急速に狭まり、再び宵闇の中に意識が戻ったことに気付いて、優姫は声を発した。耳飾りはすでにアリエスの耳に戻っている。
「ア、アリエス!」
「もう休んだほうがいい。明日に響くぞ」
立ち上がり身を翻すアリエス。まだ夢見心地な気分が抜け切らないながらも、慌てて後を追おうとして優姫はよろめいた。
「あいたたっ!」
足を痛めていたことに気付いて、声を上げる。そんな優姫の姿を見てアリエスは嘆息した。
「……だから、もう休め。そうすれば少しは良くなるだろう」
「でも! 続きがすっごい気になるんですけど! どうしてこんな途中で終わらせちゃうの!?」
ばちんと大きく薪が爆ぜる。
なぜか落ちた沈黙に、優姫は慌てた。
「私、何か変なこと言った?」
アリエスの空色の瞳が薪の炎を映し揺らめく。やがて重い口を開いた。
「お前がまだ全てを思い出していないのなら、私の記憶も全てを見せるわけにはいかない……後悔するだけだ」」
「え?」
再び聞き返そうとするも、アリエスはすでに踵を返し離れていく。結局、その言葉の意味も分からないまま、もやもやとした気持ちで優姫は横になった。ちらりとアリエスを見るが、座ったまま目を閉じるその姿は、声をかけても言葉が返ってくることは期待できないだろう。
「……ケチケチしないで、全部見せてくれればいいのにさあ」
ぼそりと呟く。
傍で眠るエルレインは相変わらず静かに寝息をたてていた。そんな彼女を見て、内心はまだ諦めはついていなかったが、優姫は仕方なしに目を閉じた。
「ちょっと、いつまで寝てんのよ。いい加減出発するわよ!」
重たい瞼を開け、そこに真っ先に映ったのはエルレインの姿。すでに夜は明け、なぜ気付かなかったのかが不思議なほどの眩しい朝日に照らされる中、優姫は起き上がり目を擦った。
「あ、おはよう」
「あ、おはよう……じゃないわよ! 足は? もう大丈夫でしょ!?」
そう言われて、昨晩痛んだ足を摩る。痛みは嘘のように引いていた。
「うん、もう大丈夫みたい。ごめん、心配かけて」
「べ、別に心配なんてしてないけど! 私は早くゼクセンに行きたいの! 〈導星〉のくせに足手まといなんかにならないでよね」
言いながら手を差し出す。優姫はそれを取って立ち上がると、服についた土埃を払った。
「大体蛇の巣に落ちるなんて……足元くらい見て歩いきなさいよ」
優姫が立ち上がるやいなや、そっぽを向いてぶつくさと文句を垂れるエルレインに優姫は思わず苦笑した。そして思い出したかのようにアリエスの姿を探すと、近付いていく。
そんな気配に気付いたアリエスは振り返り、歩み寄る優姫を一瞥すると小さく息を吐いた。
「その様子なら、背負う必要はなさそうだな」
わずかに微笑んだように見えるも、すぐに背を向けられてしまう。
「うん、もう平気。昨日はありがとう」
「……さあ、出発するぞ。森を抜ければゼクセンまですぐだ」
荷物を持ち上げ歩き出すアリエス。エルレインもまた歩き出す。優姫は慌てて寝起きでぼさぼさの頭を撫で付け、手櫛で整えた。
「ち、ちょっと待って!」
しかし待てと言われて待つような二人ではなく、優姫は結局髪を結う隙もなく、肩までの長さのそれを下ろしたまま、二人の後を追うのだった。
◆
「ここが、ゼクセン」
優姫は眼前に広がる町並みを見て感嘆の息を漏らした。
緑あふれるその町を彩るように点在する、カラフルな淡色の煉瓦造りの建物。またほとんどの建物で飼われているのは牛に似た動物。しかしその鳴き声は山羊に近い。
そこにあったのは牧歌的で平和な町そのものであるように思えた。
「なんか……すごく平和そう……」
それは率直な感想。
その景色は、災厄など微塵も感じさせないものだった。
優姫は疑いの眼差しをアリエスに向ける。
「本当に世界に災厄って訪れてるの?」
「表面的にはそうは見えなくても、何かしらあるはずだ。この一見平和そうな町でも……」
「そうよ! この町にだって災厄は訪れてるのよ!」
優姫の問い掛けに答えたアリエスを応援するように、エルレインは力強く言い放った。しかし語気は強いにもかかわらず、声の音量は最小限に抑えられている。加えて、エルレインは優姫とアリエスの陰に隠れながら背を屈めて歩いていた。それは、こそこそと、と言ってもいいかもしれない。
「……アリエスが突っ込まないから聞くけど、何してるの?」
明らかに不審な行動をとるエルレインに優姫は声をかけたが、それに応えられることはなく逆に睨まれ、肩を竦めた。
その時だった。
ちょうど通り掛かった家で飼われていた牛に似た動物が、いきなり苦しそうな呻き声を上げたのだ。みるみるうちに息遣いは荒くなり、舌がはみ出した口からは涎がだらだらと溢れ出している。
驚いた優姫ら一行が足を止めたが、動物はそのまま倒れ動かなくなった。
「なな、なに? どうしちゃったの!?」
突然の出来事に慌てふためく優姫。驚きのあまり思わずアリエスの後ろに隠れてしまったが、そのアリエスも怪訝な顔をして首を傾げている。
「これは一体……病か何かか……?」
呆然と立ち尽くす中、程なくして事態を察知した家の住人が現れた。
「ああ、何と言うことだ! 最後の一頭が……」
住人は慌てて動物の傍らに駆け寄ると、がくりと膝を折った。うなだれ、肩を落とすその人物は、優姫達に気付いていない。
優姫達もまた、そんな人物に声をかけることは憚られ、立ち尽くしたままだ。
「くそっ! これでうちのロヌは全滅だ……。一体これからどうやって暮らしていけばいいんだ……!」
「ハガルさん」
しかし、絞り出すようにして呻く人物に声をかけたのは、意外な人間だった。
「エルちゃん……! ああエルちゃん、帰って来てたのかい、悪いねえ、こんなみっともない姿見せちまって……」
「いいの、気にしないで。それより……」
ずいと進み出たのはエルレインだ。
驚く間もなく、彼女は優姫の陰から出て、動物の傍らに歩み寄っていく。
「残念だけど、早く……処理をしなくちゃ。それがこの町の決まりでしょう」
「ああ……ああ、分かっている。分かっているよ。それでも、俺にはこいつだけだったんだ。産まれた時から、ずっと育ててきたんだ……」
ハガルと呼ばれた男は涙をこぼしながら傍らに立つエルレインに縋るように言い放った。エルレインもまた、分かっていると言うように、何度も静かに頷く。
そこにはいつもの不敵な彼女はいない。まるで自分のことのように辛そうな表情を浮かべるエルレインを見て、優姫は胸が詰まる思いがした。
「……ハガルさん」
「……ああ、すまない。準備をするから、シディスさんを呼んできてくれるかい」
「分かったわ。行くわよ、二人とも!」
「えっ? あっ、なになに!?」
流れを掴むことの出来ない優姫は、エルレインに引っ張られながらその場から離されていった。アリエスはそんな二人に黙ってついて来る。
やがて他の家より明らかに堂々とした門構えの屋敷の前に到達したところで、ようやくエルレインは掴んでいた優姫の腕を離した。
「エルレイン! どこに行くの? それにさっきの人……知り合い?」
優姫は背を向けるエルレインに問う。しかし答えはなかなか返ってこない。再び声を発しようとした時に、今まで黙り込んでいたアリエスが口を開いた。
「ここは、お前の故郷か?」
その言葉に反応したエルレインの肩がぴくりと動く。優姫もまたその言葉に納得して思わず大きく手を叩いた。シディス――それはエルレインの姓だったような記憶がある。
「何だ! そっか、ここエルレインの実家なんだ!」
「……そうよ」
ようやくそう答え、エルレインは振り返った。
「ここはロヌを飼育して乳や肉、それに皮を生産しながら、適度に潤っていた――以前はね」
「以前は、と言うと?」
「……家畜の間で疫病が広がったのよ。みんな最初は甘く見てた。病気なんて、いつものことだって……でも、違ったの」
アリエスの問いかけに、エルレインは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべ答える。
「……ロヌはほぼ全滅だった。私が十二の時だから、五年前のことよ。家畜だけが感染する疫病――家畜を飼育することで生計を立てていた人が多かったこの町は、壊滅的な打撃を受けたわ。それでも、立ち直った。少しずつ、少しずつだったけど、残ったロヌを繁殖させ、再び疫病の気配が見えたら最小限にそれを食い止めて……その繰り返し」
エルレインの肩が震える。
かける言葉が見つからず、立ち尽くす優姫。アリエスは腕組みをしながら、微動だにせずにエルレインの話に耳を傾け、やがて口を開いた。
「それもまた、災厄のひとつか。ただ……あえて言うなら、家畜だけで済んでいるのは不幸中の幸いだろう。人の間で疫病が広がりなくなった町や村を、私は見たことがある」
「そう、ね……そうなのかもしれない。でも私は、ここに住んでいたからこそ、そうは思えなかった。だから、私は――」
俯き、声を搾り出したその時、低いがよく通る声が響いた。
「エル? エルレインなのか!?」
三人は声のしたほうに視線を向ける。
そこには、エルレインと同じく栗色の髪と瞳をした、若い男が立っていた。
前話の区切りが悪く、今話の前半部分を後ほど前話に追加しようと思っています。呼んでくださっている方には大変申し訳ないのですが、ご了承ください。
ちなみに、話の内容に変更はありません。
今後ともよろしくお願いします。