18 覚えているということ
私は今、本っ当に頭にきている。
他でもないアイツのことだ。
「何してる、ぼうっとしているな」
相変わらず、口うるさくて、何をするにも上から目線の命令口調。何かにつけて、王立騎士団の誇りがどーのこーのと。
「おい、次の目的地を確認しろ」
仲間が増えても、私にだけ全然態度も変わらないし、本当にうんざり。きっと、王都育ちの騎士団長は、孤児の私なんか、同じ人間と思ってないんだわ。
だって他の人達には、あんなに優しい。
「――ァルゴ、おいヴァルゴ。聞いているのか。早く導石を――」
「……どうせ、私は」
私は、この石と同じなんだわ。
人、じゃなく物と同じ。
本当に、本当に……悔しい。
「ヴァルゴ!? おい……っ」
どうにかして、見返してやりたい。
私だって、同じ人間なのよ!
◇◇◇
「――――んあ?」
ぱちぱちと薪が爆ぜる音に、優姫は情けない声を出した。目の前に広がる満天の星空に加えて、背中に触れる固く冷たい土の感触で、優姫は自分が横になっていることに気付いた。
起き上がろうとして体を動かすと、手足にわずかに痛みが走る。腕を上げると、そこにはいくつかの擦り傷があった。
首を動かし辺りを見回す。
近くには焚火があり、その側には毛布にくるまって眠るエルレインがいる。
「あれ……私……」
優姫は今だに現状を理解出来ていなかった。
修道院を出発し、ゼクセンという街へ向かう為、再度亡者の森の中を進んでいる途中だった――気がするのは確かだ。しかし野宿に至った経緯は覚えていない。
「気が付いたのか、ユウキ」
降ってきた声の主は、アリエス。
声のした方に視線を向けると、焚火から少し離れた場所で、彼は胡座をかいていた。
「蛇の巣に落ちかけて、頭を打ったんだ。覚えているか?」
「蛇の巣……」
言われてみて、ぼんやりと思い出しそうになる。そういえば、そうだったのかもしれない。
それにしても――。
「……この世界には、蛇が多いんだね」
「ああ、それも災厄のひとつだからな」
異世界に来たばかりの優姫が蛇に襲われたのはこれで二度目だ。さらに、この世界に来る直前にも大蛇に遭遇している。偶然にしては、その回数は多かった。
「……アリエス」
優姫が呼ぶ。
アリエスは顔を上げ、視線だけを向け応えた。
「……過去のこと覚えてるって、辛い?」
ぱちぱちと薪が爆ぜる音が宵闇に響く中で、優姫は体を起こし、返答を待つ。アリエスの声はすぐには返ってこなかった。やがて大きく息を吐く音が聞こえたかと思うと、低く、ゆっくりとした声が優姫の耳に届いた。
「なぜ、私だけが……と思ったことはある。こんなに鮮明に、今際のことまで覚えているのは正直――」
そこまで言ってアリエスは黙り込み、優姫にまっすぐ視線を向ける。
「――お前は、どうなのだ? 夢を見るだろう? 過去――ヴァルゴであった頃の」
「私――」
逆に問われて、優姫は言葉に詰まった。
まさか、あの夢が過去であったなどと思っていなかったが、アリエスやエルレインの話を聞いた今は、そうだったのかもかもしれないと思うことが出来ていた。しかし、それは過去の出来事の一端にしか過ぎないのだろう。
ただ呑気に、レオのことがかっこいいと話していた頃を懐かしく思う。あの時は、まさか見ていた夢が絡んでこんなことに巻き込まれるなど、想像していなかった。
「――は、あまり夢を見ていなくて」
そうか、と短い声が返される。
優姫は少しだけほっとして、胸を撫で下ろす自分がいることに気付く。全てを覚えているアリエスに、無知な自分を晒すことをわずかに緊張していたのかもしれない。
しかし、一度緩みかけた空気は、続けられたアリエスの言葉に、再び張り詰めることとなる。
「……レオは、お前の夢に出てくるのか」
先程よりも、低く重い声。そこには何の感情もない。にもかかわらず、びりりと大気は震えた。
優姫は怯みそうになるのを堪え、答えた。
「うん、出て……くるよ。……レオは私の夢に、出てくる」
漆黒の髪を揺らし、深緑の瞳を細め微笑む青年。白を基調とした服に腰にさした長剣。そんな彼が手を差し延べる姿が、優姫の脳裏に浮かぶ。それは、初めて夢に現れた時のレオの姿だ。
けれど、同時に思い出すのはアリエスの話――もちろん優姫はまだ全てを信じていないのだが――レオによって殺されたという過去のアリエス。そして全てを覚えている彼は、レオをひどく憎んでいる。
優姫はアリエスの問いの真意が分からなかった。だからこそ、正直に話す。
「レオは、笑顔だった。……最近見た夢では、しかめっつらばかりだけど。だから、私は――アリエスが言うような人には見れない、レオのこと」
何より、何度も助けてくれたという事実があるのだ。
アリエスのまっすぐな視線に晒されながら、優姫は最後まで言い切った。
きっとまた怒鳴られるだろう――しかし、そんな心配は杞憂に終わる。アリエスは俯き、そうか、と小さく呟いただけだった。
拍子抜けすると同時に、少しの欲が優姫に生まれた。もっと聞けたらと、そう思った。
「……ねえ。過去のこと、聞かせてくれないかな。もっともっと、知りたいんだ、私」
優姫の希望に、アリエスはゆらりと立ち上がる。目の前まで歩み寄り、腰を下ろすと、期待を胸に抱く優姫に手を差し出した。手の平に載るそれは、アリエスの耳飾り。視線を落とすと、その耳飾りに嵌め込まれた無色の石には、焚火の色が揺らめいている。
「……手を重ねろ。それが一番手っ取り早い」
アリエスが囁くように言った。
しかし、その行為の意図が分からず、優姫は確認するように目の前の青年を見上げた。炎が映り込んだ瞳は、ただまっすぐ優姫を見据えている。
「これに何の意味があるの――」
警戒するわけもなく、アリエスの手に自分の手を重ね、そこにある耳飾りに触れた。
「――――っ!?」
刹那、優姫の視界は急激に開けた。