17 意思表明
「……エルレイン? タウロスじゃなくって?」
優姫は隣を歩く修道女が名乗った名前をそのまま繰り返した。修道女――エルレインは眉間に皺を寄せ盛大にため息をつく。
「はあ? そんなわけないでしょ、私の名前はエルレイン。エルレイン=シディス。〈金牛宮〉タウロスなんて単なる称号に過ぎないし。大体、タウロスなんていかつい名前、願い下げ!」
きつい口調で言い放つエルレインの姿に、言葉を失う優姫。
エルレインの優姫に対する態度は、アリエスに対するそれとは正反対だった。
詳しいこともほとんど知らずに、旅立つことを決意した優姫は、自分で決めたとはいえ、半ば強制的に出立することとなったこの旅で、初めて得た同年代、そして同性の仲間と打ち解けるべく話しかけた。しかし返ってくる言葉はどうにもきついものばかり。それでも諦めまいと果敢に話しかけるが、こうもつれないとくじけそうになる。
ちなみに、彼女がアリエスと話す時は、同年代とは思えないほど、物腰しとやかだった。そんな彼は、二人の遥か前方を歩いていた。
「……二重人格」
耐え切れず、ぼそりと呟く。
小さく発したはずの言葉も、なぜか拾われてしまう始末。エルレインにぎろりと睨まれて、優姫の声は尻萎みになった。
「あんただってヴァルゴって名前じゃないでしょ!? ユウキだっけ? 変な名前! 大体あんた、何にも知らないのね。異世界って相当平和ボケしてるんだ」
「……私は」
来たくて来たわけじゃない――その言葉は、結局声にすることが出来なかった。なおもエルレインは続ける。
「あの人――アリエスも変わってるし。『この名は私の誇り。昔の名など捨てた』だって、変」
小声でアリエスの口まねをしながら肩を竦める。全く似ていなかったが、その言葉は正しい。
この旅路に加わり、まず始めに自己紹介をしたエルレインだが、その後に優姫とアリエスの二人にもそれを求めた。しかし優姫は本名を名乗ったが、アリエスは名乗らなかったのだ。大体、それが本当の名ではないなど思いもしていなかった優姫にとって、そのことはまさに青天の霹靂だった。
「私は私の名前に誇りを持っているの。だからタウロスなんていかつい名前で呼ばれるのは、嫌。もしその名前で呼んだら、ただじゃおかないから」
尚も睨みを利かせているエルレインの話を右から左へ聞き流しながら、優姫は頭の中を整理していた。
新たな仲間を得て、次なる目的地はすぐに決まった。〈金牛宮〉タウロスであるエルレインのたっての希望で、彼女の実家があるというゼクセンへと向かうことになったのだ。ゼクセンへは一度亡者の森に戻り、三差路を東に進む必要がある。
この一連の出来事は、ゼクセンへの道中での出来事だった。
よくよく考えてみればおかしなことだったのだ。
もし生まれながらに星宿の名を与えられていたとしたなら、〈道星〉である優姫の存在は必要ない。その名を持つ者を、王都に集めればいいのだから。しかし、それは不確かな方法だと言えた。同じ名を持つ人間は少なくないだろうし、逆にその星宿を持ちながらも親が気付かずに違う名を与えてしまうこともあるだろうから。
アリエスが当然のようにアリエスと名乗った為に、優姫は今さらながらその考えに辿り着いた。そして、浮かんだのはもうひとつの疑問。
「ねえタウロ……じゃなくエルレイン、聞いていい?」
危なく、ただじゃおかないことになりかけて、慌てて言い直す。栗色の瞳が一瞬釣り上がったが、エルレインはすぐに無言で優姫に向き直った。
「その宝石は? ずっとエルレインが持ってたの? 誰かに貰ったとか?」
優姫の脳裏に浮かんだ疑問――それはゾディアックの証たる宝石のことだった。
名前と同じように、その星宿の主が正しい宝石を持っている可能性は、限りなく低い。宝石は高価であったし、この異世界であっても宝石を持って産まれ落ちるようなことは、さすがにないのだ。
実際、優姫の石も優姫本人が持っていたものではなく、レオに唐突に渡されたものだった。
「はあ……、あんた本っ当に何も知らないんだ。ていうか、あんただって石持ってるから分かってるでしょ!? いきなり石は変化したのよ。私のこの首飾り、安物だったし。はじめはただのガラス玉だった」
「え? 変化?」
「朝起きたらもうその時には、よ。ガラス玉が黄褐色の宝石になっていたのは。……でも、言ったところで誰も信じなかったけど」
そこまで言って、どこか遠くを見るように目を細めるエルレイン。優姫はそんな彼女の話を聞いていて、今度は不安になる。
優姫の持つ〈導石〉――それはレオに渡されたものだ。託宣によって予言されていたヴァルゴの召喚と言うが、エルレインの話を聞けば聞くほど、それは不自然に感じる。
「……ところで、あんた」
しかし、そんな優姫の思考は、エルレインに肩を強く叩かれたことによって吹っ飛んだ。
気を取り直すと、エルレインは足を止めまっすぐ優姫に向き直っている。栗色の瞳は相変わらず鋭い。
「な、なに」
「あんた……ヴァルゴなんでしょ。じゃああんたも夢を見てるの?」
「夢……、うん、一応は」
優姫は言い淀んだ。
見ているには見ている。ただし、この世界に来るまでは音のない、レオと二人きりでいる夢で、ほとんど内容もないようなものだったのだが。
「じゃあレオは? レオのことあんたはどう思ってるの?」
エルレインの口から唐突に飛び出した彼の名前に、優姫の心臓が跳ね上がった。目の前の栗色の瞳はさらに近づき、優姫が答えるのを待っている。
「レ、レレレレオのこと? どうしてまた!?
「黙って答えなさいよ! で、どうなの?」
「どうって言われたって……別に」
「夢を見るのに?」
「…………うん」
その剣幕に思わず心にもないことを言ってしまう優姫。なぜかそうした方がいいのだと、直感が働いたのだ。そしてその直感は的中したらしく、そう答えた瞬間エルレインの表情が和らいだ。
「そう。そうなんだ。それならいいのよ、ヴァルゴ……って今はユウキだっけ」
口調は変わらないが、その笑顔は初めて優姫に向けられたものだ。栗色の瞳を細めて微笑むエルレインは、美人の部類に入るな、と優姫は思ったが、すぐにその考えは覆される。
「じゃあ言っておくけど、私、レオのことが好きなの。昔も……今も。だから、分かってるわよね」
柔和な笑みは、氷のような鋭い微笑に変わっている。それは美しさよりも恐ろしさを感じるような。
「私から彼を盗らないで」
そうエルレインが言い放ったその時、遥か前方を行くアリエスの声が響いた。遅れに遅れている優姫とエルレインを呼ぶ声だった。
その声を受けて、まああんたには関係ないか、と最後に付け加えてからエルレインは踵を返した。優姫はわずかに身震いして、その後を追う。走りながら自分の発言を後悔したが、もうすでに遅かった。