15 修道院にて
「まあまあまあ、こんな夜更けに。どうぞお入りなさい」
日が暮れて大分過ぎた頃に、優姫とアリエスはオーランド修道院の扉を叩くと、柔和な笑みを浮かべた年配の修道女に迎え入れられた。
通された応接間は質素であったが、どこかアンティーク調で優姫は思わずきょろきょろと辺りを見渡した。
「夜分申し訳ない。実はお尋ねしたいことがあるのですが」
修道女が一度席を外し、茶を用意して戻って来るやいなや、アリエスが尋ねる。あまりの唐突さに優姫は驚いたが、修道女は特に意に介した様子もなく答えた。
「はい、何でしょう? ……王都の騎士の方とお見受けしますけれど」
にこにこと笑顔を浮かべながら、修道女の手が優姫を指した。どうやら、そちらの方は、と言いたいようだった。
「私は王都シャングリラの騎士団を率いるアリエスと申します。この度は王陛下よりゾディアックとして勅命を賜ってここに来ております。彼女もまたゾディアックの一員です」
「ゾディアック……!?」
まあ、と修道女は目を見開いた。かと思うと、両手を組み深々と頭を下げた。
「ああ、主のお導きに感謝いたします。……それでは、ようやくゾディアック集結の兆しが……!」
よく見れば修道女は涙を浮かべているようだった。優姫はシャングリラの城下街でも思ったが、ゾディアックはこの世界の人々が切に待ち望んだ希望なのだと、実感した。
「〈導星〉である彼女に導かれ、この場所へとやって来ました。シスター、この修道院に石を持った者がいると、噂に聞いたのですがご存知ですか?」
「石……? ああ、あの子のアレのことかしら……。ああ、でも……」
アリエスの言うことに思い当たることがありながらも、いきなりしどろもどろになる修道女。笑顔であることには変わらないが、若干引き攣っているようにも見える。
「呼んで頂きたいのですが」
「それが、その……あの子は……」
「呼んで頂きたいのですが」
「ちょ、ちょっとアリエス! もう少し穏便に……、いきなり私達が来てびっくりしてるのかもだし、ねえ? そうですよね」
なぜか煮え切らない態度の修道女に、アリエスが再び同じ言葉を発するのを見て、優姫は思わず助け舟を出す。口調は丁寧だったが、二回目の声色はひどく冷たいものだったからだ。
優姫の発言にアリエスが眉を上げたようだが、気にせずに続ける。
「大体アポを取って来てるならまだしも、こんな夜に、しかもアリエスみたいな人にそんな風に言われたら誰だって萎縮しちゃうし!」
修道女の前にずいと進み出る優姫。
そしてにこやかに、尋ねた。
「あの、私達ゾディアックとして星降る丘にいかなければいけないんです。それで、ここに他のゾディアックがいるみたいなんですけど……呼んでもらえます、よね?」
「ああ……、呼んで差し上げたいのはやまやまなのですが、あの子は――」
◆
「――家出だって。この場合は修道院出、って言うのかな」
優姫が発した言葉に、隣に座るアリエスが眉間に皺を寄せた。微動だにしないそんな彼からは怒りのオーラが迸っている。
先刻、やっと重い口を開いた年配の修道女は、ゾディアックとしての証たる宝石らしきものを持つ若い修道女は、今朝修道院を飛び出したと言う。規律正しく、何の変化もない毎日はもう嫌だ、と叫びながら修道院を後にした修道女のことを、年配の修道女は、恥ずかしながら話してくれたのだ。
そんなことがあるのかと、優姫は驚いたが、ちらりと隣を盗み見るとアリエスもありえないといった顔で呆然としていたので、優姫の感覚は恐らく正しいのだろう。
しかし、そんな理由でアリエスが納得するはずもなく。
結局、二人は引き続き応接間で待たされることになり、修道女達はきっと遠くには行っていないだろうということで、近場を捜索中なのだ。
「まあまあ、アリエス! すぐ見つかるよ。いざとなったら私の石で探せばいいんだし」
まあお茶でも飲んで、と優姫はアリエスにすでに冷めてしまった茶を勧めたが、冷やかな視線を向けられた後、ふいと目を逸らされた。
アリエスに向けた笑顔を虚しく残しながら、優姫は小さく嘆息する。どんよりとした空気の中、ポケットの中の石を取り出しすと手の平に載せ、それを握り念じた。
石は熱を発し、瞬く間に青紫色の宝石に変化すると、光りを放った。宝石と同じ色をした光の軌跡は、頭上に向かってどんどんと伸びていく――上に。
「……上?」
それは当然の疑問だった。
外に飛び出したと言うなら、光は外に向かって射されなければいけないのだから。 思わず優姫とアリエスは顔を見合わせた。
「もしかして、これってあてになってないんじゃない?」
「……。いや、そんなはずはない」
優姫の言葉に逡巡しながらも、きっぱりと否定するアリエス。その表情はさらに曇る。
そうだとしたら、この光の説明はどうすればいいのか――優姫は視線を光の軌跡になぞらせ天井を見上げた。
「じゃあ天井裏にでもいるんじゃない」
ぼそりと呟く。
それと同時にアリエスがすっくと立ち上がった。驚いて優姫が見上げると、アリエスは真剣な面持ちで頷いた。
「そうだな、その可能性はあるな。ここにいても仕方ない、行くぞユウキ」
「ええっ!? 冗談なんだけど……って、ちょっと待ってー!」
思い立ったアリエスは優姫の腕を掴み歩き出す。優姫は引っ張られるようにしてアリエスについて行くような形になった。
応接間の扉を抜け、静まり返った回廊を進む。目指すは上階。光の指し示す方向だった。
優姫は息を切らしながらアリエスの後ろを走る。王都シャングリラの騎士団の長であるアリエスは、さすがと言うべきか息ひとつ切ることなく涼しい顔で突き進んでいた。
螺旋階段を駆け上がり、二階の廊下を抜ける。人気がないのは先のアリエスの発言によって、家出人の捜索に皆出払っているからなのだろう。
もしこれで見つけることが出来なかったら――優姫は自分で言った冗談の発言を後悔した。懺悔出来るなら懺悔したいところだ。
しかし次の螺旋階段を昇り、三階の廊下に辿り着いた頃、息も絶え絶えになっていた優姫は、ついに足を止めた。
「……はあはあ、もう無理だし……」
その時、何か物音が聞こえた気がして、優姫は周囲を見回した。
「あれ……? あそこのドアだけ開いてる」
視界に入ったのは、斜め前方にある扉。他のものより厳かな雰囲気を醸し出したそれは開け放たれている。
優姫はすでに姿の見えなくなったアリエスを追うことは諦め、扉の前に進み、ゆっくりと窺うように中を覗き見た。
「わあ……!」
優姫の視界に映ったのは、聖堂らしき部屋。この世界の聖人を祭ってあるだろうそこは、白を基調としており、深緑色のカーペットがよく敷かれたうえにいくつかの長椅子が置かれている。奥の台には赤い布がかけられ、正面には見たこともないような大きなステンドグラスがあり、白い壁にはいくつかの絵がかけられている。もちろん、優姫にそれが誰なのかは分からないのだが。
「すごい綺麗……、これがこの世界の神様なのかな」
歩き進み、壁にかけられた絵の前で立ち止まりまじまじと見つめ、感嘆の息を漏らした。優姫は無神論者ではあったが、その絵に描かれているものは神々しく見とれるほどのものだと言えたからだ。
思わず二度目のため息を漏らしかけた時だった。ぐう、と背後から音が聞こえた――それは例えるなら、腹の鳴る音のような。
優姫は勢いよく振り返った。
「あ」
「あーー!!」
そこには、今まさに聖堂の扉を出て行こうとする若い修道女の姿があった。